Edge of Seventeen 15
猛々しいブレーキ音を鳴らしてキャデラックが路肩に乗り上げた。勢いよくドアが開き、ルイーズが公園へと駆けだしていく。
降りしきる雨に構わず走った、足を止めれば泣き出してしまうかも知れないから。ハイヒールが石畳を踏み鳴らす、自慢のスーツも金髪も水を吸ってみるみる重くなっていく。しかし、そんな些細なことは気にも留めず、彼女は走り続けた。息が苦しい、考えたくないのに最悪のイメージがこびり付いて離れない。今度こそ、より現実味を帯びた惨状の予想がルイーズの胸を締め付ける。
どうか無事で、と悲痛な願いを叫び並木を走る彼女の頬はすっかり雨に濡れていた。連なるビルの窓がが遠ざかり、周囲は段々と闇に沈み始める。やがて見える明かり。貸し出し所から漏れるそれは灯台の誘導灯に似ていて、ルイーズは引き寄せられるように光りに向かう。
と、十字路に落ちている奇妙な塊に足を止める。平たい道に不相応な膨らみに呼吸が乱れる、手を伸ばして確かめれば、それは男物の上着――ヴィンセントに貸した黒の上着だった。そして彼女は気付いてしまう、足下流れる雨水が赤く濁っていることに。
感情的に否定しても突き付けられた現実は静かに事実を語るのみ。排水溝に流れる血液は失われた命の分量で、ルイーズの心は大きく軋んだ。彼女は足に力を込める。少しでもふらつけば崩れてしまう、ここでしゃがみ込むわけにはいかない、彼が待っているのだから。
視界の隅で何かが動き彼女は慌ててそちらを見る。磨りガラスの所為でハッキリとしないが、貸し出し所の窓に動く影があった。誰かが、あの中にいる。
ルイーズは駆けだしていた。
彼が簡単に負けるはずがない、そうだ、無事に決まっている。ヴィンスの仕事ぶりはこれまで何度も見てきた、危険な仕事だろうと毎度無事で帰ってきた。電話にしたって巫山戯ていたに決まっている。そうだ、そうに決まって――……
しかし、戸口に付いたルイーズは凍り付く。呆然と見下ろす先には、ぬめり拡がるおびただしい量の血痕と、そこから伸びる何かを引き摺った痕。あまりの惨状に堪らず息を吞むと生々しい血の臭いに追い打ちをかけられ吐きそうになった。
ほのかな希望の火は容易く吹き消され絶望が影を落とす。壁に縋ってようやく立っているだけのルイーズを更にどん底に突き落とそうと、布の裂ける音が奥の部屋から聞こえてきた。嘔吐きながら目を上げると、血痕は奥の部屋へと続いているではないか。
ルイーズは喉を鳴らした。――行きたくない。
アレは地獄の道標だ。戦えるわけでもなく、護身用の拳銃一すら身に付けていない彼女は、だが行けば殺されると拒否する身体を無理やり前へと進ませた。
一歩進むごとに自問自答し萎縮した心を奮わせる、ヴィンセントがあの扉の向こうにいるのなら、理由はそれだけで十分だ。
「ちょっと、震えないでよ……ッ」
ルイーズが触れた途端、ドアノブがカタカタと音を立てる。
ひたすらの赤と無惨な死体は彼女の脳内にこびり付いていて、虚空を見つめるヴィンセントの姿を想像すると眩暈が襲い、膝が折れ――がちゃり、と。
体重が掛り勝手に回るドアノブ。力の抜けた下半身では支えることもままならず、なすがままにルイーズは部屋の中へと倒れ込んでしまう。
そしてそこに、彼はいた。机に横たわった、血塗れの姿で。
「ヴィン、ス……? ねぇ冗談なんでしょ、ねぇ何とか言いなさいよ……!」
茫然自失、彼女はヴィンセントから目が離せなかった。きっと大丈夫だとまだどこかで信じていた、杞憂で終わると願っていた。『心配しすぎだ』と笑われるものだと――。しかしヴィンセントは笑わず、喋らず、腹部が異様なシルエットに盛り上がっていた。
非情にも突き付けられた現実は、だが現実感が希薄だった。しかしルイーズが信じようと信じまいと事実はそこにあり、彼女の心を徐々に蝕んでいく。『死』の一文字が脳内を埋め尽くして感覚全てが麻痺していった。無力感、喪失感が彼女を苛む。
恐る恐るヴィンセントに触れようと手を伸ばした時、ルイーズはこめかみを小突かれた。
「おっと動くんじゃないよ、セニョリータ。雨宿りに選ぶにゃあ場所が悪かったね、何モンだい、アンタ?」
虚ろな面持ちでルイーズは声の主を見た。
――もうどうでもいい、此処で死ぬことになろうと。
虎の獣人女性がルイーズに拳銃を突き付け恫喝する。朱に染まった両の手、その女は噎せ返るような血の臭いを総身に纏っていた。




