More Bounce To The Ounce 3
ゼロドーム混成街のダウンタウン。ドームの中心に近く、この都市の商業の中心地である区画は、物騒な都市の中にあっても文明的な人達が暮らす地域である。
時間は十五時過ぎ。女性の豹獣人ルイーズ・ロンサールはカフェテリアのテーブルに座って、話し相手が注文を終えるのを待っていた。金星一の情報屋であるところの彼女は、ビジネススーツに身を包み、休憩中であろうと凛とした姿勢を保っている。その月華を思わせる美貌に言い寄る男性は数あれど、袖にする男性は少ない。いま彼女が待っているのは、そのどちらにも転ばない、希少な人種の男である。
「かァ~洒落てんな~、ルイーズは。こういう店よく来るのか」
「ええ、息抜きにネェ。どうしても事務所に篭りがちになってしまうから、外の空気を吸いたい時や気分転換に。お気に召さなかったかしら、ヴィンス?」
「カフェが似合うように見えるか、俺が」
「それもそうね。文明の光よりも地の果ての酒場の方が好みでしょう。それでも注文は凝っているじゃない。てっきり緊張した挙げ句にココアでも頼むものだと思っていたけれど」
「シャイの極みだな、お前と二人でコーヒー飲むよりはリラックスできる」
黄金の髪を靡かせて微笑を浮かべるルイーズ。獣人でも人間でも、大抵の男性はその美貌に心奪われ彼女の欲する情報をぽろぽろと謳い出す。同性愛者でも無ければ、微笑み一つでイチコロだ。
「ふふ、それにしても本当に良かったの? 他にも依頼が入っていると聞いていたけれど」
「耳が早い。が、喋りすぎは損だぜ」
「別段、秘密にするほどのことでもないわよ。宇宙船の出航記録なんて調べようと思えば誰でも調べられるもの。もしかしてだけれど、また置いてけぼりかしら」
「お前に隠し事は難しいな。こと、このドームの中では。大した依頼でもなかったから、残ることにしたのさ。あっちの依頼が片付けばみんな戻ってくるよ」
「あの娘は元気にしているかしら?」
「え?」
「エリサちゃんよ、いつになったら連れてきてくれるのかしらネェ」
「あ、ああ。元気にしてるよ。そう言えばそんな話もしたな。また今度、時間がある時に連れてくるから待っててくれ」
救出に手を貸したルイーズも無関係ではないのである。関わったからにはその相手が子供であれ知っておきたい、どういう人物なのかを。
「約束よ、しっかり覚えておいてネェ」
「オーライだ、楽しみにしとけって。それで? わざわざ呼び出した理由はお小言の為じゃないんだろ。純粋なデートなら、より歓迎だが」
ヒトが気にしている部分にそれとなく踏み込んでくる、気怠く口角を上げた彼のこういう所がいやらしく、それでいて心地が良い。獣人と人間、その差を意に介さない茶色い目がルイーズを見据えていた。
「私の顔に何か付いている?」
「いいや、美人に見とれてただけさ。シンプルに」
「……ッ⁉ お、お酒でも吞んできたんじゃないでしょうネェ」
動揺の余り裏返る声。これまでもヴィンセントが気恥ずかしい言葉を吐くことは何度もあったが、それは冗談交じりの軽い台詞。しかし実直に瞳を合わせて囁かれると火がつく思いだ。まるで、そう……恋人に愛を囁くかのように甘美な言の葉は、ルイーズの耳の先から足裏の肉球まで即座に逆立たせた。
指先で髪を弄り、ようやく平静を取り戻した頃にはカップの湯気は収まっている。
「真面目な話よ、よく訊いて。からかわないでちょうだい、引っ掻くわよ。それでも巫山戯るつもりなら私は帰るわ、さよなら」
「ちょちょちょ待った。そう、むくれるなって、俺が悪かった。このとーり、な?」
悪ふざけにしても趣味が悪い、ヴィンセントが飛ばしてきた冗談の中でもこれまでで最低の冗談だ。人の気も知らず、拝み手の謝罪の、なんて軽薄なことか。
我慢しきれずルイーズの方から話を変える。
「とある起業家が人を集めているの、警備の依頼よ」
「警備ってことは、つまり用心棒?」
「なにか疑問が?」
「ある。なぁんで俺に依頼持ってきたんだ、その道のプロは他にもいるだろうに」
ルイーズは「No」と首を振った。守ることは同じでも、対象は死せず、動じず、物言わぬ無機物なのである。
「そうネェ、発端から話しましょうか。まずはこれを見てもらえるかしら」
資料の一ページ目。舌を出した兎のシルエット。差出人の横顔と言っても差し支えないトレードマークが目立つカードの文面に片眉を吊り上げると、ヴィンセントはわざとらしく読み上げ始めた。
「『アルテミスが恥じらうとき『月の雫』を頂きに参上する。怪盗WR』 詩的な名刺だな。ルイーズも見習ってみればどうよ、好悪気にしなけりゃ印象には残る」
「店終いを考え始めたら参考にするわ。それは依頼人に送られた予告状、コピーだけれど」
「星間ゲートに、立体映像……。人類が地球飛び出して一世紀は経とうとしてるって時代に古風なこった。怪盗に予告状とは夢があるね。……ああ、んで、その怪盗のお目当てが『月の雫』って話」
「ご明察。日付は来週の月曜日」
「白兎さんからの予告状に記載は無いな。その心は?」
「アルテミスは、ギリシア神話に登場する狩猟と貞潔の女神、三大処女神の一柱で、のちに月の女神となったの。神話に疎い私でも判ることがあるわ。神であっても女性は女性、恥じらう乙女は顔を隠し、染めた頬を袖布で覆う」
「……月食か」
上目遣いで微笑むと、ルイーズは先を続ける。
「女神と出会えるのは地球だけ。そして次に月食が観測されるのが来週の月曜日」
「ロマンチックな暗号だ」
「怪盗と呼ばれる由縁ネェ。狙った品を必ず盗む、神出鬼没の大泥棒。聞いた話だと、宇宙船を盗んだこともあるとか、魔法みたいだったと被害者は語っているわ。停泊場から一瞬うちに船が消え、乗組員は次の日、救命艇で発見された。それから一ヶ月後に、船は突然持ち主の所に帰ってきた。何一つ盗まれず、メッセージカードが添えられてネェ」
話が逸れてしまった。伝えるべき内容は他にもある。
「予告状を送りつけている以上、必ずこの日時に現れるわ。依頼人はその間、宝石の警備に当たる人を、正確には人間を探しているのよ」
「人間だけなんか」
こくり頷いたルイーズ。
そう、募集条件の第一要項として人間であることが条件付けされていた。依頼主は獣人嫌いの起業家なのだから当然といえば当然の内容だ。しかし、その人材探しの依頼が、回り回って一端であれ、獣人であるルイーズに回ってきているのだから皮肉な物だ。
「なぁルイーズ。金持ちになる第一条件は何だと思う?」
不意に呟くヴィンセント。その意味はルイーズには判らなかった。
「降参よ」
「傲慢」
「ふふ、そうかもしれないわね。獣人を組織に組み込んでいる警察など当てにならないと、突き放したくらいですもの。思い通りにならないと気に入らない」
「どこにでもいるさ、その手の人種は。――受けよう、その依頼。どうせ暇だしな。その傲慢ちき、もとい依頼人の名前を聞いとこうか」
「Mr.トランクよ。くれぐれも先方に失礼の無いように」
「いけ好かねえ、溜め込んでそうな名前だ。まぁ仕事は仕事、きっちりこなすさ」
だが、そのヴィンセントの表情には悪戯好きの子供のような含み笑いが浮いている。一抹の不安と同等の期待。きっと最高の仕事をこなし、最高の言葉を置いてくるつもりなのだろう。カップを傾けている今このときにも、彼の脳内では皮肉冗談辞典がめくられているに違いない。
だが、ルイーズの予想は既に過去のものとなっていた。警備の専門職でないにしろ彼は便利屋、その表情はすでに仕事モードに切り替わっている。かき集められるだけの知識と、考え得る限りの可能性を巡らせているのだろう。
思案に耽る瞳との瞬く邂逅に首筋を撫でられたルイーズは、思わず顔を伏せたのだった。
すると、パシャリ――
クラクションのように露骨なシャッター音が二人の注意を惹いた。
いきなり写真を取られては――ましてやはにかみ隠した表情を盗撮されて――いい気などするはずがない。不作法なカメラに渋面を向けるルイーズだったが、にっこりと歯を見せた女性の笑みに怒りも引っ込んだ。
「ロクサーヌ。もう、びっくりしたじゃないの」
「えへへ~、ゴメンゴメン! 幼なじみの可愛らしい反応を見てたらツイっ、と写メ取っちゃってたんだ~。もしかしなくてもお邪魔だったかな?」
と、言いつつも悪びれた素振りなくロクサーヌが席に着くや、回りの客の目が……特に男性客の目がこのテーブルに注がれるのをルイーズはひしひしと感じていた。
原因は無論、ロクサーヌだ。桃色の長髪だけでも目立つというのに、なにしろ彼女の服装ときたら、水着と大差ない布面積の上下にロングコートを羽織っただけという、清楚を指先で弾いたような、それはもうセクシーな出で立ちなのだから。
「貴女はこれから仕事なのかしら?」
「あ、ルイーズかた~い。さっきの写メ送ったげるからさ、おこらないでよ~」
「私は普段通りよ。べつに怒ってなんかは……ああもう! ちょっと、つっつかないでよロキシー、もう判った、判ったってば!」
「う~ん、つるつるフカフカしててルイーズはあったかいなぁ~。ねえ、あとちょっとだけ抱きしめていい?」
「もう充分でしょ⁉ 許してあげるから放してちょうだい」
「へへへ。ありがと、ルイーズ」
親愛を込めた唇でルイーズの頬に触れると、ロクサーヌはおふざけで絡めた腕を解いた。するりと秘所に滑り込む、まるで蛇のような淫靡な所作で。
ふと彼女は、ヴィンセントが口を真一文字に結んでいるのを見つけた。
「――? どしたのオドネル君、なんか変な顔しちゃって」
「ちったぁ人目を気にしろ、襲われても知らねえぞ。往来でナニしてんだ」
「へっちゃらへっちゃら! オドネル君が傍にいるなら安心だしね~。ね~ルイーズぅ?」
「え? ええ、そうね。……て、どうして私に訊くのよ」
「ルイーズだからだよぉ~」
どんな時でも、ロクサーヌは実に楽しそうに笑う。
「そりゃ男相手なら敵無しだろ、最強のカードだぜ」
なんとも下品な冗談にも、ロクサーヌは気を害した素振りもなく、寧ろ自らの職業を誇るかの如く胸を張った。
他人を元気にする才能が彼女にはある。暗い話の最中でも彼女がその場に現れれば、葬式だろうと笑顔で溢れさせるだろう。その才能に救われた人間は多いはず、ルイーズもご多分に漏れず、その中の一人だ。仕事の話で詰まった空気も知らぬ間に解消されていて、まるで、役目を終えたことを悟ったかのようにロクサーヌは席を立った。
「よぉ~いしょっと。それじゃあロキシーちゃんはお家に帰ります!」
「慌ただしいのね。今来たばかりじゃない、ちょっとくらいゆっくりしていったらどう?」
仕事の話も大概が伝達してあるから、このままゆるゆると午後を過ごしたっていい。ところが振り返ったロクサーヌは、噛み殺した欠伸に涙を浮かべ、ひらりと手を振ってから店を出て行った。「じゃね~」とはにかみながら。
「……あいつ、帰り道だったのか」
「ロキシーは人気者だから。働き過ぎてやしないか、心配になるわ。彼女ったら他人のことを優先しすぎるもの」
「貧乏暇なしだ、働ける時に働かねえと。俺も見習いますか」
カップを空けたヴィンセントは、ウェイターに勘定を要求した。
「あら、貴方ももう行ってしまうの? つれないわネェ」
「久々に一人仕事だから、色々と用意しとかねえと。やり手なんだろ? 今回の相手はよ。この『うはぎ』を捕まえるのは骨が折れそうだぜ。続きはまた今度、ロクサーヌも呼んで飯でも行こうや」
「いい考えね。吉報を期待しているわ」
支払を済ませ、ヴィンセントが店を去って行った。
おちゃらけてはいるが、彼もなんだかんだで根は真面目だ。熱心さでは負けていないなと思いながら、冷めたコーヒーを口付けようとすると、ウェイターが淹れたてのコーヒーと苺タルトを運んで来た。注文した憶えはない。
「お連れ様が、お客様にと」
「そう……。ありがとう」
フォークを優しく受け入れる生地を口に運ぶと、後味のさっぱりとした甘みが拡がり、疲れていた脳が活性化していくのが実感出来た。その口元が緩むのは、タルトのおかげか、所為なのか。予定帳を開き日程を確認しようとすると、不意な着信音が彼女の気を惹いた。
絵文字、顔文字盛りだくさんのチカチカしたメールだ。
――いい感じだよ、ふたり!
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