プロローグ/2
人外。妖怪。悪魔。人ではないナニカ――――。
かつてそう呼ばれ人の影に隠れていた存在が、ある時期を境に人間社会へ積極的に干渉するようになった。これは、かれこれ七十年程前の話だ。
のちに《異形の者》と呼ばれるようになる彼らは、『人間を捕食し』『人間に成り代わる』という形で、その存在を人間に知らしめていく。
見知った誰かの《中身》が、いつの間にか《異形の者》に成り代わっている――――。
それが夢幻ではなく、現実に起こってることなのだと理解した時、人々は戦慄した。
大切な人の顔をしていても、その人自身はとうに喰われ。その人の皮のなかに入っている別のナニカが考えているのは、目の前の人間を捕食するチャンスについてだけ――。なんて悲しく、そして恐ろしい。
異形の者の出現により、人の世にあった日常は、もはやこの世界のどこにもない。
――今ではかつての非日常が、日常となったのだ。
しかしその非日常がもたらしたものは、恐怖だけではなかった。異形の者は人を喰らう悪鬼羅刹ばかりではなく――なかには人との共存を望む者もいた。
人間と異形の者、そして両の血を引く者が存在する、新たな時代が始まった。
けれど人との共存を望む異形の者よりも、やはり人を喰らう異形は多く――世界は平穏とは程遠かった。
異形の者の強靭な体や、人に成りかわることを含めた様々な能力の前に、人間は苦戦を強いられていたからだ。
――しかし、人間も怯え縮こまっているばかりではなかった。
特殊な才能を持つ人間が、技術の粋を集めた特別な武器と道具を用いることで、異形の者に力を以って立ち向かうようになったのだ。
その職に就く者は、社会に潜む異形の本性を暴き、時にこの世から《排除》する――。
この者達を人々は、《探偵》と呼ぶ。
探偵は『対人』ではなく、『対異形』に特化したエキスパートだ。
ひっそりと人に紛れ込む《異形の者》――。奴らが誰に成り代わっているのか、本当に成り代わられているのかを調査し、対話し――改心が見られない場合は力で渡り合う。それができるのは特殊な力と技術を持つ探偵しかいない。『ただ』の人間に異形の者とやりあう力は無いのだ。
彼ら探偵の登場により、傾き始めていた秩序のバランスは、徐々に元に戻りはじめる。
また探偵は人間との暮らしを望む者と、人間の橋渡しの役目も担い――共存が必須となった現代において必要不可欠の職となった。
人間の敷いたルールのなか、そのルールに従う異形には相談役となり。ルールから外れた異形は――断罪する。
それが対異形探偵の仕事だ。
◇◆◇
机の上に置いてあった紙を一枚手に取ると、夜子は一瞬それに目を落とした。
「興津さん、職場のお客様に成り代わりの疑いありとのことですが。詳しく聞かせてもらっていいでしょうか?」
晴夏は本当にこの少女に話をしていいものか――とわずかに悩んだ。探偵とその助手は、特殊な能力を必要とすることから、資格取得に年齢制限は無い。だから条件さえ揃えば、幼くとも探偵になることはできる。けれどもやはり見た目の印象というのは強く、自分の不安を子供が解消することができるのかと不安になってしまうのだ。
しかし、悩んだのは本当に一瞬だけだった。
早く胸につかえているものを誰かに聞いてもらって、少しでも楽になりたい……。そういう考えもあったのだが、何より夜子の堂々とした佇まいが「言わねばならない」と思わせるだけの力があった。オーラとでもいうのだろうか。明らかに年若いのに、自信が目には見えずともはっきりと伝わってくるのだ。
「あの……、私の勘違い……かもしれないんですけど」
晴夏は掌にかいた汗を隠すように、膝の上で拳を丸めた。
「構いません。うちは相談料は無料ですから、気にせず話してください。――それに、『勘』というのは案外馬鹿にできません」
「そう……、なんですか?」
「はい。それにもし異形の者による成り代わりが起こっているのなら……。あなたがこうして探偵に相談してくれたことで――。あなたの勘のおかげで、救われる命があるかもしれません」
救われる命――。夜子の発した言葉は、晴夏の腹の底にずしりと響いた。
(そうだ……。その通りだわ……)
本当に成り代わりが起こっていれば、犠牲は成り代わられた人間だけでは終わらない。一度人を喰らった異形の者は、きっと次の命を求めることだろう。
「……聞いてくれますか?」
「もちろん」
夜子が表情を和らげる。
「それが私の仕事です」
晴夏はほうと息を吐くと、まっすぐ夜子の顔を見据えた。
「私の職場は、街の小さな食堂なんですけど――」