brianstorm 4 ★
一日の儲けとしてはかなりの額だった。
だが彼は小汚え虫共と同居しながら、ファストフードとしゃれ込んでいた。贅沢しなけりゃあ二ヶ月は暮らせる報酬を得つつも、貧相極まる生活に甘んじるばかり。狭いアパートの一室、彼はその隅で咀嚼したパンをすきっ歯からコーラで流し込んでいた。
乱暴なノックで、扉が開かれるまでは――
「よぉ、デューク。調子はどうだい?」
戸口を塞いでいるのは黒髪の男、そして厳つい虎女。他でもない、ヴィンセントとレオナである。にこやかな表情をたたえてこそいるが、目だけが笑っていなかった。コーラをすする口も止まる。
「お……、おぉオドネルか、一体どうしたってんだい」
「なぁに大した用事じゃねえよ、飯時邪魔して悪かったな。気にせず喰っててくれ」
「あ、あぁ……、ところで、後ろのは誰だ」
レオナの陰に隠れていた場違いな男を見咎められるが、ヴィンセントは「こっちの客だ」とはね付ける。
ヤマダは、サインをした。ならば間近で、のけぞらんばかりの特等席で取材させてやろう、ヴィンセントの心配事は、彼が腰を抜かさないかどうかである。
「なるほど分かったぜ、またおれ様の助けが必要になったって事だなオドネル? 賞金稼ぎの次は便利屋仕事で一稼ぎって訳だ。忙しくって羨ましいね、だが、あんた達が仕事をこなせるのは情報あってのことだってのを忘れちゃあならねえよ?」
「身に染みてるさ」
「それじゃあお伺いしようか、何を調べてほしい? 人捜しか?」
「フン、情報屋だけあって勘はいいみたいだね」
冷ややかな熱気を放ちつつレオナが言う。
睨め下ろしながら近づいてくる彼女の凶相に、デュークは何を思っただろう。少なくとも悠長に食事を続けられるとは考えなかったようだ。
なるほど、勘はいい。手遅れ感は否めないが、それでも尚、彼はまだ自分の能力を評価しているらしい。
「これが一流の条件なのさ、レオナ。あんた等賞金稼ぎはこの街で頼るべき相手を間違ってる。ルイーズ? ハッ、あんな尻軽な雌猫が股開いて集めたゴシップなんざより、おれ様みたいな本物を頼るべきだ。娼婦の営業トークと職人、どっちが信頼足るかって話だよ」
「穴兄弟ネットワークよりかは頼りになりそうだね。ついでに頭が切れるかどうかも教えてもらおうかい、えぇデューク? さぞ知見に富んだ話が聞けるんだろうね」
「任せてもらおう。それで、何処の誰の便所を覗いてくればいい?」
完璧だ、こいつは完璧にアホだ。
自分の能力に自信を持ち、それを売り込むのは働く上で必要な素養であろう。しかし、時に俯瞰視点で己と周りを見つめ直すことのできない奴は、必ず致命的なしっぺ返しを喰らう。しかも愚かにも、彼らがその原因に気がつくことはない。霧に巻かれた山岳地帯を、明るいからと走り回る馬鹿と同じだ。次の瞬間に足場が消えていることなど、考えもしていないのだから。
「そうさね、とりあえずはアタシがこれから誰を殴るか当ててみな」
早速だ、いや……既に、と言うべきだろう。
デュークはとっくに断崖に踏み出していたのである。レオナの、これからぶん殴る相手に向けられた凶相に当てられて、彼はようやく落下していることに気がついたらしい。
「どうしたデューク、手が止まってるぜ――」
ヴィンセントが口を挟む、転がり落ちていく物体を眺める目付きで
「――時間はある、ゆっくり食えよ。しばらく流動食しか食えなくなるんだからな」
「なにを言って……」
ずがん、と素早く、レオナの豪腕がデュークの頭を机に叩きつけた。そのまま押さえ込まれるが、いくら暴れたところで彼女の拘束から逃れるのは不可能だ。
片腕であっても、レオナの腕力に勝るのは難しい。彼女は眉間に皺を刻みながら、潰れかけたデュークの鼻先まで顔を寄せる。
「テメェが一流なら便所落書きはモナリザだ、阿呆め。アンタが寄越したガセネタのおかげでこっちは大迷惑被ってンだよ、この落とし前どうつけるつもりなんだ、アァ⁈」
「ガ、ガセネタって何の話だ! 医者の隠れ家なら正確な情報渡したじゃねえか、狩りしくじったってなら、そっちの責任だろッ!」
情報屋の仕事は依頼主の希望した情報を知らせることであって、その情報の使い道や事後については不干渉、現場でしくじろうが知ったこっちゃないのは当然の反論だ。
利はデュークにある……様に聞こえる、ここだけ聞いていれば。
「確かに医者を逃がしたのは俺たちの失敗だ。だが、お前の情報には抜けがあった」
「抜け……?」
「あの医者にはメキシコ人の友達がいた、どうなったかは言わなくても分かるよな」
「……だとしてもだ、撃合いになったとしてもだ。おれの仕事は終わってるし関係のねえ事だ、そうだろ。さっさと放してくれ……」
「駄目だ」
唯々、冷淡にヴィンセントは言うのだった。
ルイーズから何度も聞かされているとおり、情報というのは生物だ。時間が経てば鮮度は落ちるし、姿形さえも変わることがある。だからこそ普段なら、多少の差異に一々目くじらを立てはしないのだが、今回はその普段とは状況が違う。
「追加料金を要求したよなお宅、『この情報は絶対正確だ、だから再交渉したい』って。んで、俺たちはそれに応じた、一本数ドルのテーブルワインをロマネ・コンティのボトルに詰めて売りつけたんだ。その頭が葡萄みてぇに潰されてないことに感謝してほしいくらいだぜ」
デュークの顔が白葡萄みたいに青ざめた、欲を掻いたことを今更後悔しても後の祭りである。
「わ、わかった……、あぁ、それじゃあこうしよう。医者はまだ逃げてるんだろ、奴の居場所を調べるよ。安くしてお――イテテテッ!」
「この期に及んでまだ金を取ろうって⁈ どんだけ面の皮が厚いんだテメェッ!」
「わかった、わかった! ロハで良いッ! なぁ、これでチャラって事にしようや!」
落としどころとしては妥当な線である、つまりは料金分の仕事をし直せということだが、レオナに押し潰されているデュークの顔よろしく、奴の信頼はサンドウィッチみたいに平たくなっていた。消費期限をぶっちぎったベーコンを腹に収めるのは御免被りたい。
「安かろう悪かろうってのは分かっちゃいたが、流石に今回のは見逃せねえし、手抜き工事の家に二度も住むつもりもない。とはいえ、全額返せはアコギ過ぎるからな、割増料金分を返金してもらえれば満足だ、それも断るなら、まぁ……仕方ねえよな(・・・・・・)?」
「む……ムリだぁ……」
か細い声でデュークが言えば、レオナは牙を剥いて唸る。
「じゃあアタシ等から巻き上げた金で、差し歯でも買うこったね。――おい日本人ッ!」
「えッ、あ、はい!」
まさか水を向けられるとは思っていなかったヤマダは、頓狂な声で返事をした。意趣返しの片棒を担ぐとは、なんと臨場感に富んだ取材であろうか。
「ぼさっとしてないで、車からペンチ持ってきな」
「ペ、ペンチなんて、何に使うんですか……」
んなもん決まっている。ヴィンセントとレオナは目を見合わせると、歯をこつこつと叩いて見せた。ビニールシートだの、ノコギリだのを要求されていないだけ、マシだと思ってもらいたいものだ。ヤマダにも、そしてデュークにも――
「金なら返す! だから勘弁してくれ!」
「何言ってンのさ? 今、返さねェって言ったばっかだろうが」
「ちがうちがうッ! 返したくても返せねえんだよ、もう使っちまったんだ、借金の返済に! 少し時間をくれ、そうしたら必ず払うって! だからよぉオドネル、やめさせてくれ!」
アテもないのに無理な相談だ。ヴィンセントは静かに頭を振ると、眼前の現実に固まっているヤマダに水を向けた。
「――はやくペンチ持ってきてやれ、じゃねえとレオナの奴、素手で歯医者ごっこを始めるぞ。それとも、あんたも尻尾巻いて帰るかい」
「あ、……いや、しかし……、こんな拷問まがいなことまで……」
「そうだぜオドネル、その兄ちゃんの言うとおりだ、焦る事ァねえだろ――イテテテッ!」
「囀るんじゃねえよタコ、アンタが口にして良いのは『今すぐ払います』の一言だけだっつの。他にもまだ喋る気なら舌から抜いてやるぞ」
穏便に済ませる手段は提示済みで、しかし残念ながら対応できかねるというのなら相応の手段を以て手打ちにするしかない。信用のある相手ならば先送りに一考の価値はあるが、相手がデュークじゃそれもなし。見逃せば他の同業者から嘗められることにも繋がりかねないからだ。
だが、ヴィンセント達には常識としてある考え方も、ヤマダには初見初耳、初体験。ベッドイン直前の童貞みたいに緊張してしまって、いまだペンチを取りにも行けなかった。
刺激が強すぎるって?
確かにそうかもしれない。だが、指示に従っていれば、戸口に現れた厳めしい牛男達に肩を掴まれることもなかったし、驚いた拍子に脛をぶつけることもなかっただろう。
ばたばたと騒がしくなる戸口であるが、そちらを見遣るヴィンセントは、すっかりブルっているヤマダよりも、牛男達の方に意識を持って行っていた。彼らはもれなく牛の獣人で、砂埃が似合うハットとブーツ、腰に提げてる革製のガンベルトには、古きアメリカの回転式拳銃が収まっている。
その外見からして……いや、名前の方が先に立っているのかも知れないが、とにかく彼らは『カウボーイズ』と呼ばれている賞金稼ぎ集団である。ヴィンセントも会うのは初めてだが、流石に同業、名前と特徴くらいは耳にしたことがあり、それは向こうも同じようだった。
互いに値踏みするように相手を眺めると、牛男の方が先に口を開いた。
「……アルバトロス商会か、ダンのところの部下だな」
「ミノさんだっけ? 名前は聞いてる。うちのボスと知り合いだけあって、良い趣味らしい。ビーム兵器が出ようって時勢にコルトとウィンチェスターライフルとは恐れ入るよ」
瞬間、空気がひりついたのは、ヤマダでも感じ取れた。が、互いに悶着起こすつもりはなく、ヴィンセントの皮肉は、若造の逸りと受け流される。ミノは黙って握手を求め、ヴィンセントもまた黙って応じた。
「連れには悪いことをしたな、驚かせるつもりはなかった」
「なに、いい経験になったさ。背中に気をつける重要性が身に染みただろう」
そう嘯きながらヴィンセントは煙草に火をともす。
ミノ達くらいの賞金稼ぎがランチの誘いでもあるまいし、用事もなくデュークを訪ねるはずがない。さて、どうやって腹の内を聞き出すべきか……。なんて彼が思案を巡らせていると、むしろ相手からさらけ出す様子である。
ミノは取り押さえられているデュークを一瞥すると、ヴィンセントを廊下へと呼び出した。部屋から出て行く彼らを睨むレオナ、そして依然としてサンドウィッチ状態のデュークは何を思っただろうか。一つ確かなのは、ある人物の置かれた状況が好転することはあり得ないという一点だけである。
その人物は、なんとか無事に済ませようと頭に見合わぬ大口を振るおうとしてこそいたが、声は言葉になる前に、レオナの豪腕によってレタスより薄く潰されるばかりだった。彼がようやくまともに息を吸えたのは、暫くして、ヴィンセントが戻ってきたときだ。
「もういいぞ、レオナ、放してやれ」
吸い終えた煙草を踏み消しながらヴィンセントが言った。
「はぁ? まだ始まってもないじゃンかよ、牛野郎にビビってンの? こいつはアタシ等のだ」
「いいから放してやれ、引き上げるぞ」
そう言うなり、ヴィンセントは背中を向けてさっさと部屋を出て行ってしまう、訳も分からないヤマダを連れて。
「おい、ちょっヴィンセント……! あぁクソッ!」
放し様、デュークの頭をもひとつ机に擦りつけてやってから、レオナも仕方なしに後を追う。廊下で待機していた『カウボーイズ』共をとびきりの眼光で切りつけてから、駐車場まで駆け下りていくと、ヴィンセントが車の前で待っていた。
したり顔のヴィンセントに、無論、彼女は怒り心頭で近づいた。
「キチンと説明できるんだろうね、ヴィンセント」
「取引した」
青筋立てているレオナの凶相は、車内にいるヤマダでさえ震え上がる破壊力があったが、ヴィンセントはというと、実に冷静に応じたのだった。
「怖じ気づいて譲るのを取引とは言わないンだよ、連中の言い分は?」
「お前の想像通り、デュークを寄越せ、だ。それに連中に貸しを作っておいて損もないしな」
「学のねぇ頭で政治屋の真似事かよ」
「安心しろ、他にも理由がある、道理もな」
いけ好かないとレオナは鼻を鳴らす。
どんな理由があろうが早い者勝ち、これは賞金稼ぎの暗黙の了解である。にもかかわらず、先達が図々しくも横取りしていったのが、彼女は気に入らないのだろう。それとなによりも、簡単に譲ったヴィンセントにキレているのかもしれない。
だが、レオナでも納得する事情がカウボーイズにあったからこそ、ヴィンセントは身を引いたのだ。
「仲間が死んだんだとよ、デュークの、ガセネタの所為で」
チャイナタウンで起きた銃撃戦、その場にいたのはカウボーイズの面々だった。ある賞金首を追って踏み込んだまでは良かった、部屋の中には中国人が七人、ここまでは情報通りである。
ところが問題が起きた。
そこに賞金首はいなかったのである。確かによく似た背格好の男はいたが、見聞してみればまるで別人で、そうこうしている間に騒ぎを聞きつけた中国人共に襲撃された。ビルの一室で起きた火はあっという間に燃え広がり、カウボーイズはチャイナタウン一ブロックを敵に回して遁走、その最中に彼らの一人が背中に一発もらった。
背骨に当たり、即死だった。
そう語ったミノの、あの目を見てしまったら、譲らざるおえない。
仮に提案を持ちかけられたのがレオナだったとしても、彼女もまた、ヴィンセントと同じように渋い顔で首を縦に振っただろう。
仇討ちはする、その原因を作った奴にも罰を下す。成る程、法律とは異なる、自己の法で行動している裏社会に身を置く者の考え方に、業腹ながらも納得したのか、レオナはそれ以上何も言わず、押し黙って助手席に乗り込んだ。




