High & Dry 5
セレブが暮らすドーム都市にも裏側というものがあり、まぁゼロドームと比べれば平和そのものだし、見てくれも悪くはない。とはいえ地味である。金持ち所有の宇宙船や、訪問客が宇宙船を泊めるドックはそれこそ豪華だが、ただ貨物の荷下ろしをする裏方の宇宙船ドックは作業効率を重視した作りで、これまた地味だ。
とはいえである。オンボロ宇宙船のアルバトロス号には、むしろ裏方のドックの方が目立たずに泊めやすい。
「一応聞いとくがよ、ヴィンセントを待っとるんだよな? レオナ」
「ああ、そうだよ。決まってンだろ」
人を待つ時に拳をゴツゴツとぶつけ合わせていたら不信にもなる。しかも段々と力が強くなっているのだから、心配は募る一方だ。ダンは葉巻をくゆらせ到着を待っていた。穏便に済むかどうかはヴィンセントの第一声にかかっているといっても過言ではない。
「加減はしてやれ?」
「やかましい、アンタで試してやろうか、殴り甲斐がありそうだし」
黙すが吉と判断して、ダンは肩を竦める。あまり突きすぎるとやぶ蛇どころか虎に噛まれそうだ。ネコ科の獣人は前触れなく襲いかかってくるから、付き合うのは中々度胸がいる。だから隣でいきなり立ち上がられたりすると背筋がゾクリとしたりする。
「おうっと、どうしたィ?」
「戻ってきやがったぜ」
ダンにはまだ見えないし、聞こえない。暫くそちらを眺めていると、荷下ろし場に不釣り合いな黒塗りのリムジンが入ってきた。
なんとまぁ危なっかしいツラでいるものだ。ただ自分たちの船の前にいるだけなのに、突っ立ているだけで警察にしょっ引かれそうな剣呑さである。苛ついてるのは予想してたが、あそこまでとは思わなかった。歯軋りしてるは、拳ぶつけてるはで完全にブチ切れてるじゃねえか。
「ヴィンセントォ! こっち来いテメェッ!」
ヴィンセントが降りるなりレオナが吼えていた。
「うるせえな、場所考えろ。セレブ様が住むドームだぜ、湾口管理組合に捕まるぞ」
「テメェ、しょっぺえ仕事押しつけて抜け駆けたぁナメた真似しやがってッ! エリサの件にしたってアタシゃ納得してねえぞ! 金持ちにくれてやるだなんだ、ざけやがって。ったく、あぁー頭にくる、とにかく一発殴らせろ!」
「まずパンチか。どこの戦闘民族だ、お前は」
「うっせぇ、いいからこっち来やがれ!」
問答無用でヴィンセントの胸ぐらを掴み上げると、レオナは拳を固めた。加減なしの一発を見舞う為に腕を高く振り上げたその時、澄んだ少女の伺う声がレオナを呼んだ。ひょっこりと、ヴィンセントの後ろからエリサが顔を覗かせていた。
「レオナ、……えっと、ただいまなの」
「エ、……は? エリサ、どうしてアンタ」
「ケンカしちゃだめなの、レオナ」
レオナはなにが起こっているのか、分かっていないらしく。間抜け面で呆けて口をぱくぱくさせていた。あまりのショックにヴィンセントを殴る事など飛んでいったようで、彼が手から逃れても気が付いていない。
「まぁ、こういうこったよ」とエリサを撫でながら言ったところで、レオナが頷くわけもない。説明を求めるのが当たり前だ。
「ワケ分かんねェよ、テメェ、エリサを売り飛ばしに行ったんじゃ――」
「人聞きがわりぃ、ねじ曲げやがって。養子探してる家に預けに行ったんだよ」
「いるじゃないか、エリサ」
「お前ぇ帰ってきて欲しかったのか、いなくなってほしかったのかどっちなんだ? ちょっと色々あって、残る事になったんだ。良かったろうが、なんか文句でもあんのか?」
「……あるね」
「――ンだとコラ」
「やっぱりテメェは気に食わねぇよ、人間野郎!」
「いってぇ、なにしやがんだ虎女!」
レオナの平手がヴィンセントの頭を叩き飛ばし、とっくみあいが始まった。とはいえ獣人対人間――しかも力自慢の虎獣人相手――では力の差は歴然で、ヴィンセントはろくに組み合う事も出来ずにスリーパーホールドで固められてしまった。いつもなら止めに入るエリサはアルバトロスに戻れて嬉しいのか、お腹を抱えて笑っている始末だ。
ケンカ――というより、端から見ればじゃれ合っているようにみえる。いがみ合っているようで、それだけではない。痛みの中に優しさを見つけ、人を想う事を学ぶ。子供時代の影法師を眺めるような、そんな懐古的な感情が一つ浮かぶ。
「御苦労だったな、猫ちゃんよ」
リムジンの傍から、微笑ましく三人の姿を眺めていたルイーズを労ったのはダンだった。葉巻の灰を落とす彼を流し目で見咎めて答える。
「話は聞いているわ、そちらも大変だったようネェ」
「女の尻追いかけるにも礼儀ってもんがある、ストーカー野郎の相手なんざなんて事ァねぇさ。長引いちまったが実りとしては悪くなかった――、にしてもお前さん、やってくれたな」
ダンもまた三人の方へと目を向けていた、サングラスに遮られその表情までは読み取れない。
「まさか戻ってくるとは思わなんだ。厄介払いが出来たと思ったんだがなぁ、これでまた食い扶持かせがにゃあならん。忙しくなる」
「迷惑だったかしら?」
じり、と葉巻を燃やし、ダンは紫煙を吐き出した。エリサを見つめ、あるいは呑込んだのかもしれない。見定めているのか。
「……ふん、子供の成長ってのは早ぇ」
「色男でも所詮は男、女の気持ちに近寄れても理解までは出来ないようね。階段を上がるにはね、ダン? 瞬く隙があればいいのよ、女には」
男子三日会わざれば刮目して見よなんていうが、女に言わせれば悠長だと思う。必要なのはほんの一瞬、惚れた腫れたのタイミングで一息に駆け上がれるのだから。
「……ま、人生色々あらぁな。いい経験になったろうよ」
「ええ、そうね。本当に」
経験とひと言で片付けるにはあまりに重い決断をエリサは下したのだ。極論は二択、しかしその行く先は正反対の分かれ道だった。同意するルイーズも彼女の勇気に感服している。
「エリサだけじゃねえさ。あぁ、あいつだけじゃねえ」
それは彼等を指しているのか。まだとっくみあいをしている様に、ルイーズは艶笑を浮かべていた。
「ご覧なさいよ、あの姿。親子みたいだと思っていたけれど、どうにも勘違いだったみたいだわ。兄妹ね、さながら。ろくでなしの長男に、跳ねっ返りの長女と、巻き込まれる健気な末っ子。いいバランスなんじゃない? ねぇ、お父さん」
「上の二人がもすこしマトモなら俺も楽できるんだが、いやはや」
「ふふ、仕事は回してあげるわよ、稼ぐかどうかは貴方達次第。あぁそうだわ、帰る前にエリサからの預かり物を渡しておくわね」
そう言って差し出されたのは一通の封筒だった。開封済みの手紙を一読するとダンは髭だらけの口元を歪める。
「やれやれ、金星にもサンタがいるとは驚きだ。しかも美女ときたもんだ」
「それにとっても慌て者ね。……私は何もしていないわ。彼女に届いたプレゼントが奇跡の産物だとしたら、それはエリサが自ら引き寄せた奇跡、彼女の行動の結果よ。ツリーの下に置かれるプレゼントよりも、どんなに素敵なことかしら」
そうして二人は、じゃれあっているエリサ達を眺めていた。あの時間、そしてあの空間がどれだけ得がたく、そしてエリサがどれ程望んだものなのか、それは彼女にしか分からない。
「それじゃあ、私はお暇しようかしら」
「む、ゼロドームに戻るのなら送っていくぞ」
「お気遣いありがとう。でも、先方に返さなくちゃいけないものが出来ちゃったのよ、私の仕事はまだ途中、気持ちだけもらっておくわ。それに、一家団欒に水を差すほど野暮じゃないもの」
邪魔にならないように静かに去る、些細な気遣いというのはこういう時こそ必要だ。微笑と共に艶やかに振り返る。ここからは渡りをつけた情報屋の領分だ。ひゅんと尻尾が空気をならすと、ルイーズは月華の魔性を身に纏う。
「せめてひと言くらい――」
「いいのよダン、無用よ」
ぺこり、頭を下げるエリサの姿を肩越しに見つけて、ルイーズはウィンクを返す。あの子は勝ち取ったのだ。自らの意思と言葉で、求めた未来を。間違いなく苦渋に満ちた選択だ、道の先のは幾多の苦難が待っているかも知れない。ならば今は、その幸せの一つを存分に味合わせてあげたかった。
いくらダンが説いたところで、それには自分は邪魔者なのだ。ならば去ろう。月は自ら輝けず、太陽の光を受けて初めて夜空に浮かび上がれる。男の背中をゾクリとさせる美貌に影を隠して、ルイーズは去って行くのであった。




