瀬斗景/3
「…………」
KEIこと瀬斗景は、流れていく街並みをぼんやり眺め、溜め息を吐いた。車の窓に映る彼の顔には何の表情も見えない。さっきにこやかにしていたのがまるで嘘のようだ。
「景」
運転席に座る坂本が、景をたしなめるように名を呼ぶ。
「何ぼーっとしてんの。タブレットに送った資料、早く読んでよ。仕事の説明できないだろ」
坂本に言われ、景はちらりと自身の脇に置かれたタブレットに目をやった。――が、すぐにまた窓の外を見やりこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「――アンタ、ほんと仕事選ぶ才能ゼロだな」
「はあ?」
「よくもまあ、俺にあんな馬鹿げた仕事続けさせるよ。時間は無限じゃないんですけど? わかってんの?」
坂本はこれに、「ええ」と困惑の声を漏らした。すると景は再び、嫌味たらしく息を吐く。
「俺、もうあの仕事やんのヤダ」
「あの仕事……って、さっきの? お前、自分で『ホームみたいなもん』とか言ってたのに何が嫌なんだ?」
言って坂本は、バックミラー越しに景を見やった。
「――!」
鏡越しに景と目が合い、坂本は一瞬目を見開いた。景の整った顔には、苛立ちが浮かんでいる。
「そんなん社交辞令だろうがよ。大体なぁんで俺がいまだにあんなガキ向けバラエティに出なきゃなんないわけ?」
「ガキ向けって……。自分だって視聴者とそう年変わらないくせに」
坂本がぼやくと、刺さるような視線が飛んでくる。
「はいはい、すみませんね、言い方間違えました。――で、理由はそれだけ?」
「あと、あのプロデューサーと一緒に仕事したくない。アイツ、体も口も臭いっていうかそもそも存在が匂う。自覚ないとかマジでやばすぎ。顔近付いたとき、死んだかと思った。ほんとウケんだけど」
嫌悪感を露わにして言う景に、坂本は呆れたように嘆息する。
「臭いからって……。思春期の女の子じゃないんだから」
じろり、とまた怒りの込められた目を向けられ、坂本は肩を竦める。
「そーいうことだから。あの番組早いこと卒業できるようにしとけよ」
「しとけよって言われてもなぁ……。そう簡単にいくかなぁ」
「それをなんとかするのがマネージャーの仕事だろうがよ」
使えねぇ奴、とぶつくさ言う景に、坂本は内心、やれやれと首を振った。
「あれをやりたいからなんとかしろ」「これはやりたくないからどうにかしろ」……まあ、いつものことなのだ。
「……番組を止められるよう、話はしてみるよ。――だから代わりに、《探偵》の仕事のほうよろしく頼むよ」
赤信号により車が止まる。坂本がくるりと後部座席に振り返り、手を合わせ頼み込むとようやく、景は「わかってるよ」とタブレットを手に取った。
「――うわっ、オバさんからの依頼なんだ~」
タブレットに表示された依頼者名を目にした瞬間、景は嘲るように嗤って言った。
「おばさんって……。お前と十も違わないじゃないか」
「そんだけ違えば、じゅーぶんオバさんだっつーの」
信号が青に変わり、再び車が動き出す。
「今年のCM女王に向かってまあ、この子は」
うしろから聞こえてくるケラケラ笑う声に呆れ呟くと、「母親みたいな言い方すんじゃねーよ」と苛の混じった声が投げられる。
「はいはい。すみませんね」
「ん。――で、オバさん、なんだって」
「資料読めばわかるだろ」
「口で説明するほうが早いだろ」
ああ言えばこう言う――。坂本はマネージャーとして、そして景の『師匠』としてひとこと言ってやるか口を開いたが、
「…………はぁ」
このままでは堂々巡りになる、と溜め息をひとつして諫言を飲み込んだ。
「――依頼者は見ての通り、女優の堀越さん。で、異形の者として疑われているのは、堀越さんが出演しているバラエティ番組のプロデューサー、藍川」
ふんふん、と相槌を打つと、景は帰りがけにコーヒーショップで買ったフラペチーノをすすった。
「藍川ね、覚えてる。何回かそいつの担当してるのに出てるよな、俺」
「ああ」
「で、その藍川がなんだって?」
「なんでも堀越さんと藍川は付き合いが長いらしいんだけど……。藍川の様子がおかしいって思うことが、急に増えたそうだ」
「……? 様子がおかしいってどういうことだ? そんなわかりやすくないだろ、成り代わってる奴って」
「だから堀越さんも確信は無いそうなんだけど。でも変だってことはわかるんだって。――不気味、って表現してたかな、彼女は」
「不気味……ねぇ」
「それで堀越さん、藍川と関わるのをなるべくよそうと思ったらしいんだけど……。やっぱり元々は仲良くしてたから、急によそよそしくするのも変だし、周りからも不思議がられてしまうって」
「それの何が問題? 昨日まで笑いあってたのに今日は睨みあう――なんてよくあることでしょ」
あっけらかんと言って、景はストローをかじった。
「そうはいかないから堀越さんは困ってるわけだよ。――あと、藍川に目をつけられている気がするって」
「と言うと?」
「うーん……。堀越さんが藍川のことを怪しんでいるってのが、向こうにも伝わってるっぽいんだよね。堀越さんが言うには、ここ最近、やたらとふたりきりで食事に行こうって誘ってくるらしいんだ」
「オバさんの自意識過剰なんじゃない?」
「……景、お前仕事する気ある?」
坂本が目を吊り上げて言うと、景はペロリと舌を出して見せた。
「何を言うんですか坂本さん! 悩んでる業界の先輩の助けになりたい、もちろんそう思ってます!」
「……わざとらしいこと。あのな、堀越さんは身の危険を感じたから、『少年探偵のKEIくんにお願いしたい』って、わざわざ僕のところに来たんだぞ。力のあるプロデューサーだから、人に相談しても信じてもらえないかもって不安だったって。でも『優しくていつも真摯な』KEIくんならって――」
「だからわーってるって」
景はタブレットから顔を上げると、ニッと八重歯を見せて笑った。
「『少年探偵K』にお任せあれってね」
少年探偵K。これは景が主演のドラマのキャラクターだが、一部の人間が言う『少年探偵K』は景自身を指している。というのも、このドラマの2シーズン目の話が決まってすぐ、景が実際に探偵資格を取得したからで――。
つまりKEIは、ドラマ内で少年探偵を演じているが――現実でも《探偵》なのだ。
ちなみにKEIのマネージャー坂本は、資格を取った景が研修期間中の指導監督役のために雇った探偵だ。
始めは探偵と言う職について指導する立場だった彼だが、景に妙に気に入られ――研修期間を終えた今も、マネージャーとして彼と共にいる。
坂本自身、ひとりで探偵業に励んでいた頃よりも格段に給料の入る現在が――景の守りに頭を悩まされるとしても――気に入っている。
「それで少年探偵さんは、どのような捜査をお考えで?」
坂本が訊くと、景は「そんなの決まってる」と鼻で笑った。
「奴をおびき出して、俺の《武器》でぶっ叩く。そうすりゃ一発で本性わかるじゃん」
「……僕はちゃんと探偵のセオリーを教えたはずなんだけどなぁ……」
「なに? めんどい捜査をしろって言いたいわけ?」
「それが探偵の仕事なんだけど……」
「やだね。他の奴らはそれが普通だとしても、俺はやだ。大体そういうのは坂本の仕事だろ」
後部座席でふんぞり返りながら景は言う。
「おびき出す方法は……。そうだな、『久しぶりに藍川さんとご飯に行きたいです! いい店知ってるんでぜひ!』なーんつってさ」
景ではなく、KEIの喋りを織り交ぜ言う彼に、坂本が「でもさ」と口を挟む。
「相手は景が探偵だってことを知ってるだろ。そんなホイホイ来てくれるか?」
「そこは俺の演技力があれば何の問題も無し」
「ああ……、そう……」
坂本が「……上手くいくといいけどね」と零すと、景は「いかないわけがない」と笑った。
「藍川を誘い出す店は、そうだな……。前に善知鳥さんに連れてってもらった焼肉屋にしよっかな。あそこ割と良かったから。俺もまた行きたいと思ってたし」
「了解、予約しとく。――で、当日僕は、店の外で待機しておけばいいんだよな?」
「――は?」
景が馬鹿にするような声を出す。坂本はムッとしながら、「なんだよ」と言い返した。
「同席しろよ。俺、未成年だぞ。酒勧められたら面倒だろ」
「さ、酒?」
「ひとりでも断れるけどさ、マネージャーがいるほうが向こうは勧めづらいだろ」
目を丸くさせ、坂本がちらりとうしろを見やれば――景は何を当たり前のことをと言いたげな顔をしている。
「はあ~……」
坂本が感嘆の息を吐くと、景は不思議そうに小首を傾げた。
「本当にまぁ……。そういうところはしっかりしているというか、ちゃっかりしているというか……」
ふふん、と鼻で笑うと、景は長い足を組み替える。
「ま、そーいうことだから。部屋は個室とっとけよ、セッティングはお前の役目だからな?」
「わかってるよ」
「俺の役目は……。奴をおびき出して――ぶっ叩くこと」
暗い車内の中でも鮮やかな少年の金の瞳が、ぐにゃりと歪んだ。




