火之道間/3
「異形の……。いや、聞いたことが無い」
「そうか、じゃあ教えてやる。今なぁ、一部の異形の者のあいだで、美味い飯を出すレストランがあるんだって噂されてるんだ」
「噂か」
「そう、噂だ。だから俺の話すことを信じるか、聞いてどうするかは、これを最後まで聞いてから考えてくれや」
言って、室口は言葉を探すように目を泳がせる。
「これはよう、本当は俺も言いたかないんだ……。こんなのが探偵に知られて、世間様に知られたら、きっとガーガー言う奴も出てくるだろうから」
「……? どういうことだ?」
室口は嘆息をひとつすると、意を決し口を開いた。
「…………そのレストランではな、人の肉を使った料理を出すらしいんだ」
火之は目を丸くさせ、息を呑んだ。――人の肉を、なんだって?
「だから『異形の者のためのレストラン』。その店には人の味を忘れられない奴らが集まっているらしい。――嫌な話だろう」
「それは……、確かな話なのか」
「噂だって言ってるだろ」
「だから俺にも、本当のところはわからん」と言って、室口はがくりと肩を落とす。
「この噂はな、さっきの、『家族』ができたと言って、うちの紹介所に来なくなった異形の者が関わっている。――実は最近、そいつをたまたま見かけた社員がいてな。そいつはうちの新入社員なんだが、来なくなった奴……。ああクソ、ややこしいな。ややこしいからこれからは人狼って呼ぶわ。――そいつ、本性が人狼なんだよ」
火之は目を瞬かせた。
「人……狼……」
「ああ。話を続けるぞ。――前提として、新入社員は異形で、もともとうちの紹介所に通っていた奴だ。――で、こいつはうちへの就職が決まる前、よく紹介所で人狼と話をしていたらしい。お互い自分の相談時間になるまで暇だから、他愛もない話をして時間を潰してたんだと」
室口がグラスを傾けると、赤い液体が踊るように揺れる。
「人狼が相談所に来なくなったことは、当然こいつも知っててよ。街で見かけた時、今どうしてるんだ、って声をかけてみたそうだ。そうしたら人狼は、久しぶりにそいつと会えたことを喜んで……。自分の近況を色々と話したらしい」
それで、と火之が続きを促す。
「……その話の中で、人狼はあるレストランについて口にした」
室口は大きな溜め息をつくと、グラスの中身をあおった。うしろに控えていた店員が、空になったグラスにワインを注ぐ。
「『親父がレストランをやっている。そこで美味い肉が喰えるから、予定が合えば一緒に行かないか』――人狼はそう言ったそうだ。そこでうちの社員は、『それはいいな。何の肉なんだ?』と聞いた。そうしたら人狼は……」
部屋に一瞬、沈黙が訪れた。話の流れからして次の言葉はわかりきっているが、それでも言いづらいことなのだろう。
「『人肉だ』――と」
「…………そうか」
「人狼はな、人肉だと言われ狼狽えるうちの社員を見て、こいつには話しちゃまずかったか、みたいな顔をしたらしい」
「――ほう?」
「それで奴は『冗談だ』と言い残して、うちのが引き留める間もなく逃げちまったそうだ。そのあと、うちの新入りはもしやとんでもないことを聞いちまったんじゃないかと悩んで、次の日同僚に相談したら――」
室口の顔に陰りがさす。
「その同僚も、同じ話を最近耳にしたと言ったんだ。――そいつは飲みの席で聞いたらしいが、同僚はそれをその時、くだらない噂話だと笑い飛ばしたそうだ。でも、人狼から直接話を聞いた新入りは……。きっとこれは、ただごとじゃない、そう思ったんだと。それで慌てて俺のところにやってきて、この件について話をしてくれた。――こいつから話を聞いて、俺はどうするか悩んだ。
だってそうだろう? これが本当なら、また俺らの肩身が狭くなっちまう。自画自賛だが、俺は人間社会に暮らす異形の者としては、模範的に生きているつもりだ。そういう俺達みたいなのが、この人狼みたいな……、『家族』とかふざけた名前で集まって、好き勝手してる輩のせいで――」
室口は目頭を押さえ、軽く頭を振る。声をわずかに震えていた。
「でもよ、この件を放っておくわけにもいかねぇ。――いかねぇが、探偵に話すにしても相手は選ばなきゃ、きっと面倒なことになる。そうだろう?」
「それでおれか」
火之が室口と目を合わせると、室口は静かに頷いた。
「お前は信頼できる奴だ。俺の話を聞いてどうするかはわからんが、悪いことにはならないだろうって信じられる」
「そこまで言ってくれるか」
火之はかすかに苦笑した。だが室口は真剣な眼差しで「ああ」と頷く。
「――まあ、あくまで噂だ。どっかで大げさに話が盛られただけかもしれねぇ。調べてみてもそんなレストラン出てきやしないかもしれねぇ。俺から調べてくれって依頼するわけでもねぇ。ただ、『こんな話があるんだが』ってだけだ。――悪いな、曖昧な話しかできなくてよ」
「いや――」
申し訳なさそうに言う室口に、火之は首を振る。
「話を聞けてよかった。異形の者のためのレストランか……。覚えておく」
「おう。――俺からの話は以上だ。ここからは飯を楽しもう。まだ皿は出てくるぞ!」
重い空気を変えるように、室口は努めて明るい声で言った。だが、フォークを料理に突き刺した時ぽつりと、「そんな店、無ければいいんだがな」と零す。
「――ああ」
火之は、綺麗に盛り付けられた自分の皿に目を落とした。
ここを出たらすぐに、今の話を仲間達に聞かせなければ――そう思いながら。




