Vampire money 1
ゼロドームは金星圏における悪党の巣窟であるとまで呼ばれているが、それは些か誇張の入った表現である。集団の一部をまるで全体像のように語るのはよくある事で、実際には人間も獣人も含め、ドームに暮らす人口の過半数が真面目に働き、家庭を持ち、日々を平穏に過ごす堅気の人々であり、俗に言う悪党は一割にも満たないのだ。
無論、悪評が立つからには根拠があり、場所によっては他人を破滅させるために手ぐすね引いている連中がたむろしている場所もあるのだが、そこから離れていれば普通の、平和な街並みである。
ゼロドームの中央区域に位置し、またドーム最大規模を誇る都会の中に癒やしをもたらす憩いの場、セントラルパークなんかはその最たる例だろう。強烈な日差しも木々を潜れば優しく思え、チラチラと揺らめく木漏れ日の下で語らうカップルまでいる景色だけを見れば、前夜に派手な撃合いがあったのと同じ街とは想像できないはずだ。
「あっ、ちょうちょなの! まてまて~~」
白銀の毛並みを輝かせて芝生を駆けるエリサを眺めていれば尚のこと、荒事とは無縁の街だと思う事だろうし、更に言えば、この平穏な公園で木陰に収まり、ランチバスケットと一緒にレジャーシートに尻を乗っけている男が、昨夜の銃撃戦を演じた一人だと気がつく者がいるだろうか。
「レオナもはやくなの~!」
「はいはい、ちゃんといるよエリサ」
元気いっぱいに走り回るエリサの面倒を見ているレオナ、彼女たちの様子は実に微笑ましく、まるで姉妹の様でさえあり、そう感じさせるのは普段よりもくだけたレオナの格好にあるのかも知れない、とピクニックにお呼ばれしたヤマダは口にする。
「レオナさんって髪を解くと、途端に色っぽくなりますね」
「……本人の前で絶対言わない方が良いぞ、ヤマダ。拳骨で地面に埋められっから」
「ええ、確かに。……それにしても、のどかですねぇ」
芝生の上ではしゃぐ女二人を、野郎二人が雁首揃えて木陰で涼みながら眺めているのを、『のどか』と言うならそうだろうが、ヴィンセントも心のどこかで同じように感じていた。
昨夜までの張り詰めた緊張感が、一気に緩んでしまった所為である。
ホテルでの銃撃戦では非常階段でヴィンセントが射殺した三名の他に大勢の血が流れていた。医者の護衛に付いていたエル・ファミリアの構成員と、カチコミをかけてきた赤龍と彼らの用心棒、更にその用心棒を狙っていたブライアンとサラが三つ巴の銃撃戦をホテルのフロントで演じ、結果は死者十一名、負傷者八名と結構な惨事となり、その数時間後には二つの組織の抗争が始まった。
こうなっては便利屋が出る幕はなく「残念でしたね」とヤマダに慰められても、諦めるしかないのが実情だ。
「けれども、お二人は時間をかけて医者を追っていたのでしょう?」
「手を引くってのはダンの決定だし、引き際ってのは大事なんだよ。それに考えてもみろよヤマダ、万単位の構成員を持つ組織同士の抗争に三人っきりの便利屋で何が出来るよ。一ドル札拾うために像とライオンの喧嘩に割って入る? 奴らに比べたら俺たちなんて蟻みたいなもんなんだぜ、巻き込まれて踏まれるなんて最悪だろ」
リスクとリターンを天秤にかけるのは商売の常、これまでにかけた手間を惜しんで命まで持って行かれたんじゃド級の間抜けで、長く便利屋稼業を続けていた経験からきっぱりと損切りを決めたダンの命令により、アルバトロス商会は医者の一件から完全に手を引いたのだ。
だからこそ、ヴィンセント達はこんな真っ昼間から公園で油を売っているのである。
「あんたには申し訳ないがな、尻すぼみな取材になっちまって」
「とんでもない! 悪い事ばかりではありませんよ。便利屋としての皆さん、そして一個人としての皆さん、おかげ様でその両面を取材できていますから、私にとっては実りある時間です。普段から休日はこのような感じで過ごしているんですか?」
ヤマダにとっては地球に帰るまでが取材である。アルバトロス商会に張り付いてからもうすぐ一週間になるが、その期間中、一番仕事熱心なのは彼だったかも知れない。
「基本的に個人主義だから、他のクルーが休みに何してるかなんて知らねえよ。まぁそれぞれ好きな事でもやってんだろ。今日みたいに出かけるのは、長期間の依頼が終わった後くらいか、エリサを遊びに連れて行ってやらねえとならねえからよ。船から一人で出すのは危ねえし、かといってカンヅメも気の毒だ」
「やはり危険だと?」
「中心街まで来ればかなり安全だが、船着き場からここまでの道中がなぁ……」
その所為で、エリサが船外に出かけられるのは買い出しに同行する時くらいしかないのが現状で、彼女から直接聞いた事はないが、遊びたい盛りの少女にはかなり厳しいものがあるはずだ。アルバトロス号にある娯楽は子供向けのものではないし、種類も限られているから、なにかしら気軽な方法はないだろうか?
「ヤマダは子供いるんだって? あの歳の女の子って何があったら喜ぶんだ? 俺にはさっぱり見当つかなくてよ」
「そうですね……。参考になるかは分かりませんが、私の娘はケータイを使って友達と話していますよ。私たちが注意してもひっきりなしです、毎日お喋りしていてよく話題が尽きないと感心しますよ。……つかぬ事を訊きますがエリサさんに友人は?」
「いない、同年代となると機会がない」
笑顔を振りまきながら蝶をおいかけているエリサを眺めて、ヴィンセントは呟く。これは正直、彼にとっても不本意なのだ。
普通の家庭で、普通に学校に通っていればエリサの性格だ、きっと人気者になっていたに違いない。男女問わずたくさんの友人に囲まれていた事だろうが、そもそものきっかけがなければ誰ともつながりようがなく、どうやって解決したものかと彼は密かに頭を悩ませてた。
ところが、ヤマダはいやにさっぱりとした策を提示してくれた。
「それではオンラインスクールはどうですか? 様々な理由で学校に通うのが困難な子供のためのサービスがあるんですよ、VRで再現された教室で、普通の学校と同じように授業をしてくれます。安価なVRゴーグルとネット回線さえあれば申し込めますからお勧めですよ。……なんだか回し者みたいな紹介に聞こえましたか?」
「教育だけじゃあなく、友人を増やしてもらいたいんだよ、俺は。便利屋に残るにしろ、表の世界に戻るにしろ、俺たち以外にも頼れる相手を見つけておいてもらいたいんだ」
「分かっています。勿論、友人も出来ると思いますよ。授業の合間には休憩時間も合ってVR上でボイスチャットを使って会話する事もできますからね」
話を聞く限り、かなり充実したサービスのようだ。真面目に聞き入っていたヴィンセントは、いつの間にか真剣な眼差しになっている。
「……検討してみるかな。助かった、ヤマダ」
「では解決したところで私の仕事に戻らせてもらいましょうか。ずばり、次の標的は? どのような基準で賞金首を決めているんですか」
「切り替え早いな……。獲物を選ぶのはダンがやってるが、基本的には近場にいて一万ドル以上の首だな、後は儲けとリスクを考えて判断してる。次の標的はまだ決まってねえな。ルイーズもしばらくは賞金首の情報は回してこないだろうし、受けるとしたら便利屋業の方が増えそうだ。輸送船や旅客船の護衛だったり、浮気調査だったり、猫探しだったり、まぁ色々だよ」
「振れ幅がものすごいですね」
「大半は地味な仕事の方が多い。あと報酬額も当然振れるが、時間単位で考えたら意外と近い額になるぞ、依頼主にも寄るがな」
「顧客にはどのような方がいるのですか」
「それは喋れない、悪いな。一応俺たちにも守秘義務ってのがあるからよ。ただ、そうだな……企業から個人まで幅広い依頼人がいる、宇宙船の護衛とかは企業からが多い、あとは大抵は一癖二癖ある奴だ。映画やドラマに出てきそうな依頼人もいたな、まぁ様々だよ」
「刺激的ですね」
「よく言えばな」
「ね~ヴィンス~~~~」
にこにこ笑顔で、でも声を潜めながら、エリサが慎重な足取りで木陰に寄ってくる。
「どうしたエリサ?」
「見て見てなの」
そう言ってエリサはゆっくりと自分の頭を指さした。
虹色のアゲハチョウがリボンさながらに彼女の頭に止まっていて、静かに羽ばたいていた。
「ねーねー、ヴィンス。写真とってなの」
「ああ、そういう事か。待ってろ」
パシャリと一枚――
流れる時を画面にとどめると、シャッター音に驚いたのか蝶は空へと飛び立っていく。エリサの頭上を一周してから去って行く様は、挨拶代わりに翼を振る飛行機のようでさえあった。
「ちょうちょさん、バイバイなの~。――ねえヴィンス、撮れた撮れた?」
「…………」
掌サイズの液晶画面に収められたポートレート、そこには白狐の少女が写っているはずだったのに、ヴィンセントは戸惑った表情で画面を見つめていた。
場所も時間もまるで異なる、狼獣人が写った写真を――
「……? ヴィンス、どうしたの?」
「……あ、ああ、何でもない。エリサがあんまり可愛いんで見とれてただけだ」
もう一度画面を見直すと、虹色のリボンで飾られたエリサが晴れやかな笑顔を向けていた。
――疲れが溜まってるみたいだ、狐と狼を見間違えるとは。
と、苦虫かみ潰しながらヴィンセントがケータイを仕舞うと、白い毛皮の小さな手が彼をぐいっと引っ張り日の下へ誘う。
「ヴィンスもあそぼなの! ね? ね?」
「いや俺よりもヤマダの方が……」
「いいんですよエリサさん、私にはお構いなく」
ヤマダは健やかに口角を上げてきっぱりと断り、私は石ころみたいなものなので、とむしろヴィンセントの背中を押した。
「汚ぇぞヤマダ、一転して観測者かよ!」
「まあまあ遠慮しないで、いってらっしゃい。荷物は見てますから」
「何言ってんだ、盗るモンなんざありゃあしねえよ」
変わらずにこやかに見送るヤマダにあれこれとヴィンセントは言いがかりを付けていたが、エリサに再び腕を引かれては抗えず、ボール遊びの相手をすることにした。
ゴム製の柔らかいボールを軽く蹴ってパス回し。ヴィンセントは当然のことながら、エリサの運動神経も抜群ですぐにコツを掴んだのか、教えられるまでもなく真っ直ぐボールを返してくる。
レオナ相手の格闘練習といい、エリサの多彩な才能には驚かされるばかりだ。
「上手だぞエリサ」
「えへへ、次はレオナなの! もっとつよく蹴っていいよ~!」
「じゃあロングパスだ、走りなエリサ!」
右足を振り抜いてレオナがロングパスを上げれば、尻尾で風巻きエリサが駆ける。ボールの行き先を確かめながら走る姿は、サッカー経験者のようでさえあるが、前方不注意の癖は抜けなていなかった。それに加えてボールが風に流された所為で、エリサの動きはぐちゃぐちゃ、足がもつれて草原にダイブした。
「おーいエリサァ、大丈夫かぁッ⁈」
「へ~きなの~~!」
ところがすっころんでも元気なもので、エリサはすぐに顔を上げて遠くのヴィンセント達に手を振ると、遊歩道まで転がっていったボールを追いかける。その足も速かったが、歩行者がボールを拾ってくれる方が先だった。
「ありがとうございますなの」
「…………気になされるな。安心めされい娘よ、主はすぐに自由となろう」
「あ、うんなの……」
ボールを手渡されてヴィンセント達の所に戻るエリサは、ふと気になって後ろを振り返るが、その人はいなくなっていた。不思議な格好をした人だったので、ヴィンセントに話してあげたらおもしろがるかも知れないと彼女は思う。




