レストラン/2
洗い場でスポンジに洗剤をつけると、佑介は「そういえば」と厨房の奥へ声をかける。
「園田さん、さっきデザート出しに行ってきたんですけど、予約のお客さん、料理めちゃくちゃ褒めてくれてましたよ」
「おっ、そうかい!」
佑介の言葉に、これまで厨房を忙しそうに行ったり来たりとしていた園田が、ぴたりと足を止めた。
「そりゃ嬉しいねぇ! 今日は持ち込みのお客さんに挨拶に行く余裕無かったからなぁ。気になってたんだよ」
「アクアパッツァとカルパッチョ、どっちも気に入ったって」
「物がよかったからなぁ。ありゃ高いぞ~」
「へえ。貰い物だって言ってたけど、なんか予約の人金持ちっぽかったし……。贈った人も同じ金持ち仲間なんすかねぇ」
金持ち仲間ってなにさ――そう言うと園田は快活に笑い、料理を再開した。
――今夜のビリキナータは、休む間もないほど大忙しだった。
客の数自体はいつもとそう変わらないのだが、今日は大学生と若いサラリーマンが多く、やることが次から次へと湧いて出てきた。
彼らはこれでもかと酒や料理を頼むのだ。テーブルに料理を運ぶのも、皿をさげるのも、やってもやっても終わらない。それに加え持ち込み客のコース料理も、時間を見て出さねばならなくて――。
ありがたいことではあるが、物理的に手が足りない状態だった。それにビリキナータの料理人はオーナーシェフの園田ひとりで――こうなると料理の提供は、どうしても時間がかかってしまう。幸いにも大学生とサラリーマンらが、酒さえあれば料理はいくらでも持てるからと言ってくれたおかげで、予約のコース料理を優先させることができ、混乱もクレームもないが……。
それでもひっきりなしに動き続けなければならないのは疲れる。ウエイターの佑介ですらそうなのだから、ひとりで料理をしている園田はもっと疲労が溜まっているだろう。
(だけど園田さんは、疲れたとかだるいとか、俺らバイトに絶対言わないんだもんなぁ。すげぇよ)
いつだったか、園田はこう言っていた。「お客さんがうちで笑ってくれて、ついでに料理を美味しいって言ってくれたらさ、それだけで疲れなんてなくなるんだ。厨房に立つのは楽しいよ」と。
今もきっと、客のために料理を作れるのが楽しくて仕方ないのだろう。料理を皿に盛りつけている園田の口角には、笑みが浮かんでいる。
「南君、三番テーブルのできたよ。持ってって!」
「了解っす!」
あるテーブルへ大盛りパスタを運んだあとだった。次の料理を取りに厨房へ向かった時、予約客の少女――コモリが、階段を下りてくるのが視界の端に映った。
(……? なんで二階から……?)
――ビリキナータの二階には、団体客向けの席とスタッフの休憩室がある。言い方を変えると、それしかない。
彼女が二階へ上がる必要はまったくないのだが……、どうしたのだろうか。
「お客様」
佑介が声をかけると、長い髪を揺らしコモリが振り返る。驚いた様子も、困惑した様子も無い。
「あの……、どうかなさいました? 二階は本日使用していないのですが……」
「ああ、ごめんなさい。お手洗いを探していたんです。一階に見当たらなかったので二階も覗かせてもらったんですが、二階にも無くて。ちょうど店員さんにお声をかけようと思っていたところでした」
「なるほど……。そうですか。お手洗いはあそこのテーブルのうしろです。男性のお客様が多い席の近くなので、見えづらかったかもしれないですね」
「いえ、そんなことは。私がちゃんと見ていなかっただけなんです。どうもありがとうございます」
コモリは丁寧に会釈すると、大学生が騒いでいる隣をすり抜け、「WC」の札が下げられた扉の奥へと消えていった。
(はぁ~……。しっかりしてるよなぁ……。あきらかに俺より若いのに、なんか迫力あるわ……)
佑介はちらと予約客のテーブルを見た。
小難しそうな顔をしたキノが、なにやらイトウに話しかけているが――イトウはコーヒーカップを片手に、それを半笑いで受け流している。
(そりゃあんな人達と仲良くできるんだから、大人っぽい子で当然か)
佑介が踵を返すと、バイト仲間が自分に向かってちょっと来てくれと手を振っているのが見えた。仲間のうしろには大量のワインボトルが用意されている。
(うわっ……! こりゃ、今日はほんとにゆっくりなんかできないな――!)
◇◆◇
「どうもすみません……。オーナー、どうしても手が離せなくて。ご挨拶したいとは言っていたんですけど」
「いやいや。大盛況だったのは見てわかるから。美味しい料理をありがとうと伝えてくれ」
佑介がクレジットカードを返しながら言うと、イトウは目尻に皺を作り笑った。そして店の外で待っている連れ二人に向かって、「すぐ車を呼ぶから待っててくれ」と声をかける。
「こう言っておかないと、あの子らは僕を置いて帰りかねないからね」
カードを財布にしまいながら冗談を言うイトウに、佑介は「そんなことは」と愛想笑いを浮かべた。
「それじゃ、ごちそうさま。また近いうちに必ず来るよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「うん。――その時はよろしく」
外まで見送ろうとする佑介を制し、イトウはひらりと手を振った。スマートな大人だ。
(……なんか、いいよなぁ。ああいう人)
園田とは違うタイプの『かっこいい大人』だ。言葉の端々や態度から、きっと仕事では立場のある役目を任されているのだろうと感じるし、それが当然に似合っている人だ。
「――っと。テーブル片さなきゃ」
佑介は作業台に置いていたダスターとトレイを手に取ると、イトウ達が座っていた席へと向かった。




