レストラン/4
「レストランに潜入捜査、ですか」
「そう。資料はこれから八重君が送るから。詳しくはそれを確認してくれ」
誰もいない事務所に、夜子の澄んだ声が響く。琴浦と鈴切は仕事で外に、山本は買い出しに、先生は――わからないが、家にいる気配は無い。仕事の予定は入っていなかったはずだから、散歩にでも行っているのだろう。
夜子は自分のデスクにつくと、パソコンの電源を入れた。
――ポケットに入れていたスマートフォンが震えたのは、学校から帰ってすぐのことだった。
(誰からの連絡でしょう?)
夜子が震えるスマートフォンを確認すると、そこに表示されていたのは――『善知鳥束』の四文字。あまり見たくない名前だった。
というのも、善知鳥から直接連絡が来る時は大抵が仕事で面倒が起こっている時で――。だからこの連絡もきっと、『面白い』話ではないだろうと容易に想像がつく。
そして電話を取ってみれば案の定仕事の話で。善知鳥は開口一番に、「捜査の一環で、潜入をしようと思うのだけれど」と口にしたのだった。
「――はぁ、こっちもいろいろやることあるんですけどね。善知鳥さんはお暇なんです?」
「厳しいねぇ。君んとこと同じで、やることは山積みだよ。ま、でも実際に突入する段階になったら僕らが先頭を切ることになるだろうから……。空気感は知っておいたほうがいいだろう?」
「そういうものですかね」
「そういうものさ」
夜子は立ち上がったパソコンを覗き込み、メールチェックをする――が、善知鳥の部下である葵八重から、まだメールは送られてきていなかった。
「では詳しくお話を聞かせてください」
電話の向こうから、善知鳥の咳払いとマウスをクリックする音が聞こえた。善知鳥もデータを確認しているのだろう。
「――今回の潜入先は、例のレストラン《ビリキナータ》だ。やっぱりあそこには、『家族』のリーダー格が潜んでいる」
善知鳥が神妙な声で言う。
「それは確実なんですか?」
「ほぼ、ね。ある筋――、まあ火之君なんだけど。彼が『信用できる者からタレコミがあった』と言って、人肉レストランの情報を持ってきた」
夜子は善知鳥の言葉に、軽く目を見開いた。
「人肉……レストラン……。――なるほど、そういうことでしたか……」
「おや、そんなに驚かないんだね?」
「私も長くこの仕事をやっていますので。多少のことでは動じません。それより火之さんに、情報の伝手があることのほうが驚きです。あまり人との繋がりが無さそうな人ですけど」
夜子が火之を小馬鹿にしているのが伝わったのか、受話器向こうの善知鳥が鼻で笑う。
「ああ見えて火之君も、その道に明るい知り合いがいるんだよ。――で、今回その人物は火之君に『人肉を提供するレストラン』があると教えた」
「それがビリキナータだという理由は?」
「僕が個人的に聞いて来たんだ。――ある筋に」
「ある筋ある筋って、さっきからなんですか」
夜子が呆れたように言えば、善知鳥は「大人にはいろいろな付き合いがあるってこと」と濁して答えた。
――善知鳥はいわゆる、『ずるい大人』だ。
頭の中にたくさんの考え――もくろみとも言うが――があって、そのためにあれこれ手を尽くしているはずなのだが、伝える必要が無い、または伝えないほうが『上手く動かせる』と判断すると、例え仲間であろうと考えのすべてを口にはしない。
夜子などからすれば、とりあえず話をするだけしておけば、どこかで何かの役に立つかもしれないじゃないかと思うのだが……。善知鳥は違うらしい。
「僕が聞いたところによると、なんでもビリキナータでは異形の者達の会食が行われているそうだ。会食の日程は不定期だけど、ビリキナータにいる『親父』が決めるらしい」
「その『親父』がリーダーだと」
「そう睨んでいるよ、僕は。他にも人狼型の異形の者について知りえたことがある。それはまた別にメールで送るから、一度目を通しておいてくれ」
「わかりました。――まあ、一度きちんと調べなければと思っていた場所です。『親父』とやらの潜伏先を拝見させていただきましょう」
「君がやる気になってくれると心強いね。――さて。潜入の方法だが、普通の客として店に入ることを考えている。客の立場から従業員の様子や店内を観察するんだ。店はもう予約してあるよ」
「ええ……。私の都合も聞かずにお店取ったんですか」
「まあいいじゃないか。――君は僕達との食事会を優先してくれる……。ねぇ? そうでしょう?」
猫を被り言う善知鳥の声音に、夜子はぞわりと鳥肌を立てる。「仕事でしょう。その言い方はやめてくださいよ」と夜子が嫌そうに返すと、善知鳥のくつくつ笑う声が聞こえた。
夜子は自制のできるほうだが――少なくとも自分ではそう思っている――、善知鳥にはどうも感情をぶつけてしまいがちだった。
遊ばれているのはわかっている。だから彼の戯言は聞き流してしまうのが正解なのだろうが……。そこは善知鳥のほうが一枚上手で。良くも悪くもまっすぐな性格の夜子の嫌がるツボというのを、ことごとく引っ掻いてくるのだった。
「ふふ、御守君とじゃれるのも面白いけど。本題に入らせてくれよ」
「……じゃれてるつもりはありませんが。でもそんなこと言っても仕方ないので進めてください」
うん、と善知鳥の頷きが聞こえる。
「まず、当たり前だけど僕らはなんでもない客としてビリキナータに入る。そうそう、予約は『イトウ』という偽名でしてあるから、僕を呼ぶ時は名前を間違えないでくれ」
「はい」
「御守君と火之君も偽名があったほうがいいな。……コモリ君とキノ君はどうだ?」
「なんでもいいですよ、偽名なんて」
「で、火之君は君を名前で呼ぶから……。コモリヨウコ君なんてどう?」
「別に何でもいいですって」
「オーケーということね。火之君にもそう伝えておこう。――それで設定はこうだ。僕、『イトウ』は高級食材を手に入れた。それを自宅、しかもひとりで食べるのはもったいない。だから仕事関連の知人を呼ぶ」
「ふうん。あながち間違いでは無いですね」
「あまり実際の僕らと剥離しないほうがリアルだし、うっかり間違えてもフォローがやりやすい」
「私、そんなヘマしません」
「君はね。でも火之君がするかもしれないだろう?」
束の言葉に、夜子は火之を頭に思い浮かべた。
火之は頼りにはなる男だ。だが彼は若干実直すぎるところがあり――。
(確かに。火之さん、悪気なくやらかしそうですね)
「そういうこと。――詳しい設定はうちの八重君が考えてくれてるから。当日までに覚えておいてくれ」
善知鳥がそう言ったところで、メールの受信箱に新着メールが一通届いた。送信者は『つかさ警備』となっている。
「善知鳥さん、今つかさ警備からメールが届きました」
「八重君だ。内容の確認をよろしく」
「わかりました。では当日はお願いします」
「うん。――店に入ったら、君にはいろいろと働いてもらわないといけない。僕と火之君があちこち見て回ると変に目立つからね。その点、御守君は子供で、女の子だ。店の中をふらふらしててもおかしくない」
「その考えはどうかと思いますけど」と夜子は肩を竦める。
「――でもその通りです。私に任せてください」
自信たっぷりに言うと、電話先で善知鳥がくすりと笑いを漏らす。
「頼りにしてるよ」
電話を切り、葵からのメールに目を通す。すでにマークしていた店のため、基本情報は頭に入れてある――が、捜査が進み、つかさ警備は新たな情報を得ているかもしれない。
「さて……。どうしましょうか」
異形の者のアジトへ潜入するのは当然ハイリスクだ。
特に夜子は潜入先に《武器》を持ち込めないので――夜子愛用のガントレットは、とにかく目立ち潜入に向いていない――『アクシデント』が起こってしまった時、いつものように戦うことができない。一応鍛えてはいるし簡単な護身術も身につけているが、結局はその場しのぎにしかならないのだ。
火之などは生身のまま戦えるが……。彼の体が持つポテンシャルは特別なもので、真似できるようなものではない。
(危険なことを起こさないように、巻き込まれないようにするのが、潜入捜査の大原則……)
だがアクシデントというのは、思いもよらないところから起きるものだ。心構えはしておこう。
興津晴夏が持ち込んだ、一件の依頼。それがまさか、蜘蛛の巣のように広がっているとは思いもしなかった。
この蜘蛛の巣の中心――そこには一体何が待っているのだろう。
(潜入捜査には危険も伴いますが……。その分リターンも大きい。絶対に、『何か』持って帰ってみせます――)