Angels With Dirty Faces 12
どんなに振り回されても、エリサはその小さな手で必死にストライプにしがみついていた。
殴られる事も、怒鳴られることもこわい。しかし、なによりエリサが恐れたのは、大切な人を失うこと、自分の為に誰かが傷付くのを黙ってみているのはイヤだ。しかし決意はあっても彼女は子供。なけなしの勇気をかき集めたとしても少女の力で大人に敵うはずもない、それでも――、なにもせず逃げるなんて――見捨てて逃げるなんて出来なかった。
エリサは竦む身体を奮わせて理不尽に抗う。飛ばされまいとしがみつき、ストライプの腕に噛みついた。
「ぐぁ……ッ⁉ この、クソガキッ。離れろ!」
乱暴に投げ出されたエリサは――だがすぐに立ち上がりストライプの前に立ち塞がった。両腕を目一杯広げ、恫喝にも目を逸らさない。震えだしそうな手足をピンと伸ばし、尻尾を膨らませて威嚇するのが、少女に出来る精一杯の抵抗。低く唸る姿に獣じみた迫力はあるが、幼さ故に、ストライプを怯ませるには至らない。
「自分から戻ってくるとは、馬鹿なガキだ。やってくれたな、痛かったぜ」
「あっちいって! ヴィンスは家族なの、エリサが守るの! こっちにこないでッ!」
「いっぱしに人の真似事か。獣人が図に乗るな。キャンキャン喧しいんだよ」
恫喝、恐喝――人を脅す行為において、どうしてエリサが勝てようか。ストライプが向けてくる敵意はヴィンセントのそれとは異なり、攻撃的なものだ。相手は獣人を虫けら同然に扱う悪党。それに比べてエリサは普通の――暴力とは無縁の生活を歩んできた少女だ。そもそも住んでいる世界が違う。
銃を向けられてもいないのに、エリサは動けなくなっていた。なけなしの勇気はあっという間に底を付き、手足も萎縮してしまう。でも、どれだけ潤んでも、涙だけは零さない。
その表情が癇に障ったストライプが彼女の髪を掴み上げ、もう一度乱暴に投げた。
「だが手間が省けたってなモンだ。雌ガキ、このペンダントを開けろ。さもなきゃお前のオミソを辺りにぶちまけてやるぞ。向こうで便利屋に会いてえか?」
エリサの目の前にあるのは摺り切れた頬。頭を項垂れたヴィンセントは、光の失せた双眸で虚空を見つめ、身動ぎ一つせず、彼女の脳裏には重なる悪夢と最悪の結末がよぎる。
イヤだ、そんなの、しんじたくない。
おそる、おそる
エリサの手がヴィンセントに触れる。
小さく揺すってみた。
なんだよ、と面倒くさそうな声を求めて。何度も、何度も――。
でもヴィンセントは黙したままで、ぬるりとした感触に掌を見れば、エリサの白い掌はベッタリとした血の色に汚れていた。
諦めろとストライプが嗤う。それでもエリサは繰り返しヴィンセントを揺すり続けた。
祈るなと彼に言われた。それでもだ、奇跡があるのなら何にでも縋る。どこからか見てくれているであろう神様に縋るしか無かった。それしかもう、できないから。
「おきてよ……。いやなのヴィンス、おねがいなの。……おきてよぉ……」
揺すられるがままのヴィンセントの姿は、運び出される棺のようで。どれだけエリサが祈ろうが、神様は返事の一つも寄越さなかった。零れた涙の一滴は彼の上着に染み込んでいく。
「ケダモノがお涙頂戴とはよ。ペンダントを開けろ。親子共々むかつくぜ、帳尻あわせもしてやっからよ、親父とお揃いなら嬉しいだろ」
ストライプの意味するところがエリサには判らなかった。だが、これ見よがしに振られる拳銃と吊り上げられた口角。その二つがエリサに気付かせた。本当の仇が誰なのかを――。
「ほぉ、動物らしい眼になったな。便利屋もお前に関わらなけりゃ死なずに済んだろうに。これで二人か、テメェの回りにゃ死人が増える。疫病神め、死亡者リストはお前に関わった奴ばかりだ。便利屋も親父もあの世で恨んでるぜ」
「ち、ちがうの……エリサは、エリサは……」
「悪くねえってか?」
エリサは二の句を継げなかった。否定したいけれど、事実なのだ。二人分の命、秤に掛けられた不可視の錘は少女に重くのしかかり、その重圧に思わず嘔吐いてしまう。
「少なくとも便利屋は生きてたろうな、獣人なんぞ庇ってなにがしてえのか」
「パパも、ヴィンスも……」
「そう、無駄死にだ。虎女もキッチリ蛆の餌にしてやるから、先に逝って待ってるんだな。おら、とっととペンダントを開けろ!」
身動ぎさえ無く、銃口を見つめるエリサ。
巻き込まれて二人が死んだ。もう二度と声を聞くことも、笑いかけてもくれないのだ。圧倒的な喪失感に押し潰されたエリサには、どうすれば良いのかなど考えも付かない。
誰かたすけて、と――祈り縋るだけ。
少女を覗く九㎜口径の奈落。薬室に収まる鉛弾は、彼女の大切な人を奪ったのと同じ輝きで、打ち拉がれるエリサを見つめている。
彼女を待っているのは無為の死。だが、エリサが人形のように銃口を呆然と眺めていると風が唸る音がして――|ストライプの右手が拳銃ごと吹き飛んだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。骨が砕け肉が裂け、ストライプの五指は跡形もない。彼の右手は肉片となり、金属片と混ざって地面に飛び散った。
阿鼻叫喚。
エリサを救ったのは――そう、軽い金属の塊。飛来したのは三〇〇メートル遠方の闇の中。停車しているダッジ・ラムからだ。
運転席から後席へ、「仕留めたのか」とダンが問う。
「まだだ、もう一発」
冷めた声でレオナは応え、素早く槓桿操作で次弾を装填する。スコープ越しに見るストライプがこちらを向いて、その眉間に照準線を重ねると、レオナは銃爪を絞り込んだ。
撃針が雷管を叩き、燃焼した火薬が鉛の弾頭を押し出す。銃身内で加速した銃弾は空気に螺旋を刻み、一直線に闇を裂きながら飛翔して、ストライプの眉間に吸い込まれていった。
びくん、と――エリサの眼前で痙攣するストライプの身体。弾け飛んだ後頭部から脳漿が飛び散り、ぐにゃり、脱力。膝が不気味に揺らぐとストライプは潰れるように地面に倒れた。
糸が切れた人形のように――ストライプが倒れたのを見届けてから、レオナはスコープから目を離す。「仕留めた」とダンに告げると、ダッジ・ラムが発進する。
まだ生き残りがいるかもしれない。ライフルから拳銃に持ち替え移動中も警戒する。ストライプの近くに停車するや、レオナは車から飛び出し、素早く周囲を確認した。
ストライプは脳漿をぶちまけてあの世行き。他にも二、三人転がっていたが動いているものはいない。むせび泣くエリサ以外には。
「もう終わったよ、エリサ」
「……レ、レオナ……なの?」
「ああ、そうさ待たせたねスウィーティ。――怪我は?」
火薬の臭いも新しい無骨な手に撫でられて、エリサの目から涙が零れた。一気に押し寄せる安堵と喪失。ヴィンセントに縋り付いたままの彼女は、真実を口にするのを怖れた。
「ヴィンス……撃たれ、て……。エリサなんにも、できなくって…………」
しゃくり上げ、なんとか話そうとするエリサ。ヴィンセントの身体はボロボロで傷跡が激戦を物語り、亡骸に縋ったエリサの姿は彼がどう行動したのかを物語っていた。
文字通り命を賭して闘ったのだろう。黙して見下ろすレオナの面持ちは自分でも不思議なくらい複雑なものだった。
人間のくせに馴れ馴れしくて本当に嫌味な野郎だった。あぁそうさ。くたばって清々した。
そのはずなのに喜べず、募るのは寧ろ苛立ちだった。雑魚にやられやがってと、こんな簡単にくたばりやがって、と思うのだ。
「少しは、見直してたんだけどね……つまンねえ死に方しやがって」
同じくたばるならこの手で殺してやりたかった。人間にしてはタフな野郎だと思ってたが、くたばる時はあっさりとしたものだ。エリサを守って死にやがった。ハッ、獣人の為に死ぬ人間だ? レオナは馬鹿馬鹿しさに鼻を鳴らし「バカ野郎め」と悪態をついた。
――そう褒めるなよ、レオナ
苦しげなヴィンセントの声に、レオナとエリサは心臓が飛び出す程に驚いた。左胸を撃ち抜かれて無事なはずがない。だのにうっすら上がる瞼からはヴィンセントの茶色の瞳が覗き、虚ろな焦点を合わせると彼は乾いた笑いを漏らす。
「……あ~、もふもふの天使と死神が見える。……お迎えは、どっちだ?」
「アンタ、どうして」とレオナが問う。それも当然だ。ヴィンセントの上着――その左胸――にはしっかりと弾痕がついていて、その上血塗れなのだ。死人が蘇ったとしか思えない。
ヴィンセントはだが、怪訝なレオナとは対照的に笑ってさえいて、なにを思ったかシャツをたくし上げたのだった。そしてそこには――
「……防弾ベスト。アンタいつの間にそんなモン」
「最初っから。ドンパチするのに準備しねえ訳ねェだろ?」
ゆっくりと身体を起こしたヴィンセントは、防弾繊維に絡め取られた九㎜弾を引っぺがして、潰れた弾頭を観察する。ぽい、と捨てられた九㎜パラは無念とばかりに転がった。
「悪運の強い」
「わるかったな、死に損ないで。今度お前にも買ってやるよ、Gカップの防弾ブラ」
「口は達者だ、腹に穴開いてるくせに。……具合は?」
「弾は抜けてる。それに勝った奴が勝者じゃねえ、最後に生き残ったやつが勝者なんだ」
憎まれ口をたたき合う二人を、エリサは現実感も希薄に見つめている。ヴィンセントの無事が信じられず、これは幻なのではとまで考えてしまう。それでも、抑えられない感情。たとえ幻だとしても抱きつかずにはいられなかった。
「ヴィンスーーーーッ!」
「だっはぁ⁉ ちょ、ちょっと待てエリサ、弾は止まってっけど骨は折れてんだって!」
なんて言ったところでエリサは止まらない。ヴィンセントを押し倒した彼女は、尻尾をぶんぶん振りながら泣きじゃくっていた。
「夢じゃないよねッ⁉ よかった、ヴィンス生きてたのーーーーッ!」
「ストップ、マジで! 痛ぇ痛ぇイテェ!」
「そんくらいにしてやんな、エリサ。一応怪我人だし」
レオナに止められ、エリサは申し訳なさそうにヴィンセントを、彼の脇腹の銃創を見つめた。他ならぬエリサ自身が撃った傷跡を――。
「いいんだ。シケた面すんな。まっ、これぐらいレオナのパンチに比べれば屁でもねえよ」
「ホント口の減らない……。つかよ、おいヴィンセント。誰が死神だって?」
「どっちが天使かを考えれば余った方に決まってるだろ。大体、天使って柄かよ」
そう軽口を返したヴィンセントは、ゆっくりと立ち上がると、倒れ伏したストライプの所へと足を轢きづり歩いて行く。怪訝そうに覗うレオナを尻目に、彼はストライプの上着からペンダントを抜き取った。
まだ一つ仕事が残っている。彼はエリサの前に跪き、首にペンダントを掛けてやった。
持っていたはずなのにと不思議がるエリサ。少女の身体には長すぎる鎖。しゃらんとさがったペンダントを手に取り、ぎゅっと握りしめる。
「大事なモンだろ。これでお届け完了だ。ちゃんと身に付けとけ、もう無くすなよ」
「うん……とっても。……うん、なの。ヴィンス。ありがとう」
鼻を啜って涙を止めて、エリサは気丈に笑ってみせた。
――唖然か、或いは感心か。ヴィンセントとレオナは目を合わせ、それぞれの想いに表情を崩す。――と、ダッジ・ラムの運転席から待ちぼうけているダンの声が飛んできた。
「そこな御三方! ご歓談中の所大変申し訳ないんだがよ、エピローグにはまだ早いぜ。話の続きは船に戻ってからにしようや。レオナはそこのポンコツを早いとこ積み込んでくれぃ」
「はいはい判ったよ。チッ、最後まで世話やかせんじゃないよ」
文句も出るが雇い主に言われたのでは仕方なく、不承不承ながらレオナは手を差し伸べる。だのにヴィンセントときたら月面に兎でも見つけたような珍妙な表情を浮かべるのだった。
「お姫様だっこか? 勘弁してくれ」
「誰がするか。チンタラしてないで立ちな」
レオナに引き起こされると、ヴィンセントは呻く。
全く酷い一日だ。ああ、散々な一日だった。しかもこれで終わりでは無く、便利屋の業務としては、これから始まるのだから笑えない。自分が撒いた種とは言え、とんだトラブルを背負い込んだものだ。
「帰るぞ、エリサ」
真っ直ぐと、輝く碧眼で頷くエリサ。ヴィンセントに寄り添う彼女は、自らの人生を選択し、本当の意味で便利屋の一員となった。




