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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
2nd verse Aces High
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Aces High 4

 休みならダラダラしてるといっても彼等は便利屋であり、賞金稼ぎだ。どちらの仕事だとしても荒事に巻き込まれることが多多ある為、日々のトレーニングは欠かせない。たった一度の失敗で払うのに、命一つはあまりにも高い授業料だ。許される限り払いたくない。


 ヴィンセントは艦首側から走ってくるレオナとすれ違う。前方を見据える彼女は真剣味を帯びていて、脇目も振らず船体後部にある艦橋側へと抜けていった。


 かつて惑星間の補給任務を請け負っていた輸送艦のアルバトロス号が有する飛行甲板は、宇宙船の上部構造の七割を占めており、後部には操艦に必要な艦橋がある。ランニングに使っているが、電磁カタパルトを搭載した船なので飛行甲板はそこまで広くない。とはいえ往復すれば距離はいくらでも稼げるので走るのには困らなかった。


 レオナも真剣だが、肉体的に劣るヴィンセントは特に必死だ。人間の身体は獣人に比べて遙かに脆く、弱い。獣人相手に素手ゴロなぞしようものなら、ボロ雑巾のように転がされるのは自明の理。それでも鍛錬するのは生存の可能性を少しでも上げるためである。特に近頃はレオナと組んだ所為で、獣人の賞金首を狙う機会が増え、鍛錬の必要性が増した。


 会話もなく、延々と甲板上を往復する二人はリピートをかけた映像データのようで、変化といえば二人の額に汗が光っていることくらいか。


 何十周かしてヴィンセントはのろのろと足を止める。頬を汗が流れ落ち、呼吸する度に渇いた喉が張り付く。鬱陶しい汗を拭っていると、レオナがすぐ横を走り抜けていった。

 殆どの獣人は体力面でも人間を圧倒しているが、その中でもレオナは頭一つ飛び抜けている気がする。額に汗こそ光っていても余力はありそうだし、まだまだ走り続けられるだろう。


「はぁはぁ……スタミナお化けめ、畜生」


 二人の間に横たわっている人種の差はあまりにも大きく、いくら鍛えようとも彼女に追いつくことはないだろう。呼吸を整えていたヴィンセントは、そういえばと辺りを見渡した。


 とっくに飽きて船内に戻っているかと思ったが、エリサはまだ洗濯紐を支えている支柱のそばに膝を抱えて座っている。少女の目線を辿ると、追いかけているのはレオナの後ろ姿だ。警戒よりも興味がある――、エリサはそんな表情で、本心から嫌っているのではなく、正確に表すなら『苦手』が正しいのだろう。


 距離が縮まらない原因は一目瞭然。レオナの外見から放っている気配まで、どれをとってもおっかなすぎることだ。第一印象も悪かった。いきなり二メートル超の肉食獣に迫られれば、誰だって腰を抜かす。あとは彼女が持つ雰囲気、一般人とは異なる気配。それは知らぬ間に不可視の海に犯されるように周囲を包み威圧する。死線をくぐり抜けてきた拳銃遣い(ガンスリンガー)特有の剣呑さを、命を撃ち砕いてきた独特の気配を、エリサは恐れているのかもしれない。


 なんとかしてレオナの弱い部分――そんな物があるかすら怪しいが――を見せることが出来ればエリサも多少は慣れるか? これはエリサの為であり、同時にレオナの為であり、ヴィンセントの為であった。これから先、何度も宥める手間を考えれば試してみる価値はある。


 ヴィンセントは呼吸を安定させてから、丁度、向かって来るレオナに声を掛ける。離れたところで足を止めたレオナは疲れた様子もなく、敵意剥き出しで彼を見下ろした。


「どうだ、レオナ。組み手やらないか」


 二人はこれまでも何度かトレーニングとして拳を交えていた。ヴィンセントは対獣人、レオナは自分よりも小柄な敵。互いに良く戦うことになる相手を想定しての格闘訓練だったので納得しての殴り合いだが、エリサが船に来てからこっち格闘訓練は控えていたので、提案するだけでも狂気の沙汰だとヴィンセントは思う。フラストレーションが溜まった虎の前に生肉ぶら下げて躍り出るようなものだ。


「なに企んでやがる、人間」

「そう邪険にするなよ。一肌脱いでやろうってのに」


 チラとエリサを見遣ってから、ヴィンセントは声を潜める。人間相手なら構わず話を続ける距離だが、獣人の耳がどこまでいいか分からないので念の為。


「エリサの奴、退屈そうだし楽しませてやろう。それに、感覚鈍ると困るしな」

「ハッ、たかだか数日で鈍る程度なら元から才能ないんだろ。さっさとくたばっちまえ」

「最後まで聞けって。そうやってすぐ短気起こすから怖がらせるんだ。普通にスパーリングするんじゃなく、仕込みだよ。最後にお前が負けるんだ、わざとな」

「エリサをダシにしてまで白星欲しいのか? アンタそれでもタマついてんの?」

「勝ちは実力で拾うさ、お前の施しで勝っても嬉しくねえ。だから、こう……なんて言うかな『弱いところもあるだって』思わせればいいわけだ、親近感が湧く」

「それ本気で言ってんの?」

「『やっぱり怖くないんだって』思うさ」――多分。「避けられっぱなしでいいのか?」


 納得したようなしていないような……。レオナは唸りながら首を捻った。


 確かに幼稚だ。しかし、まだ幼いエリサに理解させるためには単純な手段を取った方がいい。すでにレオナの好感度は最低ランクなのだから、今よりも下がることもないし、試す分には只だ。すぅ、とヴィンセントが拳を突き出すと、思案の沈黙の後、レオナが拳を当て返した。弾かれるように二人は距離を取る。


「マジで来なよ? アンタ相手じゃ手ェ抜いても殺しちまう」


 訓練の上に出来レース。……なのだが拳をぶつけた瞬間からレオナの表情は一気に引き締まり、眼付きは獣のそれ。訓練といえど馬鹿デカい虎女が相手となれば、戯れを持ち込むのは命取り、ヴィンセントも集中力を高めていく。


 レオナの豪腕をステップワークで躱し反撃。ヴィンセントも拳を振るったが容易く彼女に払われた。飛び退き、仕切り直す。


 獣人に殴られれば人間の腕など小枝も同然にへし折れる。ならばどうするか? 圧倒的破壊力を持った相手に対して、格闘戦で生き残るには?


 回答はシンプル。一発も貰わなければ良い。前後に広いストライドの左半身。ヴィンセントの構えはある意味で防御を切り捨てている。


 こいよ、と突きだした左手でレオナを誘えば、彼女は猛然と甲板を蹴った。

 長髪を捲いたレオナが一気に距離を詰める。

 放たれた三連打をステップで躱し左を返すが、しっかりとガードされた。

 熱くさせても反応が早い、次は右ストレートが飛んでくる。

 轟、と掠める豪腕が鼓膜を揺らし威力の高さを示す。眼前を大きな石が高速で飛び抜けていったようだ、アレをもらったらマズい。

 左のフェイントを一つ、反応したレオナがガードを上げる。


 ――ボクシングとは言ってない、蹴りだってありだ。が、虚を突いた腹蹴りもレオナには通じず、防いだ蹴りを払いのけ、彼女はそのまま殴りかかってくる。

 潜って躱し、引き手に合わせてヴィンセントは懐に飛び込む。

 レオナは反応出来ていない。がら空きの腹部、頂きだ!


 足の指で地を掴み、握った拳へ全身の力を伝えたヴィンセント渾身の左ボディがレオナの脇腹に深く突き刺さった。人間ならば確実に悶絶もの、獣人相手でも堪える一発だ。が、しかし、レオナは並の範疇から逸脱していて、痛みに呻いたのはヴィンセントの方だった。叩いたレオナの腹筋は恐ろしい程の硬度で、むしろ彼の拳にこそダメージを与えていた。


 ――骨が砕けたかと思った。腹に鉄板でも仕込んでるんじゃないか、こいつ。


 反撃の気配を察して飛び退くと、レオナの豪腕が噴火する火山さながらの勢いで吹き上がってきた。こっちは一発貰ったらゲロ確定なのにおかしいだろ、せめて怯めよ。


「非力、非力。蚊がいるのかと思ったよ」


 威力不足は重々承知だが、相手が突っ込んでくるコンボイだとしてもここは譲れない。


「人のこと言えるか? お前こそ一発だって当ててないんだぜ。ご自慢のパワーも当たらなけりゃ意味なしだ、扇風機みたいにぶんぶん振り回してくれるおかげで涼しいがな」

「外してやってんだよ、ボケ」

「頭に筋肉詰まってる奴にそんな芸当が出来るとは思えねぇな」

「死ね、…………死なすッ」


 安い挑発に乗るものだ。唸った彼女の眼光が今日一の鋭さを帯びる。それは草原に伏せた狩猟動物が、獲物に飛び掛かる刹那の輝き。瞬きせずに照準を定め、電光石火で襲いかかる。


 ――一瞬だ。反応したときには、既にヴィンセントはレオナの射程圏内に捉えられていた。張り詰めた緊張感を保っていても、レオナの踏み込みは、ヴィンセントの反応速度を超えて距離を殺してきた。


 失策と感じる前に、身体は動きヴィンセントは咄嗟に腹を庇う。

 両腕を交差させ固いガード、レオナの鉄拳は周囲の空気を爆ぜさせながら迫っていた。


 ヴィンセントの打撃音が爽快な破裂音だったのに対し、レオナのそれは篭ったバスドラムさながらの重低音だ。どずん、と重たい衝撃は防御越しでもヴィンセントの臓腑を痙攣させ、洒落にならない衝撃が彼を大きく後方へとはじき飛ばす。


 手は? ――動く。


 足は? ――動く。


 なんて威力だ、今のは危なかった。

 体勢を立て直すと、敵意を超え、最早、殺意のみを込めているとしか思えない凶相のレオナが大きく踏み込むながら必殺の右ストレートを放とうとしている所だった。


 さっきは虚を突かれたが、彼女を煽ったのは決め手になるこの瞬間を作るためである。直撃を受ければ頭蓋が砕ける岩砕パンチに向かって、無謀にもヴィンセントは飛び込んでいく。自力で威力不足なら相手の力を借りるまで。彼の狙いは後の先、つまりカウンターだが、二人分の力を足しても不十分だ。だからこそ――


 突きだした左腕でレオナの拳を流れるままに受け流し、同時に右手で彼女の襟を取る。そのまま身体を内側に捻るように回して巨躯を背負い、そして投げた。


 呼び込みもタイミングも完璧。ぽーん、とレオナの巨体が甲板を離れ、信じられないくらい綺麗に宙を舞った。


 ヴィンセントは半ば勝ちを確信していたが、油断するにはまだ早い。彼が持っているように、レオナにも意地がある。彼女は、ヴィンセントの釣り手を力尽くで引き剥がすと、中空で身体を捻る。そして不時着するや、豪腕を地に這わせヴィンセントの足を狩った。


 背中から盛大にすっ転んだヴィンセントは、倒れた拍子に頭を打ち、白飛びする視界に景色を奪われた。まさかあの死に体から反撃してくるなんて誰が予想出来ただろうか。いや、寝転がりながらそんな悠長な思考に時間を割いている場合ではない。反撃してきたということはつまり、レオナには依然として交戦意志があると言うことだ。急ぎ身体を起こすヴィンセントだったが、上体を起こすよりも早く、レオナの巨体が彼の上に馬乗りになる。


 騎乗位で男を見下ろす、虎女の笑みたるや。


 女に跨がれるのも良いものだが、人を文字通り尻に敷いて、残虐な笑みを浮かべるようなドS女は趣味じゃない。とはいえ振り払おうにもヴィンセントの両腕は、跨がる際にレオナが足を器用に使って押え付けたため、手首を返すのが精一杯で、まな板の上の鯉状態だった。


「まいった……」と、一気に脱力し、ヴィンセントは息を吐く。ここから形勢を逆転するには船がひっくり返るくらいの大事が必要で認めたくないが勝負はついた、筈なのだが……。


「お、おい、レオナ……?」


 彼女は右腕を天高く掲げると、小指から一指ずつ握り込み、その手に太陽を掴む。影が落ちた双眸に嗜虐的な笑みを宿して。


 ――アレは殺る眼だ。女性らしからぬ無骨なレオナの拳は、さながら落下を待つ隕石のようにそこにある。あんなパンチを叩き込まれたら――死。ごくり、とヴィンセントが固唾を吞むと、レオナの三角筋が隆起した。彼女は牙を剥いて嗤っている。


「おい……待て待て待てェッ!」


 直下に落とされる鉄拳にヴィンセントは歯を食いしばり瞼を結ぶ。

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