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人狼の宴/2

 俺が園田になったのは、本当に偶然が重なった結果だった。


 その時の俺は擬態するための《皮》が無く、人間の世界で徐々に消耗していた。

 鉛色の毛並はツヤを失い、鼻と舌はカラカラに乾き、声を上げて誰かに助けを求めようにも、そんな気力すら湧かない。――もっとも、声を上げたところで誰も助けてはくれなかっただろうが。

「――……」

 自分でも目の光が失われていくのがわかる。

(俺はここで死ぬのか)

と、諦めとも違う淡々とした思いで、俺はぼうっと隠れていた植え込みから外を眺めていた。いや、眺めるという表現は正しくない。そんな力すら俺にはすでに無かった。ただ目に映っていた、というのが正解だろう。

(なんにも聞こえねぇなぁ)

 この辺りはどうやら人間の住宅街を少し外れた場所らしく、太陽の昇るわずか前のこの時間は、とても静かなものだった。目の前を通る者はひとりもいない。

残念ながら、人間を襲って精をつけることも叶わなさそうだ。

「…………」

 俺の体を覆い隠している緑の葉でも食べて気を紛らわせるかとも思ったが、そんなの何の足しにもならないだろう。それに、根本的に得られる『栄養』が違う。擬態していない異形の者に必要なのは、人の血肉なのだ。

(今の俺じゃあ、人間の子供ですら逃がしちまいそうだ)

 自嘲気味に笑い――笑う体力は無い。笑ったつもりになっただけなのだが――、俺は息を吐いた。

 こんな苦しい死に方をするとは思いもよらなかった。

 死を迎えることはもう受け入れた。これはもう確実だからだ。避けることはできない。

(ならいっそひと思いに――)

 俺はゆっくりと瞼を閉じた。今の体じゃ自死もできない。なんと情けないことだ。

「…………はぁ」

 瞼を閉じたはいいが、あまりにも腹が減りすぎて眠ることもできない。


 ――俺はこのあと、どうなるのだろうか。


人間が起きだすまでに死ねれば跡形も無く消えることができるが――もし人間に発見されたら、無抵抗のままさんざん嬲られ、渇きの苦しみとはまた違う苦しみを味わいながら逝くことになるのだろうか。

「……」

 どちらがいいのか、考えることすら億劫だった。

 でもしいて考えるならと頭の中で天秤にかけている時、プンと鼻につく匂いがした。「……?」

匂いのもとは鼻歌を歌いながら、段々と俺のほうに近づいてきて――俺が丸くなっている植え込みに、どかりと座り込んだ。


(人……間……!)


 俺の目の前に現れたのは、人間の男だった。相当に酔っているのだろう。男がいるだけで、辺りにむせ返るほどの酒の匂いが立ち込める。

「…………」

 座り込んだ男は、何が面白いのか「へへっ」とひとりで笑うと、骨を抜かれたようにへなへなと植え込みに倒れこみ――――。

 俺の目の前で、首を露わにさせた。

「――ッ!」

 ためらうことも、とまどうことも無かった。俺は残った力を振り絞り、牙を男の首へと突き立てる。

「……うぁっ!」

 男は一瞬だけ呻き、体をびくりと跳ねさせた。――だがそれだけで、特に抵抗はしてこない。


 牙を伝い、酒の匂いのする温かい血液が、俺の喉へと流れ込む。


 たったそれだけのことなのに、驚くほど力が湧いてくる。

 最初は流れてくるものを飲み下すのがやっとだった。けれども血が体に巡るにつれ、自ら吸い付くことができるまでに体力が回復した。あんなに衰弱していたのが嘘みたいだ。

――ああ、人間の血とは、なんと素晴らしいものだろう。

 さっきまで干からびて死にそうになっていたこの体が、みずみずしさを取り戻していく。

「――園田、お前美味いなぁ」

 血を通して知った男の名を呼ぶが、男が答えることは無かった。白く冷たくなった体は、もうピクリとも動かない。

 俺は一度体を震わせると、久しぶりに植え込みから上半身を起こす。道路の反対側にあるカーブミラーには、そこで白くなっている男と同じ顔をした男が、にんまりと笑みを浮かべていた。鉛色の毛を持つ狼は、どこにもいない。

 くつくつと喉を鳴らし、俺は植え込みから這い出た。そして倒れている園田を抱え起こすと、奴のジャケットを脱がし、頭から被せる。――これで首の噛み跡は見えないだろう。

 俺は園田を背負うと、道に散らばった奴の荷物を拾い上げ歩き出した。帰るのはもちろん、園田の家だ。

「帰ったらゆっくり、肉を喰わせてくれ。血だけじゃ満腹とは言えないんだ」

 背中にいる園田に話しかけると、俺は肉を噛みしめた時を想像し、ひとり密かに笑った。

(――ああ、俺は本当に運がいい)

 消耗して死にかけている人狼の前で、泥酔した人間が首を晒してくれるなんてそうそう無いことだろう。

「逆にお前は運が無いなぁ」

 深い付き合いでもない友人の結婚式にわざわざ出向き、三次会まで出てフラフラになるまで酔っ払い――最期がこれだなんて。

「ま、これからは俺が『園田豊』になって生きるから。安心して骨まで喰わせろ、な?」


◇◆◇


 あいつを見つけたのは、園田になってもうすぐ一ヶ月経とうかという頃だった。

 店を閉め、さあ家に帰ろうと大通りに足を向けた時、血生臭い匂いが鼻についた。――そして同時に、小さな嗚咽も聞こえてきた。

 スン、と鼻を鳴らしてみれば、匂いのもとはすぐそばの物陰から漂ってきていることがわかる。

「なんだぁ……?」

 大都会のど真ん中で血の匂いだなんて、ただ事ではないだろう。人間同士の小競り合いか、それとも何かもっと面白いことが起こっているのか――。

 俺は湧き上がってくる興味を抑えきれず、ひょいと物陰を覗き込んだ。すると――。

「まずい……。まずいよぉ……」

 ゴミ箱の影でうずくまっていたのは、やせ細った少年だった。その少年は嗚咽を漏らし、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、『人間のはらわた』に突っ込んでいた。

「……お前、《異形の者》か?」

 ぐずぐずと鼻をすすっていた少年は、俺の声を聞くと飛び上がり――牙を剥いて威嚇する。

「大丈夫だ」

 俺は少年を安心させようと――周りに人気が無いことを確認したのち――、《中身》を見せてやった。少年は警戒を解きはしなかったが――話をする気にはなったのか、「何の用だ」と言葉を投げてきた。

「少し話をしよう。こんなところで誰かに見られてもまずい。俺の店がすぐそこにあるから、『そこに転がってるの』を持ってついてこい」


 園田の店へと招き入れた少年は、『人間がまずくて喰ってられない』と語った。

 味も食感も匂いもすべてが駄目だという。けれども喰わなければ弱ってしまうので、仕方なく毎回あのようになりながらも口にしているらしい。

「へえ……」

 まずくて喰っていられない――――。そんなこと、俺は考えたことも無かった。

けれどもそういうこともあるのかもしれない。人間もえぐみや臭みのある食材にひと手間かける。なぜならば、そうしなければまずくて食べられないからだ。

 考えてみれば、《異形の者》にだって食材に手間をかけなければ人の肉を食べられない者がいてもおかしくはない。個体差性能差なんでもありなのが俺達だ。


「なら俺が、お前に美味いメシを喰わせてやるよ。俺の体、料理人だからよ」


 そう口にしたのは、食に困っている少年が偶然にも同じ人狼だったからだ。

 食うものに困る辛さは、多少違えども俺にも覚えがある。――あれは苦しかった。

 それに俺――園田――の技術と知識なら、こいつの舌に合うものを作れるかもしれないと、自信があったというのもある。

「ちょっと待ってな」

 そうして俺は、少年がさっきまで喰っていたものの腕を一本引きちぎり、店の厨房で料理した。――と言っても、閉店後の店内にあるものだけで作ったから、ただの香草焼きしか作れなかったが。それでも。

 少年は美味い美味いと涙しながらそれを喰った。さっき見たものとは違う、喜びの涙だった。

「――……」

 俺は少年と向き合って、自分の作った料理を一口齧る。確かに美味い。俺は生で食べるのも好きだが、これはこれで悪くない。


 だが、少年のように涙するほど美味いとは感じなかった。


「なあ、これ本当に美味しいよ! ありがとう!」

 けれども、作ってよかったと俺は心底感じていた。こうして少年が食べている姿を眺めていると、不思議と満足感で満たされていくのがわかる。

(きっとこれは、園田の記憶の影響だ)

 俺の頭の片隅にある、園田の遠い昔の記憶。

 腹を空かせて家に帰った園田に、園田の父はいつも美味い料理を作って出してくれた。味は所詮素人の作るレベルでしかなかったが――家族で父の手料理を囲むというひと時を、園田はとても大切に思っていたのだ。

 そして、いつか自分も父がしてくれたように、家族に温かな時間を与えたいと考えるようになった――――。

(へえ、園田がやりたかったのはこれだったんだ)


 確かに、自分が何かをしてやって喜ばれるのは悪くない。


 そう思った時口をついて出たのは、自分でも意外な言葉だった。

「お前、俺と『家族』になるか?」

「――は?」

「俺がお前に与える者……、『親父』になる。だからお前は『子供』。もし家族になるっていうんなら、子供であるお前のためのメシと、体力が回復するまでの居所を与えてやる。どうだ?」

「…………。なんでそんなこと言うんだ? それでお前に何のメリットがあるんだ?」

「メリット、と言われると……。そうだな、群れを作ってみるのも面白そうだし、俺の体は料理人だからな。人を料理するのもなかなか楽しそうだとさっき思った。――それに、ひとりでやるより効率がよさそうだしな」

「効率? なんの?」

「『狩り』さ。――料理をするには材料が必要だろう?」

「なるほど。俺は材料を狩ってきても、そのままじゃ食べられない。お前は料理をするのに材料が必要」

「最近は《探偵》もなかなか侮れないからなぁ。下手こいたらすぐお陀仏だ。協力しようぜ」

 少年はペロリと舌を出すと、上唇を舐めた。

「いいよ、やろう。――なあ、『親父』」


 それから俺は、この偏食家(グルメ)と一緒に狩りをしては、園田の知識と腕を存分に奮い料理をした。

 そして最初はふたりだけだった俺達家族は、気が合いそうだからと偏食家(グルメ)が別の人狼を連れてきたことをきっかけに、どんどん増えていき――――。

 子供がまた別の子供を誘い、気づけば俺達はそれなりの規模の群れになっていた。

 俺達「家族」は、誰がどんな種だろうと関係ない。「家族としての役目を果たし協力し合う」ことを守り、「人肉料理」に興味がありさえすれば――俺達は家族だ。

 ちなみに俺の最初の子供である偏食家は、出会った時の少年の皮を早々に捨て、今は大原という中年の皮を被っている。なんでも大人のほうが体に合うそうだ。

 俺達親子に外見は関係ないが、それでも園田とそう年の変わらない見た目の男が俺を「親父」と呼んでくるのには笑える。異形の者である俺にそんな価値観はないから、これもきっと、園田の考えによるものなんだろう。


「さぁて……」

 俺は鍋の中身を味見し、厨房の壁掛け時計に目をやった。

 そろそろバイトが来る時間だが、もう少しだけ今夜のメインディッシュに手を加えたい。何せ月にたった一度の宴会なのだ。

近頃は探偵の手にかかり――ヘマをしたやつがいたらしい――、子供の数はだいぶ少なくなった。

(ま、いなくなったものは仕方ない。残っている子供達に、俺の料理で英気を養わせてやるとするか)

 今夜の宴も、きっと盛り上がることだろう。

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