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火之道間/1

 店に入りまず男の目に飛び込んできたのは、店内中央にある巨大な柱だった。

 柱は水槽になっており、中では色とりどりの熱帯魚が自由に泳ぎ回っている。薄暗い店内ではライトアップされたその水槽がよく目立った。おそらく店の目玉なのだろう。テーブルも水槽を囲むようにして配置されている。

 華やかに着飾った男女が食事を楽しんでいるその空間において、男は自分の場違い加減をひしひしと感じていた。

 しかしながら踵を返し帰るわけにも、この場にずっと立ち尽くしているわけにもいかない。

店員に話しかけねば、とあたりを見回すと、ちょうど手が空いたひとりと目が合った。その店員ははたと目を開かせると――満面の笑みを浮かべ、男が佇んでいる入口へとやってきた。

「いらっしゃいませ。火之様でしょうか?」

「あ、ああ……」

「お待ちしておりました。お席をご用意しております、こちらへどうぞ」

 店員はこちらへ、とフロアの端にある階段を示した。

(二階があるのか……!?)

 驚きを顔に出さないよう頷き、店員について階段を上がる。二階にはいくつかの個室が並んでおり――火之はそのうちのひとつに案内された。

 個室に入ってみると、どんと大きな窓ガラスが目に入った。

窓からはさっきの水槽と、街の夜景がよく見える。一階に比べて水槽と距離があるが――この部屋から見る水槽は、まるで夜空に開通した水のトンネルのようで。また別の魅力があった

(洒落たことを考える……)

 火之は圧倒されながら、窓の側にあるテーブルへとつく。

「社長もすぐいらっしゃると思います。それまで少々お待ちくださいませ。――お待ちのあいだ、何かお飲みになりますか?」

 そう言って店員が飲み物のリストを差し出してきたが、火之には何を書いているのかさっぱりわからない。

「い、いや……。室口殿が来てからでいい」

「かしこまりました。それでは失礼いたします」

 店員は品よく一礼し、個室を出ていく。

「はぁ……」

 扉が閉まり少しして、火之は大きな溜め息をついた。

なんとも居心地の悪い場所だ。

人によっては、このような空間にいることに喜びを覚えるのだろうが――自分はどうも煌びやかで店員がかしずいてくるような店にいると、居た堪れなくなってしまう。

「おれに似合う場所じゃない」

そう独りごちると、火之はよく磨かれた窓ガラスに目をやった。

 ――そこには、角を生やした目つきの悪い男がひとり映っていた。

「…………」

 もうすっかり見慣れた姿だ。だがこうじっくりと見てしまうと、わずかに苦い思いが湧き上がる。


 火之は見た目こそ異形の血を引くように見えるが――歴とした人間だ。


 この異形然とした姿は、異形の者をその身に封じた影響だ。

もう何十年も前の話だが――異形を体に封じて以降、火之はこの姿のまま今日まで生きている。

 火之にとって今の自分の姿は、自身の体内にいる異形への憎しみと、昔の自分への怒りを象徴したものだった。

「――――……」

火之が自嘲気味に息を吐いた時。個室の扉が叩かれた。

「おう、待たせたな」

 扉を開け入ってきたのは、ここで会う約束をしていた人物――室口だった。

 室口は鷹揚に片手を挙げ、「少し仕事が長引いちまった」と火之の向かいに座った。

 室口はでっぷりとした体を深くイスに沈めると、「わざわざ呼びつけちまってわりぃなぁ」と言ってタバコを取り出した。

「飯の前に一服いいか? ずっと我慢してたんだ」

「構わない」

「飯もすぐ来るからよ。あと適当に酒も頼んどいたがいいか?」

「ああ。……メニューを見せられたが、おれにはちんぷんかんぷんだった。おれの分も頼んでくれたほうが、むしろ助かる」

「はは、わりぃわりぃ。雰囲気づくりの一環でよ。この店のメニューは読みやすさやわかりやすさより、デザイン優先なんだ。正直俺も読めねぇから気にするな」

 言って、室口が大口を開け笑う。それがあんまりにも楽しそうなものだから、火之もつられ口元に笑みを滲ませた。

「それにしても久しぶりだ。うちの末っ子が海外転勤になったって話をして以来か?」

「へえ……! もうそんなに経つのだな」

「早いもんだよなぁ。――ま、人間とは時間の感覚が違うから、そう感じるだけかもしれねぇけど」

 室口は灰皿にタバコを押し付け、ふうと息をつくと遠い目をした。

 室口はどこからどう見ても、ただの元気のいい親爺だが――実は異形の者だ。人間の女と大恋愛をし、彼女と暮らすために人の姿を得た。

 その女と結婚した今は、彼女の実家の会社を引き継ぎ――彼女は驚くほどの『お嬢様』だった――、手広く事業を展開している。この店も、室口が経営する店のひとつらしい。


 火之が室口と出会ったのは、火之がそろそろ探偵資格を取ろうかと考えていた時期だった。火之はある日偶然、迷子になっている異形の子を見つけ、その子を家に送り届けた。すると迷子の父親――室口に大層感謝され。あれやこれやと世話を焼かれ、今に続く関係を築くに至った。

「お、来た来た」

 世間話をしていると、最初に火之を案内した店員が、ボトルを手に部屋に入ってきた。

 店員がボトルの中身をグラスに注ぐと、シュワシュワと耳に心地よい音が聞こえてくる。

「話は飯を食いながらしよう。まずは乾杯だ」

「だが……」

室口の言葉に戸惑いを返すと、火之は部屋の隅にいる店員に目をやる。室口は火之の視線の先を見て、ああ、と頷いた。

「大丈夫。あいつは口の堅い奴だから。それに一緒に働いて長いんだ。人となりはよぉく知ってる。ここで聞いた話は絶対漏らさないって断言できる」

 自分のことを話題に出され、店員は愛想よく笑い、頭を下げる。

「この部屋の給仕は全部こいつがやるから、安心して話ができる」

 室口は「ついでに」と言うと、誰も聞いているものなどいやしないのに、口元に手を添え、声を潜めた。

「――あいつも異形の者なんだ」

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