brianstorm 7 ★
しかもその足の速いこと、彼女を追ってヴィンセントが人混み抜ける頃には、レオナは車の横で待っていた。
「いきなりどうした、らしくねえぞ。酒も残していくなんて」
「うるさいんだよ、いいから鍵寄越しな」
「……んー、いやだ」
ここまで焦っているレオナも珍しい。一刻も早くこの場を離れたいらしいのだが、だからこそヴィンセントは拒むのだった。それに、面白そうな気配がするのにすんなり去ってはつまらないじゃあないか。
「せめて理由を聞かせてくれよ」
「ただ、面倒な事に(・・・・・)なるのさ、絶対なる。巻き込まれる前に河岸変えようって言ってンの」
「そう聞かされると、ますます見届けたい気になるな」
「馬鹿かよヴィンセント、アンタだって面倒ごとに巻き込まれンはごめんでしょうが」
「面倒くさそうな面倒ごとに巻き込まれるのはな、面白そうな面倒ごとなら歓迎だ。特にお前が困るようなら尚更な」
「性根ひん曲がってンなテメェ、さっさと鍵寄越せコノヤ――」
ガシャーーーンッ!
レオナの怒声を遮って、突然バーの窓ガラスがはじけ飛ぶ。
何事かとヴィンセントが眺めていれば、次いで散発的な銃声が響き、パニックになった客達が我先にと店外へ飛び出してきた。
「はぁ~、だから言ったのにさぁ……」
「悪い予感ってのはやっぱ当たるな、面白くなってきたぜ」
さてさてどう転がるのか。
ヴィンセントはニヤケ面で煙草をふかし、最早足掻くのをやめたレオナの隣で成り行きを見守る。客も従業員も蜘蛛の子散らすように逃げ、割れたガラスの内側では揉合っている人影が時折覗いていた。
レオナが何も言わないって事は、飛び出してきた客の中に知り合いはいないのだろう。つまり、彼女が眉間にしわ寄せる理由は、あの人影のどちらかという事になる――。
なんて、ヴィンセントが呑気に構えていると、今度は店内で爆発が起こり、辺りにガラス片が散乱した。
「派手にやるね~、お前の知り合いだけある」
「……もういいから、黙っててくれよヴィンセント」
どこかで悲痛な声を上げている店長をよそに二人は佇む。ヴィンセントが興味をそそられるのは、店舗がどうこうより中で暴れている人物、爆発からしばし、ようやく店の外に出てきたその男である。
垂れた犬耳、しかし人間然とした外見の半獣人の男は、大騒ぎの末に捕らえた獲物を地面に向かって投げ出した。
「……あいつか?」
そう尋ねたヴィンセントにためらいがあったのは、にわかには信じられなかったからだ。
半獣人の男は顔立ちのいい好青年で、しゃっきりとした立ち姿から受ける印象も悪いものではない。ましてや、レオナに『会いたくない』と思わせるほどの人物には、とてもじゃないが見えやしない。
だがレオナは、絞り出すように、そして心底嫌そうに頷くのだった。
「……もういいでしょ、行くよ」
「紹介とかしてくれねえのか?」
実に気軽にヴィンセントは言う。見たところ男は同業のようだし、挨拶くらいしても損はないだろう。それぐらい軽い気持ちで彼は言ったのだが、レオナはぎゅっと顔を結んで断った。あまりに力を込めすぎて、顔が尻の皺みたいになっている、どんだけ嫌なんだ。
――と、青年が口を開いた。身を隠していた客達に向かって。
「誰も彼も安心してくれ、此所に悪は捕らえられた! ちいさくも今、正義がなされ、ささやかながら平和が訪れる。この男、あぁ地球より溢れ出た悪辣、パトリシオ・アルバドはその身を以て自らの罪を償うことになる!」
まるで舞台だ。
燃え広がっていく炎に照らされて客席に見得を切る役者、もう、そうとしか見えない。レオナがあれだけ嫌がった理由が、今のヴィンセントには何となくだが想像が付いていた。
あれは、確かにめんどくさい。
「おや! そこにいるのはッ!」
レオナの姿を見つけるやいなや、競歩のような足取りで男が近づいてきた。
「なんたる偶然、広大な宇宙にあって別たれた明星が再び見える日が来ようとは! 私はこの日を待ちわびていた、心の奥底であの日が今生の別れとなるのではないかと、不安に苛まれながら、しかし希望を持たぬ日はなかった、枝が枯れてなおそびえる大樹のように。私は懺悔しなければならない、僅かでも恨んだ自らの運命に、そして感謝しなければ、愛しき人との再会を仕組んだ運命のいたずらに! Ms・バスケス、戦女神マーズと同じ名を冠したこの星で君とこうして出会えたことは、万の言葉を尽くしても語り足りないだろう!」
高らかに謳いあげると、なんと男はレオナの前に跪き、しなやかな所作で彼女の手に口づけた。
「ちょッ、やめな、気色悪い!」
「あぁすまない、感情が昂ぶるあまり忘れていた。この挨拶は好まないのだったね、どうかゆるしてほしい」
「挨拶がわりにキス送る奴なんざ、アタシの回りにゃあいらないんだ。そういうのは、宮廷娘にでもしてやるんだね、次にやったらぶっ殺すぞ」
「うん、どうやら壮健なようだ。砂漠のように力強く厳しい、それでいて果てしなく深い海のような慈愛を感じる、元気そうで何よりだ」
「…………おい、シェイクスピア」
他に呼びようがあるだろうか。
口を挟まずにいられなかったヴィンセントがついに声をかけた。だが、べしゃりのトップギアに入っている男に話しかけるには、いささか悠長すぎたかもしれない。
「あぁ、これまた失礼した、挨拶のひとつもしないとは。その気配からして、あなたも同業なのでしょうな? 遙か上空より獲物見定める、まるで鷹のような眼差し、謙遜など不要ですよ。……おっと、申し遅れました、私はグッドスピード、私を知る人からはブライアン・”ストーム”・グッドスピードと呼ばれています、どうぞよろしくお願いします、Mr.――」
「……ヴィンセントだ、ヴィンセント・オドネル」
「――ヴィンセント、改めてよろしく。私の事は気軽にブライアンと呼んでください。彼女と組んでいるということはつまり、君も相当な手練れのようだね。いや、気を悪くしないでくれ。これは嫌味などではなくて、なにしろゼロドームは、金星の中でも特に治安が悪いと聞いていてね、実際に降りてみて確信したんだ、この街にこそ私が必要なのだとね。だからこそ思ったわけだよ、賞金稼ぎとして在り続ける事がいかに困難であるかと、つまり――」
「いや、そんな事よりだ」
ついにブライアンの言葉を遮って、ヴィンセントは彼の背後を指さした。
「――賞金首、逃げようとしてるぞ」
後ろ手に縛られてもコツさえ知ってれば立ち上がれるし、足が動けば当然走れる。押さえた獲物から目を離すなら、最低限、手足を拘束しておくべきなのだが詰めが甘い。……はずなのに、ブライアンはこれっぽっちも気にした様子がなかった。
「あぁ心配ご無用さ、実力に自信はあるが単身で事に当たる程、自惚れてはいないからね」
そして、その言葉通り、走り出した賞金首は数メートル逃げたところで、もう一度アスファルトを舐めることになった。佇んでいた女に、足を引っかけられたのである。
「なにしやがる!」と賞金首が言う。その顔を、女はヒールで踏みつけ黙らせた。
実に事務的に行われた暴力行為には、ヴィンセントをして眉を潜める程だった。感情を殺して仕事に臨む姿勢ってのは大事だが、女が無表情で男を踏みつけているのを目の当たりにすると、何とも言えない感情が湧くのだった。
OL風の女はサラと言うらしく、ブライアン曰く、彼女は恥ずかしがり屋だそうだが、事務的に人を踏みつけて、事務的に人を縛り上げる奴を『恥ずかしがり』と呼ぶのなら、ハバネロはきっとチョコよりも甘いだろう。
「手際が良いってより、テキパキしすぎててむしろ怖いんだが」
「秀でた才能というのは中々理解されにくい、しかし私もバスケスも、幾度となく彼女の視野の広さに救われたよ、私が一を言う前に、百の答えを用意してくれているんだ。――こんなに心強いことはないよね」
「…………あぁ、かもね」
またぞろ苦い思い出でも掘り出したのかレオナの表情は曇り、悪戯心から居座りを強行したヴィンセントも流石に気の毒になってきていた。まさかこうまで彼女が苦手とする相手がいようとは彼にも予想外だ、会いたくない人物と言うからには、てっきり顔合わせた途端に殴り飛ばすものだとばかり思っていたが、逆に口数すくなってしまうとは。
「そうだ二人とも! 私たちの用事もすぐに済む、こうして出会えた今日の善き日に感謝して、この後に食事でもどうだろうか? 共に食卓を囲みながら、目一杯腹を膨らませ、勝利と運命に感謝を捧げよう。悪を憎み、そして正義を愛する者同士、語り合おうではないか! 夜が更けようと、日が昇ろうと今日という日を忘れぬようにッ!」
「わるい、そりゃあ無理だ」
訥々(とつ)と、ヴィンセントが返す。
興味本位で残った手前、都合が良いのは承知しているが、こんな面倒くさい野郎と一晩酒を酌み交わすなんてまっぴらである。
「――これから人と会うんでな。だろ、レオナ? エリサを待たせてる」
「あぁ~、そう! そうなんだよブライアン、またの機会にしようじゃないか」
「時間さえあればあんたの話も聞いてみたいんだが、そういうことだから……残念だ」
「そうだったのか、私も実に残念だ。なぁに気にしないでくれ、しばらくは私たちもこの街にいる、蔓延る悪をグッドスピードの名の下に捕らえなければ、僅かでも人々との暮らしが平和であるために。暇が出来たら連絡してくれ、いつでも」
そう言って差し出された名刺を、ヴィンセントのはつい受け取ってしまった。
「さて、引き留めて済まなかった、さぁ早く向かってくれ。その人はきっと君たちが来ることを待ち望んでいるはずだッ!」
「あぁ、そうするよ、じゃあな」
ヴィンセントそそくさと車に乗り込む。
と、同じく去ろうとするレオナの背中にブライアンがもう一度声をかけた。
「最後に一つ聞かせてくれるかい、バスケス。差し出がましい問いだとは分かってはいる、しかし問わねばならないのだ。不躾な物言いをする舌を噛みながらも、私はだが、尋ねずにはいられない、真理の探究者がその好奇心が故に地獄に落ちようと知りながらも、歩みを止められないように」
「…………なにさ?」
ぶっきらぼうな返答、その怪訝な眼差しを潤んだ瞳に映しながら、ブライアンは勇気を振り絞りこう尋ねた。
「彼とは、どういう関係なのか」と――




