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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
1st Verse BAD DAY
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BAD DAY 4

 しかしどうしたものか。ヴィンセントは当て所なく暫く歩き、振り返った。非があるわけではないのだが、今際の際に手渡されたペンダントに難色を示さない刑事はいない、人目が気になり、押し込んだポケットから取り出すのも躊躇われた。


 ――ちゃりんと、鎖が伸び、その先では純銀製のペンダントが振り子のように揺れている。


 日光煌めくシルバーに刻まれたレリーフは見事の一言に尽きる。模造品にしては凝らされた意匠、素人目にも上等な細工と分かる繊細かつ上品な仕上げ。便利屋稼業ではまず手に出来ない一級品であることは間違いない。造りを見る限り蓋が開くようだが、どこを押し込んでも開かなかった。壊れているのだろうか。


 まあ、それを抜きにしても値打ち物なのは絶対だ、血に汚れてさえいなければ。


「ほんとだよ、なにが『すまない』だ」


 空腹に腹を鳴らしてヴィンセントはぼやき、ペンダントを上着のポケットにねじ込んだ。


『届けてほしい』と今際の願い、割に合わないただ働き。とはいえ無下にするのも気がひける。何かのついでに叶えるのならやぶさかではないのだが、肝心の届け先が不明なのだ。金星、地球、火星、それから宇宙に建設された多数のコロニー。そこに暮らすヒトはそれこそ星の数だ。相手はどこかに暮らす妻かもしれないし、この街の娼婦かもしれないし、あるいは某国の大統領だったりするかもしれない。闇雲に探すのは砂漠に落としたダイヤを探すのに等しく、範囲が限定されているだけそちらの方がまだ希望が持てる。


 ツイていない時はとことんまで運に見放されるものだ。全てが裏目裏目に出る。分かれ道を選択すれば選んだ先に落とし穴があり、ならば徒立ち止まっていると誰かにケツを蹴り上げられ、今度こそはと違う道を選んでも何故だかそこにも落とし穴があり、運命という理不尽に弄ばれるのだ。どうするのが正解なのか。或いは耐えろと? ただ流れが変わるまで?それとも足掻いてみせるべきか、どうするのが賢いのだろう。


 ……駄目だ、空腹ではまとまる考えもまとまらない。


 行きつけの露店に立ち寄って、ホットドッグの入った紙袋をぶら下げながらヴィンセントは再び街をぶらつき始めた。どうせなら涼しい場所で昼食にしたいが、ここまで日射しに炙られ続けていると冷房の効いた屋内へ入ることは敗北に思えてしまう。


 額の汗を拭い、紙袋をぶら下げたヴィンセントは公園へと足を向けた。熱いのは誰も同じ、汗を拭うくらい誰だってする行為だがしかし、すれ違う人々が眉を顰めてこっちを見ているのはどういうわけだ。股ぐらの窓はきちんと閉まっているし、くたびれたジャケットだって皺を伸ばせば綺麗なものだ。別段注目を集めるような容姿でもなし、不審がられる理由が分からない。


 それもそのはず、通行人が眉を顰めているのはヴィンセントに対してではなかった。向けられている視線は彼を掠めるように、その背後へと向けられている。


 気になるヴィンセントは横にあるショウウィンドウをちらりと見遣った。当然そこには不思議そうな自分の姿が映り、その背後には……何と言えばいいのか。分かりやすく伝えるにはシーツを被ったお化けとでも表わすのが適当だろう。腰の高さほどのそのシーツお化けは確かにヴィンセントの後ろをついてきていた。


 夜中に突然現れれば悲鳴の一つもあげたろうが、日中の繁華街でお化けにあっても鳥肌など立つはずもない。「何か用か?」と尋ねるのもありかもしれないが、たまたま進行方向が同じだけかもしれないので、ヴィンセントは歩幅を気持ち広げて様子を見た。

 角を曲がり、路上駐車されている車のサイドミラーで後方を確認。まだお化けは後ろにいて距離も変わらない。小走りになりながらもお化けは影のようにぴったりと張り付いていた。お人好しの看板をぶら下げていても気が乗らないことだってある。第一、今日は既に面倒事に首を突っ込んだ後だ。ダブルアップは願い下げで、結果として彼が選んだのは見えないフリである。


 公園の石畳には木漏れ日が射し、ヴィンセントは噴水を囲んでいるベンチの一つに腰を下ろした。涼しげな水音、眩しいほどの水飛沫を眺めながら遅れた昼食とは洒落ているじゃないか。あとは目の前のお化けさえ消えれば最高なのだが、音も無くついてきたこのお化けはヴィンセントの正面で立ち止まると、彼の願望虚しくその動きを止めていた。


 黙ったままのお化けは不気味で、水飛沫だけが救いだった。フードを目深に被り、更に顔を伏せているため表情どころか鼻先さえ拝めない。だがヴィンセントは目の前のお化けを気にもかけずガサゴソと紙袋を漁る。構う気もないし、退くつもりもない。それが分かればお化けもどこかに失せるだろう。熱々のホットドッグがその姿を現し、封じられていた芳ばしい胡椒の香りがそよ風に運ばれて、再び鼻をくすぐった。


 グゥゥゥ~、と鳴る腹。


 それこそお腹と背中がくっつくほどに腹ペコだが、胃袋の訴えが余所から聞こえてくるとは不思議なものだ。間の抜けた音に眉根を寄せてヴィンセントは顔を上げてお化けを見た。


 なにやらモゾモゾと動いたらしく、マントの前部が揺らいでいる。いま彼がほしいのは満腹感だけだ、これでも贅沢だろうか。だが、本日の運勢はその些細な望みさえも弄ぶつもりらしい。乗せられるヴィンセントもヴィンセントだが。


「……座れよ」


 観念したように深い溜息をつき、ヴィンセントはベンチのど真ん中から脇に避ける。が、わざわざ場所まで空けたのにお化けは突っ立ったままだ。躊躇しているのかどうか知らないが、表情を隠したままで――それもひたすらに無言のままに――目の前に居られるのは気味が悪く、彼はもう一度座るように勧める。


 肩をビクリと震わせはしたものの逃げはせず、おぞおぞと横に座ったお化けに、ヴィンセントはホットドッグを差し出した。


 図々しく腹を鳴らしておいて今更遠慮もないだろうに。動かないお化けにホットドッグを押しつけて、彼は紙袋の中からもう一つホットドッグを取りだした。まさか空腹を満たすために二つ買っておいたのが、こんな形で功を奏することになるとは。


 戸惑っていたお化けも香り立つ職の誘惑には抗えなかったようで、一口食べてからは爽快なほどにがっついていた。体裁など投げ捨てて貪るのもいいものだ。溢れ出る肉汁がパンに染み込み絶妙なしっとり感でソーセージを包み、弾ける皮がこれまた絶品なのだ、最高の調味料とともに味わえば安い我慢などどこかに消え去る。


 ふと、ヴィンセントはお化けの手元を眺め、片眉を吊り上げた。


 灰色の毛で覆われた小さな手、ホットドッグが吸い込まれていくフードの上にはテントが二つ張っていて、ピコピコ動いているではないか。


 ヴィンセントの手がフードを掴み、絵画の覆い布を下ろす柔らかな手つきで、お化けの正体を露わにする。


 ……やはり、か。そんな気はしていた。ヴィンセントが得たのは驚愕ではなく予想通りの事実、フードの下から現れたのはベッタリとした毛並み、お化けの正体は獣人の子供だった。 子供の性別は見た目では判断しにくい。ほっそりとしてあどけない顔立ちに尖った耳、純朴な目元は父性に似たものを掻き立てられる。女の子なら成長が楽しみなこの子は狐の獣人だろうか。薄汚れた灰色の毛皮、犬っぽいところまでは確信が持てるが細かな種族までは分からない、多分狐だろう。まぁどうでもいい。


 とにかくこの少女、或いは少年は、食べるのに夢中でフードを下ろされたことに気付いていなかったらしく、最後の一口を呑込んだところで慌てて顔を隠した。


「おいおいおい、タダ飯喰っといてそりゃないだろ」


 剽げた仕草でそう言うと、ヴィンセントもようやく一口目をかじろうとする。が……


 ――ぐぅぅぅ~。


 大口を開けたままヴィンセントは固まり、音源へと視線を落とすと、狐っ子は両手でお腹を隠して丸くなっていた。恥ずかしいのだろう。最初にモゾモゾもしていたのもそれか。


 ヴィンセントは湯気が立つほど真剣な表情でホットドッグを睨み付ける。呼吸するだけで口内が潤い、零れそうになる涎を飲み込んだ。そして嘆息、持ってけ泥棒である。


「ほら、これも喰えよ」


 ホットドッグがもう一つ横へと流れ、狐っ子の手に押しつけられた。明らかに困惑した表情で見上げられても、一々怯えられてちゃ話も出来ない。


「なにもしやしねぇよ、それ喰ったらどっか行ってくれ」


 飲み物だけ持っていても虚しいだけなのでドリンクも押しつけ、ヴィンセントは煙草に火を灯してぼんやりと空を眺め、空腹を紫煙で紛らわすことにした。


『今日は素晴らしい日になるでしょう』とのたまったアナウンサーにお礼の一言を言わなきゃ気が済まない、これが幸運だとしたら不運な一日は一体どうなる? 彼が一服終える前に狐っ子は食べ終えていたが、まだ狐っ子はそこに居る。何を言うわけでもなく、ただ地面を見つめながら。


 流れ落ちる噴水が水面を叩き、ぬるい風が肌を撫でる。木々がさわりとざわめくが涼しさはほとんど感じない。石垣に伸びる影は遠く、日光は変わらず二人を炙る。

 足元に落とした煙草を踏み消すとヴィンセントは新しい煙草を取り出した。


「……はぁ、名前は?」


 ジッポで火を灯しながらヴィンセントは訊いた、何故だか驚かれたが。

 狐っ子は何か言おうとしたようだったが、口を開いても言葉は出てこず、表情を曇らせて顔を伏せた。言いたくなければそれでもいい。仕方なくヴィンセントが話す。


「暗くなる前に帰んな、子供に優しい奴が多いとは言えないぜ、この辺は」


 だがしかし、狐っ子からは沈黙が返るだけ。

 狐っ子の蒼い眼が恐る恐る見上げていた。並んで座っているのに一切会話が始まらないのは居心地が悪く、更に人間とボロマントを纏った獣人の子供という組み合わせはあらぬ誤解を招きそうだ。


「うまかったか、ホットドッグ。このドームじゃ一番だ」


 こくり、と頷く狐っ子。「そいつはよかった」とヴィンセントは答え、光りに抗うように目を細める。眩しかった、狐っ子の眼差しが。


 吸い込まれそうな碧眼だった、汚れを知らない幼い瞳は澄みきった空に似ていて、とても眩しく、直視するには輝きすぎている。雲の上から眺める真夏の蒼穹、金星の空を覆う天蓋に映された偽物の空ではなく、自然の、そう生きた空の、そんな輝き。


 純朴な視線に耐えきれず噴水に目を逃がすヴィンセントの横で、狐っ子は恭しく頭を下げた。お礼のつもりだとしたらみすぼらしい身なりの割に、しっかりとした子供じゃないか。


「俺はヴィンセントだ、お嬢ちゃん……で合ってっか?」


 どうも正解だったようでつぶらな瞳が瞬いた。となればこの顔つき、将来が楽しみである。口元を緩ませながらヴィンセントは続ける。


「まだ腹減ってるか?」


 少女が首を縦に振ると、今度は三角の耳がゆらり震えた。反応こそするが少女は頑なに言葉を発さない、礼節を弁えているのに一言も喋らないのは妙だ。ヴィンセントは一瞬訝しむ、もしかして――


「お前、喋れないのか……」

「…………」


 その沈黙は、重く、重く――。ヴィンセントは紫煙を深く肺に行き渡らせ、長く吐いた。このクソ暑い中、天然の毛皮の上からマントにフード姿だ、それにどう見ても汚れた毛並みは、少女がどこから来たか想像するに充分だった。


 珍しくない、獣人の捨て子など。それこそ道端に捨てられる空き缶のようなもので、大多数の人間にとっては関心を引く事柄でもないが、直面すればそれなりにキツい。


 最初の獣人は人間の両親の間に生まれたらしい。そして、それは歳月が経った今でも変わらず、人間の両親は毛むくじゃらの我が子を捨てることさえある、自分の血を引いた愛しき我が子が獣の姿であるはずがない――と。


 少女から目を逸らし飛沫煌めく噴水にヴィンセントは幾度目かの視線を向けた。何か気の利いた一言でも考えていたのかもしれない、波瀾万丈が待ち受ける少女の未来を予想しつつ。だがそんな彼の思考は、視界の端に入った人影のおかげで中断される。

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