Vampire money 5
リストランテ・ブレッツァマリーナは人間街にあるイタリアンレストランである。
ゼロドームに食事処は数あれどキチンとした料理が出される店は極々少数であり、このレストランのように内装から料理まで拘り抜いた店は貴重であるが、店内は珍しく静まりかえっていた。客がいないわけではない。人間街という立地上、獣人の姿は見えないが、客席は殆ど埋まっているし会話も漏れ聞こえてくる。しかし、なんと言うべきか、スタッフ達の間から言葉にしにくい緊張感が漂ってきているのである。
そんな中、明らかに食事以外の目的を持って来店した客を出迎えたフロントは、困惑を隠しながら応対した。
「いらっしゃいませ、ご予約のお客様ですか?」
「いいや。ここにいる客に用がある、取り次いで貰えるか。お宅じゃ判断できないならオーナーを呼んできてくれ、急いでるんだ」
丁寧に、だが剣呑にヴィンセントが言うと、フロントは笑顔を引き攣らせて店の奥へと入っていき、すぐに注文通りのオーナーを連れて戻ってきた。
「お待たせいたしましたお客様、本日はどういったご用件で?」
「店の奥にいる上客に話があってきた、取り次いでほしい」
「あちらのお客様のお知り合いですか?」
そう言ってオーナーは一番奥にあるテーブル席を見たが、あんなカップルに用事などない。ヴィンセントはゆっくり首を振る。
「厨房の奥に特別な部屋があるだろ、そこにいる客の事だ」
「申し訳ございませんが――」
「確認取らずに恩人を無下に帰したと知れたらどうなるだろうな。……ヴィンセント・オドネルが来たと伝えてくれ、それ以上は頼まねえよ」
オーナーは何も言わなかったが、最悪の想像をした彼の眼がヴィンセントの予想を肯定していた。豚の餌にでもなっている姿を思い描いてしまったのだろうが、厨房へと下がっていく背中にのしかかるその怯えこそが朗報だった。
しばらくすると、オーナーはヴィンセントを厨房の奥へと案内した。まるでVIPに接客するかのように通されると、そこにはやはり、もう一つ秘密の客席があった。
だが部屋に一歩踏みいるやスーツ姿の男達にボディチェックのため行く手を遮られる。まぁ必要な警戒だろうがしかし、しわがれ声が全てを遮った。
「そいつには必要ない、通してやれ」
白い口ひげを蓄えた老練な男、瞼の弛んだ蛙のような顔立ちだが、鈍く光る眼光が鋭いこの男こそ、金星におけるイタリアンマフィアの首領、サルバトーレ・レオーネその人である。
そして常に番犬さながらに気を張り巡らして脇に控えているボディーガード、名前はヴィンセントも知らないが、こいつがいるだけで迂闊に動けないと思い知らされる。
「お食事中に失礼します、シニョーレ・レオーネ」
「ようもまぁ儂の前に顔を出せたものだな。次に会うときは儂を捕らえると壮語を吐いておったよな……、その上での覚悟はあるのだな?」
「あなたを捕まえるなら車に乗り込む直前か移動中を狙いますよ、急仕掛けで取れる程安い首じゃあないでしょう」
大口ってのは叩いてから悔いても遅い、一年前の強がりが痛い形で返ってきて、ヴィンセントは内心ひやりとしたが、レオーネが浮かべた意地悪い笑みにからかわれたと知る。
「まぁ座れ小僧、お前には以前世話になったからな。ふぅむ、せっかく儂の店に来たんだ何か喰っていくといい、ここのパスタは最高だぞ、シチリアの太陽を思い出させてくれる。閉塞的なドームの下では貴重な味わいだ」
「あぁ……、すいませんシニョーレ・レオーネ、生憎と満腹でして」
レオーネがフォークを運ぶ手を止めて空気が凍った。
この場においてヴィンセントに人権などなく、首領の好意を拒否する権利など尚持ち得ない。閉鎖空間はレオーネの王国も同然なのである。気分は玉座の前に跪かされる罪人さながら、しかし、絶対に怯えは見せられない、絶対にだ。
「……儂の見立てではのう、小僧。話というのはきっと取り立て(・・・・)だろうな、お前はそれだけの事をしてくれたし、儂も深く感謝している。立場は違えど儂等の間には絆がある、一種の友情だ。友人の話であれば儂はいつでも耳を貸そう、なのに貴様は、頭上から物を言い、友人である儂の誘いを拒むのか?」
「それは誤解です、貴方が勧める料理だからこそ一番美味く食えるときに食いたい。腹が膨れてちゃあどんな料理も旨さ半減だ。なのでまたいずれ、寄らせてもらいますよ。ただ、喉が乾いたんでワインをいただけますか、上等なやつをグラスで」
顔色変えず不敵に言うヴィンセント、しかし決して敬意は忘れない。どの組織であれ君臨する者を相手にするならば、礼儀と敬意は忘れてはならない。
「ふはは、達者な口だ! だれか、小僧にワインを持ってきてやれ!」
「どうも」
そうして運ばれてきたグラスを傾け一嘗めると、芳醇なカベルネの香りがすぅと胃に落ちていくのを感じる。コロナばかりが染みこんでいる内臓には新鮮な感触だが、実に素晴らしい酒だった。
「――それで小僧、用件というのはなんだね?」
「勿論、互いに利のある話を」
「……ふぅむ」
ナプキンでソースを拭ったレオーネは嘯く。老兵の恐ろしさは、年月の分だけ積み重ねられた経験値だ。上に立つ者はなによりも多くの人間を観察してきている、こちらに落ち度がなくても嗅ぎ付けてくるのだ。あの弛んだ瞼のしたにある老いても尚衰えぬ眼光には見透かされているような感覚を禁じ得ない。
「儂は回りくどい話は好かんぞ、小僧」
「承知してます、充分に。なので単刀直入に、シニョーレ・レオーネ。どうか貴方の力を借していただきたい」
「ふむふむ実に明快だな小僧、だが不明瞭だ。肝心な部分が一切見えてこんな、すぐに分かる事だ、隠す必要もあるまい。貴様が全てを語るのならば、儂は全霊を以て貴様を助けてやろう。安心しろ、受けた恩はキッチリ返す主義だ。何が必要だ?」
底意地の優しい叔父のような微笑み、しかし絶対に心を許してはならない。見せるのは腹の内まで、心まで覗かせてはいけない。
「情報を集めてもらいたい、赤龍の拠点について」
「ほぅ、こりゃあまた物騒な名前が出たものだ」
「難しいですか?」
こいつは、一歩踏み込んだ発言だ。
「……今のは、聞かなかった事にしてやろう。勿論、可能だ。しかし情報収集程度ならば儂に頼る必要もあるまい。貴様達でも充分に事足りるではないか、能力ではないな、不足しているのは数か」
「それと時間、世界で唯一平等な物が今の俺たちには足りない」
レオーネは顎髭を撫でながら考えをまとめている。
「互いに利となる、そう言ったな?」
「知りたいのは連中が臓器を抜くために誘拐した人間を集めてる場所、掴んでくれたら俺たちがそこを襲撃する。デカい稼ぎ口がなくなれば連中にとっても痛手だ。そして敵の痛手は貴方にとって朗報でしょう」
「それはどうかな、敵対していたのは過去の話だ」
「マフィアには掟があるでしょう、鋼よりも頑強な血の掟が。俺は当時この星にいなかったが、抗争の話は聞いてます。相当な血が流れ、貴方は赤龍に弟を殺されている、そんな貴方が血の報復を抑えて共存ですか?」
「全てはビジネス、個人的な感情など挟む余地はないよ」
それは嘘だ。
弟の話を出した瞬間に張り付いた気配を、ヴィンセントは見逃さない。
「――では教えてください、ビジネスとしての観点から。群雄割拠のゼロドームで一つの組織が力を持てばどうなるのか、……看過できる事態じゃあない筈だ。なのに手を拱いているのは何故なのか?」
「余所が何をしようと知った事かよ、妨げにならなければそれでいい」
「いずれ妨げになる、必ず。判りきっている事だ、同じ理由でメキシカンは銃を取った。では何故、貴方は動かないのか? 動けるはずがない、誰かを切るために剣を振り上げれば脇腹に短剣が刺し込まれる。戦力の拮抗している組織同士が同じドームでひしめき合ってて、無益な争いを避けるための協定もあるんでしょうが、そんなもの、ミュンヘン協定とどっこいの意味しかない事はどの組織も知ってる。互いの首を狙ってどの組織も目を光らせている、だから貴方も動けない。……でも此所には、俺がいる」
手駒を大きく動かす事なく、火種をすり潰す事が出来る。失敗に終わったとしても損失は無し、レオーネにとっても好条件の頼み事だ。
「銃は不要だと?」
「自前のがある」
「……よかろう、では日付が変わる前に船まで情報を届けさせよう」
「感謝します、シニョーレ・レオーネ」
心からの言葉を述べて握手を交わす。
約束を交わしたからには、絶対に違える事はない。裏社会で長く生きてきた男の言葉だからこそ信用できる。皮肉な物だ、悪党の約束が今はなによりも頼りになるとは。
「時に小僧――」
敬意を表して去ろうとした矢先、レオーネに呼び止められた。
「なんですか?」
「狐の娘っこは元気にしとるか(・・・・・・・・・・・・・)、あの年頃の子供の面倒をみるのは大変だろうが?」
「……元気にしてますよ、えぇそりゃあもうね。それじゃあ、吉報を待ってます」
「首領、よろしいので?」
ドアが閉まりヴィンセントの姿が消えると、ボディーガードが遠慮がちに口を開いた。ボディーガードとヴィンセントが見ていたのも無理はないが、この男は幾度もレオーネの危機を救ってきただけでなく、長き道を歩み続けてきた腹心の部下であり、家族である。
「どのみち中国鼠とは事を構えることになったろう、数と面の皮の厚さにだけは長じている連中だ、野放しにしておけば後の火種となる。早い段階で消せるのならそれが最善、よしんば消しきれなかったとしても儂等には火の粉は降りかからん」
「では、奴に協力を?」
「小僧の腹は見えた、まだまだ甘いな。だがまぁ、約束は約束だ、男として守らねばな。奴を助けてやれ、ただしくれぐれも勝手に弾くなと下の連中にきつく言っておけ。重要度の高い施設への偵察へは指の重い奴を行かせろ。人選はお前に任せる」
「了解しました。その様に――」
それから数十分後には、ゼロドーム中へ耳がバラまかれた。
狩りの開始である。




