Aces High 6
今更かもしれないが、艦橋にある操舵室に始まり、個人の船室がある居住フロア、それから憩いの場である小汚いリビングダイニング、滅多に使わない応接室まで見て回った。船の心臓部である機関室は見せても仕方がないので扉の前を通り過ぎ、残すは一カ所。
狭い艦内通路をに足音二つ、異なるリズムで床を鳴らして、開け放たれたままの気密扉へ近づいていく。
「ここは、なにするところなの?」
「話しても良いが、自分で感じた方が早いし面白いぜ」
扉の傍で招いてやると、中を覗き込んだエリサが感嘆の声を漏らした。見慣れない光景に対する感動は誰にだってあるものだ。
船舶というのは基本的に省スペースであり通路も階段も狭い。だが本来は荷を運ぶことが主目的であるアルバトロス号の格納庫はぽっかりと広く、積荷が無い現在は見渡せる範囲でサッカー場くらいの広さがある。鋼鉄が覆う外観からは船内にこれだけの空間があるとは中々想像しづらい。路上で育った少女には格納庫に積まれた機械類は圧巻だったろう。
跳ね回ってこそいないが微笑ましいはしゃぎようだ。興味深そうに辺りを見回しながら甲板へ上がれるリフトへとエリサは走っていた。
首を逸らして少女が見上げるのは便利屋アルバトロスの守護天使。滑らかなキャノピーの膨らみから機体後部へと続く流線は、色気漂う女性の肢体を連想させる。主翼を上部へ折りたたんだ戦闘機は照明の光を反射して白銀の煌めきでエリサを迎えた。
多環境対応戦闘機 MGF―29 通称、ラスタチカ
「エリサ、ひこーきはじめて見たの」
「只の飛行機じゃないぜ、こいつは最高の機体さ」
エリサの横に並んでヴィンセントも愛機を見上げる。思わず見惚れてしまいそうな流麗な造形は、戦闘という目的のために造られたのが皮肉としか思えない。
「……かわいいの」
「なに?」
「ヴィンセントォ! そこで何やっとるッ⁈」
素っ頓狂なヴィンセントの声を押しのけたのはダンの怒声。間抜け面のまま振り返ると格納庫には不釣り合いなプレハブ小屋からダンが出てきたところだった。汚れた作業着の彼は巣穴から這い出てきた熊のよう。
「こんなところに子供連れてくるとは、一体何を考えとるんだ莫迦者が」
突然の怒鳴り後に驚きエリサは目を白黒させて立ち竦んでしまう。レオナ程ではないにしてもダンの怒気は迫力十分なのだ。が、ヴィンセントはしかし、悪びれもせず肩を竦める。
「別に、エリサに船見せてるだけだ」
「格納庫なぞ見せてどうなる。仕事は雑用だ、ちびには関係ないだろうが」
「つってもここは見せといた方が良いだろ。こっから乗り降りする事もあるんだし」
ヴィンセントが見遣る貨物の積み込みを行う後部ゲートからは接岸中に車を出す事も出来る。買い出しなどもあるので使用頻度はそれなりに多い。
「だからといってな――」
「がなるなってダン、聞こえてるから」
工作機械や重機は危険な機械だ。無闇にエリサを連れてきたヴィンセントに対する怒りは最もなのだが、怯えたエリサの目にダンは気勢を失った。しかし彼の顰めっ面はすぐに別の色を見せる事になる。ヴィンセントは飛行機に視線を移してこう続けた。
「エリサは〈彼女〉が気に入ったらしい」
「なんだとッ⁈」
その反応の早い事。ダンはずばッ! と顔を向けるや巌のような両手でエリサの肩をがっしり掴む。興奮気味なダンに、少女がたじろいだのは言うまでもない。
サングラス越しでもダンの眼が輝いているのが分かり、ヴィンセントは、目頭を摘まんだ。
「そうかそうか! よしッ、説明してやろう。こいつはなMGF・Mig―29という多環境対応機としては初期の実験機でな、大気圏外航行能力に垂直離着陸等、様々な機能を詰め込んだ意欲作なんだ。しかし、しかしなんだエリサよ! 今となっては確かにちょいと型は旧いが、こいつは抜群の旋回性と格闘性能を持った名機だ、馬鹿にする奴の気が知れん。どれ、もっと詳しく話してやろう――」
まだ続くのか、とヴィンセントは虚ろな目でラスタチカを見上げる。彼も一度この洗礼を受けており、因みにその時は二時間が溶けた。エリサは大人しく――もしくはおっかなびっくり――ダンの話を聞いていたが理解出来ているかは怪しそうだ。同好の士ならば酒の肴になるような話でも、幼い少女に語るには内容が些か以上にマニアックにすぎる。
「――元となったのは複座の練習機として開発されたもので、長い間飛んでいなかったんだ。倉庫で見つけたときは運命を感じたもんだよ。正しく燕の様に鋭く飛ぶ。あえて不満を上げるとすれば武装面だな。しかし機外にガンポッドを――」
「ダン、ストップストップ」
「どうした、ヴィンセント」
「俺も耳タコなご教授頂いて大変ありがたいんだけどよ、エリサを見てみろ」
そりゃひたすら機体スペックを語られれば目も回すさ、頭から煙でも吹き出しそうだった。
「お~いエリサー、帰ってこ~い」
「はわぁ……? ダンのお話むつかしいの」
エリサは目を瞬かせている。途中で音を上げなかっただけでもよく頑張った方だ。それに、ひとまずダンとのコミュニケーションを図るという目的は上手いこと果たせた訳だし、後は任せて引き上げても良いだろう。だが、ヴィンセントには一つ気になることが――。
「なあエリサ。さっきラスタチカの事を可愛いって言ったが、あれ、どういう意味だ?」
「? かわいいは、かわいいなの」
男二人は胡乱そうに眉根を寄せて、鎮座している戦闘機に目を向ける。
煌めく流線の機体後部、唯一色が異なる黒色のエンジンノズルは、上から見れば燕の尾を彷彿とさせ、横から見れば嘴のように見える。ノズルを動作させることで推力方向を変化させることにより、機動時には素晴らしい性能を発揮してくれるのだ。潜在的な性能に加え、ダンの整備工としての腕も相まって、機上にいる限り負ける気がしない。
しかし、だ。いかに素晴らしい性能であろうと、つまるところその性能は乗り手を生かし、他を殺す為のものであり、ラスタチカも戦闘機の名が示すとおり戦闘こそが存在意義。その戦闘機械を目の前にして「「可愛いか?」」と、大の男が首を傾げるのも無理はない。
「かわいいの。ほら、バンザイしてるみたい」
天井に向けて主翼を折りたたんだラスタチカは、なるほど両手を挙げている風に見えなくもない。だが『美しい』とか『格好いい』とかならまだ判るが、やはり『かわいい』の形容詞は不釣り合いに感じる。
視線を一身に浴びる〈彼女〉は黙して語らず、冷たい美貌を晒すだけ。流麗な美女に見とれていたが、ふと、ダンは袖を引かれた。
「どんな事にでも興味を持つのは良い事だ、知識は嵩張らんし、人生を豊かにしてくれる」
「うん。あのね、ダン。またヒコーキ見たいの。見にきていい?」
顔を向けなくても、ダンの笑顔が感じられる。まるで孫に接する祖父の姿だ。
「あぁ構わんぞ。但し、格納庫に入るときは声を掛けるんだ。一人で歩くんじゃないぞ? 約束出来るならいつでも来ると良い。……ヴィンセント、何を笑っている」
「うんにゃ、なんでもねぇ」
エリサは大きな碧眼をぱちくりさせながらラスタチカを眺めている。邪魔しちゃ悪そうだ。彼女の世話をダンに任せて、ニヤケ面のままヴィンセントは格納庫を後にした。




