Run Through The Jungle 4
その枝が踏み折られる小さな音に、ヴィンセントは素早く反応した。生々しい野性の脅威を聞かされていただけに、まさに神速の対応だった。彼が銃口を向けたのは藪のなか、ガサガサと何かが近づいてくる気配はするが、姿はいまだに見えてこない。
ヴィンセントが唾を飲み込み、その横ではさしものレオナも緊張の面持ちで自慢の大型拳銃を抜いていた。森の脅威を知っているだけに、彼女のほうがより危険を感じているのだろうか。
……しかし、である。
ヴィンセント達が警戒態勢のまましばらく経っても、正体不明の脅威は藪のなかに隠れたままで姿を見せることはなく、二人は視線とハンドサインでもって、ゆっくりと後退すること決めた。
そろり、そろり、と慎重に下がり始めたその時だ。
またしても藪が震え、その場に緊張が走る。もしもレオナが言っていたような熊が現れるのであれば、傭兵共に気付かれようがお構いなしに銃爪を引くことになるだろう。
だが、幸か不幸か、騒々しい結末にはならなかった。
聞こえてきたのは、まるで「おーい」と呼びかけるような高い声で
同時に姿を見せたのはぬいぐるみサイズの、熊の幼獣だった
「なんだ、小熊かよ……」
ヴィンセントから漏れる安堵の息。対してレオナはより一層険しい表情で、その小熊を見下ろしていた。
小熊を見ても近づくな、というのは山に詳しいものにとっては常識の範疇であり、子がいるなら近くに当然親がいるという、至極当たり前の理由に基づいた警告なのである。レオナも勿論、それについては理解している。だが彼女は、その姿を観察するや銃を下ろして小熊の傍に膝を付いていた。
「なにやってんだレオナ、野生動物には関わらないほうがいい。俺はお前ほど森に詳しくねえけど、小熊が動く地雷だってことくらいは知ってる。ぬいぐるみが欲しいなら、帰ったときに買ってやるから」
「ヴィンセント、救急キット」
冷ややかに一言。
だが早く寄越せと急かしながら、彼女は暴れる小熊を抑えつけて左足のケガを診ていた。
「この切り傷、崖から落ちたんだ。それに撃たれてる。弾は抜けてるけど血が止まってない」
「いやいや放っておけって。狩りの獲物として狙われたんだ、助けてどうすんだよ。ドリトル先生ごっこに付き合う気はねえぞ、俺は」
「わざわざ幼獣狙うのは狩りじゃなくて趣味の殺しさ、胸くそ悪い。ンなことよか、さっさと救急キットを出しなっての」
「馬鹿言うな。俺たちが撃たれたらどうすんだよ」
「どのみち傭兵共の弾喰ったら逃げ切れないんだから、あってもなくても同じでしょうが。早くしないと、母熊が鳴き声聞きつけて来るよ」
レオナを力尽くで引っ張ることはヴィンセントには到底不可能である。だが仮に出来たとしても、彼女はテコでも動かないだろう。
結局、先に折れたヴィンセントは、バッグに入れていた救急キットを手渡した。母熊に見つかる前にこの場を離れるには、レオナの好きにさせるのが一番手っ取り早い。
「アンタは見張りを。この子が崖から落ちてきたなら、母熊が探しに来る」
「涙ぐましい感動話だな、ったくよ……」
皮肉るヴィンセントを尻目に、レオナは救急キットの中からチューブ入り止血ジェルを取って、小熊の銃創に突っ込んだ。人間用の止血剤ではあるが動物にも一応の効果はあり、ほんの数秒で血は止まった。
とはいえ、それまでの数秒は小熊にとって拷問にも似た苦痛であったのは確実だ。なにしろ傷口の奥深くにまで、チューブを突っ込まれたのだから、痛みのあまり暴れるのも無理はない。
「シーッ、シーッ……。大丈夫、もう平気さ」
「終わったろレオナ。さっさと移動しようぜ」
小熊をあやしているレオナの姿は意外にも母性に溢れており、動物関連の感動動画としてネットに転がっていそうなクオリティであった。彼女の凶暴性を知るヴィンセントでさえ、思いがけない一面に心動いたのも確かであるが、いい話にほっこりしている暇などありはしない。
山側の茂みから何か巨大な物体が接近してくる気配がすれば、尚更のことである。
「おいおいヤバいぞ、レオナ……!」
伝わってくるのはけたたましい足音と茂みを蹴散らす突破音のみで、その姿はいまだ藪の向こうだが、この二つの気配だけでも脅威の程を察するに余りあった。
さしずめ、怒れる巨獣来たれり――といったところだろうか。
みるみる接近してくる葉音に銃口をあげたヴィンセントは、セレクターをフルオートに据えている。いざ対面することになったら、全弾叩き込んでやる気でいたがしかし、手早く荷物をまとめていたレオナが吼えた。
「撃つな、ヴィンセント!」
「バッ……、俺じゃなくてアイツを止めろよ!」
「アレは子供を探してるだけ、渡してやれば大人しくなる。なのに豆鉄砲で突いて怒らせる気か? その口径じゃ利かないって言ったろうが」
「撃たずに喰われるよりゃあ……――」
見えたら撃つ気でいた。頭でも心でも、ヴィンセントはそう決めていたし、銃爪に掛かった指先にも力は確かにかかっていた。
だが、茂みを掻き分けて現れたその巨体に、その胸部に向かって照準を上げながら、彼は自分の発想がいかに無謀で、そして構えている銃がいかに頼りないかを思い知ることになる。
両足で立ち上がっている母熊の全長は6メートルをくだらない、それはまさしく怪物と呼ぶに相応しい巨体であった。
母熊は怒りに燃えた瞳でヴィンセントを捉え、さらに小熊を抱いているレオナを睨むと、草木が震えんばかりの咆哮をあげる。だが……
「……撃つんじゃないよ」
母熊を刺激しないように声を抑えてヴィンセントを制すると、レオナは母熊へと語りかけた。
「この子を探しに来たんだろ? ケガなら平気さ、連れて帰りな」
「そんなに近づくなレオナ。お前は虎の獣人で獣じゃねえんだぞ……ッ!」
ヴィンセントの静かな怒声に片手で応じながらも、レオナは慎重な足取りでもう一歩母熊に歩み寄よると、跪き小熊を放してやる。
「さ、行きな。ママが待ってるよ」
すると小熊はそそくさと母熊の元へと駆け寄り、その影に隠れた。
ここまでは上手いこと運んでいるが、この先どう事態が転がるかなんて予想も出来ず、ヴィンセントはいまだに緊張を強いられたままである。なにせ相手は話の通じぬ野性動物、前触れなく飛びかかってくることは充分にあり得るのだ。
しかし……
彼の心配をよそに母熊は四つ足で地面の踏み直すと、レオナを一度睨み付けてから小熊を連れて藪の中へと去って行った。とはいえすぐに安心が訪れるわけでもなく、とんでもない重圧からヴィンセントが解放されたのは、葉擦れの音がようやく聞こえなくなってからのことだ。
「ハァ~、おっかなかったぜ。おいレオナ、お前マジでふざけんなよな。こっからが本番だってのに、こんなとこで阿呆な真似してんじゃねえ。危うく餌になっちまうところだったろうが」
「悪かったって」
バラした荷物をまとめながらレオナは答え――
「それにヴィンセント」
「ああ?」
「…………ありがと」
目は合わせないし、作業しながらだし、レオナのそれはおよそ感謝を示す態度とは思えないが、ヴィンセントはそれ以上彼女を責めることはしなかった。
獣人の本音を知りたいときは、顔より尻尾を見れば良いからだ。
「じゃあ先を急ぐか。せめて尾根までいってからキャンプしようぜ」
「そうさね、先導するから付いてきなヴィンセント」
そう言って歩き出した彼女の歩みは、少しばかりゆったりとしているようだった。
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