PULL THE CRTAIN 8 ★
誰かに止めて欲しかった。こんな事になる前に、もっとはやくに。本当は自分でそうするべきだと判ってはいたけれど、怖くてとても出来なかった。
優しい冗談なんて聞いたのはいつ以来だろう。他人と触れ合ったことも、純粋に笑えたことも遠い過去の記憶にしかなかった。もうすこし早くに出会っていれば何かが変わっていたのかも、そんな淡い思い。また少し怖くなった、死ぬことがではなく、独りぼっちになることが。触れようと手を伸ばすが触れられず、遠ざけてしまったものがある。そう思ったら涙が零れてきた。止まらない、大粒の涙が頬を濡らす。
すると、彼女の手に何かが触れた。
その感触は、そ……、と優しく温かい。懐かしくて愛おしい感覚、手だけでなく心まで温められていくようだった。
――きっとこの温かさを探していたんだ。守るために、与えるために、そして生きる意味を知るために。最後になってようやく手に入れた誰かと繋がる温もりを。
霞んだ視界は白に染まり、世界が光りで溢れていく。
そこには誰かが立っていた。白髪が揺れている後ろ姿は別れの時に見たままで、最後に会ったのは何時だったろうか、もうずっと昔な気がした。
はじめはそう、この子のためだったのに。狭い部屋から踏み出して、小さな両足で大地を歩かせてあげたかった。陽の当たる場所でいつの日かまた逢うと誓ったのに、どうして忘れてしまったのだろう。
差し出される幼い手、少女は眩しいばかりの笑みをノーラに向けている。
「おねーちゃん、あそぼ?」
かわいい妹をノーラは優しく撫でてあげた、幼き頃の小さな掌で。
懐かしく愛おしい、この笑顔が一番の宝物。
「ごめんね、カーラ……。おねえちゃん、じぶんの事に必死になって一番大切なことわすれちゃってた。なにもしてあげられなかったね。また一緒にあそうぼうって約束したのに……」
「おねーちゃん?」
自責に沈むノーラを見上げる澄んだ瞳。「泣かないで?」とカーラは無垢に笑っていた。
輝くような笑みだった。全てが光りに包まれていく、もう何も感じない。右手に伝う体温さえも徐々に薄れ、やがてきえていった。
◆
「終わった、か……。結局殺しやがったか、混血も獣人も、テメェ等人間にとっちゃ同じバケモンってこったな。死が救いとはね……」
「ここまで〈キャンディ〉に溺れちまったら元には戻れねえ。手当たり次第に暴れて、その後は今と同じ結果が待ってる。もしくは今より悪くなってるかだ。ハッピーエンドは迎えられねえとノーラも分かってたんだろうよ……。殺しはウチの仕事じゃねえんだ、本来は」
「ハンッ、なんだい今更になって。テメェで殺した癖に言い訳がましいんだよ、ガキでも殺せるクソ野郎め、ホントは殺りたくなかったとでも? アタシの代わりに撃ったとか言うつもりじゃねえだろうな」
「自惚れンな馬鹿野郎、んな事言わねえよ。ロシアンルーレットの銃弾がたまたま俺だったってだけの話だ」
ヴィンセントとて殺したくて殺しているわけではない。だが事実として少女の命を奪った以上、亡骸を前にして「殺すつもりはなかった」などそんな戯れ言は口が裂けても言えるはずがない。
跪きノーラの服装をただして、それから血染めの顔を拭ってやる。そしてまだ温かい両の手を胸の上で組ませてやった。どうか、安らかに眠れるように――と。
「ん? これは――」
傍らの手帳をヴィンセントは拾った。ノーラは大切に扱っていたのだろう、赤黒く染まったボロボロの手帳は、それでも愛着を受けた摺り切れ方をしていた。
ひらりページの隙間から舞い落ちる写真。其処に姉妹の笑顔が揃う日は二度と来ない。
「レオナ。今回の騒動に関して俺はもう一仕事しようと思ってる。お前にも関係のある話だ」
「おい、調子に乗るなっつたよな人間? テメェと組むのなんざ二度と御免だ。ケツを拭きたきゃ自分で拭け」
蔑み立ち去ろうとするレオナだが、おそらく彼女こそ聞きたがる話だと、ヴィンセントは呼び止めた。
「まぁ聞いてけよ。その男はある組織の三下だった。だがいつしか出世し組織の幹部を担うようになる。成り上がるためにそいつは色々と手を出した、女衒に恐喝は当たり前、武器の密売にクスリにも。はては薬物による調教で殺し屋まで仕立てるようになっていたらしい」
誰のことを指しているか、レオナは察しが付いたようだ。
「アンタさぁ、相手を知っててもの言ってンの? 相手はカルテルの幹部だぜ、腹の傷より頭診てもらうべきだね」
「お前だって喧嘩ふっかけたんだろ? 他人のこと言えるか。そいつは取り返しのつかない失敗をやらかして組織から切られ、癒着していた警察からも見限られた、今頃は慌ててドームの外にでも逃げてるさ。さて、追いかけるには船がいる、追いついたところで銃がいる」
「アタシを顎で使うつもり? 足を貸す代わりに、銃になれってか。弾よけ代わりに獣人はもってこいだもんな」
「気に入らないなら好きにすりゃイイが、他を当たってる間に俺が捕まえる。憂さを晴らす機会はなくなるぞ」
「アタシが気に食わねえのはテメェもだって事忘れンじゃねェよ」
「殴る気なら相手が違う」
敵意を込めたレオナに、ヴィンセントはだが一切怯まず応えるのだった。
「……アンタが持ってる船ってのは?」
「旧式の輸送船と複座の戦闘機だ。護衛を付けてるだろうから強襲には戦闘機を使う、お前には後席に乗ってもらうことになるな。護衛機を片付けてから杭を打ち込んで乗り込む。むこうに乗り移った後は好きにしていい」
細かい作戦など立てるだけ無駄だ、それにヴィンセントも暴れたい気分なのである。一番の悪党をこのまま逃がして堪るものか。
「……ちょうどアタシを嘗めたこと後悔させてやりたかったんだ。アタシのやり方に余計な口出ししないッてンなら、もう一度だけ付き合ってやる」
「エンディングにはまだ早え、きっちりケリを付けに行こうじゃねえか」
ヴィンセントはケータイを取り出し、番号をプッシュする。
「ダン、ドームに戻って早々悪いんだが、出航の準備をしといてくれ。ああ、そうだデカい獲物を狩りに行く」
この数時間の後、二人は宇宙空間を駆ける。
刃より鋭く、銃弾よりも早く、一直線に――。
目的は一つ。共通の獲物の刈り取る為に――。




