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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
1st Verse Danger Zone
259/304

Danger Zone 9

 疲れというのは、緊張状態から解放されると一気に襲ってくるもので、その心地よい疲労感に任せてヴィンセントは暫く眠ったままだったが、まどろみの中でも、身体を揺さぶられる感覚に反応して、彼はうっすらと瞼を持ち上げた。


 エリサの遠慮がちな声が、目覚まし代わりに聞こえている。


「ヴィンス、起きて。起きてなの――」

「……あ~、どうした?」


 まだ眠っている脳味噌から言葉を絞り出して、ヴィンセントはのそりと起き上がる。変な場所で寝落ちしたせいで、声がかすれていた。


「あのね、起こしちゃってゴメンなの」

「……飯か?」

「えっと、ちがうの。お客さんが来てるからね、ヴィンスを呼んできてってダンに頼まれたの」

「客?」

「オリガが紹介してくれたお仕事の人だって言ってたの。オリガもいっしょなの」


 ヴィンセントは目を閉じたまま、少しのあいだ唸っていた。中途半端に寝たせいか、言語を理解するのに時間がかかっているらしい。ただ、ようやく状況を把握してからの行動は、寝起きにしては早かった。


 のろりと重い腰を上げ

 気怠い足取りで船内を進み

 だらしなく腹を掻きながら、彼は依頼人がいる部屋へと向かう


 普段ならば気休め程度の応接室で商談をすすめるはずだが、今日に限ってはアルバトロス号のリビングルームでやるらしく、ヴィンセントはほとんど目を瞑ったままで、身体に任せて足を進めていく。


 無論、エリサに急かされても彼は一向に急ごうとはせず、リビングルームの扉をくぐる際には、挨拶より先に欠伸が口を突いていた。


「シャキッとせんかヴィンセント、依頼人の前だ」

「……こっちは一仕事終えたばっかなんだぜ、勘弁してくれよ」


 ヴィンセントはそうぼやくと、依頼人を横目で見遣って脇を抜けていく。だが、商談の場となっているダイニングテーブルに腰を下ろすことはなく、テレビ前にあるソファに尻を沈ませ、無礼ついでに煙草に火を灯した。


 紫煙を吹き上げながら、染みこんでくるニコチンをヴィンセントが感じていると、仲介役として依頼人に同行していたオリガが渋い顔で口を開く。


「なんやヒッドイ顔してんで、ジブン」

「マジで? そりゃあ気付かなかった。一時間前に殺し合いしてただけなのに、不思議だな」

「ヴィンス、コーヒー飲む? 目が覚めるかもなの」

「ああ、ありがたいなエリサ。冷たいので頼む」

「うんなの!」


 キッチンへと歩いて行くエリサを見送ると、次いでヴィンセントは、壁により掛かって仏頂面を下げているレオナに尋ねた。

 正直、態度の悪さで言えば、彼女もヴィンセントと同等である。


「商談って始まってるのか?」

「この馬鹿、アンタ待ちだよ」

「俺を待ってもしょうがねえだろ、受けるかどうかはダンが決めるんだ」

「ちょいまちぃジブン、そのまま商談聞くつもりやあらへんやろうな」


 姉として見過ごせないとオリガは説教気味に言うが、疲れ果てて、起きていることさえ面倒くさくなっているヴィンセントには、どんな叱責も右から左である。いまの彼は、わるい意味で最強のメンタル状態だった。


「姉貴の声が聞こえるなら、商談も聞こえる。問題ねえさ」

「あんなぁ……。いい大人なんやから、もちっとしっかりしいや!」

「文句あるなら俺は寝るぜ。さっきも言ったが決定権はダンが持ってる。姉貴から連絡を受けたのが俺だからこの場にいるが、仲介役として出来ることはもう残ってない」

「はい、コーヒーなの」


 緊張の中に臆することなく、コーヒーを運んできてくれたエリサは、受け取ったヴィンセントに柔らかな笑みを見せた。


 それは慰めでも説教でもなく、哀れみでも労いでもない。

 強いて言うなら、ただひたすらに優しい笑みであり、その輝きを受けたヴィンセントは毒気を抜かれたように口を噤んで、コーヒーを味わうばかりとなる。


 こうしてエリサの純朴さのおかげで火事は未然に防がれたわけだが、実力の割に子供っぽい部下ばかりを雇っているダンからは、深い溜息が漏れていた。


「はぁ……、すまんね兄さん。あいつらの無礼は気にしないでくれ。なにしろ、長時間の空戦を終えたばかりなもんでな」


 商談を始める前にダンは詫びるが、依頼人はまったく気にしていないと答えた。それも社交辞令的な返事ではなく、むしろヴィンセントに感心している様子でさえある。


「いいんですよ、彼にはああしているだけの権利がある。そもそも、ヴィンセント氏がいなければ、この商談の場が立つこともなかったのですから」

「大袈裟ですな。ヴィンセントは優秀ですが、今回は仲介をしたに過ぎません」

「いいえ、その事ではありませんよ」


 意味深な依頼人の言葉にダンは眉根を寄せているが、黙ってコーヒーを啜っていたヴィンセントも違和感に眉根を寄せて、ターバン姿の依頼人を改めて視界に収める。


「待てよ? その声――」

「……試すつもりはなかったのですが、まぁ成り行きで」

「――あんたが【ウェッジ】か」

「本名はアズィズと申します。先程は失礼しました、なにぶん込み入った依頼ですので、トラブルを利用して、触れ込み通りの実力をお持ちなのか確かめさせていただきました」

「わざわざ出向いて下さったところを見るに、ウチのクルーはお眼鏡にかなったようですな」

「ええ、ダンさん、それはもう十分に。こちらの被害が最小限ですんだのも、ヴィンセント氏の活躍があったからです。海賊の規模は、我々の予想を超えておりましたから」


 アズィズは決して大袈裟にせず、ひたすら淡々と間近で眺めたことを評価していくが、すでに自己反省を終えているヴィンセントには大して響かない感想に過ぎなかった。


 やはりアズィズの言葉を聞き流しながらも、ヴィンセントの表情はどこか渋いままで、ただし、彼が浮かべた疑問はレオナの口から放たれることになった。

 どうやら彼女も、同じ疑問を思い浮かべていたらしく、腕組みをしたままレオナは問う。


「アンタってさ、有名人だったりすンの? その名前、どっかで聞いた覚えがあるんだけど」

「なぁ~に言うてんねんレオナ」


 頓狂な声で答えたのはオリガである。


「聞き覚えあるに決まってるやろ、アズィズはこの船のオーナーなんやから」


 まるで路上に止まっている大衆車の持ち主が誰かを説明するような口調だが、その気軽さと規模がアンマッチ過ぎて、リビングは瞬間の静寂に包まれた。

 レオナがもう一度問う。


「……この船って?」

「クレイドル号や、他にないやろ」


 今度はヴィンセントだ。


「ちょい待て姉貴……。このクソデカ宇宙船が、そいつの持ち船?」

「だからそう言うてるやん。あぁ、あとSCMの主催者もこいつやで」


 最後にダンが尋ねる。

 珍しく遠慮気味に、緊張しながら――


「あ~……アズィズさん。失礼ですが、ご職業をお伺いしても?」


 この質問を待っていたかのように、アズィズはたっぷりとアルバトロス商会のクルーを見回し、たっぷりと間を取ってから、これまた気軽な口調で応じた。


「石油王です」

「「ハァァッ⁈」」


 じつに素直で失礼な反応はヴィンセントとレオナからであるが、職業を訊いて石油王だなんて言われたら、声が出るのが普通だろう。ましてや、そうであろうという証拠の中に、彼等はいま船を停めているのだから、むしろ唸る程度で済ませているダンの胆力が凄まじいのである。


「いやぁ、この瞬間は何度味わっても楽しいですね。先生の言うとおり驚いてくれました」

「せやろ? にしても二人とも、めっちゃええリアクションするやん」

「姉貴はちょっと黙っててくれ! ……いや、色々訊きたいことあるけど、それは後だ」


 流石に目が覚めたヴィンセントは、これまでの話を脳内で繰り返した。ぼんやりしていた部分は諦めるとして、それでも幾つかの質問をアズィズにぶつける。


「もう一度訊くが石油王ってのは、マジなのか?」

「正確には別物ですが似たようなものです。火星でエヴォルの採掘を生業としておりますので」

「エヴォルって、お船とかをうごかすやつなの?」


 素朴なエリサの問いに、アズィズは丁寧に応じた。


「他にも、車や発電機などを動かすのにも使われていますね。長年、人類を支えてきた化石燃料に代わった新たな燃料ですから、生活には欠かせません。なので現代の石油王といったところですね。エヴォル王と呼ばれることもありますが、石油王の方が語感が良いでしょう?」

「だからそんな格好してンの、アンタ?」


 身を細めるレオナが捉えているのは、アズィズのいかにも中東的な民族衣装であるが、彼はこれにもアッケラカンとして答えた。


「ああ、これはコスプレです」

「はぁ?」

「わたしのルーツは地球にありますが、生まれ育ったのは火星なんですよ。祖父の代に移住しまして、そこでエヴォル油田を掘り当てたのです。それに現地の方々も、場所によって衣服を変えていますからね、スーツを着ているなんて普通ですよ」

「じゃあその格好はなにさ?」

「楽しむためですよ、そのためのイベントですから。勿論ルーツには敬意を払っていますが、火星では着る機会もないものでね。だからこういう場で袖を通しているんです」

「そうは言ってもよ、アズィズ――」


 口を挟んだのはヴィンセントだ。


「――その話が本当なら、お宅は超絶金持ちのウルトラVIPだ。ボディーガードなしで出歩ける立場の人間とは思えねえけど? 姉貴にゃあお宅を守れないしな」

「それが案外バレないものでね? まあ私が一般参加者だったら、本物の石油王がそれらしい格好をして会場内を歩いているなんて、夢にも思わないでしょう。いまは船の前に待機させていますが、サークルを見て回る時は、当然ボディーガードが周囲を固めてくれています。ですが彼等もコスプレと思われているのか、怪しまれたことは一度もありませんよ」


 アズィズの語り口調は、さながら可愛らしいイタズラを自慢する子供のようで、その気質事態はヴィンセントも好感を持っていた。実害がなく、仕掛けた側もやられた側も笑えるネタなら、そいつは上質なジョークになる。


 ……だが、笑える時間はとうに過ぎていた。ヴィンセントの質問の真意は、冗談の域を探ってはいないのだ。吹き上げられる紫煙が、場の空気が代わっていることを告げていた。

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