BAD DAY 2
本日モ晴天ナリ。
ヴィンセントは照りつける日光の眩しさに目を細め、額の汗を拭う。
ドーム都市の天蓋を抜けて降り注ぐ日光は、明るさに強い目でもキツかった。地球よりも太陽に近い所為か、金星から見上げる太陽は大きいような、暑いような、眩しいような。
遙か遠くには初期型のドーム都市に見られる特徴、天蓋の支え画となる巨大な柱――セントラルタワーが聳え立っている。天辺が霞むほどの高さを有するこのタワーを柱として、キノコの傘に似た天蓋が金星上に建築されたと自然体を覆っているのだ。規模は大きいが、要するに箱庭である。
金星入植の際、実験的に建てられたこのゼロ・ドームは初の金星として押して有名ではあるものの、公的機関などが新建造されたドームに移設されてからは、ゼロ・ドームに残されたのは過去の栄光のみである。実際余所に移っていくヒトは増える一方で、一般市民の代わりにやってくるのは犯罪者など後ろ暗い者ばかり。ヴィンセント達がこのドームを拠点としているのもそれが理由だ。便利屋の仕事がない時は賞金首を捕えることで食いつないでいた。
蒸し暑いルーベン・ストリートを汗だくで歩きながら、わざわざ徒歩で来たことを後悔していた。依頼の成功を情報屋へ伝えるために出かけたはいいが、この日射しを受けていると車を使った方が良かったと思えてしまう。雑多なビルが建ち並ぶ通りは風が凪ぎ、吐き出す紫煙はすらりと昇る。
番組曰く、歩くことで運気が上がるそうで、ならばと試した結果がこの有り様だ。大人しく車を使っていれば今頃は宇宙船に戻って、涼しいリビングで昼食にありついていただろう。
襟元伸ばして風を送っても焼け石に水。どんなものでも熱が上がりすぎるのはよくないのである、ダレた思考はまるで溶けたゴムのように伸びきっている。
しかし、そんなヴィンセントの思考を否応なく引き締めたのはどこかから聞こえた銃声だった。道行く人々が浮かべる恐怖と狼狽。驚いたのはヴィンセントも同じだったが、彼の場合は怯えよりも警戒が先に立つ。
止せばいいのに集まる野次馬を横目にヴィンセントは歩き続ける。自分の命が狙われているでなし、関わる必要がどこにある。褒められたことではないが、悪党の集まるところには犯罪が集まり、犯罪が集めるところには武器が集まる。銃声の一つや二つ珍しくもなんともない。毎日どこかで誰かが殺されている、おそらくヒト死にが起こらない日はないだろう。
とにかく彼は先へと歩く。船では食事と仕事が待っているのだから、寄り道などしている暇はないのだが……、やはり気になる。ヴィンセントは後ろ髪を引かれ足を止めていた。
頭をもたげた彼の悪癖、気になってしまったら解決するか忘れるかしないと夜も眠れない。煙草を踏み消し路地へとって返すと野次馬を掻き分ける。入り口に溜まられたら邪魔なだけだ、逃げるなり警察を呼ぶなりすればいいだろうに。
ヴィンセントの背に明らかな温度差を感じたのか、野次馬達から「やめておけよ」と声が上がる。が、むしろそう言われると進みたくなるのは何故だろう。
危惧の視線に振り返るヴィンセントが、片眉吊り上げて自信のほどを醸し出ているその間にも複数の銃声が響く。車一台が通れる程度の路地はまだ陽も高いのに薄汚れた灰色の世界に落ちていて、ビルの隙間に伸びる路地には押しつぶすような威圧感があった。
この先に進むには丸腰では心許ない。だがこういう時にこそ腰に下げた得物が働くときだ。
右脇の下と、右腰背側のホルスターから二挺揃いの拳銃を抜く。機能的且つ、滑らかなデザイン。光りを吸い込むマットブラックの遊底。安全装置を下ろして数度握りを確かめた。
はてさて白昼堂々馬鹿騒ぎをしているのは連中は何処にいる?
入り組んだ路地に反響する銃声を頼りに彼は進む。銃声はまだ遠いが気は抜けない、鉄火場に足を踏み入れたのならばどこからでも撃たれる。角まで走っては壁に張り付き、安全を確認してから次の角へ。入り組んだ路地は正に迷路で、ストップ・アンド・ゴーを繰り返しながら都市の迷路を駆ける。帰り道のことを考えるとパン屑を捲いた方がいいかもしれない。
耳をそばだてていたヴィンセントは見咎めた。地面にはきらり、薬莢が落ちている。ハッキリと近づいた銃声は――、二種類か。歩調を変え音を殺して奔った。
忍び足に移行すると壁際により、ヴィンセントは角を睨む。聞こえるのは微かな話し声、あの先に誰かいる。銃声はとうに止んでいた。
「そちらは既に始末が付いている、私には関係のないことだ。質問に答えて貰おう」
「……断る。貴様らになど断じて渡してなるものか」
誰かが撃たれようとしている、それは明らかだ。生殺与奪を握っているのは一人のようだ。これならやれる。仕掛けるタイミングをヴィンセントは窺った。
「そうか、ならば仕方がないか。……残念だよ」
銃爪を引く瞬間は注意が逸れる、正にその瞬間を狙ってヴィンセントは仕掛けた。不意を打つには絶好。一気に飛び込み拳銃二挺の乱れ打ちを浴びせようとしていたヴィンセントだが、眼前のコンクリートが弾け飛べば身を退くしかなかった。
悪態をつきながら体勢を立て直すと、角の先で銃声がなる。二種目の銃声、そして悲鳴。
「グぬぅ! ……ッ、貴様ァッ……!」
重なる炸裂の二重奏。奏でられたのは死を運ぶ即興。そこに角から躍り出たヴィンセントの二挺拳銃も加わる。逃がすものかと、コートを翻した後ろ姿に向けて二発放った。止めるために足を狙って撃ったが手応えなく、走り去るコートの男は角へと消える。
「逃がすかよッ!」
追跡するヴィンセントの目の前を弾丸が掠める、またも数発の至近弾が彼を足止めした。
「あっぶねえッ、ン野郎……」
殺すだけなら容易いというのに、殺さず捕まえるのはこれだから骨が折れる。二度も機先を制せられ行動を見透かされているようだった。いいように遊ばれている気分になれば頭に血が上るものだが、ヴィンセントはまだ冷静だ。
銃身は熱く、思考は冷たく。生き残るために必要なことだ。とはいえやられっぱなしは気に入らない。一呼吸置いてから素早く角を曲がると細い路地に照準を巡らせた。が、あるのは壊れたバンが一台だけで、身を隠せる場所は他にない。気配を探るがどうにも妙だ、警戒しながら裏を確認するとそこには誰もいなかった。
「……逃げやがったか。あいつ撃たれたんじゃなかったか?」
困惑しながら路地を見るとヴィンセントは銃をしまった。普段ならば追跡しただろうが今の彼には気になることがある。チンピラ同士が撃ち合ってくたばる分には一向に構わないが、どうも様子が違うようで、〈意志〉というか……そういった物を感じた。
見殺しにするのも気がひける。来た道をヴィンセントは戻るが、角を曲がった彼を迎えたのは地面にへたり込んだ男の向けた銃口だった。
「待て待て待て! 撃つなって、俺は味方だ!」
「……味方、だと?」息も絶え絶えに男は答える。「我々に味方などいるものか、ましてや人間の味方など」
男の言葉が引っ掛かりヴィンセントは慎重に顔を出す。一目で充分、全身が毛皮に覆われたその姿、人の姿を獣。男は獣人だった。どこかで見たことのある眼付きをしていたがこの獣人とは初めて会う。しかし彼が死にかけていることは一目瞭然だった。
「何者だ貴様」
「通りすがりの便利屋だ。それよりおっさん、そのままだと死んじまうぜ」
獣人に嫌われるのには慣れていた。それに身近な獣人に比べれば、いきなり殴りかかってこないだけまだマシである。話している間にも男の腹に空いた風穴からは止めどなく血が流れ出していた。せめて止血をしておかなければ救急車がくる前にお迎えが来る。
「銃を下げてくれ。あんたを助けたいだけだ」
「……両手を、見える位置に出せ。下手な真似をしてみろ、命はないものと思え」
ヴィンセントは空の両手を挙げた。男は頷いたのか、それとも項垂れたのか。傾いだ首を了解と捉えてヴィンセントは角から身を晒した。とりあえず撃たれはしなかったが、彼の動きはゆっくりとしたもの、誤解されてズドンじゃ洒落にならない。
一見しただけでも分かる酷い怪我だ。膝を着きよく見れば上半身に四つの銃創。斑模様の毛皮には紅く染まったシャツがベッタリと張り付いていた。すぐにでも病院に運ばなければ危険だ。すると、当惑の眼差しで男が問う。何故助けるのかと。
「目の前で死なれちゃ寝覚めが悪いってだけだ、人間でも獣人でもな」
獣人を助ければ怒鳴られるか困惑されるのが常。よくある問いなのでヴィンセントは当たり前のように答えながら、男を仰向けに寝かせて傷口を押さえた。腕と肩の銃創はいいとして問題は胴体の二カ所だ。位置的に内臓に当たっているかもしれない。
「おいおっさん、目ぇ開けろ。すぐに救急車呼んでやるから」
血みどろの手でケータイ取り出そうとするヴィンセントの腕を獣人が掴んだ。死にかけのヒトが出せる力とは思えないが、ヴィンセントはポケットに手を伸ばすことさえ出来ない。
「医者に診せなきゃ死んじまうぞ。あんただって人間に看取られるなんて御免だろ」
「……便利屋だと言ったな、お前は」
「あぁ、喋るな、マジで死んじまうぞ」
「この出血だ、どのみち助からん」そして光りの失せかけた眼で、だがしっかりとヴィンセントを見据える。「便利屋ならば仲介者がいるな……誰だ? どこから依頼を受けている」
ヴィンセントは答え倦ねた。確かに依頼の窓口となっている仲介者――、情報屋が居るが、情報屋は大っぴらにする職業ではない。他人が隠したがる情報を探り、それを他の誰かに売りつけることだってあるのだ。秘密を暴くことを生業としていれば当然恨みを買うし敵も多い。ならばと逡巡して、ヴィンセントは伏せて答える。
「〈四つ目のジョニー〉から」
「……〈四つ目〉……彼女か」
女と知っているのなら彼女とは何かしら関わりがあったのだろう。男は小さく笑ったろうか、咳き込むと今度は大量の血をごぼりと吐き出した。
「ここまでのようだ……人間……名は何という」
「ヴィンセント。ヴィンセント・オドネル」
「聞いた名だ」男は見極めるように目を細める。「噂の男か、腕利きと聞いている。人間の中では信頼出来る男だともな……貴様に頼みたいことがある」
「買いかぶりすぎだ。どんな噂か知らないがロハで仕事受けるほどお人好しじゃないんでね」
言ってヴィンセントは顔を上げた。彼が辿ってきた道筋から複数の足音が近づいてくる。敵か味方か? 銃を抜きたいが右手は男に掴まれていて自由が利かない。余所見をしている内に彼の右手は寄り強く握られた。
「これを……届けてもらいたい」
「ンな悠長なこと言ってる場合か、お客さんだぜ」仕方なく左手で銃を抜き角へと向ける。
「後生だ……頼まれてくれ、どうか」
更に迫る足音。高まる緊張感の中で男の声は次第に弱くなっていく。
「このペンダントには、私の……、我々の未来がかかっているのだ……。どうか……たのむ…………とどけて、くれ……それから――」
「だったらなおの事、自分でやれ。獣人の未来を人間に託してどうすんだ」
ヴィンセントは角を睨み銃口を向ける。人数は少なくとも五人は居るだろう、動けない状態では危険な数だ。しかし、とんできた呼び声は――。
「警察だ! 武器を捨てて投降しろ!」
――のんびりした連中だ。嘆息したが安堵もした。
「こっちだ、一人撃たれてる! 助かったぞおっさん。おい、おっさ――……、くそ……」
男の手は血溜りに没し、放されたヴィンセントの右手にはペンダントが握らされていた。彼を見上げる男の目は二度と光を点すことは無い。ヴィンセントは数瞬だけ黙祷を捧げ男の瞼を閉じて遣った。
「最後の警告だ、武器を捨てろ!」
託されたペンダントを上着にしまってから、拳銃二挺を角に向かって投げる。
その後は怒濤のようだった。両手を挙げたヴィンセントは有無を言わさぬ警官達に丸め込まれて、パトカーに押し込められたのである。




