Scars of yesterday 7
猛進する猪のように、或いはオフロードの斜面を開拓する4WDの如く、レオナは上へ上へと苛立ちを踏みならして歩を進める。何一つ上手く転ばなかった一日の最後に、特大のクソまですりつけてきやがった某には、風穴の一つも開けてやらなければ気が済まないのである。彼女にしてみれば、医者の無事など二の次で、意趣返しが目的になっていた。
騒がしい階下の残響には耳を塞いで駆け上れば屋上は目前、扉は開け放たれているが、こめかみに血管浮き上がらせていても、馬鹿まるで飛び出すような真似はしない。
瞬間、立ち止まり気配を探る
吹き込む夜風に彼女の髪がたなびく
壁の向こうを睨んで一呼吸置くと、ごつい銃把を握り直してレオナは突入した。扉から一歩外に出れば当然屋外で、屋上には室外機がいくつかとアンテナがある程度、身を隠す場所は殆どない。
だが、素早く遮蔽物の裏を確かめたレオナは、より深く眉間に皺を寄せることになる。
彼女がいぶかしむのも当然だ。途中の階で重い防火扉を開けて逃げたのなら絶対に分かるし、屋上にはもう隠れられる場所もない、だのに医者はおろか、医者を攫っていった某までも、影も形もなく、鋭い光を孕んだレオナの瞳に映るのは、繁華街のぼやけたネオンくらいのもので、釈然としないままにレオナが周囲を見渡していると、屋上にもう一つ人影が増える。
三階から屋上までの階段ダッシュで息を切らせて扉を潜ってきたヴィンセントは、エレベーターの偉大さを痛感していた。
「はぁ、はぁ……、どうだレオナ、医者は取り戻したか?」
「…………」
黙って一瞥するレオナから放たれる威圧感だけでしくじったことは明白だが、あの隆起した背筋を前にしたら皮肉は飲み込むが吉であるし、それよりもまず、ヴィンセントは息を整えるのが先決だった。まぁ、喋らなくても出来ることはあるので、彼はざっと屋上を観察して違和感の正体を――もとい、レオナが撃たなかった理由を探っていると、彼女の方から口を開いた。
「……消えちまった、二人とも、逃げられるはずがねぇのに」
「人は突然消えたりしねえだろ、投げ落としたのを消えたって表現するなら当てはまるかもしれねえけどよ。……マジで落としたのか?」
「それなら『自由にしてやった』って言ってるさ」
成る程、一理ある。
紐なしバンジーに強制参加させる前に撃ってはいるだろうが、レオナならば悪びれずそう言う。当然見逃しようがない、ヘリや小型垂直離着陸機でもないとすれば、彼女の言うとおり、『消えた』になるが、消滅ではなく『何処かへ消えた』のだ。
「つまり、どういう意味さ?」
「お前に悟られない方法で屋上から脱出したか、まだ近くに隠れているかってことだ。鳥の獣人なら飛んで逃げられるし、カメレオンの獣人なら擬態して俺等がいなくなるのをまってるかもな。想像でしかねえけど――おっと電話だ」
「誰から」
着信はダンからだった。
どうせ秘密の話でもないだろうから、電話を受けると同時にヴィンセントは音声をスピーカーに出した。
「もしもし。レオナも聞いてる、何か情報が入ったんだよな? イエス以外の言葉は聞きたくないんでよろしく頼むぜ」
『セールスの電話よりは有意義なのは約束しよう、色々情報が集まったぞ。医者の現状やら色々な、奴さん、相当厄介な事態に巻き込まれているようだ』
自信が香るダンの口調から感じるイヤな予感に、ヴィンセント達は顔を見合わせて続きを待った。枕詞が前振りにならないことを祈りながら。
『前回、奴さんを確保しに向かった時にかち合ったメキシカンを覚えているか』
「路地でアタシがぶっ飛ばした奴? そいつがどうしたのさ」
『お前さん達の見立て通り、奴は下っ端も下っ端だが糸口にはなった。どうやらエル・ファミリアが新しいシノギに手を出しているらしく、医者はその為に連れてこられたようだ』
「エル・ファミリア?」
アルバトロスに雇われて一年と少ししか経っていないこともあり、レオナにとっては初耳の名前だった。いい加減、撃合い以外にも目を向けてもらいたいものである。
「金星圏にあるメキシカンカルテルの大元、麻薬の密売と誘拐ビジネスが主な収入源。小魚釣り上げるつもりが、南米産の鮫を引っかけちまったか。そんな気はしてたけど面倒だな。……でもどうして医者が必要になった、麻薬患者のためにクリニックでも開くつもりか?」
『麻薬患者を増やすクリニックなら喜んで作るだろう、しかし今医者が勤めている病院では病を治しはしない。……いや、ある意味では治しているか』
「回りくどい言い方すンなよ、ダン。要するにあくどい事をやってンでしょ?」
マフィアやカルテルのやり方だ、当然あくどい、違法なシノギに決まっているが、詳細まで聞くとその悪趣味と醜悪さには吐き気を覚える。
『――臓器の密売だ、医者はその為に連れてこられた。奴の両親はすでに亡く、恋人も家族もない、出所直後に攫うには最適で、かつ外科手術の技術も身につけている人物はそう見つからんからな、保釈金なんて安いものだろうよ』
「元々誘拐ビジネスをやってるだけあって、エル・ファミリアは素材集めには事欠かねえしな」
「ふん、儲かるようには思えないけどねェ……」
クローン技術が発展したおかげで移植用の臓器はすでに人工で、かつ格安でまかなうことが出来るようになっているのに、誘拐した人間をバラしてまで売る事に得があるのか?
レオナらしからぬまともな意見である。
「いつの時代でも天然物が一番だって考える奴はいるのさ、特に金を持っている連中には。馬鹿高い天然物のダイヤと手軽に買える人工のダイヤ、見た目はほとんど同じでも天然物を買いたがる、例え血塗れのダイヤでもな。レオナ、お前ならどっちが欲しい?」
「光る石もらって何が嬉しいのか、アタシにゃさっぱりだよ」
「うん、これは訊いた俺が悪かった」
男勝りと言うか漢らしい、レオナの答えである。
尋ねこそしたヴィンセントも、彼女が宝石を身につけている姿が想像できないでいた。
『――とにかくだ、エル・ファミリアは臓器密売に手を出したが、それを良く思わなかった連中がいる』
「自分の畑荒らされちゃあなぁ。んで、その農場主は誰なんだ?」
『『赤龍』の名はレオナでも知っているな? 太陽系最大規模のチャイニーズマフィア、群雄割拠のゼロドームじゃあ圧されているが地力はある。それにエル・ファミリアとの戦争に備えて腕利きの用心棒を雇った話だ、こいつが、まぁなんと言うか、冗談みたいな男なんだが……』
にわかには信じがたいのか、ダンの言葉は歯切れが悪い。
だが、情報の正確さを疑うのも無理はない。ヴィンセントだって同じような印象を受けたものだ、カウボーイズのミノから同じ話を聞かされていなければ、きっと小馬鹿にしてジョークを返していただろう。
宇宙船が飛び交う時代、金星に建てられたゼロドームに三百年前の『サムライ』がいるなんて、どうやって信じろというのか。ジェダイの騎士の方がまだ信じられるってものだ。
「サムライって、あのサムライかい? 日本の?」
『……言いたいことは分かるが、おれは正気だし、酔ってもいないぞレオナ。そう、そのサムライだ。刀を持った日本の剣士だ』
あまりにも馬鹿馬鹿しすぎると人は言葉を失う。情報の正確さ云々ではなく、その話題そのものがUMAと同等じゃあ無理もなく、ヴィンセントが話を戻さなかったらいつまでもフリーズしたままだったろう。
「なぁ、ダン。そっちで掴んだ情報ってのは今ので全部なのか?」
『ああ、いや……他にも有力な情報があるぞ。医者の潜伏場所が判明した、奴さんはJJ通り(ブルバード)のジャッカス・インを寝床にしているようだ』
「へぇ、ジャッカス・インねぇ…………」
そう呟いくレオナは遠い眼差しで、屋号をかたどったネオンサインを、裏側から眺めていた。
『先に言っておくが追いかけるのは止めておくんだぞ? エル・ファミリアの護衛が付いているし、赤龍も襲撃を計画しているって噂だ。組織同士の抗争に首を突っ込めばすり潰される、くれぐれも手出し無用、連中に勝手にやらせておくんだ』
「……ああ、そりゃあ賢い選択だな。すげぇ、賢い選択だ。じゃあ、もう切るぜ」
電話を切ると溜息が二つ、なんだかどっと疲れた気がする。
ぼけ~っとしたまま、しばし屋上で風に当たっていた二人の表情は、珍しく揃って虚ろであった。骨折り損のくたびれ儲けは別段珍しい事ではないのだが、精神的にも肉体的にも削られていると堪える物がある。
気持ちの切り替えに煙草を吸い始めるヴィンセントだが、ここまで味のしない煙草は久々に吸った気がした。
「引き上げるか……」
「アンタはまだマシでしょ、ヴィンセント。暴れられたんだからさ。何人殺した?」
「さぁ? 二、三人かな」
弾を喰らわせた数はより多いが、軽傷の方が多いはずだ。
「残りは逃げたの? ハァ、今から追っかけてってやろうか」
「撃つのは簡単だぜ? 下で捕まってるからな」
気怠くヴィンセントは言うが、捉えたのは彼ではなかった。非常階段という限られた空間の中で正面からぶつかって、かつ数的不利を取っていては捕縛なんて無理難題であるが、ヴィンセントはやり遂げたからこそ、ここにいる。
タネは実に簡単だ。
「俺一人でも何とかなったが、応援が来てくれたおかげで早く終わった」
「応援? いつの間に呼んだのさ、そんなの」
無論、ヴィンセントは呼んでいない、向こうから勝手に来たのである。
まるで登録していないのに送られてくる勧誘メールみたいに、受け取る側の都合などお構いなく、丁度その人物は屋上に姿を現した。場面転換直後の台詞を謳うように、大仰に身を振りながら――
「おぉ愛しき人よッ、サラより窮地と聞いて駆けつけた! 同じ場所で悪の徒を追い詰めていたとはなんたる奇遇、そして幸運であったか。君に危害を加える者は、二つ名『嵐』のこの私が払いのけたよ、もう何も心配はいらないさ。さぁ、晴れやかな笑みで私を照らしてくれないか!」
「……帰るよ、ヴィンセント」
レオナはすぐにヴィンセントの首根っこを引っ掴んで非常階段を降りていく。
やはり芝居染みた仕草で後を付いてくるブライアンは『サムライを追っている』とかなんとか謳っているが、彼の話に付き合う気力は、ヴィンセントにもレオナにも残っていなかった。




