Aces High 9
特技――?
ヴィンセントの言葉が意味するところは何なのか。考えを巡らしながら箸を進めていると、せっかく同じテーブルに付いたエリサと会話する事すらなく、夕食が終わってしまった。
奴が上げる事が出来る特技といえば数は限られる。そして彼女自身が誇れる物はたった一つだ。培った技術と確かな直感は研ぎ澄まされた牙に等しく、獲物を確実に仕留める猛虎の牙である。はてさて、向かいの席に座る少女にはどう攻めるのが効果的か。
まずは、自然に気配を馴染ませる事、そこにいる事に違和感を持たせない、隠れるのではなく、空間に自身の存在から溶け込ませるのだ。それはヒトならヒトに、森なら森に、世界の波間に溶け込むように。静かにそしてなだらかに、レオナから発せられている剣呑な気配が希釈されていく。洗い場で夕食の後片付けをしているエリサを眺める眼付きは、どこか懐かしむように凪いでいた。
「レオナ、そんなに見られてるとはずかしいの……」
エリサから声を掛けてくると言う奇跡に近い反応に、レオナは確かな手応えを感じつつ、それでも逸るなと自分を落ち着かせた。
「気にしないで続けなよ。それにしても、つくづく働きもンだねぇエリサはさ。誰も見てないんだ、少しくらい楽したってバチは当たらないってのに」
「うん。でも、これがエリサのおしごとだから」
「ふ、真面目も真面目、大真面目だね。人間の妄言なんか真に受けてさ、ほんッと何の因果で、あんたみたいな子供がこんな船に来ちまったんだか」
「ごめんなさいなの……」
耳を伏せ、エリサは呟いた。今までの行いを鑑みれば、それはレオナが口にすべき言葉である。元を正せばヴィンセントの軽口が拗れた事に起因するが、それを除いたところでエリサが詫びる事など何一つとしてないのに――。
「エリサね、いっぱいレオナにイヤなこと言っちゃったの。だからね、ごめんなさいなの」
「いいさ、もう気にしてないから。――座りなよ」
洗い物を終えたエリサは相変わらず耳を伏せたままだが、おずおずとレオナが腰掛けているソファに腰を下ろす。次の言葉を探すようにエリサは口を動かしていた。
「あのね、お洋服ありがとうなの……これ、レオナがさがしてくれたんでしょ?」
アルバトロス号の船体は四人の乗組員がヤサに使うには巨大であり、船室の数は余るに余っている。そうなれば当然未使用の部屋もあるわけで、倉庫代わりの空き部屋を見て回ってみれば案の定。過去の仕事の残り物か――とにかく男の子用だが子供服が出て来たのである。 ぎこちなく微笑むエリサに、気恥ずかしくなりレオナは首の裏側をガシガシと掻く。
「……こわくないようにがんばるの」
とは言うものの、一度植え付けられた恐怖はそう易々とは拭えない。レオナには依然として〈物凄く恐い虎のお姉さん〉のレッテルが貼られていて、払拭するのは難しい問題だ。
自嘲的にレオナは笑う。見た目で引かれるのはいつもの事。二メートル超えの巨躯に厳めしい虎顔。野性剥き出しの美貌では、どれだけ胸がデカかろうとが同じ獣人の男性ですら及び腰になる。
「こわくないの! こわくないよ!」
野太いレオナの上でを掴むエリサの手は白く、指は小枝のように華奢だ。そして野獣を見上げる少女の碧眼はぞっとする程に透き通っている。
「強がってちゃってさ」
「ヴィンスも言ってたの、だからね。もう、こわくないよ」
橙色の剛毛に覆われた二の腕にエリサの鼓動を感じ、暴力を振るう事しか知らない豪腕が緊張する。寄り添うエリサの、容易く吹き飛びそうな身体。そこから感じるか弱くも確かな脈動は、それでもそこに存在している証明だ。
「どこまで良い子なのさ、エリサってば。そっくりだよ……」
大きな掌で撫でてやると、エリサは「うわぁ」と、声を上げた。
「あっと、痛かった?」
近頃撫でる物といえば懐に収めた銃把ぐらいのもので、他に手を使う事といえば誰かを殴るくらいだった。力加減を謝ったかと思っていると、エリサはぷるぷる首を振り、彼女の白い髪がふんわり拡がる。小枝のような指が握るのは猛獣の腕である。
「へーきなの、だってらんぼーじゃないもん。――レオナの手ってスゴク大きいの。あったかいなぁ」
レオナは小さく鼻を鳴らす。野蛮でごつい手だ。針仕事よりも銃の反動が相応しい、勇猛果敢な女傑の手腕。女らしさとは縁遠い無骨な手を眺めていると、エリサが彼女を見上げていた。
「そういえばさっき、そっくりってレオナ言ってたけど、あれって何のことなの?」
「ああ、アタシの妹さ。気が小さい癖におせっかいでね、アタシはガキの頃からこんなんだったから、よく言われたもんだよ。『本当に姉妹なのか』って。エリサにそっくりの良い子でさ。……懐かしいね」
「お話ししてみたいの。ねえレオナ、その子、ゲンキにしてるの?」
無邪気に問われるが、レオナは黙して答えない。代わりに頭を撫でてやると、エリサは自分から頭を差し出してくすぐったそうに首を竦めた。
「…………? ちょっとエリサ、足どうしたの?」
「あ、あれ? どうしよう、止まらないの」
どうやらエリサも気付いていなかったらしい。頓狂な声を上げて何が起こっているのかを知ると、小刻みに震える膝を抑えた。彼女にも訳が分からないのだろう。狼狽と混乱が碧眼に浮かび、いつしか声までも震えてしまっていた。
――足掻いている。エリサは今、唐突に首をもたげた恐怖に吞まれまいと、小さな胸の中で必死に抵抗しているのだろう。彼女が一体に何に怯えているのか、レオナにはそれを推し量る事しか出来ない。
それは、記憶を失った者にしか判らない恐怖。自分がいったいどこの誰で、どんな風に生活していたのか。記録と記憶、つまり個人を形成する為に必要な一切の情報が欠落しているのだから、その不安は想像に難くない。人間共の見世物になる一歩手前で救われ、降って湧いた安寧の中で芽吹いた恐慌。どんなに悲惨かもしれないが、短いながらも生きてきた証明の欠落はエリサの精神を蝕み、繊細な心を砕こうとしていた。
レオナには只、少女の肩を抱いてやる事しか出来なかった。物理的な力の及ばない場合においては、彼女の辣腕は物の役に立たず、してやれる事はこれで精一杯。
「大丈夫、アタシがいるじゃんか。アンタはもう家族なんだ、地獄の淵を歩こうが絶対にあんたを傷つけさせはしない。約束だよ」
「やくそく……?」
「そう、約束だ」
膝にエリサを寝転ばせてレオナは自らに誓う。かつて果たせなかった約束を――自らを戒め吐き出した言葉は虚空を漂い消えていった。人間如きに犯させるわけにはいかない、獣人を守るのは獣人だ。近づく汚辱は銃弾の裁きを以て全て払う。
「約束だ……絶対……」




