Scars of yesterday 1
ヤマダの取材に協力してから――もとい、ヴィンセント達が医者を取り逃してから四日過ぎた昼下がりである。本来ならば、こんな事に時間を割いている暇は一秒たりともないのだが、労働基準法などクソ食らえな家業故に、ヴィンセントとレオナは、あろう事かカップルで賑わう流行のカフェテラスに立ち寄っていた。
メニュー表には舌を噛みそうな名前のケーキが並び、食器には可愛らしい花柄の飾り付きとくれば、普段から脇に銃ぶら下げて、肉と酒をかっ喰らうような人種が場違いなのは想像に難くない。花畑の真ん中に髑髏のかかしを立てるようなもんだ。
一応傍目には男女のカップルであることに間違いはないが、二人の間にある雰囲気に仲睦まじさなど皆無であり、言わずもがなだが剣呑さの方が勝っていた。むしろ取り繕った愛情表現らしき何かがある所為で、互いの威圧感を強調しているようでさえある。
だが、これも仕事だとダンに言われてはヴィンセントも諦めるしかなかった。
なんでこんな馬鹿みたいな真似をしているかは、一日前に遡る。
この厄介な話題が出たのは前日の夜のこと、ダンの提案で、ヤマダを夕食に招待した後だった。医者探しの特に進展なく仕事が停滞している中で、ちゃんとした挨拶の場を設けようと、彼を招待したのだ。
ヤマダは、二つ返事で受けた。
前々から言っていたアルバトロス号の船内も見て回れるし、金星圏では古株にあたる便利屋への取材も出来るとは、まさしく願ったり叶ったりと言ったところだろうし、エリサの存在も大きかったかもしれない。彼女の人生はまだ短いながらも波瀾万丈、創作のインスピレーションをそのまま形作ったようでさえあるから。
ここまではいい、問題はこっからである。
エリサ手製の夕食を終えてからの日常的な団欒、まぁ各々の自由時間なワケだが、客が来て様が構わずにいつも通りのルーチンでヴィンセントが煙草をふかしているところに、レオナが声をかけたのである。らしくない、神妙な面持ちで。
「……なあヴィンセント、この間した話、アンタ覚えてる?」
「思い当たる節が多すぎるな、いつのこと言ってんだ」
実質ヒントなしだ、要領を得ないにもほどがある。
「見張られてる気がするって言ったでしょ、この一週間くらいずっとさ」
「そういや、そんな話もしたな。勘違いって事で落ち着かなかったっけか」
「なら良かったんだけど、どうもね……。表に出ると視線を感じるのさ、粘っこい嫌な視線をね、狙われるってのとは違うんだけど、やっぱ監視されてるよ」
レオナの勘は一級品だ、剛胆な外見からは想像も付かない繊細な狙撃を得意とする彼女が極限まで集中すれば、半径一キロから向けられる照準線さえ気取る。そのレオナがここまで言うのだから、何者かが監視しているのは確からしい。
――とはいえ、だ。
「心当たりは?」
「半殺しにした奴が多すぎて思い出せやしないよ、ただ……」
歯切れ悪くレオナは口ごもった。竹を割ったような性格の彼女が言い淀むところはヴィンセントでさえ、そうは見ない。ただし、つい最近例外はあった。
「ブライアンと会ってから、すげぇべたべたした感じになってンのさ、うんざりするよ」
「う~ん、変わり者ではあったけど監視までするのか? 陰湿なタイプには見えなかったぞ。それに視線を感じ始めたのは、あいつと会う前からだろ? 時期が合わねえじゃねえか」
少なくとも一週間前から、レオナは同様の気配を感じ取っていたと言っていた。ブライアンの反応からして、彼女が金星にいること自体知らなかったようだったし、もしもその情報を耳にしていたとしたら、奴の事だ、何をおいてでも会いに来ているだろう。事実を踏まえた上で大仰な素振りで再会を演出していたのだとしたら、その時はまぁ、金色のラズベリー像でも送ってやろう。
部外者であるがゆえに、ヴィンセントの分析は冷静である。より正直に言ってしまえば、レオナがストーカーに付きまとわれていようと、すこぶるどうでもいい事が、拍車をかけていた。
――彼女なら自力で覗き屋を探し出し、頭から地面に埋めてやるだろう。
ヴィンセントはそう思っていた。レオナが、聞いたこともないくらいふがいなく、そして悔しそうな声を出すまでは。
「なぁヴィンセント、た…………手伝ってくンない?」
本気で困っているようだし、手伝ってやってもいいが、助力を請うなら相応の態度ってものがある。なぜ屈辱とばかりに奥歯噛みしめている相手を助けてやらなけりゃならないんだ。
「なんで俺が。いつどこで蒔いたか知らねえけど、自分で蒔いた種なんだろ。収穫まで手前ぇでやれよ」
「くっ! アタシがこんなに頭下げてやってンだぞ……」
「いやいや、もうその台詞がおかしいからな? 大体、俺は無関係だし」
過去の因縁にまつわるいざこざなら余計に巻き込まれたくない。
だからこそ自分でケリを付けろとヴィンセントは言うが、レオナは、これもまた珍しく、申し訳なさそうに口を開いた。
「もしかしたらさ、無関係じゃなくなってっかも知ンないだ、アンタ……」
「…………あ?」
ヴィンセントは露骨に怪訝な顔になった。当然だ、暗に『もう巻き込んだ』と言われたような物なのだから。
「ブライアンに会ってから監視の雰囲気が変わったって言ったじゃん? ンで実はさ……、ブライアンとの別れ際に聞かれたのさ、その……アンタとの関係を…………」
「うん。…………うん?」
こんなもの聞き返すに決まっているし、眉間に皺だって寄る。
「……で、お前、なんて答えたんだ? ……まさか」
頼むから首を横に振ってくれ、そう願いながら尋ねたヴィンセントだが、レオナは「そう」とだけ言って頷いた、しかも図々しいことに、しかめっ面で。
「お前ふざけんなよ~ッ!」
こんなの仰け反らずにはいられない。怒り通り越して、ヴィンセントは半分泣きが入っていた。しかめっ面になりたいのは彼の方だし、声だってデカくなる、他にもリビングに人がいようが気にしていられるか。
「マジで言ってんのか⁈ なぁレオナ、マジで言ってんのか⁈」
「うっさいね、アタシだって言いたかァなかったよッ! テンパってたし、そう言っとけばブライアンも諦めると思ったのさ! 名案だと思ったの、あン時はッ!」
「喧しいぞッ!」
落雷にも一喝はダンからだ。リビングがいくら他の部屋に比べて広いと言っても、船室基準である、口論なんて耳障りなだけだ。
「客が来てるってのを忘れちゃいねえか、二人とも。少しは弁えたらどうなんだ」
「これが静かにしてられっかよ! 相棒を売るとは信じらんねえなッ!」
「ンな大袈裟に騒ぐこっちゃないだろ、だから悪かったって言ってンでしょうが」
「悪かっただって? そのまま後ろに頭下げて謝んのか? 人のこと勝手に恋人に仕立てた挙げ句、トラブルに巻き込んで『悪かった』ってか。俺はどうすりゃいいんだ、ん? 笑い飛ばしゃあいいのか?」
「えぇ~~ッ⁈ ヴィンスとレオナ、こいびとなのッ⁈」
「「ちがうッ!」」
呑気にびっくり仰天しているエリサに、否定の声が二つ飛んだ。……同時に。
と、エリサへのインタビューをしていたヤマダも、しっかりと聞き耳を立てていたらしく、しれっと会話に入ってくる。
「しかし、部外者の私から見ても、結構お似合いに思えますよ。息も合っているようですし」
「そうなの? そうなの? レオナとヴィンス、好き好きなのッ?」
「だから違うってのエリサ。あくまでも成り行きでそう言っちまっただけなのさ。――それから、ヤマダ、死にてぇのか? テメェの死に様でドキュメンタリー作りたくねェンなら、ここは黙っとくところだぞ、コラ」
「よさんか、レオナ。客を威嚇するな。――すまねえな、ヤマダさん。跳ねっ返りばかりで」
ダンが間に入らなければ、レオナは有言実行していたことだろう。そこまで危機が迫っていたとはつゆ知らず――或いはこの数日で肝が据わったか――ヤマダはにこやかに返した。
「いえいえ、二人にはよくしてもらっていますよ、ダンさん。どこへ行くにしても刺激的ですし、素晴らしいアイデアを次々呼び起こしてくれていますから、ははははッ!」
「そう言ってくれるなら恐縮だ。おめぇさんも、図太い神経してるみてぇだな」
「私なんてまだまだ。確かにここに来てから、メンタルが鍛えられた気はしますけど」
それこれも、初日の拷問未遂が効いているのだろう。堅気の生活送ってれば、拷問に手を貸すことになるなんて、想像だにしないはずだ。それでも、まだヤマダが取材を続けられているのは、仕事への熱意か、もしくはどっかしら壊れているのかである。
が、そんなのはどうだっていい。ヤマダ自身も、興味は別にあった。
「それよりもレオナさん、見張られているというのは本当なんですか?」
「アァッ⁈ もういいよ、手前ェでカタ付けっから。つーか話に入ってくンじゃねえ」
可能な限り内密に……そう願っていたレオナだったが、もう色々と面倒くさくなってしまっていた。騒ぎがデカくなってしまった上に、ヴィンセントにもはね付けられたとあっては、自分で犯人探し出すしかない。
そう彼女は決めていたのだが、ボスは事態を軽く見てはいなかった。
仔細説明を求められて、斯く斯く然々話してやると、ダンは顎髭を撫でながら策を練る。
「事はそう単純じゃねえかもしれんぞ、レオナよ。意味のねえ監視なんてものはあり得ん、船外での行動を見張られているとなれば、そこには必ず理由がある」
「大したこっちゃねェさ、ブライアンの奴が誤解して探ってるだけだっての」
「……誤解させたのはお前だけどな」
「ねぇねぇどっちなの? レオナとヴィンスはこいびとなの?」
「だから違うってのエリサ。悪いけどさ、ちょっと静かにしててくんないか」
そう言われてしおらしくならないのがエリサである。
素直に口を噤みはするが、顔はにこにこ、尻尾はぶんぶん、耳はぴこぴことせわしなく、ダンが考えをまとめるまで、彼女は静かにうるさかった。
「ふぅむ……、どちらにせよ捨て置けんだろう。驚異の程は計れんが、覗かれっぱなしってのも面白くねえ」
「じゃあ覗き屋探しの許可出すのか? 良かったなレオナ、後は自力で何とかしろよ」
と、手放しを決めたヴィンセントである。
が――、ダンに名指しされて彼は固まった。
「ヴィンセント、手ぇ貸してやれ」
「いやいやいや、待てよダン。冗談だろ?」
「仕事に支障を来すようになってからじゃあ手遅れだ。それに、今のところは監視だけで済んでいるが、鉛玉が飛んでこねえ保証もない。医者の方はおれが調べるから、お前さん達は、その覗き屋を突き止めろ」
「でもよ――」
「これは、業務、命令だ」
にべもなし。
先んじて言葉を封じられ、拒否権もなし。とはいえ、ダンの推察にも一理あり、結局ヴィンセントは従うしかなかった。どのみち医者探しも急ぎの仕事でもないから、身の安全を優先するべきだろう。それに、レオナに同情しているワケじゃあないが、やはり覗かれっぱなしってのは癪だ。
「ところで、ヴィンセント。レオナと悶着合った男ってのは、どんな野郎だったんだ?」
「あぁ~……犬の半獣人で金髪細身、身長は一七〇ちょいちょいってとこだ」
「外見じゃあなくて、第一印象を教えてもらいたいんだがな」
「面倒くさそうな奴? ロミオとジュリエットのロミオからロミオを引いて、ウザい舞台役者を残した感じだな、しゃべり方とか。しかも名刺代わりに……ってか、名刺を渡されたよ」
「ブライアン・『ストーム』・グッドスピード。どこかで聞いた覚えがあるな、う~む…………ダメだ、思い出せん」
流れてきたばかりの賞金稼ぎだと言っていたし、どうせ気のせいだろう。老化の始まったダンの記憶力やブライアンの人物像はさておき、ヴィンセントにとって重要なのはどうやって覗き屋を誘い出すかである。
「はいなのッ!」
悩ましい時にこそ天啓は来たり。
天にまします我らが主は、狐少女の頭上できっとこう囁いたに違いない『光あれ』と。元気よく手を上げたエリサの上では、名案の電球がこれでもかと光り輝いていた。
「あのね、あのね? ヴィンスとレオナがこいびとかもだから見られてるんでしょ?」
「違うけどな」
しかし、ヴィンセントの些細な抵抗もむなしく、エリサは小さな胸を自慢げに張って、にこやかに名案を謳いあげる。聞かされる側にとっては天使の口から黙示録を告げられているも同じだった。
「だからね、あのね? 二人でデートすればいいと思うのッ!」




