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人狼の宴/7

「まさか、ここでまたあんたと向かい合うなんてなぁ」

「あなた……。もしかして大原ですか?」

 逃げた人狼はビルの隙間を飛び渡り、ある公園へと降り立った。


――この公園は、夜子も鈴切もよく知っている。


なぜならこの人肉レストランに携わるきっかけとなった最初の事件で、ここを訪れているからだ。

あの時は予想していなかった救援のせいで人狼を取り逃してしまったが――――。

今、目の前に立つこの人狼こそが、あの夜逃がした大原なのか。

「へへ」

 人狼は小馬鹿にするような笑いを零すと、毛で覆われた大きな手で顔半分を隠した。

 そしてその手を下ろした時現れたのは――うだつの上がらなさそうな中年の顔。

「――大正解だよ、お嬢ちゃん」

 薄闇のなか、顔の右半分は獣、左半分は人間の歪な生き物が、街灯に照らされ浮かび上がる。

「…………醜悪です」

「それはそれは。ま、人間様とは感覚が違うんだろうからな」

「そういう意味ではありません」

夜子は不愉快そうに片眉を上げた。

「――まあいいです。あなたに言葉の意味を説明する時間がもったいないですから」

 夜子はガントレットを構えると、ぐっと足に力を込め――地面を蹴った。ガントレットが弾いた月の光が、その場に線となって残る。

「へっ」

 これを大原も予想していたのだろう。彼は薄ら笑い、体を丸めるようにして防御の姿勢をとった。――だが。

「ぐあっ!」

 そんなもの、まったく意味が無かった。

 夜子の一撃は大原の太い腕の骨を砕き、それに守られていたはずの胸を圧迫する。大原は痛みに顔を歪ませ、膝から折れた。

「こ……。な……ん、で……」

 必死の思いでそれだけ言い、大原は目に涙を滲ませた。

夜子はそれを見下ろすと、「何が言いたいのかわかりません」と言い放つ。その声には何の感情も乗っていなかった。

「このあいだだって本気でしたけどね、今回は本気の本気ってことですよ」

 そう言って両拳を打ち付けると、夜子は大原の首根っこを右手で掴み、無理やり立たせた。

「前もあなたにこうしたこと、覚えていますか?」

 夜子が訊くと、大原はひとこと「趣味がわりぃ」と呟く。これに夜子は小首を傾げ、「別に嫌がらせでやっているわけではないですが」と返す。

 そう――。夜子はこれから、大原に質問をしようとしているだけなのだ。だからこうして、声がよく聞こえるよう彼を立たせた。

「前も聞きましたが、あれから考えは変わりましたか?」

 言って夜子は、こっそり鈴切に目をやる。

その時鈴切は、夜子の周囲を囲うようにして塩――清められた特別なものだ――で円を描いているところだった。簡易結界を作っているのだ。

「夜子ちゃん!」

 円はすぐに繋がった。鈴切は夜子の名を呼び、結界が完成したことを告げる。

(――よし。前と同じ轍を踏む気は無いんですよ、私は)


 今度は邪魔など、入らせはしない――――。


「さあ、教えてください。あなたは私達と共に生きる道を選びますか? 人間の作ったルールを守って生きていくと誓いますか?」

 澄み切っているのに、あまりにも深いせいで底の見えない湖のような夜子の瞳が、大原をとらえる。底にあるはずの意思は、見えない。

「…………ッ」

 大原は夜子の腕から逃れようと、顔を歪ませたまま体を揺らし、蹴りを繰り出す。前回はそれでしてやられた――が、夜子だって馬鹿じゃない。

 夜子は自分に向かってきた大きな足を左手で打ち払い――大原の爪がぶつかり、甲高い金属音が響いた――、大原を縊る右手に力を込める。

「あなたは人の言葉がわかるんでしょう?」

 そしてグイと顔を近づけると、大原に告げた。

「――答えはあなたの口から言いなさい」

 大原は息苦しさから、はふはふと数度息を吸うと――。

「……やだねッ!」

 それだけ言って、夜子の顔に唾を吐きかけた。

「…………」

 夜子はしたり顔の大原を、冷たい目で見やる。――そして薄い唇を開き、淡々とした調子で言った。


「では、あなたを排除します」


 瞬間、大原の頭は勢いよく地面へと打ち付けられた。大原のくぐもった声が、夜子の足元から上がる。

「ク……ソ……ガキぃ……ッ!!」

「クソガキで結構です。――鈴切」

「はい」

 簡易結界の外で様子を見守っていた鈴切は、夜子に呼ばれ円の中へと入る。そして地面に伏している――首をいまだ夜子に押さえられているのだ――大原を羽交い絞めにし、体を起こし上げた。

「ありがとうございます、鈴切」

 大原から手を放した夜子は、制服の袖でぐいと濡れた顔を拭う。

「…………ふう」

 自分が汚れたり、汚されたりすることは別に何も感じない。だが、目の前にいるこの人狼の品性は下劣極まりない――そう思い大きく嘆息した。


◇◆◇


 ガントレットと肉のぶつかる鈍い音が、夜の静かな空気を震わせる。

 その痛々しい音には、はぁはぁと少女が荒い息をしている音も混じっていた。

「俺ぁよぉ……。頑丈が取り柄なんだよなぁ……」

 口の中に溜まった血を少女に吐きつけ、人狼はにやけ面で言う。少女――夜子は、吐きかけられたせいで赤く染まった胸元にちらりと視線を落とした。

「あーあ、俺ってかわいそうな人狼だよな。生まれつき人を普通に喰えないわ、せっかく作った群れを壊されるわ――散々だよ」

 大原は自嘲気味に笑った。

「人間の言う『家族』とはまた違ったかもしれねぇが……。それでも俺らは『家族』だった。人間みたいに血の繋がりはないが、な」

 濁ったまなこで、大原は夜子の澄まし顔を、じいっと見つめる。

「楽しくやってたのになぁ……。――それをぶち壊した気分はどうよ? 《探偵》さんよぉ?」

 大原はくつくつと喉を鳴らすと、蔑むように言う。夜子はそれに答えはしなかった。

「あんたの武器が刃物だったらよ、俺の首を掻き切ってそれで終わりだったのに……。俺のこんな話も聞かなくてすんだのに……」

「――はぁ」

 夜子は小さな溜め息をひとつ零すと、トントンとつま先を地面で叩いた。

「それで私が情けをかけるとでも? ――あなたは確かに『家族』ができて幸せだったんでしょうね。生まれ持った体質も、他の異形とは違うところがあって不便だったんでしょうね」

 腰に手を当て、夜子はやれやれと言いたげに頭を振った。

「だからなんです。自分の幸福のために、他者を虐げても――いえ、殺していいとでも言うのですか」

「世の中は弱肉強食だろぉ? 自分が幸せに生きるためならなんでもする……。人間だってやってるじゃねぇか」

「それはそうかもしれません。ですが人間だって、それで決められた『ルール』を破ったのなら罰せられます」

「…………」

 大原は「あーあ」と口の中で呟いた。――生まれ落ちてからというものろくな人生じゃなかったが、園田と出会ったことで少しは上向きになってきたと思ったのに。

「やっぱり俺は運がねぇ。人間もばれてないだけで俺みたいな奴はたくさんいるのに。俺ぁ知ってんだよ」

「そうですね。そのような人がいることは私もわかっています」

 夜子は「ふう」と息を吐き、首を横に振る。

「私はそういう人たちが嫌いです。でもばれないようにやっているあいだは、介入することができません」

 言って夜子は、ぐっと右拳を掲げた。


「――ですが、あなたはばれてしまったんですから。報いを受けてください」


 夜子が話し終えるやいなや、大原は夜空に向かって「オオン」と寂しく吠えた。

「へへ、喉を潰しときゃよかったな?」

「助けは来ませんから大丈夫です。ビリキナータで私の仲間達が各々の役目を果たしているはず。――それに、店は囲まれていると言ったでしょう? 外で待機していた探偵が、飛び出した私達を追ってきていると思います。やってくるのはあなたの家族じゃなくて、私の仲間でしょうね」

 わかっているでしょう?と夜子が訊けば、大原は自嘲するように笑い「だろうな」と呟いた。

「あんた、血も涙もねぇよなぁ。俺の生い立ちからこれまでを聞けば、例え種族が違おうが、『今回だけは目を瞑るから見逃してやろう』ってなるだろうにさ。あんたに話してもきっと無駄だってわかるから、話す気にもなんねぇや」

「私、プロですから。――覚えておくといいです。『御守夕が育てた人間に泣き落としは通用しない』って」

「そうするよ。もしあの世ってのがあるなら、異形の者として生まれ落ちる予定の奴にも伝えとくわ」

「そうしてください。でも勘違いしないでくださいね。私達も情が無いわけじゃあないですから」

「ああ、人間様の思うとおり生きていたら何にもしないはずとも伝えておくさ」

「…………」

 夜子が眉根を寄せると、大原はケケと汚い笑いを上げ全身の力を抜いた。重力により沈む体を、鈴切が支えなおす。

「――……」

 夜子は無言で大原の頭を両手で挟んだ。ごわついた毛並の感触が、ガントレット越しに伝わってくる。


 そして夜子は静かに息を吸い――渾身の力で大原の頭を捩じった。


「…………」

 しばらくのあいだ、夜子はあらぬ方向を向いた大原の頭を眺めた。――が、大原の体は消滅しはしなかった。

 しかし、大原がすでに事切れていることは気配でわかる。あれだけしぶとかった大原は、声も上げず逝った。

――夜子の手で、この世から排除した。

「大原は体が残るタイプだったんですね」

 鈴切は言って、大原の亡骸を地面に下ろす。

「そうですね……」

「機関送り……、ですかね……」

「そりゃあもちろん、そうでしょう。大原が言うには、生まれつき他の異形と違うところがあったそうですし、徹底的に調べ上げられるんじゃないですか?」

 ガントレットを外しながら夜子が言う。それを鈴切はどこか寂しそうな目で眺めた。

「兄さんに連絡しましょうか。向こうがどんな調子か聞いてみましょう」

 夜子がスカートのポケットからスマートフォンを取り出した時、公園の入り口のほうから、バタバタと人が駆け寄ってくる音が聞こえた。つかさ警備の人間が追いついたのだろう。

「電話するより、あの人達に聞いたほうが早いですね」

 夜子はスマートフォンをしまうと、何か考えるように黙り込む。そして大原の側に寄りしゃがみ込むと、瞼の固く閉ざされた彼を見ながら言った。

「相容れなくて残念です」

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