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善知鳥束/2

 駐車場に車を停めた善知鳥は《機関》の敷地内を歩いていた。

 《機関》は煉瓦造りの本館と、青みがかった白の外壁とガラスの組み合わせが眩しい新館のふたつに分かれており、その隙間を埋めるように豊富な草木が所狭しと植えられている。

 運転用のサングラスを胸ポケットに引っ掻け、煉瓦道に落ちる木漏れ日に思わず目を細める。善知鳥はこの本館の空気を気に入っていた。古めかしさの中に新鮮な透明感が満ちている。ほんのりと色が付いた葉が風の動きを穏やかに描いた。

 軽く辺りを一回りして、建物の片隅にあるカフェテラスへと足を向ける。目当ての人物はいつだってそこで誰かが来るのを待っている。今日もそれが変わることはない。

 ひときわ大きな木の影、テーブルに頬杖をついていた彼女は善知鳥を見つけるなり透けるように白い手をゆったりと振って微笑んだ。

「大変な捜査の真っ最中だって聞いたよ、社長」

「相変わらず耳が早いと褒めたいところだが、どうせこのお坊ちゃんに聞いたんだろう、四木?」

 四木と呼ばれた女は貼り付けた仮面を崩すように笑ってから流れる黒髪を耳にかけ、お坊ちゃんと呼ばれた同席者――景は聞き捨てならないといった風にテーブルに手を付いて立ち上がった。

 善知鳥は景の勢いを一瞥もせず、四木の正面に座る。ここの店員は《機関》の性質上、職員用のネームプレートがない客には不用意に近づくことがないため、テラスから店内に一声かけてコーヒーを一杯頼む。

「何を聞きに来たかも粗方わかっていると思って構わないかな」

「昨晩入金、今朝来店じゃもらった分だけ話せるかどうか。ぼくは返金しない主義だって知っていると思っていたけれど」

 柔らかな質感の唇を尖らせて、四木はつまらなそうにレースのハイネックを指先でいじる。

 早々に運ばれてきたコーヒーに砂糖を溶かして一口。美味くもまずくもない画一化された味。温度だけが際立って感じられた。

「それなら余った金額で彼が同席する権利を買おうか」

「……へえ。なんの意味があって?」

「子供のご機嫌取りをする時間が惜しいのさ」

 ようやく景の顔を見た善知鳥は、頬をひくつかせる彼に掛けるよう促す。

 景の前に置かれたグラスの氷は半分以上溶けて水から紅茶へのグラデーションが生まれ、四木のタブレットにはパズルゲームの鮮やかな色が散りばめられている。彼がまだ何の情報も得られていないこと、彼女が情報を渡す気がないことは誰の目にも明らかだ。

 先日の一件について坂本から報告を聞いて以降、景がいつ情報を欲しがってくるかと構えていたが、探偵としての自覚が芽生えたのか、他人に弱味を見せたくないのか、彼は自ら情報屋を訪ねるに至った。その姿勢くらいは買ってやろうと思ったし、なにより混血の彼に恩を売るのは良い。

 損得勘定もなしに若者に手を差し伸べる程、善知鳥束は優しく出来た人間ではない。

「……あ。いえ、そんな、善知鳥さん。俺なんかのために申し訳ないです。……また、出直します」

 しおらしく目を伏せた景も、そうした善知鳥の本質をわかっているのだろう。言葉とは裏腹にどかりとイスに座って以降立ちあがる素振りも見せず、じっとテーブルにつくふたりの顔色をうかがっている。

「名演技をありがとう。今度舞台に立つといい。ただ今日は黙ってじっと座っていてくれるかい? こちらも忙しいんだ」

「あっは! 善知鳥さんはオブラートって知らないんだ? ま、遠慮なくお邪魔させてもらいまーす」

 自身が混血であると知っているふたりの前で景はあまり自分を飾らず、年相応な反応を見せる。それが良いのか悪いのか、善知鳥と四木はそれぞれ嘆息するように笑い、ようやく本題に入る支度が整ったと安堵した。


 四木は《機関》に登録した異形の者で、今は異形の者に関する情報を切り売りする情報屋とフリーランスの助手を生業としている。人間としての形は整形依存症の末に自殺した女性の容姿をもらい受けたため、浮世離れした美しさを持つ。

 異形の者を人間に差し出すような四木の働きは多くの敵を作り、そうした脅威から身を守るために《機関》の敷地内で生活を送っていると彼女は言う。

 しかしその陰で人間の――特に《探偵》の情報と引き換えに新たな情報や同族の味方を得ているという噂もあり、彼女の行動原理やネットワークについて詳しく理解している者は誰もいない。


 スピーディーかつクリーンな調査をモットーにするつかさ警備では、黒い噂のある四木の情報を利用する機会は全くといっていいほどなかったが、今回は自社の仕事ではなく協会からの依頼だ。しかも迅速な解決が求められていると来た。

 どんな裏があろうと、使えるものは使う。

 今回の捜査には善知鳥元来のやり方を実行するには十分すぎるほどの言い訳が出揃っていた。

「話をするためにはいくつかキーワードが欲しいな。ぼくはアイドルさんとは違ってフリートークは向いてないから」

「はあ? 今アイドルって関係ないですよね?」

 苛立ちを隠しもしない景を横目に手帳を開く。

「人狼、家族、人の肉を出す異形の者の店、それから父親」

 四木は善知鳥の出した単語に「ふうん」と返し、タブレットに長い人差し指をひたりと当てた。長円形の爪には大理石の模様が艶を消して繊細に描かれている。

「ぼくら、……異形の者の間ではそれなりに広まり始めてる話のことだね。あくまでも噂ってことにはなってるけど、社長の思い描く『それ』は全部近くにあると言える」

 画面に仕掛けがされているのだろう、指先が何かをなぞるように滑った途端、そこに映し出されたものがこちらからは読み取れなくなった。

 最後にわずかに見えたのは手書きのメモか。要するに四木の商品そのもの。

「はじめる前に言っておくけれど、情報源に関する質問は全部答えられない」

「それは明確な情報源がいないから? 裏の取れない噂話だから? それで金取るってそれでも情報屋なんですか?」

「僕はそれで構わない、始めてくれ」

 一瞬、人の正気を疑う目をした景に笑いかけ「嫌なら帰ればいい」と小声で伝えると、彼はわざと深々としたため息をつき、だらしなく長い足を組んだ。

 四木は底に薄く残っていたハーブティーを飲み干して、スタートの合図変わりに微かな音を立ててソーサーへカップを戻した。


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