Promise Land 20
視界一杯の水平線から後ろを見ればどこまでも続く草原。この美しき風景を目の当たりにして浮かぶ感想は二つに一つだろう。
あぁなんて綺麗なんだと感動するか、或いはマジでなんにもねえなと嘆息するかである。
空飛ぶ巨大な遺物に乗ってMLAか脱出したはいいものの、降ろされた場所はランドマークの一つもない海岸線の丘であるから、ヴィンセントは周囲を見渡したあとに溜息を付いていた。MLAと同じ大陸にはいるはずだが、現在位置は不明のままである。
まぁ、安全であることは確かだからようやく気を抜けるのは良い点だろうが、やっぱり皮肉は口を突いていた。
「っつか、ここは何処なんだよ」
『人目に付かず安全な場所だ。地名については答えかねるから、理解してくれ給えよ』
遺物に向かって愚痴るヴィンセントに答えたのは脳内に響く声だったが、これまでよりもハッキリとした音声に変わっていた。もう頭の中で声がすることに慣れてしまったのか、彼も別に驚いた様子はなく続ける。
「安全だろうけど場所が分からねぇんじゃ遭難と変わらねえよ。迷子になってるのがジャングルか草原かの違いだけだぜ」
『出来るだけ近場でと注文したのはキミではないか。目立たずに遺物を下ろせる場所は少ないのだから仕方ないだろう』
「融通の利かない宇宙人だな、やれやれ……」
ヴィンセントは皮肉たっぷりな笑みを浮かべると、貸したジャケットで胸元を覆っているレオナに声をかけ、場所を知る手掛かりを探してまた周囲を見渡し始める。
マイケルが別れの挨拶をしたがっているから、ついでに少し距離もとってやった。文字通り一蓮托生で数ヶ月を過ごしてきたのだから思うところもあるだろうし、それは二人だけの物だ。
「……これで、お別れか」
『あぁ、寂しくなる。ワタシも名残惜しく思っているよ』
「僕もだ。ずっと一緒にいたのにキミの名前を呼べないままだったけれどね」
『思考での会話を前提とした言語は、人間では発音できないから仕方がないさ。呼び名はなくとも意志は通じていたし、ワタシにとってはそれこそが大切だった。マイケル、キミからはかけがえなのない物を沢山もらっているよ』
「僕が? 何かしてあげられたのかな?」
『それはもう。勇気、知恵、臆病さ、優しさに、……友情。こんな複雑な気持ちになるなんて、ワタシは思いもしなかった。生まれてから銀河となるまでが決まっているワタシには、本来体験し得ぬ、そして不要な感情だが、今はなによりも感謝しているよ。キミと、出会えたことに』
そこでスライムは言葉を切り、ヴィンセント達に水を向けた。
『無論、キミ達にも』
「アタシ達?」
「こっちは仕事のついでだ。行きがけの駄賃で宇宙を救ったなんてどうかしてるがな」
『その不遜に凶暴性、決断力と行動力は大いに参考となったよ。新たな銀河で育まれる生命体にも、キミ達のような者が生まれるようにと願う』
「あんまし褒められてる気がしねえな」
『何事もバランスが大事ということさ。世界のすべてが善であれば平和な世になるだろうが、現実は厳しく予期できぬもの。サバノヴィッチのような輩は、いずれ必ず現れるだろう。その時には力を正しく使える者の助けが必要になる。例えその者が憎まれ口を叩き、凶暴であろうとも、他者のために力を振るえる者がね』
「…………それ褒めてンの?」
レオナは片眉を吊り上げながら言った。
ただし、ゆったりと尻尾も振れているので、悪い気はしていないようである。
『感謝はしているよ。お礼に何かしてあげられればいいのだが、ワタシにも色々と制約があるので出来ることは限られる。期待通りになるかは分からないが、望みはあるかな?』
そう問われて、レオナの眼差しが真剣味を帯びたのをヴィンセントは見逃さなかった。
「マジで、何でも言っていいのかい? 宇宙人の技術で叶えられるって?」
『もちろんだよレオナ君。ただし、先に言った通り絶対ではないけれどね』
「…………」
レオナは口を開いたが、しばらく考えた後に出かけた言葉を呑み込んだ。
「いや、やっぱアタシはいいや。――ヴィンセント、アンタは?」
「俺? そうだなぁ……。金はアズィズから貰うし、遺物のボディ使って戦闘機用のパーツ作りてぇけど多分ダメだろ?」
『技術は残せないのだ、すまないね』
「じゃあ、不眠症治してくれってのはどうだ?」
『ああ、それなら可能だよ。マイケルの身体を修復した時と同じように、キミの脳内に入り込めばすぐにでも治療できる』
それを聞いて、ヴィンセントはすぐに意見を翻した。
「やっぱなしで。脳味噌のなかにスライム入れるなんて俺には無理だ」
『そうかい、残念だね。……ではマイケル、キミは何を望むのか』
その問いに、マイケルはにこやかな笑みを浮かべるのだった。
「……もう、受け取ってるよ」
『…………そうか』
穏やかな、それでいてどこか寂しそうな声。
表情は分からないが、スライムもきっと微笑んでいるのだろう。
そしてもう、惜しむ時は終わりを迎える。誰からでもなくヴィンセント達は遺物から距離を取り、だが沈んだ気配は一切ない。
大いなる旅立ちには、湿っぽさより清々しさがよく似合うのだ。スライムも、そのことは理解しているらしかった。
『では、太陽系に住まう紳士淑女諸君。瞬く邂逅に別れを告げ、ワタシは再び遙かなる旅路に戻ろう。これが今生の別れとなろうとも、諸君を忘れることはない。諸君の人生に幸多からん事を祈ろう!』
そしてスライムは『ありがとう』と告げ、それからは一瞬だった。
三人の前にあったはずの巨大な遺物は、風だけを残して幻の如く消えていた。




