人狼の宴/5
「くそっ! 大人しくしろと言っているのが聞こえないか!」
まるで嵐の夜の船上のように荒れ狂う室内で、火之は力の限り吠えた。しかし人狼達は聞く耳持たず――その牙と爪を火之らに向かって振るう。
――二階の有様は、酷いものだった。
階段に繋がる入口は辰巳の張った結界により塞がれ、部屋にある唯一の窓は夜子が守っている。
逃げ道を失った人狼達は、もう探偵らを殺すしかないと攻撃を仕掛けてくる――が。
二階――特に客席のあるここは、大して広くないのだ。
人狼が振り上げた手が別の人狼の体にぶつかり、仲間の皮を引き裂くなど、辺りは混乱極まっている。
(一気に場を収めるには炎術が手っ取り早い……。だがここは室内だし、夜子達生身の人間もいる……。ああくそっ! どうすりゃいい!!)
火之は人狼の体当たりを躱しながら舌打ちした。
「焦るな、火之」
うしろでナイフを振るっていた辰巳が、火之に振り返ることなく言う。
「チャンスっていうのは、どんなシーンでも一度は訪れる。――待つんだよ」
「待つって言ってもだなぁ……!!」
火之は人狼の攻撃を受け流すと、ちらりと窓際に目をやった。火之の目に、スカートを翻し、器用に人狼達の間を飛び回る少女が映る。
(今はまだいい。しかし長引けば一番消耗するのはあいつだ)
夜子の体力は同世代より少しはある、といった程度。装備で底上げもしているが、たかが知れている。それを自身もわかっているからこそ、夜子は普段、排除が速やかに終わるよう立ち回るのだが――。
(こんな乱戦状態じゃ、それも難しいだろう)
夜子のポーカーフェイスは崩れてはいないが、思うように動けていないであろうことが体捌きから見て取れる。
――そしてそれは、人狼のひとりにも伝わっていた。
ある人狼が床に倒れこんだ『家族』の体を抱え上げたのに最初に気づいたのは、辰巳だった。
「なっ……!」
何をしている――辰巳がそう言い切るより先に、人狼は抱え上げた家族の体を盾に、混戦の中を走った。そして――。
「おらどけえぇ!!」
窓の前に立ちはだかる夜子に向かって、ぐたりと力の抜けた家族を思い切り投げつけた。
「――ッ!」
不意を突かれ、夜子はぐらりと体のバランスを崩す。そしてそのまま、二メートルはあろう異形の者の重みにより、床に倒れこんだ。
その瞬間、窓を守る者は誰もいなくなり――――。
「じゃあな!」
ケケ、と汚らしい声を上げると、家族を投げつけた人狼は窓枠に手をかけ、渾身の力をもって枠を壊し外す。そしてもはや窓というより穴と呼ぶべきそこから大きく跳躍し――外へと飛び出した。
「夜子ちゃん!」
鈴切は慌てて夜子に駆け寄ると――一瞬大きく開いた穴を見やったが――、すぐに異形の者の下敷きになってしまった彼女を助け出そうと手を伸ばした。
「――大丈夫です」
夜子は自身に伸し掛かる異形の者を押し上げると、その下から這い出で「それより」と窓の外を睨む。
「追わなくては」
人間と異形の入り乱れる喧騒の中、夜子は火之を探した。
「――!」
火之はすぐに自分を探す少女に気づき、すぅと大きく息を吸い叫ぶ。
「行け! 夜子!」
夜子はこれに大きく頷くと、隣にいる鈴切に目配せし――ちょうど人狼に組みつかれていた火之に向かって叫んだ。
「ここは頼みます!」
言って夜子と鈴切のふたりは、人狼が開けた穴から外へと飛んだ。
◇◆◇
「あらら、行っちまった。俺達ふたりで大丈夫なのかねー」
辰巳はいかにも面倒そうに言うと、髪をかき上げる。
しかし、彼の瞳の奥に灯る光は爛々と燃えており――口とはまるで真逆だった。
「なに、むしろ好都合だ。これが辰巳の言う『チャンス』なんじゃないか?」
ニッと笑い、火之は辰巳を見下ろした。辰巳は目だけで彼を見上げ――同じく笑った。
「その通り。なーに、あとのことは天下のつかさ警備サマがなんとかしてくれるさ」
言って辰巳はポケットを探り、中から皺の寄った紙を一枚取り出した。紙には「火迺要慎」と書かれている。
これを見て火之は、「よし」とひとつ頷く。
「火除けの札があるなら大丈夫だろう。でも念のためおれのうしろにいろよ」
「りょーかい」
火之が手を組み、印を作ったことを確認すると、辰巳はジリとナイフを構えたままわずかに後退する。
「――!」
もともと気配に敏感な人狼達だ。彼らはすぐにふたりのまとう空気が変わったことを察した――が、火之の圧倒的な気迫、そして背後に控えている辰巳の静かな威圧感に、動くことすらできずにいた。
何かやる気だ、それがわかっているのに身動きの取れない恐怖――――。
これはかつて、自分達が「獲物」相手に与えていたものだったはずなのに。
(オレ達がこいつらの獲物になるなんて、そんな)
ありえない――ある人狼がそう思った時だった。
人狼はチリ、と何かが爆ぜる音を聞いた。
一体何の音なのか――。
「――ッ!!」
その答えを知るより先に、人狼の視界はすべて「赤」に染まった。
熱くて、痛くて、苦しい。反射的に泣き叫びたくなる――が、口を開けた途端、喉の奥が一気に焼かれた。
炎に巻かれた人狼は、咳のひとつもできず膝から崩れ落ちる。
「――……」
必死の思いで、家族に助けを求めようと呻くが、その音は炎の起こす轟音によりかき消された。
――そして、炎が静かになった時。
食べきれないほどの料理が載せられたテーブルも、どんちゃん騒ぎに明け暮れていた家族らも。
――何ひとつ、誰ひとりいなくなっていた。
ただ細かな灰だけが、部屋の中を寂しげに舞い踊っていた。




