Danger Zone 2
熱い試合から一週間後、ヴィンセントはエリサを連れて明るい街中をぶらついていた。気分としては、暇つぶしの散歩に近いものがあったが、どうにもヴィンセントが落ち着かない理由がいくつかあった。
まず、街中と表したが、この街そのものが宇宙船の中にある一区画に過ぎないという点。それは宇宙船という枠組みから踏み出した、さながら宇宙を航行するコロニーであり、人類が開発した『乗り物』としては、おそらく最大規模だろう。しかも丸々収まっている居住、生活、ビジネス区画が、三層構造で成り立っているというから驚きだ。
そして、彼が落ち着かないもう一つの理由は――いや、こちらが主な理由だが――行き交う人々の半分以上が、なにかしらコスプレをしているという点だった。しかもその種類もジャンルも幅広く、最新の子供向けアニメのキャラクターから古い映画俳優、あるカフェテリアの店先では一〇人以上のエルヴィスが自慢の喉を披露していた。
端的に言って、この超巨大宇宙船内はお祭り騒ぎで、どこもかしこも賑やかだし、誰もが心から滞在を楽しんでいるのが分かるし、エリサもこの雰囲気を楽しんでいるらしかった。
しかし、参加するつもりがない者にとって、この異質なテンションはただただ鬱陶しいだけで、ヴィンセントはようやくモヤモヤしている理由に気が付いた。
この感覚は、遅れて飲み会に参加したときの鬱陶しさによく似ている。周りがすっかりできあがっている中で、一人シラフってのは結構キツイ。なので、待ち合わせ場所でオリガを見つけたときには、思わずヴィンセントは安堵の息を吐いていたのだが、忘れてはいけない。
この場に呼び出した張本人がシラフでいるはずがないことを……
「お~い、こっちやこっちィ!」
小学生児童としか思えない外見をしたオリガが、ヴィンセントに向けて馴れ馴れしく手を振っていた。病的なまでに色白の肌とは対照的に彼女の声は快活でよく通り、特徴的な訛りのある喋り方はいっそ喧しいくらいだ。
「いやぁよかったわぁ~、ちゃんと来れたんやな。この船デッカいから迷ったんかと思ったわ」
「実際迷ったし、どこも人混みだらけで時間取られたんだ。待たせたか、オリガ?」
「…………」
オリガはじぃっと目を細めて、なにか言い忘れてやしないかと無言の圧を発している。なので改めて人前で言いたくはなかったが、ヴィンセントは渋々言葉をつけ足した。
「――……オリガ姉」
「うんにゃ、時間ピッタシや! せやけど――」
「――おひさしぶりなの、オリガ!」
「なぁんで白毛玉がおんねん」
笑顔満点で挨拶したエリサに、だがオリガは苦虫をかみ潰したような顔で返した。
子供みたいなナリをしてるが、オリガは一応成人しているので、彼女の対応はあまりにも大人げないと言えるだろう。しかし、歳が一〇以上離れている本物の女児に身長で並ばれているともなれば、劣等感が湧くのも仕方のないこと。しかも狐耳まで入れればエリサの方が身長が高いとくれば尚更だ。
とはいえ、エリサもからかわれていると分かっているので、別段気を悪くすることなく、巫山戯半分のふくれっ面で応じていた。少女二人があーだこーだと言い合っている様は、傍目からみれば、子供同士がじゃれ合っているようにしか思えないはずだ。
しかし、いかに微笑まし光景であっても、話が進まないので足を運んだ意味がなくなる。なのでヴィンセントはエリサを宥めてから、改めてオリガに尋ねることにした。
「んで姉貴、一体なんの用なんだ? 仕事の依頼なら電話でもよかったろ」
「せっかちやなぁ。久しぶりなんやから、お姉ちゃんとお喋りしようって気にならんのかい?」
「元気そうなのは見りゃわかる。こっちは一週間かけて出向いてるんだ、早くしてくれ」
「そうしたいのは山々なんやけどな、呼び出したんは別の用事やねん」
無言でつり上がったヴィンセントの片眉が、どういう意味かと尋ねている。
「モチロン、仕事の依頼はあるで? 電話したとおりのごっつい儲け話や、これホント。せやけど今回ウチはあくまでも仲介で、ほんでホンマの依頼主は時間取れんくてまで会えへんねん。せやからその間に、コッチの手伝い頼みたかってんけど……」
オリガは視線をエリサの方へと向けると、残念そうに溜息をつく。
「白毛玉がおるとなぁ……」
「むぅ~なのッ! エリサだって便利屋だもん! お仕事ならエリサもがんばるの!」
「いやぁ、そう言われても困るんよ」
変わらずオリガは困り顔だが、ヴィンセントに言わせればそこまで渋る理由が分からない。無論、荒事になるようならば話は変わるが、船一隻丸々使ってのお祭り騒ぎをしてる中で、ドンパチってわけでもないだろう。
「武器の類いだって乗船時に全部預ける決まりだろ? 金属探知機で調べられて、予備携行まで取り上げられたぜ。しかもイベントのテーマはアニメにゲーム、映画に小説、サブカル大集合とくりゃあ、集まってるのは全宇宙のオタクども。連中が起こす問題は、リアルファイトより掲示板への書き込みが関の山ってもんだ」
「おう、こらジブン、馬鹿にするんは許さへんで。SCMはあらゆるジャンルのファンが集う、年に一度のイベントなんや、こっから生まれた名作も数え切れないほどあるんやからな!」
「その割にひでえネーミングだぞ。SUCMって略称はなんとかならなかったのか?」
「スペース・コミック・マーケットでSCMなんやから、しゃーないやろ!」
「まぁどうでもいいけどよ……。とにかくここは、オタクのオタクによる、オタクのためのイベントだ。そんな場所でエリサを巻き込めねえ頼みって一体なんなんだよ。違法なことさせようってわけでもねえんだろ」
「半分正解や。ジブンに頼むぶんには合法やけど、白毛玉が関わるとアウトやねん」
遠い目をした姉からなにかを察したのか、ヴィンセントは隣のエリサに目をやって、それからもう一度周囲を見渡した。
多様な人種、多様な宗教が混在しているSCMは、百年以上前か日本で行われているオタクの祭典の流れを汲んで発展してきたと、乗船時に渡されたパンフレットに書いてあった。それでまぁ、昔はどんなイベントだったのかとヴィンセントが調べてみれば、それこそ多種多様な文化の受け皿であったことが分かった。
本当に、多種多様である。敢えて深掘りはするまいが、とにかく一般向けの作品とアダルト作品が並んでいたことに、彼は心底驚いていた。
……そうした点を思い出してみれば、いまのオリガが見せている反応が、どういう意味を持っているかは容易に想像できるのである。
「つまりオリガ、そういうことか?」
「そういうことや」
「……一応訊いとくけど、なにをさせる気だったんだ」
「売り子や。ウチんとこのブースで売り子を頼もうかと思うててん」
ヴィンセントの眉間に深い皺が刻まれる。だって出展しているとうことは――
「え、ちょいまちオリガ……。お前、描いてるのか?」
「せやで」
「んで、それを売るのを、俺に手伝わせようと? 弟に? 言いたくねえけど、正気か? 大体よぉ、自分のとこの乗組員に頼めば済む話だろ、あのハイエナ三兄弟なら喜んでやる」
「あいつらはあいつらで出展してんねん。ジャンルがちゃうから離れた場所におるし、しかも兄弟の下2人が昨日から体調崩してて、アッチも交代要員おらんのや。おかげでウチも今日は一日張付きっぱなしで、いまだって無理矢理抜けてきてるんやからな」
だから少しだけでも手伝ってくれとオリガは頼み込んでくるが、ヴィンセントは頑なに拒否の姿勢を貫き通す。
「だとしても無理だ、エリサがいなくても断る」
「なんでやねん! 姉ちゃんの頼みやぞ!」
「馬鹿か! 姉貴の頼みだからイヤなんだよ! とにかく、仕事の話じゃねえなら俺らは行く。ちゃんと依頼主をアルバトロス号まで連れて来いよな!」
ヴィンセントは一方的に宣言すると、エリサを連れてイベント会場を進んでいく。背後から「薄情モ~ン!」と叫ぶ声が聞こえてきたが、彼は立ち止まることはしなかった。




