人狼の宴/4
「上でも始まったみたいだね」
善知鳥は二階から降ってくる怒号に耳を傾けると、口の端を歪ませた。
「僕らに大人しく従おうってヤツはいなかったようだ」
喜色の浮かぶ瞳で園田を見ながら善知鳥は言う。
園田はというと、こめかみに青筋を立て、肩を上下させていた。上で何が起こっているのか予想がついているようで、彼は「最近俺の家族を襲っていたのはお前達だったのか」と投げつけるように言った。
「襲っている……? うーん、最初に襲われたのは僕ら人間のほうなんだけども。――僕らはお前達の凶行を止めるべく動いているだけさ」
善知鳥の言葉に、園田はますます眉間の皺を深くさせる。それを見て善知鳥は、くつくつと喉を鳴らし――軽く手を振った。部下への合図だ。
善知鳥の合図に控えていた葵と羽田は頷きをひとつし、「皆さんこちらへ」と困惑しているバイト達に声をかけた。彼らは雇い主の憤怒の形相に戸惑い、視線をおろおろと彷徨わせ壁際で固まっていたが――ふたりに声をかけられ、助かったとばかりに動き出す。
「な、何がどうなってるんです……!?」
園田の様子をうかがいつつ、葵と羽田のうしろに隠れた佑介は、声を潜め訊いた。
「まず、我々は探偵です」
これに答えたのは葵だった。
「その他の詳しい話はあとでさせていただきます。今は先に――……」
失礼します、と佑介に向かって言うと、葵は手にしていた警棒をそっと佑介の脇腹に当てる。警棒が何の反応も示さないことを確認すると、彼女は佑介を羽田のほうへ押しやった。そして他のバイトふたりにも同じように、彼らが人間か否かを調べる。
「うん。OK。バイトの皆さんは全員人間なんですね」
「そう……だけど……。あ、あの、あんた達――えっと、イトウさんも探偵なのか? だったら園田さんはもしかして……!」
「そういうことです。それより――」
葵は目線を羽田に移す。
「絶対にそこの彼より前に出ないようにしてください。社長からの指示があり次第、排除――戦闘が始まりますよ」
「戦闘……」
「ええ。皆さんに危険が及ばないよう力を尽くしますが、勝手な行動をされると、それも難しくなってしまいます」
「皆さんのことは俺が守ります! 安心してください!」
羽田は佑介らバイトの青年達に白い歯を見せて笑いかけると、力強く胸を叩いた。佑介はこれに――未だ動揺しながらも――こくりと頷く。
「じゃ、ハカセ君」
葵は羽田を愛称――といっても彼女くらいしか呼んでいないが――で呼ぶと、知性的な瞳に力を込めた。
「――彼らを頼んだわよ」
「はい! 八重さんもお気をつけて」
葵は羽田と目を合わせ頷き合うと――善知鳥のうしろに控え、警棒を構えた。
「葵君、バイトの彼らは……」
園田を見据えたまま、善知鳥が訊く。
「大丈夫です。予定通り彼らは羽田くんが」
「ならいい。――じゃあ、そろそろ始めようか」
◇◆◇
ピリピリとした空気が店内にはびこり、佑介らバイトは体をぶるりと震わせる。豪快なところはあるが穏やかな園田――もはやその姿は佑介の知る園田から程遠かったが――が、あんなにも怒気を露わにしているのを見るのは初めてだ。
(あの人はあんなふうに怒るんだ)
とはいえ佑介には、『園田』がいつから『園田』ではないのかがわからない。自分の知っているビリキナータのオーナーであり雇い主である『園田豊』が、本当に『園田豊』だったのかすら。もしかすると自分が知っていたのは園田その人ではなく、今目の前で善知鳥と対峙している異形の者だったのかもしれない。
園田が《本性》を現したのは、葵が善知鳥のうしろについてすぐのことだった。ゆらりと善知鳥が動き――狭い店内に並べられているテーブルの隙間を縫うように走ると同じくして、園田は体を丸めた。
するとプチ、プチとなにかが弾けるような音が、店内に流れる場違いなほど陽気なピアノ曲に紛れて聞こえてきた。
そしてこれが何の音かを認識するより先に――――。
園田の体は、弾けた。
パンッと気持ちの良い破裂音と共に、布の破れる音もした。
「おや」
裂けたのは丸めていた園田の背中で――そこから脱皮するかのように、ぬるりと毛に覆われたモノが現れ出でた。
「自ら《本性》を見せてくれるなんて、潔いな」
「――――……」
園田の皮を破って出てきたそれは、黙って腕を振りかぶると――腕の筋肉は人のものではあり得ないくらい隆起していた――、勢いをつけて善知鳥へと振り下ろす。
「…………」
これを善知鳥は警棒で受け止めた。――が、その瞬間、園田は空いた手で警棒を掴み、無理やり善知鳥の体を放り投げる。
「社長!」
あわや壁に激突――。その直前、慌てて駆け寄った葵が善知鳥を受け止める。しかし勢いは殺し切れず、壁にかけてあった額縁が葵の背中にぶつかった。
「――うっ」
小さな呻きが彼女の喉から漏れる。
「大丈夫かい?」
「は、はい」
葵は反射的に目を逸らした。助けるつもりで飛び出したが――これでは形無しだ。
「……申し訳ありません。余計なことをしました」
「いや、助かったよ。ありがとう」
言うと善知鳥はスーツの埃を軽く払い――残念そうに嘆息した。
「……この程度か」
「園田ですか?」
「うん。やっぱり景君の言った通りだったかな」
ちらり――善知鳥は肩で息をしながら、こちらの様子をうかがっている園田に顔を向ける。そして小馬鹿にするような笑いを漏らし、芝居がかった動きで両手を広げ、肩を竦め言った。
「付き合いのある探偵から聞いた話なんだがね」
園田は張り巡らされた警戒を解くことなく、善知鳥を睨めつけている。
「つい先日、人狼が拠点にしていた家を制圧したそうだ」
園田の耳がピンと立ち上がった。――何か、心当たりがあるかのように。
「その探偵はそこを制圧するのに、大層苦労したんだと。なんでも、なかなか腕のある人狼がいたらしくてね」
ぽつりと、園田が誰かの名前を呟いた。善知鳥には聞き覚えのない名前だが、まぁ恐らく、そういうことであっているだろう。
「もしかすると、とは思っていたんだが……。お前の仲間であっていたかな?」
意地悪く口角を持ち上げ言えば、園田は「殺したのか」と頬を引きつらせた。
「おお怖い。僕がやったわけじゃないのにね……」
言って園田から目を逸らすと、善知鳥はうしろにいる葵に笑いかけた。葵がそれを無視したため――というよりも葵は、園田から目を離せなかった――善知鳥はくつりと笑い再び園田を見やる。
「もしかしたら――そうかもしれないなぁとは思っていたんだけど」
「…………?」
怪訝そうに顔を顰め、園田はジリ、と壁際にいる善知鳥らとの間合いを詰める。
「まさか当たるなんてなぁ。当たってほしくなかったなぁ」
焦らすような善知鳥の口振りに、園田は「何が言いたい!」と吠えた。
「――ふふ」
善知鳥はいかにも悲しそうに――だが腹立たしくなる顔だ――眉尻を下げる。
「いやね、景君から相手が手強かったって聞いて、なら人狼家族の父はどれほど力のある異形の者なんだろうと思っていたんだよ」
こめかみに手を押し当て、善知鳥はゆっくりと首を振る。
「――いやはや残念だ。さっき受けた攻撃から察するに、君のことは父というよりも『家族専属料理人』と呼ぶべきだったようだね」
「――ッ!」
獣の目が、これでもかと大きく見開かれた。その瞳に最初に宿ったのは驚きだった――が、それはすぐに烈火のごとき怒りによって塗り替えられる。
それをわかっているのかいないのか、善知鳥は「よかったねぇ、八重君。どうやら仕事は早々に片付きそうだ」とのたまう。
「な、にをぉ……!!」
言葉が耳に届くやいなや、園田は筋肉の塊のような腕でテーブルを薙ぎ払い、善知鳥へと一直線に突進してくる。
「馬鹿にしやがって!!」
園田の叫び声が、店内に流れるBGMをかき消す。
「この野郎おぉ!!」
同時に黒い凶爪が善知鳥へと襲いかかる。――だが。
「やっぱりこの程度でしかないんだよねぇ」
その一撃は善知鳥の警棒によりあっさりと受け流されてしまった。それはまるで、露を払うかのような自然な動きだった。
「う、あ――」
ぐらり。体勢を崩した園田は踏ん張ろうと足に力を込める――が、それは叶わなかった。
「――っ!」
なぜならばいつの間にか園田の背後へと回っていた葵により、横腹を思い切りはたかれ、転げてしまったからだ。
「ぐあっ!!」
さらに善知鳥の右腕が、杭を打つように床へ倒れこんだ園田の背骨へと振り下ろされた。
「――!!」
園田はふたりによる追い打ちに悶絶の声を上げ、ほろりと涙を一滴零した。
(なんで……、なんでこんなことに……)
これまで築き上げてきたすべてが崩れ落ち、守り通したプライドが折られた瞬間だった。
「あいつらが……、いてくれたら……。畜生……ッ!」
零れ落ちた言葉は、ただの弱音だ。
――自分に力が無いことなど、自分が一番よく知っている。
もし自分に何もかもを圧倒するような力があれば、かつて飢えることなどなかっただろう。ただ園田――この床にへばりついている人狼には、ほんの少しの幸運があった。
だが、それも今、尽きようとしている。
あの日人間の園田が首を投げ出してきたような奇跡は、もう二度と起こらないのだろう――。園田は溢れ出る涙によって霞んだ視界越しに、側に立つ探偵を見た。手持無沙汰なのか、男は警棒を空いたほうの掌に打ち付けている。
ああ、力ある子供に《保存庫》の守りを任せたのは間違いだったか。
「クソ……! 人間なんか守らなくても……」
よかったか――。そう園田が続けるより先に、善知鳥の「ああ」という声が降ってくる。
「景君が押し入った家、なんでも保存庫だったんだってね? 君らの言う『食材』と――」
「……食……材……?」
苦しそうに喘ぎながらも、園田はそれだけ呟いて――すぐに合点がいった。なるほど、この探偵はあの家にいる人間がすべて食材だと思っているのか。
「――ふ」
僕はなんでもお見通しだと、すべてわかりきったような顔をし自分の命の行方を握っている男にも、知らないことがあるのか――。そう思うと、おかしくてつい笑いが漏れた。
保存庫に入った探偵は、『あのこと』を知っていたはずだ。それなのにこの男には伝えなかった。どうして伝えなかったのかはわからないが――別にどうだっていい。
(どうせ俺は死ぬんだ。だったら最期に、お前ら探偵に絶望してもらうとするさ)
このまま自分が死ねば、この探偵達も二階へと向かうだろう。
「最期は笑って、って……。それは人狼の誇りみたいなもんかい? お前にはこれっぽっちも感じられなかったけど、人狼にはそういう考え方もあるらしいね?」
「さぁてなぁ……」
言って園田はなんとか首を捻り、探偵に皮肉めいた笑いを向けた。やっと涙が乾いた目に、退屈そうな顔をしている善知鳥が映る。
「がっ……!」
それが面白くなかったのか、善知鳥は園田の背を勢いよく踏みつけた。「あっ」と葵が小さく声を上げたが――善知鳥はこれを無視し、「言いたいことがあれば言いなよ」と園田に言い放つ。
「うう……」
人狼の体は強靭だ。大して力の無い園田でさえ、多少の攻撃ならどうということない。それでも男の攻撃は――枯れ木のような善知鳥のものでさえ――今の人狼には効いた。
鈍い痛みが背中から頭へ、足元へと広がっていく。
(こりゃあもう……)
次に攻撃をくらえば、喋ることどころか、そのまま地獄へ旅立ってしまいそうだ。
(なら最期に、一泡吹かせてやろうじゃないか)
園田は精一杯の嘲りを込め、顔を歪めた。
「……お前は、俺ら家族のことを知った気でいるようだがな……。なぁんもわかっちゃないぜ……。知るがいいさ、これから……。人間の業ってヤツをよぉ……」
言った。言ってやった――。
(考えるがいいさ、言葉の意味を!)
園田は人を小馬鹿にしたような不敵な顔をし、男を見上げた。
「…………」
善知鳥は園田の言葉を受け、ほんのわずかのあいだ口を閉ざした。そしてすぐ「ああ」と頷くと、
「景君が濁していた件についてか。薄々わかっちゃいたけど、そういうことか」
と言ってのける。
衝撃を受けた様子は一切無い。ともすれば想定していたかのようだ。
「あ……」
園田は、言葉をすべて失った――――。
(俺、なんにもできないのかよ……)
大原とふたりきりだった時は、まさか自分がこんな結末を迎えるとは思いもしなかった。
家族を増やしたことが間違いだったのか、それとも家族というものを作ってしまったことが駄目だったのか――。
(あの夜、俺が声さえかけなけりゃ……)
自分は今、こんな目にあってはいなかったかもしれない。今更考えても無駄だが、激しい悔恨が頭の中を渦巻く。
「なんだ、それだけだったのか」
善知鳥の冷めた声が、後頭部に降ってくる。そして彼が振り上げた右腕の影が、園田の目の前へと落ちた。
――瞬間、園田の視界に白い電光が走る。
頭のうしろが焼けるように痛い。――だが、それもすぐに遠のいた。
痛みを感じることができるのは、生ける者の特権だからだ。
◇◆◇
「社長、お疲れ様でした」
「うん」
葵に返事をすると、善知鳥は警棒を一振りしホルスターにしまった。流れで床に目をやると――ちょうど足元で人狼が溶け消えているところだった。
「…………」
善知鳥はそれをつまらなさそうに眺め、小さく息を吐いた。
「景君に話、聞いてみようかねぇ」
この作戦の直前、景は善知鳥に、この件に関わりのありそうな人狼を排除したと話した。その際、人間を保護したとも言っていた。食材にされるはずだった人間が数人いたと。
(さて……。実際のところどうだったのかな。――なぁんか歯切れが悪いと思ったら……。四木も意地が悪い)
善知鳥は二階へと繋がる階段をチラリと見やる。自分の予想が当たっているとするならば――上は今、どのような状況になっているのだろう。
「社長? どうかなさいました?」
「……いや、なんでもない。それより、外で待機している面々に入るよう言ってもらえるかな?」
言って善知鳥は、羽田のうしろで茫然としているバイト達を顎で指した。
「彼らの面倒も見なきゃならないし。――二階の応援にも行かなきゃいけないからね」
「かしこまりました。――ハカセ君!」
小走りで羽田に駆け寄っていく葵を見送り、善知鳥は「はてさて」と小さく呟く。その表情は心なしか愉しげだ。
「火之君達はどうするのかな?」




