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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
1st Verse BAD DAY
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BAD DAY 10

 ――ノック、ノック



 二人がドアを見遣ると、狐っ子を連れて大男が戻ってきた。

 ボロ布を纏った姿は攫われたときのままで、毛皮も薄汚れたままだったが、怪我はなさそうである。部屋に入るやいなや狐っ子は大男から離れて、居場所を求めるようにヴィンセントの陰に隠れた。回りは皆人間で、他に頼れる相手がいないのだ。


「御苦労」


 一言、大男を労ったレオーネは毛むくじゃらの狐っ子を見咎めると苦々しく唸り、そして信じられないことが起きた。


「嬢ちゃん、部下が申し訳ないことをした。どうか許してもらいたい」


 威厳があり、それでいて語気の優しい声。建前でもなんでもなく、それはひたすらに誠実な謝罪に聞こえた。金星の裏社会を仕切る巨大組織の一つ、しかも人間のみで構成された組織の、その首領が、獣人の子供に頭を下げるなどにわかには信じがたい状況だ。


「儂とて人の心は持っている。子供に罪はない、獣人であろうと」

 ヴィンセントの心読んだのか、レオーネは呟いた。

「この嬢ちゃんは運がいい」

「貴方も皮肉屋ですね、それでは失礼します」

「待て、小僧」


 一言レオーネが発すると重量のある空気が戻ってきた、そこにいるのはマフィアの首領だ。


「まだ帰らせるわけにはいかんのだ小僧。救われたことには礼を言おう、しかしだ。ウチの者に手を出したとあってはそのまま帰せんのよ」


 ヴィンセントの右手が懐に伸びると大男が明らかな警戒を見せる。そこに拳銃が収まっていないにしても、右利きのヴィンセントが懐に手を伸ばせば危険があるとみるのが普通である。ここまで来て誤解で撃たれたくないので、彼はゆっくりとジャケットをめくると、内ポケットから取り出した封筒をデスクに置いた。


「なんだこれは?」

「代金です。獣人の子供一人分、レート通りで不足はないはずです」

「分からんな」

「何がですかシニョーレ・レオーネ。あんたはサーカス小屋を潰すつもりでここに来て、丸ごと見事にぶっ飛ばした。とはいえ檻はなくなっても狐っ(こいつ)はあんたの組織の持ち物だ、だから俺が買うんですよ、人身売買もあんた方の商売でしょう」

「……では儂が乗った天秤の、逆の皿には何が乗る。貴様の取り分はどこへ失せた?」

「失せてなどいません、対の皿には俺の命が乗っている。敢えて言うならここから無事に出られる権利をいただきます」


 淀みなく言い切ると、今度こそレオーネは笑いを噛み殺していた。確かに一対の命が天秤に掛けられているが、沈んでいるのは彼の皿の方なのだ。


「ふ、良かろう。それで手打ちだ、追求はすまい。大した度胸だ小僧、つくづく惜しい」

光栄(・・)です。それでは今度こそ失礼します」


 悪党の巣窟にこれ以上の長居は無用だ。不安げに見上げている狐っ子の背中を押して廊下に出ると、しゃがれた声が追ってきた。


「仕事を頼むことがあるかも知れん、また逢おう便利屋」

「そうならないことを願ってますよ、お互いのためにも。次会うときはあんたを捕まえることになるかもしれない」


 些細な意趣返しとして言い残し、ヴィンセントは静かにドアを閉めた。


 ルイーズに言われるまでもなく自覚している。ジャケットの裾を掴まれたままでは歩きにくいが、儚いその手を払うのは躊躇われた。とんでもなく馬鹿な賭をしたものだ、見知らぬ餓鬼一人の世話を焼いて殺されかけたなんて話を聞けば、誰だって呆れる。おそらく、これまでに張ってきた賭の中でも一等無謀な勝負で、こうして五体満足の状態で廊下を歩いていることが奇跡だった。指一本の欠損なく帰路につけるありがたさたるや。


 ようやくツキが回ってきたのか、それともこいつの運が半端じゃないのか。狐っ子は変わらず汚れた手でジャケットを掴んでいて、仕方なく繋がったまま通りへ出れば、情けないことに膝が笑っていた。


 外の空気に触れ、安堵。緊張の糸がぺぃんと切れた様だ。ふと横を見れば狐っ子の吸い込まれそうな碧眼がヴィンセントを心配そうに見上げていた、まるで「だいじょうぶ?」とでも尋ねるように。


 ――ああ、そうだよ。しっかりビビってたさ。


 煙草を咥えて火を灯す。ようやく帰れるのである、しかも無事に。背中を丸めるよりも喜び、そしてこの先数時間のことを考えよう、例えばじきに聞かされる小言の事とかだ。


 ネオン輝く通りから更に上を見れば、遮光壁の降りた、すっかり暗くなった造り物の空がある。吐き出す紫煙は酷く苦く、ようやく一服つけたのにありがたみは半減だった。だらだらと歩き出して数歩、ジャケットの引っかかりがなくなっていることに気付いて、ヴィンセントは振り返る。少女が寂しげに、ぽつんとそこに。


「何してんだ、行くぞ」


 ぶっきらぼうに呼びかけると、狐っ子は尻尾を揺らして駆け寄ってきた。純粋に、無垢で、眺めている側が落ち着かない少女の姿は、不安定な刃の上に乗った薄い硝子細工に似ていた。


「そういえばお前、金持ってんのか?」

 分かりきったことを尋ねると、狐っ子はふるふると首を横に振った。

「まぁ、そうだよな」


 わざとらしく嘆息してから狐っ子を見下ろすと、ヴィンセントはニタリと笑ってみせる。


 「金が無くても経費は払ってもらうぜ。……身体でな」

 品のない台詞にもかかわらず、狐っ子は彼の後ろについて歩いた。

お知らせ


次回投稿より2日ごとの更新を予定しております。

どうぞ、ごゆっくりお付き合いくださいませ。

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