High & Dry 2
「…………」
ヴィンセントは苦虫を噛潰したように眉根を寄せると、ルイーズの方へと目線を戻すのだった。――話しやがったのか? 不快感をあらわにした眼差しで詰問している。あれだけ口を酸っぱくして構うなといったのに一線を越えたのか、と。
確信を得た上で訊いているのだろうから、誤魔化しようもない。
「どこから知った」
「ごめんなさいなの! エリサ聞いちゃったの、船の電話で二人がお話ししてるの。夜におトイレ行こうとした時に。エリサのことを船からいなくしちゃうって。どうして? エリサお船にいちゃいけないの?」
口を開き掛けたルイーズを遮り、ヴィンセントが答えた。ひと言だけ、「ああそうだ」と。
「そんなぁ……⁉」
「どうもこうもねえんだ。黙って言うこと聞いてりゃあいいんだよ」
「なんでそんなこと言うの⁉ エ、エリサがわるい事してるならなおすの」
「おっと、質問も嘆願も口答えもなしだぜ、エリサ。こいつは決定事項だ」
「おそうじも、おせんたくもガンバるから! もっともっと! だから――」
「関係ねえんだよ、ンなのは。自分で言ってたじゃねえか、お前は俺の所有物だって。てめぇの持ち物をどう扱おうと俺の勝手だ、物がガタガタ抜かすな」
ショックを隠しきれず、エリサはしばらくなにも言えなかった。意地悪でも優しかったヴィンセントが浴びせた辛辣な物言いは、エリサを涙ぐませるには充分すぎる。涙を堪えて鼻を啜り彼女は問う。
「キライになっちゃったの?」
「ああ、飽きたんだよ。楽しんだだろ充分、家族ごっこもさ。ここらでお互い落ち着こうや、元の場所に戻って。少しばかり悪い夢を見てたと思えばいい、朝が来たんだ、悪夢も醒め時だぜ。忘れちまえ」
「だってパパは、もう……。夢だって思いたいけど、パパは還ってこないの。帰るおうちなんてドコにもないのに」
「この家がある。俺はお前の親父じゃねェし、なるつもりもねえ。新しい家は御覧の通りの豪邸だ、ツイてるな。ここなら一切不便はない、中々叶わねえ願いだぜ?」
「……イヤだもん」
「あン?」
「エリサ、イヤなんだもん。そんなのぜんぜんうれしくない!」
「こっちが御免だって言ってんだよ、クソ餓鬼の……獣人の面倒見続けンのはまっぴらだ。俺たちが保育士にでも見えんのか、お前は。他人の子供の為にこれ以上、金掛けらんねんだよ。まだごねる気なら動物園にでも売り飛ばすぞ!」
鋭く怒鳴られ、エリサは心臓が縮む感覚に胸を詰まらせたが、身体を震わせたのは罵声の内容だった。怖いからではない。いや、ヴィンセントに面と向かって怒られたことなどなかったから、怖いことはこわい。しかし、何よりエリサを傷つけたのは、ヴィンセントが獣人と人間とを分けてみているという事実だった。
それでもエリサは縋るのだ。
健気に何度も頼み込む、一緒にいたいと。皆と一緒にいたいと。何度も何度も――。
「お願いなのヴィンス、置いていかないで! エリサもっとがんばって、みんなのお役に立つから! お料理もお洗濯も、お掃除もがんばってやるから! だから……捨てないで(・・・・・)! おねがいなの、なんでもするからッ!」
「ふっ……」
ヴィンセントの口角がいびつに吊上がる。よく見る彼の笑い方にエリサは僅かな希望を得た。だが、甘い考えだったと思い知らされる。その笑みは皮肉的だった。
「なら大人しく引き取られろ」
「っ……!」
「なんでもすンだろうが」
感情が感じられない。突き放すだけの言葉。
もう涙を堪えることは出来なかった。ぽろり、ぽろりと雫が零れ、エリサの頬を伝い落ちる。少女のしゃくり上げる声は、段々と大きくなっていき、いつかは屋敷中に響くだろう。
「エリサちゃん……」
「これは一体何の騒ぎかな」
ヴィンセントとルイーズが声の主へと向く。
部屋に入ってきたのは年の割に締まった顔つきをした、猿の獣人だった。ビジネス誌で見かけるスーツ姿ではなく、ラフな格好だったが、それでもこの男がワトソンなのだと一目で分かる。
「お恥ずかしいところをお目にかけました。私が連絡差し上げましたルイーズです。お会い出来て光栄ですわ」
すぐさま営業モードに切り替えたルイーズが、形式張った挨拶から握手までをすませる。
握手に応じると、ワトソンは咳払いを一つ挟んでから答えた。
「ワトソンです。すいませんね、本来ならばこちらからで向くべきなのでしょうが、なにぶん時間が取れないもので」
「そのようですわね。お忙しい中ありがとうございます」
「それは私に言わせてください。貴女からの電話には驚きましたから」
「――と、言われますと?」
「自分で言うのもなんですが、私は成功者だ。同じ獣人の貴女ならば、私がここに至るまでの苦労は想像がしやすいかと思います。私だけではくじけていたかもしれません。しかし、幸いなことに私には支えてくれる人がいた、病める時も健やかな時もです」
「奥様ですか。素敵ですわ」
「ええ本当に。私は心から妻を愛しています。……はは、のろけてしまいましたな。丁度、妻と話していたところだったのですよ。養子を取ろうかとね。そこへ予想だにしない相手から知らせがきた。貴女の名前を聞いた時には一瞬、何事かと思いましたよ」
ワトソンは若い盛りを過ぎているとはいえ、不能ではないだろう。わざわざ余所の子供引き取るとなると、相当の理由があるだろうが、まぁ、腫れた理由には触れない方が賢明だ。ルイーズも「そうですか」と相槌を打つだけで当然、尋ねはしない。
「御存知でしたのね、私を」
「社長室の椅子に腰掛けているだけでは運送は勤まりません。貴女には敵いませんが」
すると、表情引き締めてワトソンが遂に訊くのだった。
「それで? これはどういうことか説明いただけますかな」
険しい目付きの人間を前にして、すすり泣く獣人少女。一緒に戻ってきた執事がエリサをなだめていたが、ワトソンが訝るのは当たり前だ。
「あの少女が話しにあった狐の娘ですか」
「ええ、名前をエリサと言います。とても優しい子ですよ、誰からも好かれますわ」
「なるほど可愛らしい。妻も気に入るでしょう……そして彼が、現在の保護者だと」
「ヴィンセント・オドネル。便利屋ですわ」
不審な目で睨まれ続けるのは苛立たしい。のそり、ヴィンセントはふてぶてしく腰を上げる。場所が場所なら撃ってるところだ。
「ちょっとヴィンス……!」
「分かってるよ。――どうも」
「口論になっていたようですが?」
「なぁに大したことじゃないから、気にしなさんな裕福獣人さんよ、少しばかりごねてただけだ。ただの子供の我儘さ。大人ぶってる時もあるが、まだまだチビのガキンチョなんだ。迷惑な話さ」
「紆余曲折あった末に貴方が引き取ったと聞いていましたが、どうやら違うようですね」
「大体あってる。詳細も調べてるんだろ? 俺たちがどういう仕事かも」
金星運送業の大手と、その隙間を縫って商売する個人事業だ。しかもヴィンセント達便利屋は、一部禁制品の輸送に関わっている場合もある。いわゆる密輸だ。思うところは互いにあった。
「賞金稼ぎもしているそうで。危険なのでは」
「これしか食い扶持がねえんだ、選り好みしてらんねえ」
「つまり君は力を選んだのか」
「生きる為だ。力を持ってない奴はその資格を奪われる。弱者の訴えなんざ誰の目にも映らねえし聞きゃしねえ、となりゃあ抗う為には力がいる。両手を合わせてくたばるより先に、握る物があるのさ。誰かに殺されるくらいなら、眉間をブチ抜いてやる。強え奴が弱い奴を喰う、そうやって生きてんだ。形は違えどあんたも通った道だろ」
「暴力では分かり合えない。人は生まれながらに平等で、手を取り合って生きていくことが出来るはずです。我々には言葉があるのに、何故です」
「通じれば苦労はしない。だから腰の得物に喋らせるんだ。こいつが語れば皆平等さ、口先で御託並べるよりもよっぽど効果がある。究極的に平等だ。獣人も人間も混血も、性別も年齢も引っくるめてな。なにしろ俺たちは価値がねえ。フラットって訳さ」
「それは子供も含んでいるのか」
「当たり前だ――俺の話はいい、引き取る気があるのかハッキリしてくれ」
「……あるとも、無論だ。君のお陰で決意が固まった。なんという人間なんだ、倫理観の歪んだ野蛮人め。|君のような人間に彼女を任せておけない《・・・・・・・・・・・・・・・・・・》」
「はっ、言うねぇ……」
ルイーズが緊張して二人を見ている。ワトソンはともかく、ヴィンセントが手を出すかもしれない。そうなったら止められるのは彼女だけだが、果たして止められるのだろうか。尻尾が落ち着きなく小さく早く振れていた。
「便利屋など、子供を育てる環境としては劣悪極まる。あまりに酷い、酷すぎる」
「はみ出し者は住みやすいが、あんたには縁が無いか」
「彼女にもだ。犯罪者にはさせない」
ワトソンが執事を呼ぶと盆にのった紙片が出てきた。
「なんだこりゃ?」
「貴方は身銭を切ったそうですね。その補填です」
よく調べてやがる、とヴィンセントの眉が吊上がった。小切手の額は確かに、人身売買しているマフィアからエリサを助けた時に払った額と同額だ。買い取った物は違うが、子細調べられているのが気に入らねえ。
「それとも現金の方が好みですか」
「いや、これでいい。丁度財布が寒くてね、温めさせてもらう」
「では、確認していただけましたら、早急にお引き取りください。貴方の役目はここまでです、彼女のことは全て任せて頂く。今後一切、彼女に近づかないでください」
「……警告されなくても、こっちは最初からそのつもりだ。このドームは御高くとまっててどうもなぁ。んじゃ、後のことはよろしく頼むぜ、ワトソンさんよ」
驚く程、去り際はあっさりとしてた。小切手を受け取った瞬間から、エリサとの縁は切れたのだから、赤の他人に戻っただけだ。知り合いが次の日には撃たれて死んでいる――そんな非常が日常茶飯事な暮らしをしている所為か、人との繋がりが希薄なのかもしれない。なにしろ何も感じないのだ。
「ま、まってなの、ヴィンス……!」
駆けだしたエリサが、一瞥さえせずに部屋を出ようとしていたヴィンセントの手を捕まえる。話を聞いてと小さな掌に力を込めるが、有無を言わさず振り払われ、その拍子に尻餅をついた。
「きゃあッ!」
「エリサちゃん、大丈夫⁉ ちょっとヴィンス、貴方ねぇ――」
ルイーズだけではない、非難の眼差しが、渋面でエリサを見つめるヴィンセントに殺到していた。
「……先に行ってるぞルイーズ、早く来いよ」
木製の扉が音を立てて閉じる。まるで、屋敷までもが彼を責めているようだった。




