More Bounce To The Ounce 4
大気圏脱出時の衝撃を抜けきってしまえば、海賊にでも襲撃されない限り宇宙航海は退屈の極み。ましてやアルバトロス号は娯楽要素の乏しいオンボロ輸送船だ、彼等の船旅は故障する機械と、持て余す時間との戦いでもある。
アルバトロス号はドーム都市を離れ、積荷を受け取る為に一路、金星最寄りのコロニーへと進路を取っている。到着予定時刻は地球時間にして三日後。
「ぬぁ~~~~~~~暇だ暇だ暇だッ!」
底浅いレオナの忍耐力は金星出発から一日足らずで底を付き、暴れられるかもしれないと期待している分、フラストレーションは加速度的に高まっていっていた。
閉鎖的な船内で出来る事といったら銃の手入れと筋トレが関の山で、車のエンジンを弄れるレオナでも、宇宙輸送船や宇宙戦闘機となると手に余る。寄港していれば甲板で開放的な空気を味わうことも出来るのに、宇宙空間を航海中はそれさえも叶わない。
ずどん、と手に響く愛銃の反動は、彼女の気を鎮める数少ない手段の一つ。まるで赤子を宥めるガラガラだ。握らせておけば大人しくしている、が――
「レオナ、射撃練習もほどほどにしておけ」
「なんだよ、撃ってもいいって言ったろうが」
アルバトロス号の格納庫はサッカーフィールドが丸々収まる広さがあり、積荷がまるでない現在は、宇宙戦闘機――ラスタチカ――が一機と、陸の足であるピックアップトラック、それからダンの作業場、兼道具置き場のプレハブ小屋が建っているのみである。そのがらんどうの格納庫を防弾素材の壁で仕切ればあら不思議、簡易射撃場の完成だ。たまの射的に使う程度にダンが設えた射撃場は、最近になってレオナのお気に入りスポットとなっている。
同じ格納庫にあるので、壁越しでも、同じく格納庫で戦闘機の整備をしているダンには、彼女が発砲した回数は筒抜けなのであった。
「俺はな、レオナ。少しなら撃っても良いと言ったんだ、弾代だって安かねえんだぞ。何時間撃ってる気なんだ、お前さんは」
レオナは小言を聞き流し、次の空き缶に風穴を開ける。
殆どの代物が3Dプリントで作成される時代に、ダンが手ずから作り上げた彼女専用の改造銃はまだ一度しか実戦を経験していない。なにしろ50口径デザートイーグルを基礎に造られた、この『雷哮』は、ダンとレオナの趣味、趣向、性癖を、技術力と浪漫で煮詰めて出来上がった代物である。その性能を引き出せるかどうかは射手であるレオナ次第なのだ。
発射の反動に耐える為、肉厚になった銃身とフレームで重量は増加し、最早人間ではロクに構えることさえ難しい雷哮は、ヴィンセントに言わせるところの変態銃である。
「新車の慣らし運転みたいなもんさ、ケチケチすんなよ」
弾倉を交換すると、今度は一つの缶に全弾ブチ込む。集弾性も速射性も申し分なく、空き缶だった金属片が跳ねるのを暫し眺めてから、レオナはようやく銃をホルスターに戻した。
「他にすることはないのか、銃を撃つ以外にすることは」
「いっそ海賊でも襲ってくりゃご機嫌さ。危険な仕事って言うから楽しみにしてんのに、金星出てからこっち、待ちぼうけ食らわされてんだよ」
「無事に終わることにこしたことはない。終止このまま過ぎることを願っているよ、俺は。今のところ、誰も俺達が運び屋だなんて想像だにしていないのだから、悶着があるのは積荷を受け取ってからだろう。……手空きならブリッジに上がって進路を見ててくれんか」
「ンなのやってたら眠っちまうわ。どうせコロニーまでは自動航行なんだろ? それに、もうエリサが喜んでやってるさ。アンタに頼まれてから計器板に張り付きっぱなしだよ。チッ、こんなことなら残っときゃよかった」
「ドームにか? だとしても現状と同じだと思うがね。お前さんの相手が務まる賞金首など早々現れん」
今のレオナは、まるで新しい玩具を買って貰った子供のようだと、ダンは思う。はやく銃を使ってみたくて仕方がないのだ。作り手としては大変喜ばしい事ではあるが、雇用主としては頭を抱える問題だ。彼女のこの短気さは正直なところ欠点だからだ。
「……退屈だぜ」
「平穏なのさ。退屈とはちがう」
「同じだろ。心臓も止まっちまったみたいだ、温い水の中で息が詰まって腐っていってる」
雇い主のダンでさえレオナの過去については詳しく知らない。敢えて知らないままでいる。
――過去を問うなかれ。なぜならそれが便利屋、賞金稼ぎの共通認識であるからだ。だが、彼女の素行を観察していると、碌でもない目に合ってきていることは想像に難くない。鋭い仕切りの上を、そう人生はまるで刃の上を歩く様だ。その鋭さが、レオナから安寧という感覚を切り捨てたのだろう。
「呼吸の仕方を学べ、いつか溺れてしまわぬうちに。年を食ってからじゃ遅い、頭を撃ち抜かれてからじゃ後悔も遅い」
「水から引き上げてくんないとアンタの頭に風穴開けそうさ」
萎びた野菜よろしく尻尾を振り、壁際の階段にどっかり腰を下ろすレオナ。
もう死にたくなるくらいに退屈で、ラスタチカの整備を暇つぶしにと眺めていたが、ものの数分で飽きてしまった。そもそも整備を眺めていて退屈が収まるなら、射撃練習などしていないから当たり前である。
海賊でも、賞金首でも、或いは同業者でもなんでもいいから、暴れる相手が欲しいが、彼女の手が届く範囲にあるのは、金星近辺での事件や、賞金首の目撃情報を取り扱う雑誌だけだ。全く期待せずにページをめくっていくも、やはり手応えのありそうな賞金首は載っておらず、面白そうな事件も特にない。無理やり期待を持つなら宇宙船行方不明事件ぐらいのものだが、その事件の記事については噂話の域を出ない曖昧なもので、編集者が余ったページを埋める為にこさえた物語なのではないかとさえ思えてくる。
巻末に白黒印刷。無駄にいきったフォントで煽ってくる見出しが胡散臭い。まともに読ませるつもりならこんな書き方はしないだろう。精力剤の広告の方がまだやる気を感じる。
「なに読んでるの?」
澄んだ声に目を上げると、碧眼を輝かせたエリサがちょこんと立っていた。いつの間にやら格納庫に入ってきたらしい。「何も読んでない」とレオナは雑誌を閉じる。
「エリサ、ダンに声かけた? ぐちぐち小言、言われるよ」
機材や銃器が置いてある格納庫内は危険なため、エリサ一人での立ち入りは禁止されている。と言っても、目くじら立てているのはダンだけだが、入る時には必ず誰かの付き添いか、格納庫内の誰かに了解を得るようにと、エリサには約束が課せられていた。
「だいじょうぶなの、ちゃんときいたよ。はいっていいって」
「ちょいちょい格納庫に来てるみたいだけど、エリサも変わってンね。その年で機械が好きだなんてさ。――それに、ダンから進路見てろって言われてたんでしょ、なんか起きた?」
ちょっとばかしの期待を込めて尋ねるレオナだったが、エリサは狐耳をはためかせる程度に頭を振った。
「へいきなの、お船ちゃんとうごいてるよ。あと十三時間でとうちゃくだって。ねえレオナ、お仕事おわったら、ドームに帰るのかな?」
「さてね。アタシもここで働いて長いわけじゃねぇし、これまでどういう形でダンが仕事してきたのかまでは知らないから。ゼロドームはよく立ち寄る港の一つってだけじゃない? 生活見る限り、持ち家があるって感じでもなさそうだし」
「お船がおうちだもんね! ねえレオナ、ほかの星に行くのかな?」
「星は金星だけじゃねぇし、賞金首はどこにでもいる。宇宙船持ってる便利屋はあちこち飛び回るもンだから、そうなるかもね。……そんなに気になるなら、船長に訊いてみれば」
星間飛行が余程楽しみなのだろう。エリサは楽しそうに頷くとレオナの隣にちょこんと座る。レオナの最近まで姿を見るなり怯えた少女から、かなりの進歩である。……むしろレオナの進歩、否、辛抱が実を結んだ結果とも言えるが。エリサがマフィアの残党に狙われた誘拐事件以降、二人の関係は急速に改善され、並んで座って話が出来る程度には、マトモな関係が築けている。
「レオナは他の星に行ったことあるの? ちきゅーは?」
外へ向けた好奇心は子供の成長に必要なエネルギーだ。しかし、使い方を間違えると大怪我することになる。レオナの表情は、忠告と呼ぶには些か険しいものだった。
「…………」
「ご、ごめんなさいなの」
ドデカい地雷を踏み抜く前に学べることは幸運である。縮こまったエリサを軽く撫でてやってから、レオナはぽつりと質問に答えた。
「火星だけね。賞金首やら仕事やら探してコロニーは色々回ったけど、人間共が幅利かせてやがるから、碌なモンじゃなかった。ドコ行っても獣人の扱いは同じ、どいつもこいつ下に見やがる、胸糞悪ィ。くれぐれも覚えときな、エリサ。誰の腹でも弄っていい訳じゃあない」
「……地球は?」
「ハッ、クソ人間の吹き溜りに? 冗談! つもりがあってもやめときな、取り合う奴なんていやしねぇ、糞虫扱いされンのがオチ。分かりきった肥溜めに好き好んで飛び込むこたァない。どこ行くにしても、地球以外にするんだね」
火星から金星に至る道程だけでも辟易したというのに、人間社会において肩身の狭い獣人が人間の巣窟である地球に立ち寄る理由がない。
だが、エリサの耳は項垂れる。とても悲しく、残念そうに。
「パパとくらしてたお家はコロニーにあってね、上にも下にも地面があって、いつも星が見えたの。それでエリサね、ずっとそれがお空だと思ってたの。でも、ドームのお空は青くて、夜になると暗くなって、星が見えたんだ。すごいなぁ、きれいだなって思ったの……。そしたら、ヴィンスが教えてくれたの。地球のお空は、本当の空はもっときれいだって。エリサね、ほんとうの空を見てみたいの。火星も、地球も。火星の空ってきれいなの?」
遠い記憶だ。なくした写真の面影は、時と共に、距離と共に薄れ、色褪せた風景画はその場面さえ曖昧で、伝えようにも――
「さてね、どんなだったかな。もう忘れちまった。――そういやエリサ、どうして下りてきたのさ、船は順調に進んでんだろ?」
「あ……、んとね」
エリサは、申し訳なさそうにもじもじし始めたかと思うと、耳を近づけるようにレオナを手招いた。向こうで戦闘機の整備に精を出しているダンを覗ってから彼女は呟く。
「あきちゃった」と――。
レオナは小さく吹き出した。純粋、真面目なエリサでもなぁ~んの変化もない、計器を眺めているのは退屈だったらしい。
何でもいいから面白いことが起きないかと願いながら、レオナは金星を発つ前にゼロドームでこなした最後の依頼を思い出した。浮気調査という最高に退屈な仕事だったが、あれでもまだ船に缶詰にされるより大分マシで、強盗の襲撃さえ懐かしい。
いざ退屈極まる航海に出れば実感することもある。こうなってみると、まことに業腹ながら、ヴィンセントの軽口も、暇つぶしには存外に役に立っていたということか。
「……今頃ドームはどうなってんのかね」
「レオナも戻りたいの?」
「静かなのはどうにも苦手さ、アタシも暇でしょうがねぇの。パーティー会場からドンドン離れて行ってる気がするぜ。賑やかな方がいい、そうだろうが」
「しずかなのもエリサは好きなの。ヴィンスと遊んだり、ダンのお手伝いしたり、レオナとおしゃべりしたり。みんなのお世話してるのも好きだけど、いっしょにいる時が一番好き」
そう言ったエリサの笑みを眺めていても、やはり退屈は退屈で、ふしだらな期待は募るばかり。レオナの右手は懐の銃把を撫でていた。




