BAD DAY 9 ★
「随分な口を利くようになったな、マルコ」
古いレコードの様にしゃがれた声で空気を震わせて入ってきたのは、口髭を蓄えた老人。膨れ上がった下っ腹を覆うシルクのスーツ、蛙のそっくりの腫れぼったい瞼を持ち上げて、老人はマルコを見据えていた。老人の横には、まるで殺人機械にまで鍛え上げられたドーベルマンが如き屈強な大男が付き従っている。
声の主が気になっても銃を突き付け合っている相手からは視線を切れず、ヴィンセントは未だ縦縞野郎に狙いを付けていた。その人物が誰かは狼狽を隠したマルコが教えてくれた。
「ドン・レオーネ。あ、……何故こちらへ? 地球へお出かけになると聞いていましたが」
伺いを立てたマルコだが、レオーネは問いに答えず縦縞野郎からヴィンセントまで、部屋にいる全員をゆったりと見渡した。
「……銃を収めろ、全員だ」
誰がどうみても収めるラインを超えてしまっている。そして、殺気立つ男達がそんな一言だけで銃をしまうと思えないほどに、レオーネの声には抑揚がなかった。彼が発したのはただの一言だけだが、その一言だけで室内の空気が一変した。いや正確には彼が部屋に入ってきた時点で既に空気は変わっていたのだ。その変化をレオーネ自らが分かりやすく強めただけに過ぎない。金星における裏社会の覇権を争う男は老いてなお健在であり、その存在感だけで殺気立つ男達を押え付けて見せたのだ。
空気の重さが変わったような錯覚に、直接の関係がないヴィンセントでさえ吞まれかけた。目の前に居るのは人の生き血を啜り、悪魔の世界を歩み続ける豪傑。背の低いはずの老人の姿はやけに大きく見え、むしろ見下ろされているような圧迫感をヴィンセントに与えていた。
「二度は言わんぞ」
縦縞野郎に向けてレオーネは言う。
「貴様もだ、小僧」
しぶしぶ従った縦縞野郎の銃口が完全に逸れるのを待ってから、ヴィンセントも拳銃をホルスターに戻すと、成り行きを見守るべくそろりと壁際までさがった。
開けた二人の間をレオーネは割り、柔和な笑みとともにマルコを抱擁すると、譲られた椅子に腰を下ろす。葉巻をくゆらせる様は正に悪の親玉といった雰囲気。充分に悪党であるマルコでさえ、彼の前では霞んで見え、心なしか青ざめてさえいた。
「どうかしたのか、マルコ」
「いえ、何でもありません。それよりも首領、何故こちらへ……?」
「不思議なことを訊く、可愛い息子に会いに決まっているだろう。突然のことで驚いたか」
「連絡いただければお迎えに上がりましたのに……」
「気にすることはない。どうにも立て込んでいるようだしな。して、何が問題だ」
「よくある業務上のトラブルってやつです。心配には及びません、始末はこちらで付けます」
「まあ、そう焦るな。鉄砲玉の話は早々聞けるものではない」
背もたれに身体を沈めるレオーネは、ふてぶてしく壁に寄り掛かっているヴィンセントを値踏みをするように眺めていた。
「ふむ、お前が『トラブル』か。元凶の男がこの場にいるとは不思議なこともあるものだ、それにあの態度……詫びを入れに来たようにも見えんが」
「首領の耳に入れるほどのコトではありません」
「些細な傷も膿めば笑えなくなる。落とし前は付けねばな――……小僧、どう思う」
不意に水を向けられたヴィンセントは緊張に喉を鳴らす、返事をするにはまず渇いた喉を潤す必要があった。言葉は慎重に選んだ方が良さそうだ。
「あんた達の流儀は知らねえけど、それが……筋だってンならそうでしょうね」
憮然と答えればレオーネの腫れぼったい瞼が細められる。マズっただろうか、蛇に睨まれた蛙の心境の中で、ヴィンセントの指先がぴくりと震えた。
「なるほどなるほど、多少は心得ているようだな小僧。血には血の報復を、裏切りには相応の代償を払わせる、次があるなどと甘い幻想を抱けるだけでも幸福だと思えるほど完膚なきまでに叩き潰す、それが儂の流儀だ」
「首領――」と呼びかけるマルコだが、レオーネは目を向けることなく続ける。
「『なぜここに来たのか?』とは笑わせるじゃないか、マルコよ」
変わったことなどなかった。レオーネの口調は柔らかく、孫に語りかける祖父の優しさを孕んでいたが、ヴィンセントの背筋に奔ったのはゾクリとくる寒気で、それはマルコも同じだったはずだ。次の瞬間、マルコと縦縞野郎は慌ただしく部屋に入ってきた黒服の男達に取り押さえられた。
「首領! これはいったい……ッ」
332967「とぼけるな、マルコよ。時間の無駄だ、理由は貴様が一番よく理解しているだろう、そして儂はすべて知っている、全てだ(・・・)。これ以上時間を無駄にするつもりはない」
そしてレオーネが向ける眼差しは……そう、墓標を眺める眼付きだった。
「――貴様だろうがよ、よもや儂を殺そうと企むなど、気付いていないとでも思ったか」
「俺には何のことだか……これは何かの間違いでは……!」
「儂の言葉を疑うか。否、違うだろう? 貴様はこう問いたいのだ、『何故、まだ生きているのか』とな。予定通りならば今頃派手な花火が上がっている頃合いか」
マルコの僅かな動揺をレオーネは捉えた。
「全て知っていると言ったろう。手柄を謳う爆弾魔など雇うべきではなかったな、ドームを超えて噂が立つ。奴は全て吐いたぞ」
もう取り繕うこともしない。途端に暴れ始めるマルコだったが、彼を捉えた黒服は僅かも束縛を緩めず、レオーネは喧しい怒声に関心一つ示さない。「連れて行け」と、彼はそれだけ命じた。
輪廻は巡りついに彼の番が来たのだ、鳴こうが喚こうがマルコの言葉に耳を貸す者など何処にもいない。有無を言わさぬ数の力で引き摺られていく様を、ヴィンセントは黙って見送っていた。地獄へと続く道を、暴言と嘆願が混ざった叫び声を上げるマルコと対照的に、大人しい縦縞野郎の二人が歩かされていき、彼等の声は閉じられたドアによって遮られた。




