brianstorm 6
ヤマダへの別れの挨拶も適当に発進。
品のないネオンサインを脇に見ながら、ヴィンセントはだらだらと帰路を流す。聞こえてくるのはラジオから流れる音楽だけで会話はなかったが、彼にとってはこの沈黙も日常の一ページ、黙りこくったレオナが助手席に座っていても、別段、気を揉んだりはしなかった。だからしれっとハンドルを切ったが、道を逸れたことにはすぐ気がつかれた。
「あれ、どこ行くのさ?」
「寄り道だよ、寄り道。今日は散々だったからな、一杯引っかけて帰ろうぜ」
血管にウィスキーが流れているような女であるレオナが、呑みの誘いを断るはずがないのだが、彼女は珍しく渋るのだった。
「この前黙って呑んで帰ったときのこと忘れたの、アンタ? エリサ怒らして、しばらく晩飯に野菜しか出なくなったじゃんか、アタシは兎じゃあないんだよ」
「健康的な食生活ってやつを思い出せたろ? ――まぁ、安心しろ、先に連絡してあるから」
「ふぅーん、ならいいよ。付き合ってやる」
胃袋を握られた弱みである。
今回と同じように、仕事帰りのタイミングからついつい夜明けまで呑んで帰った日の朝に、エリサからこっぴどく叱られた二人である。「待ってたのに!」とむくれながらも、寝不足に腫れた少女のまぶたに、心配をかけないようにしようと約束をした。
が、まぁ軽く呑んで帰る分には問題ないだろう、反省点も活かしてある。
見かけた看板に引き寄せられて車を停めると、二人は店内へ入っていく。丁度、酒場のゴールデンアワーだけあって、店の中は客でごった返していた。壁際のテーブル席が空いていたのが奇跡にさえ思える。
席に着くより先にレオナは便所へ立っていったが、注文に困ることはない。人だかりの間をするするとすり抜けてきた元気の良いウェイトレスを待たせず、ヴィンセントは注文を伝えて料金を前払いした。それから気持ちばかりのチップも一緒に――。
「忙しいトコ悪いんだけど、一杯目だけすぐもらっていいか?」
「ええ、いいわよ。彼女を待たせたくないものね、待っててすぐに持ってくるから」
それだけ言うなり踵を返し、客の海へと戻っていくウェイトレス。イキの良い彼女の後ろ姿を見送ってから、ヴィンセントは賑やかな店内をざっと眺めていた。誰も彼も、酒と雰囲気に酔っていて、笑いとだみ声の似合ういい酒場である。仕事終わりに一杯煽るだけならこういう店が相応しい。
そもそも、のっそりと戻ってきたレオナみたいな女と、洒落た店で酒を楽しんでいる姿を、ヴィンセント自身が想像できなかった。
「注文は?」
戻ってくるなり、レオナの質問はこれだ。
「もうしてある。世界一うまい酒をな」
「こんな店に、ンな高価な酒置いてるワケな――」
「はい、おまたせ!」
元気ウェイトレスのお戻りだ。急いでくれとは言ったが、彼女の帰還はありがたいことにヴィンセントの予想より早かった。
「コロナとウィスキー、それとフライドチーズね! それじゃ、ごゆっくり! あぁ、2杯目からはカウンターに言ってね、その方が早いからさ」
まるでつむじ風。品物と伝票を素早くテーブルに置くと、ウェイトレスは次の注文を取りに飛んでいった。そして、ヴィンセント達は互いの前に間違って置かれたグラスと瓶を、黙って交換する。提供先が入れ替わるのなんてよくある事だ、……むしろ、注文した酒が正しく配られる方が少ないくらいなので、最早、二人とも何も言わなくなってしまっていた。
そのまま、黙って乾杯。
黙って一口までが通例となっている。が、今日は少し違った。一口酒を舐めるレオナの様子を、ヴィンセントは瓶に口をつけずに眺めていた。
「……腕は?」
「あ?」
一音発するレオナの表情は、それはそれは胡乱な物であった。
「あぁ、たかが車にぶつけられただけさ、大した事ぁないさね」
「跳ねられたら普通は病院行きなんだがなぁ……」
「ハッ、馬鹿かよヴィンセント。そりゃあアンタだったら泣いて喚いて救急車に飛び乗るだろうけど、ひ弱なアンタとは身体の出来が違うのさ」
それもそうだ、とヴィンセントは肩を竦める。レオナが弱音を吐かないと分かってはいるが、突っ張っている彼女を気遣えば気遣うだけ無礼だろう。
「――余計な心配だったか」
「むしろ、アンタが気にしなきゃならないのはこっち(酒の方)だよ――」
グラスを振りながらレオナが言う。
「――『世界一上手い酒』だって? アタシにゃあ飲み慣れたジャックにしか思えないけどね」
「嘘はついてないぜ? 他人の金で飲む酒は絶品だろ、一杯目は俺持ちだ」
「オイ、余計な気遣いすンなってのさ。アンタに心配されてるって考えるだけで死にたくなる」
「医者追いかけたら奢れって言い出したのお前だろ、忘れたのか」
凄むレオナに、あっけらかんとしてヴィンセントは返した。
彼の口調にはもう遠慮もなく、皮肉も時期に戻ってくるだろう。
「……へんなトコは拘るよなぁ、アンタってさ。律儀っつぅかさ」
「俺は出来る約束しかしない性質でね。腕が痛くて眠れなくなるならレオナ、抱き枕も買ってやるよ、デカいやつ。ベソかいておぼれないように」
「安酒しか奢れない野郎が見栄張るもんだ、ンなもんよりダルモアくらいは出して欲しいね」
「借金持ちが図々しいな、負け分全額返済したら考えてやるよ」
「ケッ、直にひっくり返してやるさ」
虎耳をそっぽに向けならがら、レオナは酒を舐めた。
何度も言うが彼女には耳の痛い話なのだ。しかも、自分から持ちかけては負け分をじわじわと増やしているのだから、世話がない。かといって引き下がれないレオナの性分が傷を拡げていた。
「そういやさぁヴィンセント――」
「おっ、話逸らしたな」
「うるせえな、腰折るんじゃないよ。『取引』って言うからには貸し作るついでに、牛野郎に要求出したんでしょ、何頼んだのさ」
「相棒に気兼ねなく酒を振る舞う男が、そんなにがめつく思えるか? 心外だな」
「ぬかすなよ。弱味につけ込んでいくのがアンタだ、だろ?」
使える物を使うのは、仕事を円滑に回すための知恵である。だが、アコギが過ぎると手痛いしっぺ返しが来るので、ほどほどであることが肝要だ。ヴィンセントが浮かべる笑みは、何とも意地の悪いものだった。
「要求なんて大層な内容じゃあない、ついでで済む程度のナシだよ。俺等の探してる医者、見かけたら伝えてくれってだけだ、安いもんだろ」
「控えめだね、アンタにしちゃ」
「……ふん、少しくらい情にもよるさ。仲間やられて黙って身ィ退けってのが無理な相談だ。まぁ連中からも似たような頼みを受けちまったからトントンだ、『賞金首を見かけたら教えてくれって』、特徴的な外見だから目立つと思うんだが……、っておい、レオナ、聞いてんのか?」
「………………」
レオナは唖然としながら客であふれかえる店内ばかりを眺めていて、ヴィンセントの話は右から左、よく音を拾いそうな虎耳もその役目を放棄していた。それにつけても気になるのはとてつもなく胡乱な彼女の表情である。
「……おい、どうしたんだ? 知り合いでもいたか」
飲み過ぎた翌朝に見知らぬ相手とベッドにいてもあんな顔にはならないだろう。
レオナの視線を追って店内眺めるヴィンセントだが、客でごった返している中から目星もなくアタリを付けるのは無理だった。なので誰を見ていたのか尋ねようとするが、彼女は巨躯を丸めて席を立ち、そそくさと店を出て行ってしまう。




