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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
4th Verse Angels With Dirty Faces
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Angels With Dirty Faces 9

 花火みたいな音がして、錫の澄んだ音がして、エリサはゆっくりと目を開ける。


 ここはいったいどこだろう? 一体何が起きたのだろう。順序が入り乱れた途切れ途切れの曖昧な記憶、大切な物をなくした気がする。


 ぼんやりとした視界、定まらない世界。ぐりゃりと歪む世界にあって、ただ固い感触だけがエリサに地面の方向を知らせる。すごくほっぺが痛くって、撫でるとズキリ、頭も痛んだ。とても大事なことを思い出せない。記憶の欠片がどこかに無いかとエリサは辺りを見渡した。


 瞬く炸薬のフラッシュ。鼻をつく硝煙にエリサは思わず顔を押えた。身体が巨別反応を起こして吐きそうになる、嗅ぎたくない臭いが混ざっていた。


 それはとても悲しい香りで、二度と知りたくない別れの香り。事切れる刹那の血の臭い。


 ――そうだ。


 全身の毛皮が逆立ち、恐怖と怒りに身体が震えた。

 パパは死んだ。殺されたのだ。

 怒るととっても怖いけど、笑うと優しくて温かくて大好きだった。パパがいてくれるだけで、それだけで幸せだったのに、そのささやかな幸せさえも奪われた。――思い出のアルバムに新たな一ページが刻まれることはない。その全ては過去で、二度と触れる事は叶わない。


 パパは殺されたのだ。人間に、――ヴィンセントに!


 心が張り裂けるように痛い。少女の知らない感情が、小さな胸の奥から濁流のように溢れ出て、ただただその感情に突き動かされるままに少女は震える手を伸ばす。


 エリサの白く可憐な手が拳銃を掴み、目の前にいる男の背を狙う。と、その瞬間、素早く振り返った男に銃を向けられ彼女は小さく悲鳴を漏らした。


 無気力で底意地の優しい――エリサが抱いていた印象はそういったもので、決して誰かを殺せるような人間(ヒト)には見えなかった。平気でヒトを撃ち殺す、悪魔のような人ではなかった。


 だが、返り血を浴びたヴィンセントはそこにいて、顔の半分と上着を血に染めて、眉間の皺深くエリサを見下ろしている。


 危うく撃つところだ。ヴィンセントは銃の持ち手を認めるやすぐに銃を下ろした。


「目ぇ覚ましたかエリサ。っつかなにやってんだ、危ねえから銃をこっちに――」

「こないでッ!」


 叫んだエリサが銃を撃つ。ヴィンセントの足元でアスファルトが弾けた。「どうしてなの?」と震える声で少女は問う。


 だがヴィンセントは答えようもない。訳が分からず、理由を訊きたいのは彼の方だった。

「どうしてって……、訊きたいことはあるだろうが今は――」

「こないでって言ってるのッ!」

「馬鹿ッ、俺だエリサ。よく見ろって」

「イヤッ、うそつき!」

「何がだ。話を聞け。一体どうしちまったんだ、お前」


 エリサの動揺も無理はない。父を殺され、見世物の為に拉致られ、どん底から救われたと思ったら、また拉致られたのだ。しかもその全てに人間が関わっているのだから、人間不信に陥っても無理はない。


 敵意のないことを判りやすく示す為に両手を挙げるヴィンセントだったが、再びエリサに銃撃され身を強張らせる。二度続けての発砲で思い至る、エリサは自分の意志を持って銃を手にしているのだと。


「うそつき……。ぜんぶウソなの、エリサ知ってるんだもん。レオナもヴィンスもそうなの!」

「エリサ、お前なにを見た」

「みんなみんな、ウソなの……ヴィンスがパパを……パパを殺したの!」


 絞り出された言葉にヴィンセントの眉間が更に寄り、眉間に深い皺を刻む。なるほど、船から逃げ出した理由は、俺から離れた理由はそれか。

 エリサの碧眼に揺らぐ憎しみの光。見つめるヴィンセントは哀しげに目を細めた。


「いいかエリサ――」

「もうやめてなの、聞きたくないの! エリサ知ってるんだよ? なんでヴィンスがペンダント持ってたの。あのペンダントはパパのなのに!」

「話すと長くなる。帰ったらお前の知りてぇ事ぜんぶ聞かせてやるから、大人しくしてくれ」

「イヤ! エリサ見たんだもん。パ、パパが運ばれていって、ヴィンスが出てきて……それで、ケーサツに連れて行かれるところ」


 答えてと、問い糾すエリサに、ヴィンセントは深い溜息をついた。


 父親が詰められた死体袋に次いだ暴れる男の姿を見れば、誰だってそいつが殺ったと思う。エリサがヴィンセントと出会い、そして付いてきたのは偶然ではなかったのだ。記憶を失いながらも、どこかで感じていたのかもしれない。ヴィンセントが父親殺しの犯人なのだと。


 ――仇討ち、か。こんな子供が。だが、そこには大きな誤解がある。


「ペンダントは預かったんだ、親父さんから」

「パパが大切にしてたペンダントだもん、だれかにあげるなんてしない!」

「だから預かった(・・・・)んだっての。……確かに俺は嘘つきさ。けどな、命懸けの依頼に嘘をつく程落ちぶれちゃいねえ。銃は敵に向けるもので、俺の銃はお前の親父を喰っちゃいない。こいつは本当だ。とにかく此処じゃ話せないんだ、船に戻ったら納得いくまで聞かせてやるよ」

「信じ、られないの」


 エリサがどれだけ父親を好いていたか、彼女の父親がどれだけ娘を愛していたか。おっかなびっくり銃把を握り、幼い瞳に意志を宿すその姿から痛い程感じ取れる。

 いたたまれなくなったヴィンセントは「そうか」と静かに溢したのだった。


「……なら今すぐ撃てば良い。銃爪を引けばそれで終わる」


 両手に持った拳銃を改めて意識して、エリサは途端に怖くなった。ヒトを殺せる武器を、父を殺めたものと同種の凶器を、彼女はヴィンセントに向けているのだ。


 ヴィンセントの眼付きが据わっていく。それはエリサの見たことのない表情だった。冗談めいた笑いも、底意地の優しい瞳も一切がナリを潜め、彼女の眼前に立っているのは幾多の命をやりとりしてきた人間の男。


「本気で撃つつもりなら頭か心臓だ。よく狙えよ、撃ち返すぜ。冗談じゃすまねえ、お前がしてるのはそういう行為なんだ」


 感情も希薄に吐き出すと、ヴィンセントは上げた左手の人差し指を銃爪に乗せた。


 殺意を向けてくるのならば誰が相手だろうと関係ない(・・・・)。人間だろうが、獣人だろうが、女だろうが子供だろうが。誰だって死んでいるより生きている方が良いし、殺されるくらいならば、先に撃つ。命のやりとりの場において全ては平等だ。


「先に撃たせてやる。だが覚悟しろ、四発目はねェぞ」


 エリサは震えていた。感情に任せていた先程までとは違う、冷や水を浴びせかけられたような悪寒に体毛の一本まで縮み上がりそうで、息をするのもやっと。撃てない。けど、身体も動かなかった。緊張しきった筋肉は一切の神経信号を受け付けてくれない。


「どうしたらいいの……?」

「俺に撃たせるな、それだけだ」

「でも……」

「嘘もホントも証明出来ねえ。仮にしたとして、意味なんて大層なものはねえんだよ。結局はエリサがなにを信じるか次第なんだ」

「エリサのことも――」


 恐怖に満ちた瞳をエリサは向ける。詰まった言葉の先は想像に難くない。苦々しい表情のヴィンセントは、だが優しく首を振った。


「あのなぁ、俺達がここまで来たのは何の為だと思ってんだ。……目を逸らすなエリサ、いくら目ェ瞑ったところで、過去は消えねえし変わらねえぞ」

「信じてもいいの? みんなのことを……」


 何を持って『信じる』のか。一歩取り違えばその言葉は思考放棄と変わらない。便利屋なんて商売をしていれば騙し瞞されは常であり、見極め損ねた代償は命で払うこととなる。こんな肥溜めみたいな世界では無闇に人を信じるものではない。


 他人の評価に踊らされるな、自分の感覚を信じろと彼は答える。

「俺に言えるのは、お前を助けに来たって事だけだ。――さぁ決断しろ!」


 子供に銃を向けるのも、向けられるのもいい気はしない。銃を下ろしたエリサの選択に安堵したヴィンセントは息を漏らす――筈だった。


 蠢く陰を見咎めればお喋りは中断、銃を上げてヴィンセントは叫んだ。

「エリサ、伏せろ!」


 爆ぜる銃声。ヴィンセントは言うが早くエリサに掴み掛かり、地面に伏せさせる。驚き、暴れる彼女が頭を上げないように、膝立ち姿勢で押さえ込みつつ即座に反撃に移った。


 いくら埠頭内で騒ぎが起きようが、要所の出入り口に人員を残るのは当たり前。見張りが一人残っていたなら他にいても不思議はない。ヴィンセント達に銃撃を浴びせてきたのは、西ゲートに残っていた見張りだ。


 エリサの悲鳴がヴィンセントの鼓膜を振るわせる。いきなり抑えつけられた上に銃弾が掠める状況では無理もないが、暴れられては狙えない。それでもなんとか一人にブチ込んで移動する。まずは遮蔽物が欲しいところだが、――しゃこん、という特徴的な排莢音に背筋を寒くし、彼は先にエリサを物陰へと放った。


 あの音は散弾銃だ。マズいと思った時にはもう遅く、左肩を掠めた散弾に肉を裂かれ、ヴィンセントは激痛に歯を食いしばった。――やられたら、やりかえす!


 使えなくなった左手から、右手へと拳銃をスイッチし散弾銃持ちに発砲、撃ち倒す。

 ヴィンセントは狙いを付けたままで、暫し転がっている誘拐犯の様子を見ていたが、動かなくなったことを確認すると物陰に投げたエリサに歩み寄った。


「ごめんなさい」と、今にも泣きそうなエリサに、ヴィンセントは歯を見せて笑いかける。

「立てるか?」

「ごめん、ヴィンス、ごめんなさい。エリサは……エリサが……」

「ああ。全部まとめて船で聞く、いいな?」


 一息付いたヴィンセントは壁に寄り掛かり脇腹を押さえる。額には脂汗が滲み、気を抜くとその場でへたり込んでしまいそうだが、痛がるのは後回しだ。


 と、ヴィンセント達を嘲笑うかのような銃声が轟いた。

「そろそろ追いかけっこも終いにしようぜ、便利屋」


 落ち着き払ったその声にヴィンセントは舌打ちをし、エリサは身体を震わせた。しつこい油汚れのように粘っこい話し方は二人にとって最も聞きたくない相手のものだ。


 血塗れのヴィンセントを見つめ、エリサは知らず手を合わせて祈っていた。無残に破れた血染めのジャケットは、傷だらけのヴィンセントを余計に痛々しくみせ、その姿は無言の圧力となって彼女にのしかかっていたのである。『お前の所為だ』と自分の心が自分を責める。


 エリサの所為でパパは死んだ。

 エリサの所為でヴィンスが死ぬ。

 エリサがいなければこんなことにはならなかった。

 ……エリサがいなくなればよかったんだ。


「かみさま……」


 幼いエリサは余りに無力で、彼女に出来るのは神に祈ることのみだったが、しかし――


「巫山戯ンなよ、エリサ。もう一度言ってみろ」


 ヴィンセントは吐き捨て、エリサを睨付ける。これ以上無く打ちのめされているエリサの心持ちは判らなくもないが、同じく窮状にあってもヴィンセントには許せなかった。ヒトが生きる現実において『神』なんぞに命を委ねるなど、どうして由と出来ようか。


 睨まれ、すっかり竦んでしまっているエリサに彼は問う。「そんなものに頼るのか」と。

「てめぇの命を神なんていもしねェもんに預けるのかって訊いてんだ。奇跡なんざこの世にゃねえ、祈って救われると思ってんならそいつは間違いだ。水は水のままだぜ」

「でも……」自分には何も出来ないと、エリサ。


 エリサの父親はもうこの世を去った。だがそれはエリサが攫われた所為か? 彼女が子供で、何の力も持たなかったからか? ならば彼女に力があればよかったのか。


「そいつは違う。確かにお前の親父さんは死んじまったよ。だがなエリサ、それは誰の所為でもない、エリサ。親父さんはお前の所為で死んだんじゃねえ、お前の為に(・・・・・)死んだんじゃねえか。手持ち一つっきりの命張ってエリサを救ってくれたんだろうが。ところがどうだ、てめぇは拾ったチップを神様なんて見えねえモンに預けやがる。足掻いてろ、生き延びてみせろ。親父さんが救ってくれた手前の命を捨てるんじゃねえ」


 それがエリサに出来る唯一のこと。ひたすらに生き、明日を拝む。その身を呈してくれた父の分まで永らえて、幸せになれ。ヴィンセントはそう続けた。


「……うん」


 エリサが頷くと、涙の粒がぽろぽろ零れていった。

「神は天にいまし、世は事も無し。上から見りゃこの世の全ては些末事、いたとしても平等に無干渉で助けてなんてくれねえのさ。手ェ組んで祈る暇があるならどうすりゃいいか考えろ。泣いて喚いた、その次は? 一生メソメソ過ごす気か」


 涙を拭い、ずず、と鼻を啜るとエリサは碧眼を上げる。透き通る蒼は夜明けの空に似ていて、美しくそして力強い。


「ううん、そんなのイヤなの。ずっとメソメソなんてしてられない。一生懸命、生きてたい。ずっと、パパが笑ってくれるように。いっぱい!」

「その意気だ、エリサ。その意気だぜ。さぁ銃を返してくれ。西ゲートまで行けばダンが拾いに来る。門の近くに隠れて待ってるんだ、いいな?」

「ヴィンスは……」

「先に行ってろ、俺はやり残した仕事を片付けてくる」

「ここで待ってるの!」

「こっから先はR指定、お子様にゃ目の毒だ。……安心しろ、直ぐに追いつくよ」


 そう言ってエリサの頬を軽く抓ると、ヴィンセントは彼女を送り出す。ありゃあ、いい女になる。意地張って笑うエリサの笑顔は鬱陶しい程に眩しかった。数間、彼女を見送っていたが、エリサの後ろ姿は直ぐに闇夜に消えていった。


 短く息を吐き、ヴィンセントは残弾を確認する。エリサから返してもらった拳銃に装填されている分でカンバン。――中々、面白くなってきたじゃねえか。


「待たせたな、ストライプ。決闘をご所望とは、狡い誘拐犯にしちゃ度胸がある」


 煙草に火を灯してから、ゆったりとした足取りで歩み出て、ストライプと正対するヴィンセント。互いに銃を携えてこそいるが、その銃口は地面を向いている。


「俺は元々フリーランスさ。誘拐に関してもアントニオの独断、仇討ちを欲張りやがっただけの話。阿呆のお守りなんざ俺にとっちゃ迷惑な話だが、今日はついてる。退職金に見合うお宝が転がり込んできたからな」


 しゃらんと鎖が伸び、ストライプの手から純銀製のペンダントが現れる。エリサが持っていないわけだ。換金目当てでストライプか、もう一人がくすねたと思っていたら案の定だ。


「便利屋、お前には感謝してるんだぜ。訊きたいことがあるからな、あのガキにはまだ死なれちゃ困る。にしてもペンダントを狙っている奴が他にもいたとは驚きだ」

「御託はいい。そのペンダントは返してもらうぜ」

「……知らずに探してたとは言わせねえ。こいつには百万ドルの価値がある、世界を正しい形に戻す、な。あんたの狙いも同じだろ。思い出なんて感傷に惹かれたとは言わせねえ」

「依頼品の又売りはしない。やっと届け先が見つかったんだ、受けた依頼は必ずこなす。それにジュエリーは女に似合う、ダセえ服の間抜けじゃなくな。――俺が服見立ててやるよ。お宅に似合いの、重くて取れない手錠」



 睨み合う二人の間に張り詰める緊張の糸。上空を宇宙船が通過すると同時、決闘が始まる。


挿絵(By みてみん)

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