善知鳥束/3
「うーんと、人狼の基礎知識なんかは特にいらないかな? どう?
とりあえず今回の騒動の発端になった人狼たちは最近、――って言っても人間からしたらちょっと昔かな、このあたりに住み着いた奴がほとんど。大昔から生きてる人狼はここまで移動して来ないから。
家族って言っても大家族が引っ越して来たわけでも、ここらで繁殖しまくったわけでもなくて、散り散りだった奴らが時間をかけて集まってきた感じ。血の繋がり必要なし。人狼にも色んな種類がいるけど、何でもオッケー。人狼以外の全然違う種族でも《父親》が気に入った奴なら誰でもウェルカム。結構大雑把な括りで出来た所謂疑似家族ね。
そう! 人狼がこの辺で群れを作り出した原因がその父親の存在。彼も勿論人狼でさ、だいぶと世間にも馴染んでるみたい。だから集まってきた奴を子供って言ってご飯を食べさせたり、助け合うように教えたり、上手く生きられる方法を教えてるって。そうしてる間に子供が子供を呼んで次第に規模が大きくなり、現在に至る。こじんまりやっていれば良かったのに、今じゃ《探偵》にも目付けられて馬鹿な奴ら。
……それにしても自分を『親父』なんて呼ばせて寒くない? ってぼく思う。そういうの気持ち悪くて大っ嫌い。だから探偵さんたちには早く全員始末して綺麗な街にして欲しいよ」
長い腕で自分を抱き締めた四木は最後には大袈裟なほど嫌そうに顔を歪めて吐き捨てた。単語をいくつか手帳に書き留めていた善知鳥はその手を止めて、空のカップにティーコゼーを外したポットから少し温くなったハーブティーを注いでやった。
ありがとう、と目を細めるだけで伝えた四木がゆっくりとした動作で薄手のカップに唇をつける。さあっと風が木々を揺らす音が更に彼女の心をなだめたようだ。話し疲れたのもあってか、ほう、っと息を吐いた。
「……や、それでその人狼の親父って誰っすか? あとなんか店があるっていうのも早く教えてもらいたいんですけど? 俺だって昼から撮影あるんで忙しいんですよね!」
大きな手振りを交えて喚く景は先へ先へと話を進めたがった。
確かに今一番脂の乗ったアイドルだ。本来ならひとりでここに来ることだって難しかっただろう。そこまでして手に入れたい情報。それはきっと彼に流れる血の半分に由来している。
「せっかちな男」
「――っ! いいかげんにしろ! こっちはあんな糞袋たちさっさと存在ぶち消して、俺みたいな本当の狼だけが生き残る世界に、」今にも四木に掴みかかりそうな景の腕を善知鳥は軽い力で引き戻した。
開いた目の中の瞳は瞳孔の黒さが際立って、金色の虹彩のとコントラストがこの世にはない壊れかけた宝石のように歪な光を放っている。肩で息をする彼からアイドルとしての潔白さは微塵も感じられず、そこにはただ穢い生き物への嫌悪感のみが色濃く滲んでいた。
「他の人間に聞かれて困るのは君だろ」
「っなら、あんたが早く話をさせろよ。うざいよまじで、どいつもこいつも……」
完全に氷の溶け切ったアイスティーを流し込んで、景は泣き出しそうな顔を俯かせた。四木と善知鳥は目を見合わせて肩をすくめる。同情も共感も、どちらも持ち合わせていなかったからだ。
「……そうだね、彼らが家族なんていう共同幻想に取り憑かれちゃった一番の要因は『みんなで同じものを食しているから』かな。こういう話は昔からよくあるんだ、さかのぼれば神話にまで辿り着くはず。
人狼の《父親》がそれを意識して始めたかは定かじゃない。でも人間の肉を共に食べるっていう行為は確かに彼らの絆になった。中にはただ人間を食べたいだけの奴だっているかも知れないけど、それでも。
君達だってそれなりに調査してるなら絶対に心当たりがあるはず、――ある店の名前に。人間を食べられるレストランって話で出てくる店名は今のところここだけで間違いはないよ。
そしてそこのオーナーシェフが父親ってわけ。
人間の頃のオーナーが良かったのかな、普通のレストランとしてもわりと長く評判の良いお店だよ。ぼくは行ったことがないけれど、情報誌にもたまに載ってる。雑誌によってはオーナーの写真付きでさ。ふふ、その記事じゃオーナーがまだ人間かどうかまでは取材してなかったよ。
ぼくがずうっと前に初めて噂を聞いたときは異形の者が集まって食べて飲んでストレス発散でもしようって話だったのが、最近になっておかしな方へ行っちゃったみたい。……嫌な話だったよ」
「……ある店って、」
景が言いかけて、はっと口を閉ざした。自分だけがそれを知らないことに気が付いたのだ。
「ビリキナータ」
善知鳥が手帳の一文をなぞりながら、掠れた声で言った。四木は満足げに淡い色に染まった唇を三日月の形に変え、ひとつ頷く。
「さっきのキーワードについてはこれでざっと話したつもりだけど、どうかな、探偵さん」
「ああ、助かったよ。ここで得たいものは大概得られた」
「え? これから追加のキーワードもらうんじゃ……? えっ、社長、ほんとにこれで終わりなの?」
「――最後に『嫌な話だった』と言ったことについて話をする気はないんだろ」
それならこれで終いだ、と善知鳥は半分以上残したコーヒーをテーブルの中心に少し追いやって、伝票を手に席を立った。戸惑い顔をした男女が残された場の空気は重い。
「まだ支払いに余分があるなら彼の質問にもいくつか答えてやってくれ」
そう言い残して店内に入り、レジの前に立った。新人だろうか、店員がたどたどしい手付きでクレジット決済を行っている隙に、先程まで自分が座っていたあたりに目をやる。ちょうど新しく注文し直されたカップが運ばれたところだ。互いに目をそらしながらも、ぽつぽつと話をしているように見える。
会長が景を合同捜査班に入れなかったのは、人狼という存在が彼にどれだけの影響を与えるか計り知れなかったからなのだろう。善知鳥とて、それをわからないわけではない。
――純粋な人間の血を持つ者がいては出来ない話が、彼らにはきっと、確かに、存在する。
わかるのはこの程度までだ。
車に戻った善知鳥は、携帯電話のメール作成画面を立ち上げる。優秀な部下のことだ、恐らく言わずとも既に始めているだろうがビリキナータの詳細を今以上に集めるよう指示を記す。帰りにどこかコーヒーショップへ寄るつもりだ。ふたりが飲みたいもののリクエストを聞くことも忘れなかった。
メールを送信し終えた音が車内から消え、携帯電話を助手席に放る。日が高くなり、車内は日光で心地良く暖まっていた。サングラスをかけ、運転用の革の手袋をはめる。指を組むと革の軋む音がした。
やけに早い返信は羽田が情報収集にパソコンにかじりつきだったからだ。好みのメニューは店に着いてから確認すればいい。サングラスの下で目を細め、ハンドルに肘をついて親指に顎をのせると、エンジンをかけた車の震動がほんの少しだけ伝わって来る。誰も見てはいないというのに、善知鳥は自身にしてみれば妙に機嫌の良さそうな顔をしていた。
「大仕事の前に先陣のふたりに精をつけてもらうのも悪くない。
――火之君も御守君も僕と顔を付き合わせて食事なんて、死んでもしたくはないだろうけどねえ」
火之と夜子がいつも一瞬だけ浮かべる怪訝な表情を思い出した善知鳥はひとり楽しげに笑い声をあげ、スニーカーの先でぐっとアクセルを踏んだ。




