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善知鳥束/1

 ガラス張りのミーティングルームの扉が四回ノックされる。善知鳥束は指先で玩んでいた万年筆をくるりと回して「どうぞ」と答えた。

 ロールカーテンを降ろしていない室内の緩んだ空気は外からでも見てとれただろうに、《助手》の葵八重は律義によそゆきの声で「失礼します」と会釈をして部屋に入る。

「火之君の見送り、頼んでしまって悪かったね。八重君、彼、車代受け取ってくれた?」

「いえ。調査がてら歩いて帰るので受け取れない、と眉間に皺を寄せてお断りに」

 自身の眉と眉の間をぎざぎざとなぞって見せた葵は持っていたポチ袋をテーブルに置いた。表には柔らかなタッチで愛らしい犬が描かれており、忠犬の趣のある引き締まった口元がどことなく火之を思わせる。善知鳥は堅物すぎるきらいのある火之をこうしてからかうのが好きだ。今回も思った通りの反応に笑いを堪えきれない。

 年相応にやつれた印象のある自分には似ても似つかないと思いながら、子犬をジャケットの内ポケットにしまった善知鳥は、笑いの余韻を引きずりながら万年筆を書類の上に転がして席を立つ。全員が揃い次第、情報の確認と整理をすると決めていたのだ。そのためにはコーヒーを淹れ直したい。交代を買って出た葵には、ホワイトボードの整理をしているもうひとりの《助手》――羽田を助けてやるよう指示をする。

 コーヒーを淹れるといっても、マシンの蓋を開けてフィルターケースに粉を入れ、スイッチを押すだけのなんてことない作業。偉くなるとこんな簡単なことさえしなくていいと言われてしまうのだから、人間が衰退していくのは当然の結果なのかも知れない。くだらない思い付きで、先程までの聞き取りで熱くなった脳が少し落ち着きを取り戻す。

「火之さんっていい人ですよねえ。わざわざこちらに足を運んでお話してくれるなんて。ああいう真っ直ぐな人この業界には少ないですし、僕、好きだなあ」

「真っ直ぐというか、要領が悪いというか……。あれをそうプラスに受け取れるのは羽田君の人の良さと思っておくよ」

「社長は厳しいなあ。僕はああいう人に会うともっと頑張ろうって思うんですよね。ね、八重さんもそうでしょ?」

「確かに、そうかも。社長のいたずらにも毎回反応してくださいますし、ふふふ」

 サーバーに落ちる滴を眺めながら、背後の声に相槌を打つ。笑い声、均された空気。肩の力の抜けた会話で部下の疲れを紛らわすのも仕事の内だ。

 ふ、と深く吸った息を吐く。それからスニーカーの爪先を片方立てて足首を回し、立ち上がるコーヒーの香りで胸を満たすと、頭の芯がゆるやかにほぐれるのを感じた。


 今回の合同捜査の指揮を自身が代表取締役を務めるつかさ警備が執るよう探偵協会会長直々に通達があったのが数日前のことだ。

 それ以降、《探偵》でもある善知鳥を先頭に『つかさ警備・対異形警備部』でも、件の人狼を排除した人員を含めた特別チームが組まれ、調査に当たっている。

 火之がここへ訪れたのもそのためだ。「知人から得た情報を聞いてくれ」、と。調査に出ていた善知鳥達は現場に人員を残してすぐさま社屋へと戻り、彼からの報告をこの部屋で聞いた。


 社会からはぐれた異形の者。人狼の群れ。兄弟。親父。家族。

 ――そして彼らを繋ぐ、人間をメインディッシュにした食事会。


ホワイトボードを見つめ、熱いコーヒーをなめるように飲む。

こっそりと「人の肉……」と呟いた羽田は、ミントタブレットを雑な手付きで手のひらに出し、粒の数も数えぬ内に口に放り込んだ。噛み砕き、飲み下す音がこちらまで聞こえてきそうだった。

「――まずは人狼からいこうか」

善知鳥の一言に、ボードから一番近い席の葵がマーカーを取る。

「ふたりも知っての通り、先日御守探偵事務所の御守君とうちのチームが現場で鉢合わせた。互いにその後人狼と交戦。こちらは上手く《排除》に成功したが、向こうは御守君にしては珍しく苦戦を強いられたらしい。……まあそのおかげで情報を多く得られたとも言えるけれど」

 火之からの情報を主としていたボードにこれまでの情報を書き足していく。羽田も開いていたノートパソコンに同じ内容を打ち込んだ。スチールとキーボードを叩く音が狭い室内に鳴る。

「対象を助けに来た『兄弟』と『家族』、ですね」

「異形の者が群れを成すのはそう珍しくないですけど、血の繋がりもないのにはっきりと家族という言葉を用いた話はあまり聞きません。協会や社内のデータベースにも類似したケースは見つけられませんでした」

 家族、の文字の周囲を赤い線が何重にも走る。

「ここからは新しい情報。今朝、広告用の撮影があったんだけど、――前回同様KEI君にモデルをお願いして」

「ええ。一週間ほど前に坂本さんが真剣な声で『どうしても社長に同席していただきたい』、と連絡して来られたときは何かと思いましたが、そこで今回の件についてお話があったんですね?」

 探偵の助手だけでなく、社長業の助手として秘書の役割も果たしている葵が合点がいった顔をして続きを促す。

「結論から言うと、瀬斗君も人狼と交戦。排除に成功したらしい」

「ええっ! KEI君、大丈夫だったんですか!?」

「探偵としては問題なかったそうだよ。あくまで仕事上は、ね」

 含みを持たせる言い方に、羽田は眉を上げるも深く言及はせず「よかったあ」とだけ答えた。

 弟がKEI主演のドラマの大ファンなものだから、弟のために転職まで果たした羽田としてはどうしても景の動向に敏感になってしまう。しかし、善知鳥の助手でいるためには深く踏み込まない自制心も必要で、羽田はそのバランスを取るのが人一倍上手かった。

「相手は制作会社プロデューサー。こういう影響力のある人間に成り代わるとは異形の者もお目が高い」

 乾いた笑いを溢して、手帳のページをめくる。善知鳥の鳴らす音のひとつひとつには潤いがない。

「成り代わってからはそれなりに長く生活をしていたらしい。それこそ馴染みの店を作れる程度には」

「馴染みの店、ですか」

「そう。景君には『会員制の、特別に美味い肉が食える店』と説明したそうだ。……ああ、最期には『次は俺の肉が食えるはずだった』とも言ったと坂本君から報告されたよ」

「……俺の肉、ですか……?」

 組んだ指に顎を乗せた善知鳥は黒く染まってゆくホワイトボードを眺めて口角を上げる。

「プロデューサー本人の肉体が残っているのか、その他に被害者がいるのか。坂本君がプロデューサーの周辺を調べたところ、友人のひとりに捜索願が出されていた。はてさて、誰の肉を食べる予定だったのだろうねえ?」

「俺の『元になった』肉、ってことですか……?」

「もしくは俺の『狩ってきた』肉――」

 助手のふたりが独り言のような口ぶりで、手を止めて呟く。善知鳥はどちらもが正解なのだろうと踏んでいるが、室内の雰囲気にあえて口をつぐんだ。

 合同捜査なんていうのは大体が面倒なものだと決まっているが、今回も例外になってくれそうにない。ホワイトボードの赤丸はひとつまたひとつと増えていく。

「人狼がどの程度の規模で家族を形成しているかは今の段階ではまだはっきりとわからないが、火之君や景君の話を聞くに何かしらの条件を満たしさえすれば向こうから誘いが来ることもある」

「じゃあ、それだけ謎の『俺の肉』が増えていく可能性もあるってわけですね」

「会長が仰っていた以上の早期解決を目指すべきかも知れません」

 葵の言葉にひとつ頷いて、善知鳥は足音もさせずにホワイトボードに寄り、マグネットで留められた一枚の地図を摘まみ取った。

「《レストラン》と、彼らの《父親》。もっと深くまで探ってやろう」

 指先で支えた地図には、夜子と部下が遭遇した辺りに印がつけてある。その中心はレストラン・ビリキナータ。

 ここにすべての謎を解く鍵が隠されているのだろうか。それにしては随分と小さな建物だ。食料の備蓄場所は? 食事会はどこででも開催できるのか? 父親にその決定権があるのか?

 マグネットに地図を差し戻した善知鳥は、部下の方へと向き直る。途端にふたりの顔に緊張が走った。

「ふたりには申し訳ないが、明日の朝も少し抜けさせてもらうよ」

 乾いた声に葵も羽田も何かに気付いていたが、そんな違和感など気が付いていないような顔をして「お早いお戻りを」とどちらともなく口にした。


 あらゆる疑問が浮かんでは沈む善知鳥の脳内には、それらを悠々と弄ぶひとりの女と木々の影がそっと映り込んでは揺らいでいた。


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