Betrayed 6 ★
人口海に面する旧ポートエリアは、金星入植初期の物資搬入を支えた、ドーム南西部に位置する一角の通称である。湾口労働者の為に立てられたアパート、数多くのトレーラーが行き交った道路、はるばる宇宙を渡ってきた星間輸送船の船員達が飲み明かした酒場。
そして時が流れ、新たなドームが建造された事で主要機関が移転。更に流れ込んでくる無頼者達の影響で一般市民の心は離れ、流出していく人口。流入してくる物資の減少に従いその悉くが寂れ、くすんでいくかつての賑わいは祭りの後の侘しさに似ている。
第三埠頭もご多分に漏れず、過疎化の影響をもろに受けたと言っていい。お役御免となった埠頭に入ってくる宇宙船といえば、密航船か、密輸船くらいのもので、大型コンテナを下ろす為のガントリークレーンなど、一体いつから使われていないのか。この港から金星への第一歩を踏み出した先人達が現状を知れば、どれ程虚しい気持ちになるだろうか。
この近辺の埠頭に人が入るのは密輸船が入港している間くらいのものだが、今畑だの一つの船影もない。にもかかわらず、東西と中央のゲートには見張りが数名、それから武装している動哨が複数組み。ここまではルイーズからの情報通りだった。
「……あとは暗くなるのを待つか」
第三埠頭まで4ブロックの距離。アパートの屋上に伏せた影が二つ。
呟いたヴィンセントは双眼鏡を、レオナは四倍望遠のライフルスコープを下ろし、険悪ムードの偵察を終える。
第三埠頭は周囲を高い塀で囲われている為、出入りには三カ所いずれかの門を通る必要がある。そこに見張りを立てるのは当然といえば当然だが、どうにも数が多い。ヴィンセント一人を出迎えるにはあまりに熱い歓迎で、だからこそルイーズの情報網に引っ掛かったとも言えた。情報では集まっている人数は三十を超える。埠頭全体を見張るには不十分だが、やはり人一人を相手取るには戦力過多である。
どう立ち回るにしろ、二人で救出作戦を実行するには相手の数が問題だった。エリサを見つけるまでは撃合いを避けるとしても、厄介なのは侵入よりも脱出方法である。
ヴィンセントが意見を求めるように独りごちるが、レオナは話すつもりはないとばかりに立ち上がり、さっさと屋内へ引っ込んでしまう。彼女にしてみれば、一度見限っておいてどの面下げて助けに行くのかと、殴り飛ばしたいくらいなのだ。否、ヴィンセントが現れたときにダンが止めていなければ、今度こそ間違いなく撲殺していただろう。
「早まるなよレオナ! 陽が落ちてからだって言っただろ!」
万が一にも誰かに聞かれないように、ヴィンセントも屋内へ入ってからレオナを呼び止めた。数段飛びで階段を降り、踊り場でレオナを追い抜く。自分でも驚くくらい、ヴィンセントは落ち着いていた、なにしろ彼は『作戦を練ってから仕掛けるべきだ』と発言する前に殴り飛ばされた張本人なのだから。
しかし、にべもなくレオナに肩を突き飛ばされば、一緒に我慢のタガも軋む。愛想もチャラケた雰囲気も失せ、ヴィンセントは眉間に怒りの皺を寄せる。
「待てよコラ。言いたい事があるならこの際だ、ハッキリさせようじゃねえか」
レオナは殺意剥き出し、その野獣の眼光を見上げ彼は続ける。
「無いなら俺から一つだけ言っとくぞ。くだらねえこだわりは捨てろ、全部台無し(・・・・・)になる」
計画が御破算になるとしたら潜入時に見つかるか、見張りに向かって闇雲に銃を撃つかだ。頭の回線がショートしているレオナが後者をやらかす可能性は十二分に考えられる。なにしろ即答で罵声を返してくるくらいだ。
「黙れ、人間の指図は受けない」
「連中に風穴開けるのはいい、エリサ助けるのもだ。ただしルールは守れ」
「ぬけぬけと、どの口がほざきやがる。薄情モンが。エリサは――……」
レオナは奥歯を噛み締め言葉さえも噛み殺す。唸り声に似た低音が反響すると内容まではハッキリと聞き取れない。
「エリサが何だって? なんて言った」
「この糞野郎がッ!」
ヴィンセントは聞き取れなかっただけだった。しかし、彼の問いが無関心の表れと取ったレオナは、その襟首を掴み締め上げる。
「グッ、とち狂ったかレオナ! 放せ!」
「涼しい顔しやがって! アンタの捲き沿いをくって攫われたってのに、いつまで無関心でいやがンだ⁉ 一人ぼっちなんだよ、判ってンの⁉ 『助ける』なんて台詞、よく恥ずかしげも無く言えたモンだ。ならどうしてすぐ乗り込もうとしなかった⁉ 答えてみろ! 本気で獣人の為に命張る気なんかねェんだろうが。都合の良い事ばっかぬかしてンな!」
「……! 放せ! ごほっ……こンの、誰彼構わず噛みついて何処まで馬鹿なんだお前は! あぁ⁉ 気に入らねえ事があるならハッキリ言えよ、この強情っぱりの――」
激流のように昇ってくる罵声の数々を、ヴィンセントはだがすんでの所で飲み込んだ。船での事もあり思わず拳を固めていたが、今すべきはレオナとの口論ではない。ここで揉めたところで事態が好転するわけがないのである。ヴィンセントが胸焼けしそうな憤りに顔を顰めていると、肉食獣の眼差しを向けていたレオナが「言えよ」と唸った。
「言ってみなよ。『ケダモノ』って、そう言おうとしたんだろ。スカしてやがっても、それがアンタの本心さ。善人ぶっても、他の人間共と同じ見方をしてやがる。つまらねえ偽善に隠れてないで吐き出しな、化物とでも思ってンだろうが!」
そう言って突き飛ばしてきたレオナの胸ぐらを、今度はヴィンセントが掴み返す。力押しが通じない相手だとは理解していても、身体は反射で動いていた。胸焼けの原因を望み通り怒髪天を突く勢いで吐き出してやる。この――
「毛玉野郎。こう言おうとしたんだよ、満足か⁉ 訊くがな脳筋女。俺がいつ、お前や他の獣人を差別したよ。少なくとも被害妄想漬けのペシミストよか対等に接してきたつもりだぜ。ところがどうだ。お前はこの土壇場でさえ、ぶーたれやがる! 人間だ獣人だ拘ってんのはテメェの方じゃねえか差別野郎!」
ヴィンセントの手を容易く振り払い、レオナは銃口を突き付ける。
「人間のお気楽な視点で語ってンじゃないよ、テメェ等人間共にアタシ等の何が理解出来るってのさ! 糞虫同然に扱われて、マトモに取り合う相手なんていやしない。その癖いつも怯えてやがる。アンタもだ。獣人を気味悪く思ってンのに都合の良い事言ってンじゃねェ!」
「あぁビビってるさ、なにが悪い。楽勝な捕り物を、トリガーハッピーの虎女が銃撃ちまくって大騒ぎにしやがる。何回ケツ吹っ飛ばされそうになったと思ってる! 信管の刺さった爆薬抱えてお散歩しろってか」
例えレオナが人間であろうと同じだ、と捲し立てる。彼女の気質がこのままならばヴィンセントは同じ言葉を吐いたろう。情けない話だが、要するにレオナという個人を彼は恐れていたのだった。類い希なる戦闘センスと研ぎ澄まされた野性の暴力。同じ修羅場で目の当たりにした彼女の姿には、尊敬と同時に畏怖を覚える。二の句を告げないレオナを指して彼は続ける。
「そのフサフサの耳かっぽじって良く聞け毛玉女、お前が聞きたい本音ってやつを聞かせてやる。頭に血ィ上げて話も出来ねえってんなら、もうこれ以上お前とは組めねえ。正面から乗り込んでワイルド・バンチの真似事するなら好きにすりゃいい。ド派手に撃ち合うのが好みなんだろ? ウィリアム・ホールデンに倣って暴れりゃいいさ。だがな、これだけは覚えとけ。お前がしくじれば、エリサが死ぬ!」
そう吐き捨てたヴィンセントは、背後から撃たれる事も厭わず、レオナに背中を晒してエレベーターホールへを降りていく。古い機械は扉が開くのも遅ければ、閉まるのも遅い。悠長な作動に苛立つと、何度も『閉』ボタンを叩いてしまう。
元々、レオナの手を借りつもりはなかった。怨恨だとするならば、コレは誘拐犯と自分との問題であるからだ。ともすれば賭けるチップは二つで事足りる。――自分と相手。それ以外は全く以て余計な掛け金だ。エリサも、そしてレオナも――。
ようやく閉じるかと思われたエレベーターの隙間に、橙色した屈強な越しが差込まれ、扉を押し開いた。憮然とヴィンセントが見上げ、憮然とレオナが見下ろす。
黙したまま相棒が乗り込むのを待ってから、ヴィンセントは静かに『閉』ボタンを押す。お互いに顔を合わせず、地上に着くのを待ちながら――。
「……エリサの為だ、アンタの為じゃない」
「そりゃそうだろうな。いずれにしろ連中を撃つ機会はあるさ」
「あの子を助け出しても、アンタが死ねばエリサは悲しむ。だから死ぬ事も許さない。それから、もう一つ覚えときな。エリサの身に万が一が起きた場合のことさ。その時は、アンタを隣に埋めてやる」
「……励ましの言葉をどーも、勇気が出るね」
旅は道連れとはよく言うが、黄泉路の道もまた同じとはレオナの慈悲深さには恐れ入る。ヴィンセントは畏怖を、そして覚悟を持ちじっと前だけを見つめて嘯くのだった。「そうはならねえさ」と。




