Danger Zone 4
その犬の獣人はかなり大柄で強面だが、一人だけしかも魔法少女コスプレをしている。対するカメラを抱えたオタクもどきは圧倒的に数で勝っていたがしかし、その犬獣人が放つ威圧感は一般人が放っていい剣呑さからかけ離れていた。
例えるならば、銃を提げながらショッピングモールを歩いているような違和感だろうか。
そんなみるからにヤバそうな男を相手に、突っかかっていけるオタクもどきなど、誰一人としていなかった。彼等の強気な姿勢は、あくまでも群れの中に紛れているからこそ発揮される物であり、いざ誰かが矢面に立つ必要が出てくると途端に尻込みし始める。明らかに腕っ節に自信がありそうな犬獣人の正面にでる根性など、望むべくもないだろう。
そこに犬獣人が発した「失せろ!」の吠え声が加われば、彼等は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
「ケッ、根性なし共め。撮影はレイヤーの都合が優先だろうが!」
まだ怒りが収まらないようで犬獣人は吼え続けているが、その珍妙で屈強な外見の割には、エリサの声に対して敏感な反応を見せた。
「あ、あのね! どうもありがとうなの」
「なぁに、いいって事よ。困ってるおチビちゃんを助けるのは、正義の味方の役目だからな」
はち切れんばかりの胸筋を、魔法少女の服に収めながら彼は快活に笑う。
「楽しそうにしてたのに怖かったよな、おチビちゃん?」
「ちょっとだけなの。でも、もうだいじょーぶ!」
「立派な子だね~。名前は……」
「エリサなの!」
「そうかい、エリサちゃん。ちょっと待っててくれるかな」
犬獣人はそう言うと、先程から二人の様子を窺ってばかりのオタクを呼びつける。それは、最初にエリサに声をかけた男であった。
「おい、あんた! この子の保護者なら、しっかり守ってやらなきゃダメだろうが。大規模なイベントには、変な奴だって混ざってるんだからな」
「す、すいません。ただ、ボクは保護者ではなくてですね……」
「違うって? だったらどういう仲なんだ」
「どこにでもいるような、しがないオタクのカメラマンですよ、ボクは」
「ほぅ、そんで?」
犬獣人の静かな恫喝にたじろぎながらも、オタクはありのままの経緯を話した。同じ作品が好きで意気投合したこと、その流れで撮影を始めたことを彼は伝えたが、しどろもどろになっていたので、信じてもらえたかは怪しいところである。
さらに沈黙を嫌って喋り続けた言葉が、ことさらに言い訳がましく聞こえてしまう。
「あ、あなたの衣装も、素晴らしい完成度ですね! 細部のディテールから拘りを感じます。よ、よろしければ、一枚撮らせていただけませんかッ!」
「おお、いくらでも撮ってくれて構わね――」
愛を込めて作ったコスチュームを褒められれば、嬉しくなるのがオタクの性。しかしながら犬獣人は、ほだされる寸前で気を取り直した。
「俺のことはいいんだ、今は! 撮影ならあとで付き合ってやる。――それよりもだ、エリサちゃんよ。あいつの話は本当か?」
「うんなの!」
純心で頷いたエリサに、犬獣人は鼻を鳴らす。
「まっ、そういうことなら信用しといてやるか。……ただなぁ兄ちゃんよ、エリサちゃんは、レイヤー登録も撮影許可も未登録ときてる。SCMに客はいねえ、みんなが参加者なんだ。ルールは守らんといかんぜ?」
「……あ、ああ。そう、ですね。か、か、完成度の高さに興奮したとはいえ、け、軽率でした」
「分かってんならいいんだよ。そうしゃっちょこ張れちゃあ、虐めてるみてえじゃねえか。互いに納得して撮影してんなら、別にいいんだ」
とは言ったものの、犬獣人は微妙そうな顔で続けた。落ち着いてきたからこそ思い浮かぶのは、外からの視線である。
「でもよ、兄ちゃん。迷子の幼女を撮影してるって、冷静に考えてヤバイ奴に思えないか」
「……た、確かに、そうですね」
カメラを提げたいかにもなオタク
魔法少女のコスプレをしたマッチョで大柄な犬獣人(男)
そしてそんな二人に挟まれている狐の幼女
数瞬の沈黙のあいだに、自分たちがいかに怪しく見えているかを認識した大人二人は、平静を装おうとアタフタしはじめる。事実がどうかではなく周囲にどう見えているかが問題で、控えめに考えても、不健全な香りの方が強いのである。
が、この混乱の原因であるエリサは、まったく別のことを気にしていた。
「エリサ、迷子じゃないの!」
プンスコと頬を膨らませた彼女に、大人二人は面食らった。
「なんの話だい、エリサちゃん」
「おじちゃん、エリサが迷子だって言ってたけどちがうの。はぐれたのエリサじゃないもん!」
「親御さんがいるのか? ……って、当たり前か」
「お父さんか、お母さんに連絡できるかい? そのブレスレットで通信できると思うんだけど」
「ううん、できないの。エリサ、パパもママいないから」
突然踏み抜いた特大の地雷に、大人二人は言葉を無くして表情も凍った。いっその事、本物の地雷を踏んだ方が気が楽だったかも知れない。
出し抜けに聞かされるにはあまりにも重すぎる身上で、二人は何を言えばいいのか悩んでいる様子である。しかし、エリサは変わらぬ明るさでこう続けた。
「でもね、だいじょーぶなの! ヴィンスが迎えに来てくれるから」
「……ヴィンス?」
訝しげに眉根を寄せた犬獣人に、満面のエリサは笑顔で応える。
「うん! エリサの家族なの!」
「じゃあ、連絡はついてるんだね?」
「お兄さんと会うまえにお話したから、もうすぐ来てくれると――」
「お~い、エリサーッ!」
噂をすればなんとやら。
向こうからスルスルと人混みを抜けて、ヴィンセントがやってきていた。ギッシリと薄い本が詰まったバッグを肩にかけているのに、その足取りは滑らかである。
「探したんだぞ、ったく心配かけさせやがって」
「だ~か~ら~! 迷子になったのエリサじゃないの、ヴィンスの方だもん!」
「まぁ、とにかく見つかってよかった」
ふくれっ面のエリサを撫でてやりながらも、ヴィンセントは周囲への観察を怠ることはしない。たかがサブカル系イベントの場にしては警戒しすぎと思えるが、こればっかりは便利屋という職業における癖というか、病気みたいなものであるからしかたがない。
そんな彼の訝る視線が捉えているのは、カメラを提げた挙動不審のオタクである。
「お宅、俺たちになにか用か?」
「えッ? あ、えぇ、あぁっと、えとその……」
「ヴィンス、脅かさないでなの。お兄さんね、いい人なんだよ? エリサのこと守ってくれてね、写真も撮ってくれたの!」
エリサが改めてお礼を言うと、ヴィンセントも纏っていた警戒心を引っ込めた。彼女がここまで懐くって事は、少なくともマトモな人間であるはずだ。
エリサには善人を見抜くセンスがある。
「なんだよ、そういう事なら早く言ってくれりゃよかったのによ。脅かして悪かったな。俺はヴィンセントだ、エリサの面倒みてくれて感謝するぜ」
「いえ、そんな。ボクも楽しかったので」
「マジでありがとうな。……ほんで、気になるからついでに訊くんだけど、さっきからソワソワしてるのはどうしてなんだ?」
特別な観察眼などなくても、オタクが浮ついているのは明らかだった。
そこにあるのは、オタクならではの興奮である。
「あ、あの! ヴィンセントさん! いきなりで失礼なんですけど、貴方とエリサちゃんで、一枚撮らせてもらえませんか⁈ 二人のやりとりというか、関係性がもう最高に絵になるんです! お二人がレイヤーでないことは分かってますが、ボクのオタクとしての勘が囁いているのです! 絶対に写真に収めるべきなのだと!」
それからしばらくの間、オタクは作品へのこだわりと愛を語り続けていたが、ヴィンセントの耳には右から左、言っていることは分かっても脳が理解することを拒んでいた。なにしろヴィンセントは、オタクが愛してやまない『スペース・サムライ』が嫌いなのである。
それにだ。もしも作品が無関係であったとしても、彼の答えは同じだったろう。理由はいくつかあるが、端的に説明するなら写真が好きではないのだ。
だからヴィンセントの返事は――
「断わる、モデルなら他所を当たってくれ。流行の作品ならいくらでも見つかるだろ」
「「そんなぁ~」」
嘆きが二つ。
一つはエリサの声だった。
「どーしてイヤなの? エリサ、ヴィンスといっしょに写りたいの!」
「モデルならお前だけで足りてる。撮ってもらいたいなら好きにしろよ、俺は待ってるから」
「い~や~な~の~! いっしょがいいの~ッ!」
近頃のエリサは段々と我儘を言うようになってきた。
別にそれ自体はいいことだ。なんでもかんでも譲ってばかりでは、自らカモになっていく事と同じなので、むしろ誰にでも我を通すようになっていくのは、成長の一部だろうとヴィンセントは考えていた。
だが、我儘にも時と場合がある。
いまは場合の方が問題で、ヴィンセントは声を落として、同時に優しくエリサにだけ伝えた。
「あのなエリサ、なにもお前と写るのが嫌だって言ってるんじゃねえよ。俺たちの仕事は便利屋と賞金稼ぎだ。だから、どんな形でも、顔が表に出るってのはよろしくねえんだ。エリサも、分かるだろ?」
「……うんなの」
エリサはまだ幼いが聡明で、ヴィンセント達の仕事がどういう類いのもので、またどれだけの危険を伴うかをよく知っていた。彼女自身が危ない目に遭った経験もあるからこそ、ヴィンセントの声音から、その度合いと真剣さを察していた。
なので、それ以上ヴィンセントにおねだりはしなかったが、楽しい撮影を諦めきれないエリサは、もう一人の人物を誘うことにしたらしい。
音もなく立ち去ろうとしていた犬獣人の背中に、エリサの跳ねるような声が飛びつく。
「ねえ、一緒に撮ってもらおうなの! おじさんも『スペース・サムライ』好きなんでしょ?」
「ア、イヤ、オレハ……」
「なんだエリサ、そっちの人も友達なのか?」
「うんなの! エリサのことね、助けてくれたの!」
「おいおい、そういうのは早く教えてくれよな」
ヴィンセントはのろりと魔法少女コスプレ犬獣人(男)の前に回る。格好はさておいて、身内が世話になったのならば、礼をするのが筋ってもの。みてくれが変わってるからといって、不義理をしていい理由にはならな――
…………
……………………
その犬獣人の顔を見上げたヴィンセントは、開口したまま固まってしまう。
見知った相手の、知るべきでなかった一面を目の当たりにしたら、頭ってのは簡単に真っ白になるようだ。しかもその相手ってのが、宇宙海賊フーチ一家のボス、フーチその人ともなれば尚更であろう。




