brianstorm
金星にドーム型の都市を作り上げた偉大な人物達には尊敬の念を禁じ得ない、手狭になった地球の外に、新たな家を造り上げたのだから、彼らの偉業がタイプされたウィキペディアの記事は後世まで受け継がれておくことだろう。太陽光を存分に生かしたメガソーラー施設、大気を閉じ込めるエネルギー式の天蓋、軽く周りを見渡すだけで先進技術の恩恵を感じるが、肌に張り付く茹だった空気だけはいただけない。郷愁を胸にプログラムを組んだ東南アジア出身者に空調システムを委ねたのは絶対に間違いだと言い切れる。当時の責任者は現状のゼロドームで生活してみるべきだ、そうすれば、金星に新しいインドシナ半島を作ろうとはしなかったろうから。
万事が上手く運ぶなんてのはそうそうあるもんじゃあ無い、良いことであろうと悪いことであろうとだ。だが、まぁ山在り谷在りってのが人生の常ってもので、谷より下に落っこちなければ案外と快適なものだ。人間やら獣人やら、堅気やら悪党やらを詰め込んだサラダの中でも、土の下よりマシなのである。
とはいえ、食うためにはやはり労働は欠かせず、ヴィンセントとレオナは、べたつく空気と埃が舞う雑多な都市に似合いなアパートの廊下に足音を響かせていた。貧乏暇なし、安い仕事でもこなさなければお飯の食い上げだ。だのにレオナは、二メートル超えの巨躯と虎の外見を持ちながら濡れた猫みたいにぶつくさ言っていた。
仮釈放中に逃げた奴をとっ捕まえて地球に送り返す。
彼女曰く、こんなのは餓鬼の使いだと。
凶悪犯ならいざ知らず、相手は医者ときたモンだ。しかも罪状は医薬品の横流し。
どうやっても退屈だとごねるレオナの意見に関しては、隣を歩くヴィンセントにだって反論はないが、仕事を受けた段から、顔を合わせるたびに判で押したような文句ばかり並べられては、いい加減鬱陶しくもなる。そんなヴィンセントにとって幸いだったのは、口を噤まなければならない瞬間が、目前にあるアパートのドアと共に近づいてきていることだった。
相手が小物でも、突入する戸口でお喋りなんざ間抜けも良いトコだ。
さて、いざ踏み込むが、何も押し入る必要は無いだろう。とはいえレオナは組んだ両腕に胸を乗っけて様子見の構えなので、プレイボールの宣言はヴィンセントの役目となった。
――ノック、ノック
「あ~、すみません。アパートの管理会社の者ですが」
そんなありきたりな、とレオナが無言で抗議してくるがヴィンセントは肩を竦めるだけ。そもそも任せたのだから余計な口出しをするなって話だ。
「こちらのアパートからネット回線が繋がらないと多数報告を受けまして、各部屋の機材をチェックさせていただいているんですが、こちらのお宅では何かしらの異常は――」
ありますでしょうか?
そう続けるつもりだったが、ヴィンセントの耳は返事よりも先に、慌ただしい物音を聞きつけた。室内で何かを蹴倒したような音に足音、それも複数だ。
便利屋稼業に身を置いて、賞金稼ぎの真似事もする。こんな生活をしていれば、どうしたって危機には敏くなるもので、その直感においては、むしろレオナの方が抜群に鋭く、彼女は既に扉を蹴り破ってカスタム・デザートイーグル"雷吼"を抜いていた。
続けヴィンセントも突入すれば案の定、室内では医者には見えないゴロツキ共があわを食っている。まぁ突然部屋に飛び込んできた筋骨隆々の虎女が、棍棒みたいなデカい銃振りかざして睨みを効かせれば、誰だってああなるから、正常な反応ではある。
「おぉっとお前等! 脳味噌をプディングみたいにシェイクされたくなきゃ大人しくしてろ!」
飛び込んじまったからには仕方が無く、機先を制してヴィンセントは怒鳴り室内を見渡した。そこにいるのはゴロツキが二人だけで獲物がいない、最悪の空振りだ。
「……医者はどこだよ、レオナ」
「アタシが知るかよ、見張ってたのはアンタだろうが」
その通り、部屋を見張っていたのはヴィンセントだった。だが、彼は間違いなく獲物がこの部屋の窓に映ったのを確かめていて、だからこそ踏み込もうと決めたのだ。踏み込むまでの間に部屋を出たわけでも無い、外出したのならエントランスか廊下ですれ違っている。
と、すれば何処にいるかは自ずと知れる。例えば部屋にある二つある扉のどちらかだが、しかし、片方が外れであろう事はすぐに判明した。
重ねてになるが、鉄火場に身を置いていると色々なことに敏感になる、ポンプアクション独特の装填音は聞き逃しようがない。
早撃ち一閃
扉越しにレオナの50口径が火を噴き
触発されたように銃へ飛びついたゴロツキ二人には、ヴィンセントの二挺拳銃がきっちり鉛製の釘を刺す
銃撃戦は一瞬のことだった。轟いた銃声は僅かに四つ、これを戦いと呼べるのかは怪しいか。
「やれやれだぜ、今日は撃合いなしでいくつもりだったんだけどな……」
「ホントにここに泊まってたんだろうね、その医者野郎は」
「間違いない、って言いたいとこだが説得力はねぇな。見た感じヒスパニック系だが、こいつらが何者なのか聞くには、死者の日まで待たなきゃ駄目そうだ」
「こいつ等にマリーゴールドとチョコレートを供えるくらいなら、その金でテキーラを呑むね、アタシは」
「……そっちはどうだ?」
撃ち倒した二人を見聞しながらヴィンセントが問えば、レオナはちょうど孔の開いた扉の向こうを覗いているところだった。
「プディング塗れ」
雷吼が使用する500.S&Wマグナム弾は、本来、絶大な反動と威力を楽しむためだけの、所謂、趣味性の塊みたいな弾丸だ。そんな熊にさえ有効打になり得る銃弾で人間を撃てばどうなるか? 何処に当たっても致命傷、ましてや頭部にもらえば西瓜みたいに消し飛ぶから、何を聞いても『死んでます』以外の答えは返ってこない。
となれば当然、ヴィンセント達はもう一つの部屋を調べることにしたのだった。
「向こうって寝室?」
「多分な。資料の感じじゃあ抵抗するタイプじゃなさそうだし、ベッドの下で丸くなってんじゃねえのか」
「もうどうでもいいから、さっさと済まそうじゃないか。ヴィンセント、帰りに一杯奢りなよ? アンタが目ェ開けたまま寝てた所為で撃合いになったンだ」
「先に仲間がいるのを知ってたら話し合いで解決したってか、俺はそうは思わないな」
軽口叩きながら寝室の扉を開ける二人。ただの逃亡犯を捕まえるのに大騒ぎを起こしたもんだが、ようやく帰路につける、そう思っていた。
しかし、またしても部屋に医者はおらず、どうなってんだと二人が目配せしていると、窓の外で物音がしていた。金属の板を踏みならす足音だ。
「おいおい、マジか」と、ヴィンセントが面倒くさそうに天を仰げば
「そりゃアタシの台詞だよ」と、レオナが深いため息をつき
彼らが窓から外を覗けば、非常階段を必死に下っていく後ろ姿が目に入る。顔は判別できないが、奴が目当ての医者で間違いないだろう。雰囲気からして、場違いな気配がムンムンしている。まるでワニだらけの水辺に落っこちた鶏みたいだ。
「あ~あ~あ~、頑張るねえ……」
「アンタが追っかけなよ? 雑魚を追い回す趣味はないからさ、アタシは」
「俺だってねえよ、そんな趣味」
「アンタ弱い者いじめ好きだろうが」
「あぁ~そいつは違うな、俺が好きなのは自分が強いって思ってる奴をカモる事だ、特にカードで。お上品な趣味だろ?」
「……うるせえ馬鹿野郎」
この話題になるとレオナは決まって不機嫌に唸るのだ、なにしろ負けが込んでるからな。
「じゃあこうしよう、あいつを追うなら昨日の負け分はチャラってのはどうだ」
「ケチ臭いこと言うンじゃないよ、はした金でアタシを使おうっての?」
そこまで言うなら返せるだろう、と黙ってヴィンセントが左手差し出せば、レオナはウザそうにその手をはねのける。
それと殆ど同時だった、頓狂な声がリビングの方から聞こえてきたのは。
「おいおい、いったい何だこりゃあッ⁈」
声を上げたのは床で冷たくなってる連中の仲間らしい男だった。
イヤホンの所為で銃声が聞こえなかったのか、ひどく狼狽している。そして、動揺したのはヴィンセント達も同様で、目が合った瞬間にお互いが敵だというのは認識こそしたが『やっべぇ、どうしよう』という共通の思考が巡って、数秒間見つめ合ったままだった。
男が、抱えていた中華のテイクアウト投げ捨てて逃げるまでは――
「レオナ、そっちは任せた!」
「しょうがねえな! チャラついでに一杯奢ってもらうからなッ!」
逃げたら追うが賞金稼ぎの性、レオナのがなり声を背にしてヴィンセントもすぐに駆けだしていた。
廊下へ飛び出し階段まで走る
下る途中で銃撃されるが、ヴィンセントは怯まずに反撃
一階まで逃がしたら面倒が増える
牽制射撃で道を塞ぎ三階の廊下に誘導した
踊り場から廊下へ引っ込む男をさらに追い詰めるヴィンセント
しかし、階段はヴィンセントの背後で逃げ道は無いのに、男はまだ諦めていないらしい。手近な扉を蹴破り室内を横切ると、窓から隣の屋上へ飛ぶ。後から室内へ入ったヴィンセントは親子に非礼を詫びて追跡した。
医者もそうだが、今日の獲物はよく粘る。障害物を乗り越え、跳びはね、数棟建物を伝い逃げてから、雨樋を頼りに通りまで降りたのだから大したものだ。とはいえ、追いかけるヴィンセントとしては、時折鉛玉に身を晒しているので、次第に苛立ちが募ってきてた。
彼も雨樋を伝い降りて、途中で停まっていたバンのルーフに飛び移る、そのまま転がって通りに着地すると遠ざかる後ろ姿に怒鳴る。
「逃げるんじゃねえよクソッタレ、止まれこの野郎!」
ありきたりな台詞だ、男だって当然従いはしない。クラクションを鳴らされても立ち止まらず、男は向かいの路地へ飛び込んだ。
入り組んだ路地で撒くつもりだろうが、させるものか。そう意気込んでヴィンセントも路地へと入っていけば――ババンッ! と銃声が響く。
男が逃げざまに撃ったのだ。
後ろ手に撃った弾なんかそうそう当たるものではないが、狭い路地では十分驚異で、丁度ヴィンセントが身を隠したゴミ箱にも着弾している。
「あぶねえ、あぶねえ……」
確実に追い詰めているのにラッキーショットで無駄にしたくない。どんな時でも最後が肝心で、気を抜いたらジェンガみたいに崩れてしまう。逸る気持ちを呼吸一つで宥める、体は熱く、頭は冷たくだ。踏み出す一歩も、銃把を支える両手の手も張り詰めさせて、ヴィンセントは追跡を続ける。後は慎重かつ素早く詰めるだけだ。
実際、男の方に余裕は無くなっていた。気力はあっても、逃げる途中で冷静さを落としてしまったらしい、そうじゃなきゃ弾切れになっても拳銃を投げつけてきたりはしない。
さて、わざわざ丸腰になったと主張してくれたのだから、望み通り捕まえてやろう。
「さぁどうする、まだ逃げるか?」
「ふざけんじゃねえ、誰が捕まるかッ!」
つくづく今日の相手は頑張る。余裕もあるし、まだ逃げる足に一発撃ち込んでやろうかと思ったヴィンセントだったが、すぐに銃爪を落とす必要は無くなったのだった。
走る時は、――特に振り向きざまに駆け出すときには――自分の背後に何があるのか確認した方が良い。男もキチンと後ろを見てから走り出していれば、曲がり角から突然現れた橙色のぶっとい腕に吹き飛ばされる事もなかったし、首にラリアットを喰らった所為で気絶することもなかったはずだ。
「なに遊んでんのさヴィンセント」
尻尾をゆったり揺らしながら、レオナは男を跨いだ。先回りとは仕事の早いことだ。
「そいつは俺の獲物だぞ、横取りはなしだろ」
「悠長に遊んでっからさ」
「まあいいか。捕まえたんなら、なんでもな。終わりよければ全てよし、とにかく獲物捕まえてれば、ダンも文句は言わねえだろ」
勝利の一服とばかりにヴィンセントは煙草に火を点けるが、紫煙をはき出しながら足りない物に気がついた。
「そういえばレオナ、医者は何処にいるんだ?」
「…………」
彼女は尻尾の動きを止めて、厳しい目付きでそっぽを向いた。




