Betrayed 7
遮光幕が太陽を隠し、ゼロドームが夜の顔を覗かせる。街の明かりは遠く、閑散とした旧ポートエリアは設備の保守点検もロクに行われていない所為で街灯もまばら。港に近づけば近づくだけ、堅気の世界から遠ざかっていくようだ。
見張りが付いている以上埠頭の入り口は論外で、海からの侵入は、闇夜とはいえ隠れる場所もない為困難である。限られた選択肢の中からヴィンセント達が選んだ侵入経路は、埠頭の周囲を囲んでいる壁を登る事だった。幸いにして忘却へと消えゆく埠頭周辺には街灯らしい街灯はなく人通りも少ない。つまり招かれざる客には好都合だ。
ヴィンセント達は並び立ち東西に伸びるコンクリートの壁を見上げている。五メートル弱の壁は一人で登るには高く、レオナでさえ一人で登る事は出来ない。が、幸いな事に此処には二人いるので、どちらかが踏み台になれば問題は解決だ。
自分が先に、と同時に声が上がる。
「……なにアンタ、女を踏み台にする気」
「ああ悪い、気が付かなくて。お前は女だったな。じゃあ、あれか、持ち上げろってか」
「アンタじゃ引き上げらンないだろ、いいからさっさと台になりな」
虎耳からつま先まで――、ヴィンセントは隣に立つレオナの肉体を眺めると、諦め加減に息を吐く。筋肉質かつ高身長で胸にメロン二つを抱えたレオナを引き上げるのは無理だ。無粋な推察であるのは承知だが、少なく見積もっても三桁は堅く、ヴィンセントは仕方なく先を譲った。彼は壁に背を預けて腰を落とすと、両手を膝の上で組む。レオナを持ち上げるとなると大変だ、ふらつかないように下半身に力を込めて備えた。
助走を付けたレオナが迫り、ブラウスから覗く橙色の谷間がヴィンセントの眼前を掠める。思わず目を奪われそうになりながらも踏ん張るヴィンセントだが、ずっしりと掛かる重みは彼の両手を踏み抜きそうだった。
「ぐおぉぉぉ……! まだかレオナッ」
「ッんとに情けないな。男の癖に一々情けない声上げンじゃないよ」
そう言って彼女はヴィンセントの肩をも踏み台にして、跳躍し壁の上に着地した。
次いでヴィンセントも助走をつけ壁に向かって飛び上がる。伸ばした手をがっしり掴んだレオナは、まるで鞄でも持ち上げるかのように、いとも容易く引き上げてみせた。種族の違いからくる力の差だと判ってはいても、女性に力で劣っているのはやはり悔しいものがある。
「なにボサッとしてやがンのさ?」
「何でもねえ……、さてと、行きますか」
壁から飛び降りた二人は懐から銃を抜いて陰に入る。移動は静かに、そして素早く。埠頭内にも照明は少なくヴィンセント達には願ったりだ。とはいえ暗闇は有利にも不利にも働く。見通しの悪い中で気配を探ろうとすれば耳に頼る事になり、自ずと空気は張り詰める。
ここまでは順調だが、ヴィンセントには他にも気を配る事があった。はたして縦割れの瞳をギラつかせるレオナが、誘拐犯を目の当たりにして冷静でいられるだろうか。思考のタガが外れて銃をぶっ放せばその時点で御破算だ。念押しの必要を感じるヴィンセントは、声を潜めながら背後へと話しかける。
「冷静に行こう。只でさえ綱渡りなんだ、その上ロープに火ィ付けられちゃ堪らねえ。連中の前で馬鹿踊り晒すのはごめんだ」
「ハイハイ、連中にタンゴを聞かせてやるのは後にしろってンだろ? 何度も同じこと言うンじゃないよ。アンタこそ足引っ張りやがったら捨ててくからな」
「心は熱く、頭は冷たく、さ。そのエネルギーは爆発させる時まで取っとけ。……ん?」
片手を上げて、止まれと合図を出すヴィンセント。息を潜めて気配を探れば、こつこつと足音一つ。
――見回りがこっちにやってくる。
見張り見回りは楽な仕事に思えるが、その実は全くの逆で神経をすり減らす。三六〇度に緊張を続け、風に混じった異音を聞き分け、たゆたう水面に敵影を見る。襲撃者を早い段階で察知し対応出来れば、被害を減らす事が出来るし、なにより奇襲を仕掛けてきた敵の出鼻をくじく事に繋がる。
だが、見張りに神経をすり減らす事が出来るのは、その内容を正しく理解し緊張感を持って臨んだ場合に限られる。埠頭入り口にある三カ所の詰め所に、それぞれに見張りが付いているし、交替もなく何度も同じルートをふらついているだけでは緊張感も糞もない。その上、相手が便利屋一人きりだと知ってしまえば、その緊張感は履き続けたパンツのゴムより緩むのも仕方のない事かもしれない。いざパンツが下ろされてからでは手遅れだというのに。
無線連絡を済ませた直後の一瞬で、見回りの男は吊り下げた得物に触れる暇も無く、物陰から現れた侵入者に組み伏せられていた。
声を出すなと警告してからヴィンセントは顔を上げる。そこには別の物陰から遅れて出て来たレオナの姿があった。
「何してたんだよレオナ。合図出したろ、無線聞いてなかったのか?」
「待てって言ったじゃんか。チキショウ、こんな大事な時にヘソ曲げやがって」
「騙し瞞し使ってきたからな。毎度デカい声出すからマイクがイカレたんだろ」
と、二人の会話に呻き声が混ざり、威圧的な視線が落とされる。特にレオナのそれは殺意に充ち満ちていて、向けられた男が青ざめる程の恫喝を始めていた。まあ彼女に睨め落とされれば動揺しない方が難しいが。レオナは端的に問う、「エリサはどこだ」と。
「ど、動物の言葉は判らねえなぁ。近づくんじゃねえ、臭えんだよ」
虚勢を張るだけの根性があると見る事も出来たが、声が震えているのでは効果も薄く、そして見せかけの肝っ玉にはすぐさま危機が訪れる。このチンピラが火に油を注いでくたばる分には結構だが、銃声が響くのは宜しくない。
「それなら人間相手でどうだ」
「さあ、俺にはなんの事だかさっぱり――」
「ってことはないだろ。お前等が針にぶら下げた白狐は? 思い出せ、お互いの為だ」
「狐だ? そうか、お前が便利屋か、そうだろ⁉」
「どこの誰だろうとお前には関係のねえ話さ、だろう? いいからこっちの質問に答えろ、こちとら多忙な身でね」
だが男は薄ら笑いでとぼけやがった。嘗められたものだ。
侵入者に対する警戒を敷いていた点から、何かを隠しているのは確定だ。ルイーズの情報からエリサがこの埠頭にいる事は確定しているが、しかし、その居場所までは判明していない。まぁ手っ取り早く情報を引き出すのに一番の方法がある。……特に男相手ならば。
「しょうがねえ。レオナ、好きにしろ」
「ハナっからやらせろってンだ」
「銃はなし」
「シバけるなら充分さ。さて、どうしてくれよう」
レオナは嗜虐的な笑みを浮かべながらゆったりと足を振り上げる。彼女ブーツはまるで引かれていく断頭台の刃のように、男の股ぐらに狙いを定めた。
男も下手に騒いだ場合の結末を想像してか、小さい声で「冗談だろ?」と訊いてくる。首枷に頭を乗せた状態で尋ねるには間の抜けた質問だ。勿論、二人が耳を貸すはずがなく、レオナは踵を振り下ろした。だが、動き出したのと同時に「待ってくれぇ!」と男が悲痛な叫び声を上げた。男性としての防衛本能がそうさせたのか、それこそ嘆願に聞こえる悲鳴に、レオナのブーツはすんでの所で止まった。
こうなれば話は早い。男は勝手に喋り始める。
「そ、倉庫が並んでる区画がある。ガキはそこだ! ブロックBにいる!」
「ブロックBには二十からの倉庫がある、番号は」
「忘れちまった……」
ヴィンセントが呼びかけるとレオナがもう一度断頭台の紐を引いた。
「マジなんだ! 番号はわからねえんだよ、擦れちまってて。でも場所なら……、海側にある大きな倉庫だ。灯りが付いてる。ほ、本当だ、見たんだよ! 入ってくトコロを!」
ムスコ大事に差し出した情報に偽りはないのか。レオナはまだ疑っていたがヴィンセントにはそれが真実だと理解出来た。男なら共感出来る。だからこそレオナに狙わせたのである。
「くそぉ……あんただって人間じゃねえか。なんで獣人なんかと組んでやがるんだ」
「相棒は相棒、それだけだ」
「こんなのが……、ただのケダモノじゃねえか!」
精神的に追い詰められていたのは同情するが、レオナの眼前でその言葉はどうぞ殺してくださいと頼むようなものだ。男の股間に深々とレオナのブーツがめり込み、ヴィンセントも内蔵が浮くような感覚に襲われた。
犯人の名前も聞き出しておきたかったがやっちまったもんは仕方ない。男は泡を吹いて気を失ったが、銃殺されるよりはマシととっていいのだろうか。可哀想に、この宇宙から一つの遺伝子が消えた瞬間だ。ヴィンセントは冷や汗を拭うと、男が携行していた装備諸々をはぎ取る。問題なく動作するようだ。
「幕が上がったな。こいつが戻らなきゃいずれ気付かれる、急ごう」
宵闇に紛れコンテナの脇を急ぎ、静かに駆け抜ける二人。押し黙ったままのレオナが不気味でも、分水嶺は既に後ろで戻れはしない。どうか爆発しないでくれと祈るばかりだ。
物陰から物陰へ、打ち棄てられた車の陰からコンテナの後ろへ。見回りの目をすり抜けて目的の倉庫ブロックBまでやってきた。
物陰から覗き見ていたヴィンセントが眉根を寄せる。件の倉庫は確かにあるのだが、照明が灯っている倉庫は通りを挟んだはす向かいに二カ所、しかもその周囲には数台の車と武装したチンピラが十名程いて、なにやら運び込んでいるようだ。
「物々しいな。何してやがるんだ連中は」
「アンタを殺す準備だろ。それでエリサはどっちにいんの?」
「いい質問だ。答えは他の奴を捕まえるか、忍び込むかだな。聞き耳が使えれば話は別だが」
「この距離じゃ無理だっての。……作戦は? あるんだろ」
なによりもレオナの静かな問いがヴィンセントを驚かせる。彼は両眉をあげて、気持ちを落ち着かせてから思案する。片方を探している間に発見されてしまっては忍び込んだ意味が無くなってしまう。仕掛けるのはエリサの居場所が確定してからだ。
「見張りの動きはこの倉庫群を中心にとってるから、エリサは間違いなくこの近くにいるはずだ。二手に別れよう、これだけ暗けりゃ遠目にはすぐバレねえだろうし。近い方は任せる」
「ヘマすんじゃないよ」そう呼びかけたレオナの声は闇の中に吞まれる。
「お互いにな。いいか、できるだけ――」
「『撃つな』でしょ」
燃えたぎるレオナの心情が、その注意書きを灰にしない事を信じるしかない。背中越しに手を上げ、ヴィンセントは角を曲がる。彼女一人きりならばまかり違ってもやられるような事はない。誘拐犯の十や二十捌けるが、心配なのはエリサの身である。




