The Pretender 3 ★
くっそ暑い中歩き続け、ヴィンセントはようやくルイーズの事務所まで辿り着いた。
自業自得でとんだ道草を食ったものだが、悪いことに仕事を受けたら帰りがあり、移動手段のありがたみを痛感するばかりだった。
ルイーズの事務所はくたびれた四階建て雑居ビルの二階にあり、階段を上がってインターホンを鳴らすと艶っぽい女性の声が応答した。
『ハァイ、どちら様かしらァ?』
「俺だ、ルイーズ。開けてくれ」
『どうぞ、開いているわよ』
応接用のソファと低いテーブル、その奥にある綺麗に整頓されたデスクには女性が一人。
微笑を浮かべる豹の獣人女性。彼女の全身を覆うは美しき濃紺の毛並み。短く切揃えた金髪を指先で弄ぶルイーズは、同じく黄金の瞳を艶美に細めてヴィンセントを迎えた。動作の一つまでも艶めかしく、タイトなスカートスーツがよく似合っていて、細くしなやかなボディラインを余すことなく生かしている。凛々しく、気を抜くと見とれてしまう。
妖艶――、この言葉が端的に彼女を評している。
そんなルイーズは、ヴィンセントが自室のようにソファに座るなり、ツンと尖った鼻先から呆れたような溜息を漏らす。
「貴方、何故ここに来ているのかしらァ?」
「いや、お前が呼んだんだろ。さっさと始めようぜ、どっからの依頼なんだ?」
「ハァ~……」
呼び出した本人に何故来たかと問われ、答えてやったら溜息が深い。
例えその嘆息が魅力的でも些か理不尽だ。
「その様子だと気付いてないみたいネェ……」
「だからなんだよ、さっきから溜息ばっかつきやがって」
「……ケータイ。確認してご覧なさい」
「ケータイ? ケータイがどうし――……、あっ……」
「何度も掛けたのに全然出ないんだもの、貴方。どこで何をしていたの?」
じんわりと映し出されたケータイの画面にヴィンセントは固まったが、着信履歴とメールの受信表示で、大体、察した。時間はちょうど電車の中で文明の力たる冷房のありがたさを感じていたくらい。思い返してみれば震えていたような気もしたが、後の祭りだった。
頬杖を付くたルイーズが、その絵画のように細い指先でこめかみの辺りをトントンと叩く。
ヴィンセントが指示に従うと、機械音声が日時を読み上げてから、ルイーズの色っぽい声が流れ始める。
『もしもしヴィンス? 急で悪いのだけれど、先の依頼とは別に飛び込みで一件お願い出来るかしら。内容はコロニーへの物資輸送。詳細はダンに回しておくから確認して頂戴。特急料金で請求しておくから頑張ってきて? よろしくお願いするわネェ』
――メッセージは以上です。
気まずい沈黙の中、ルイーズが静かにデスクから離れ、隅にある冷蔵庫へと歩いて行く。そしてソファへとやってくる彼女のヒールの硬い足音は小言のように聞こえた。
貴方は何故ここにいるのかしら?
そんな小言を聞きながらヴィンセントは時計に目をやる。電話があったのは一時間前だから今から船に戻って間に合うかどうか。どうするべきか考えていると、持ったままのケータイが突然震えだした。
「おうッと⁉ ダンか、わりぃ電話気付かなかった」
『ああ、繋がって良かった』喰い気味に話し出しダンは早口に続ける。『さっき猫ちゃんから連絡があってな、飛び込みで一件、仕事が入った。お前さんの帰りを待ってる暇がないからもう出るぞ』
「待てよ、手ぇ足りるのか?」
『今どこにいるか知らんがあちらさんを待たせるわけにもいかん。しばらく油でも売っとけ、資材の輸送だけだから危険もなかろうよ。積み込みに関しても、向こうで用意が出来ているそうだから問題ない。――急ぐから切るぞ、それじゃあな』
有無を言わさず電話は切れた。
「今の、ダンからでしょう?」
可愛らしくも意地悪く――ルイーズはケータイ片手に呆けているヴィンセントに尋ねる。手にしたグラスを置きながら彼女はヴィンセントの向かいに腰を下ろした。
「アイスコーヒーでいいわよね? 彼、なんですって?」
「……手は足りてるから戻るまで油売ってろってさ」
こう言う時は切り替えが大事だ。
ダンには悪い気もするが、上の空で答えるヴィンセントは、すでに降って湧いた休暇をどう過ごすか考えに耽っていた。
「ふふ、便利屋にもお休みなんてあるのネェ」
「そりゃオフの日ぐらいあるさ。仕事がなきゃほとんどオフになっちまうけど」
「いいんじゃないかしら。ゆっくり羽を伸ばしなさいな」
そう微笑んでルイーズはコーヒーを勧める。ひんやり冷たいグラスには水滴が付いていて、胃に落ちるコーヒーとソファの柔らかさは心身共に落ち着かせてくれる。……はずなのだが、ヴィンセントの表情は浮かない。
「ゆっくりか……落ち着ける場所がな~……」
「少し歩けばいいホテルがあるわよ? 貴方に合うかは保証しないけれど」
「どうだろ? ドームのこっち側は人間に冷てえからな」
「気が休まらないのなら人間街に戻ればいいじゃないの。むこうにも宿は多いでしょう」
ホントを言うとどこのホテルでも同じで、ヴィンセントからは乾いた笑いが漏れていた。
「――? どうかしたの?」
「あれだ……先立つものがないのさ」
「つい先日稼いだばかりでしょう? 支払は昨日済んでいるはずだけれど」
「その金を持ってるかってなると話は別だろ? 中身、見るか?」
自虐的に頬を吊り上げると、ヴィンセントはぺらぺらに薄い財布を振った。
「これはこれは、哀愁漂ってるわネェ」
「笑うな、貧乏アタック喰らわすぞ」
財布向けるヴィンセントだが威圧感の欠片もなくて、ルイーズはクスクス笑うばかり。
「ゴメンなさい。フフッ、でもカードがあるでしょう?」
「ところがどっこい、今頃カードは宇宙の旅に出てンだな~」
ヴィンセントの財布の中身は片道分の電車賃すら足りていなかった、そうでもなければわざわざ人間街の駅で降りたりしない。気付いたのは改札まで行ってからで、帰りの電車賃に関しては、恥ずかしい話しルイーズから借りるつもりでいたのだから。
「どうして持ち歩いていないのよ」
「現金主義でね。ところでルイーズ、飛び込みの仕事ってどんな内容なんだ? 俺まだ聞いてねえんだけど」
「金星周辺コロニーへの物資輸送。遠くはないからダンが戻ってくるまで大体――」
「一週間くらいか」
「順調にいけばそれぐらいかしら。貴方の方が詳しいわね」
長すぎる、煙草すら買えないのに。
ホテルなんか論外も論外で、木賃宿にすら泊まれやしない。一週間空気でも食って生活しろというのか、とてもじゃないが現状の財布の中身で持つわけがなく、頭を抱えるヴィンセントを、ルイーズは楽しげに眺めていた。
「飛行機に泊まるのはどう?」
「今日は歩きで、機体も一緒にドームの外だよ。……つーか一週間もコクピットで寝泊まりしろってか」
「ふふっ、いいじゃない。貴方好きでしょう? 飛行機」
「飛ばすのが好きなんだ、コクピットも落ち着くけど住もうってほどじゃない」
「けれど、選り好みできる立場じゃないでしょう?」と、からかうルイーズは楽しげだ。
はてさて極貧の一週間を憂いてヴィンセント項垂れるのであった。この先生きのこるにはどうしたものか。路上での寝泊まりは問題外だから、とりあえずは宿がいる。迂闊に野宿なんてしようものなら、次の朝日は拝めないのは絶対だ。贅沢は言わない。安心して寝起きが出来るだけでも宿無しのヴィンセントには楽園に思える。だから彼は多くは望まない。ただタダがいいというだけだ。
静かに立ち上がったルイーズはデスクの方へと歩いて行く。変わらず硬いヒールの音は、だが先程とは違う不機嫌さだが、虫の居所は如何ほどか訊いてみる価値はある。
「なあルイーズ――」
にべもなし。尻尾を翻しルイーズは振り返った。
「ダメよ」
「早ぇよ! まだ何も言ってねえだろ」
「ダメよ。絶対にダメ。ここに泊めてくれと言うのでしょう」
ズバリ言い当てられ、ヴィンセントは片眉を吊り上げる。
「なんで?」
「決まっているでしょう、なぜならここが事務所だからよ。ここにあるのは私の商品なのよ? 貴方にはこの部屋が貸し宿にでも見えるのかしら」
「それは分かってるよ。勝手に覗きやしねーって、信用ねえな」
「分かっていないようね。見る見ないの問題じゃないの、私の信用問題。貴方ではなく。大金預けている金庫に知らない人間がいたら不快でしょう。金庫にピザ屋を招き入れる銀行を信用する人が何処にいるのよ」
もっともだ、ヴィンセントはそう思った。
ルイーズの仕事は情報の売買だけでなく、ヴィンセントのような便利屋への窓口にもなっていて、顧客は多岐にわたる。つまり他の便利屋や、あってはならない情報が眠っていたりするのである。そんな資料を管理している事務所に部外者を泊めるなど、築いてきた信頼をドブに沈めるようなものだ。
いかに懇意の情報屋とはいえそれとこれとは話が別。調子に乗った発言だったとヴィンセントは恥じ入る。
「そうだな。わるかった、余所を探すよ」
詫びるが返事はなく、デスクに寄り掛かったルイーズの尻尾はゆったりと揺れていた。
ルイーズにフラれたとなると、他に頼れる相手はいただろうか。連絡をつけるなら早くしなければ、野宿が確定してしまう。いつまでも事務所にいるわけにも行かないので、ヴィンセントは宿を探しに行こうと腰を上げた。と――
「……もう、仕方がないわネェ」
小さく呟くルイーズは悩ましい女王のように首を振る。宿のことで頭がいっぱいのヴィンセントには届かなかったが。
「ん? なんか言ったか?」
「事務所には泊めてあげられないけれど、私の家なら貸してあげるわよ」
そいつは心底ありがたいが、いきなり転がり込むのも気がひける。ルイーズが窓の外へ目を逸らすものだから、ヴィンセントは慎重に確認した。
「いいのか?」
「貴方に何かあったらダンに申し訳ないもの、アルバトロスはお得意様だしネェ。それに賞金まで掛ったら困るもの、強盗なんかしちゃダメよ?」
「アホか、やらねえよ。仮にやったとしても捕まるようなヘマはしねえ」
「……もう。ちゃんと伝えられなかった私にも責任があるから。どうするのヴィンス? 日射しの中でムニエルになりたいのなら止めはしないわ」
「そうだな、気持ちだけもらっとこうか」
「あらそう」
艶笑し、ルイーズはあっさり答えた。ヴィンセントには他に頼りがないことは彼女なら知っているだろうに、引き留めようとは一切しなかった。
「泊めてくれ、冗談だ」
「イヤよ、思い直したの。考えてみたら貴方こそ危険かも知れないし」
まるで襲われるかのような物言いで、ルイーズは尖った鼻先をそっぽへ向けた。
「ちょっ……、マジで悪かったって。このと~おり」
「そうね、どうしようかしら? どうするべきなのかしらネェ?」
「おれに部屋を貸してくれたらいいと思うよ」
蠱惑的な眼差しでヴィンセントを舐り、ルイーズは彼が次にどう踊るかを眺めていた。
「……ふざけてすいませんでした。どうか、泊めてください」
「アラ、意外と早く折れたわネェ。最初から素直にしていれば良かったのに」
するとルイーズは笑みを消し、真剣な顔つきで腰を上げる。
「さて、行きましょうか、ヴィンス」
「もう帰るのか? まだ昼過ぎだぜ」
「何を言ってるの、情報収集に決まっているでしょう。ホラ立って」
後ろを通りしな首筋を撫でられて、ヴィンセントはひゅんと首をすぼめる。
「い、行くってどこに」
「だから仕事によ。まさかとは思うけれどヴィンス、働きもせずに宿が得られるとは考えていないでしょうネェ」
「金とんのか⁉」
「当然じゃない、一週間分の部屋代よ? 一文無しなら働いてもらうしかないじゃない。どうしてもと言うのならツケてあげてもいいけれど――」
高く付きそうだ。
タダ程安く、そして高く付くものはない。
しかしここでケチると後が怖い。しばらくの間、割に合わない仕事を回されるか割り増しで情報料を跳ねられるか、そんなところ。ヴィンセントには選択肢はなく、彼女の要求を吞むしかなかった。
「わかったよ、何させる気だ」
「期間中、私の助手として働いてもらうわ。 どう? 意見があるなら聞くけれど」
「助手? 助手ねぇ……」
「便利屋なら情報収集くらい出来るでしょう? 不満ならいいのよ、野宿しなさいな」
「分かった分かった。OK、降参だ。やりゃあいいんだろ、あんたがボスだ」
「いいのよ? 気が進まないのなら」
ルイーズは明らかに楽しんでいる。
「んぐっ……働かせてください」
「それから?」
「お願いします」
「なにかにつけて巫山戯るのやめさないよ。さぁ行きましょうか、ヴィンス」
ルイーズに続いて廊下に出て、彼女が戸締まりを終えたのを確認してからヴィンセントは先に階段を降り始める。語り口軽く、彼は後ろへと話しかけた。失った何かを取り戻そうとしているかのように。
「ルイーズ、ついでに呼び方も変えてやろうか? なにがいい? ボス? 姉御? 女王様か? それとも意表を突いてお嬢様とでも呼んでやろうか」
「そうネェ、……それじゃあ女王様と呼んでもらおうかしら。どう、跪いてみる?」
そう来ると思わなかったヴィンセントは思わず失笑してしまう。
「ハッ、ふざけろよ」
「だから笑っていないでしょう? 言い出したのは貴方でしょうに」
狭い階段にヴィンセントの呆れた声が響く。災いを呼んだ軽口を呪うのか、それとも冠を被りたがったルイーズに対してか。
「はいはい、女王陛下万歳(ゴッド セイヴ ザ クイーン)ってな」
陽が落ちるまでは時間がある、宿賃分は働かなければ。