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星間のハンディマン  作者: 空戸之間
4th Verse High & Dry
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High & Dry

 澄み渡った天蓋とひび割れの一つさえ見当たらない道路。街路樹はあるが落ち葉はなく、路地すらも花道のようだった。そこには住処をなくした者もおらず、なるほど素晴らしい場所かもしれない。

 とても同じ星にあるドーム都市とは思えない。むしろこの平穏さこそ普通なのかもしれないが……。ともかく路肩でいきなり銃撃される心配は無用だろう。それがヴィンセントの抱いた印象だった。


「酔いは収まったの? ヴィンス」


 助手席のルイーズが不思議そうに尋ねる。結局駅に着くまで吐き続けていたヴィンセントだが、どういうわけなのか送迎車に乗ってから嘔吐きの一つもしていなかったのである。高級車の安定性のお陰か、それともハンドルを握っている老執事の運転が上手いのか。ヴィンセントの顔はすっかり血色を取り戻していた。


「なあ爺さん、あんたの主人は獣人なんだよな?」

「ええ。とても立派なお方です」


 無礼な質問にもかかわらず、老執事は丁寧に応じる。

「ワトソン様は自身の生まれを嘆かれることもなく、血の滲むような苦労と努力を重ね現在の地位を手に入れられました。あの方の人生には多くの苦難と差別があったと聞かされております」

「獣人でありながら、宇宙港の労働員から一代でのし上がった努力家よ? 金星暮らしなら名前は聞いたことがあるでしょう」

「今じゃあ金星運送業の元締めだ。この辺りで便利屋やってて知らねえ奴ァいねえよ。鼻が高いか、ルイーズ」

「それに紳士だわ。貴方も少しは見習ったらどう?」

「デスクワークは性に合わねえ、飛んでる方がいい」

「謂われのない批判を受けたことも多かったと存じております。情けない話です、同じ人間として。しかしワトソン様は決して我々(人間)を恨んではおりません。互いに手を取り合い、共に歩むべきだと心から信じておられます。数多の困難が立ち塞がろうとも、いつか必ず理解し合える日が来ると」


 相互理解。言うならば容易い。

「いつの話だよ、それは。獣人が人間を雇ってるなんざ、言いがかりつけてくる奴のが多い」


 車外を流れる邸宅の数々は、どれもがお仕着せがましい装飾と門構えで訪問者を出迎える。力の証明。時には他人すらも装飾品の一部とみる人種がいるのである。くすんだレンズで世界を見れば、絶景すらも悪趣味な絵画と区別が付かなくなるものだ。


「そのように誤解されるのは実に残念です。私自身の意思でワトソン様にお仕えしているのですが、ヴィンセント様の仰るとおり中々理解を得られません」


 なるほど里親には適した人物らしいと、ヴィンセントは隣に座っているエリサを、チラと見る。裕福で地位もあり、なにより人格者ならば、便利屋の宇宙船で女中もどきの働きをしている現状よりも悪くなることはなさそうだ。ルイーズの選択眼は正鵠を得ていたと言える。

 だが当のルイーズは表情が硬い。いやお固いのは彼女の態度か。結局ヴィンセントは、この先の予定をエリサに話さないまま今に至っているのである。最後の機会も完全に逸した、切り出そうにも切り出せない。


 そうこうしている間に車は門を潜り、ワトソン邸の敷地に入っていく。曖昧なのは門を潜っても邸宅が見えないからだった。ただでさえ土地が限られるドーム都市で、家一軒を建てるには贅沢を尽くした土地の使い方だ。テニスコートに屋外プール、さらに張り出した屋上部分にはヘリポートまである。

 車から降りて辺りを見回せば、ゼロドームなら同じ面積に数千人は暮らせる程度の敷地があるのが分かる。


「うわぁ、大きいおうちなの……」


 エリサも驚きを隠せないらしく、手の込んだ装飾の成された石壁の邸宅を見上げながら、ただただあんぐり口を開けていた。そこには場違いなところにいるという不安もあるのかもしれない。


「皆様、こちらへどうぞ」

 木製の玄関扉が厳かに開くと、エントランスホールは外観の割に近代的で、モダンな雰囲気を感じさせる。さしずめ中世の様式美と現代技術のハイブリッドといったところか。実際天井に吊られたシャンデリアには蝋燭を模した照明が、遠目では偽物と分からない精巧さで部屋を照らしたし、防犯用のカメラもどこかに隠してあるかもしれない。


 そのまま客間へと通されたが、調度品がこれだけ並んでいいてもポケットにしまうには止めた方が良さそうだ。

 物珍しいのだろう、エリサは感嘆の声を上げていた。エントランスに比べれば控えめだが、客間もまたいい部屋だ。


「こちらで少々お待ち下さいませ。間もなくワトソン様がいらっしゃいますので」

「ありがとうございます」

「いえいえ、ルイーズ様も長時間の移動でお疲れでしょう。楽になさっていてください」


 そう告げると、老執事はヴィンセント達を残して客間を後にする。

 ワトソンを呼びに行ったのだろうか。とにかく客間で立ちっぱなしというのも馬鹿らしいので、ヴィンセントはルイーズの向かいのソファに腰を下ろして待つことにした。ふかりと柔らかいのだが、むしろ尻が落ち着かない。


 ふと顔を上げると金色の瞳が、真っ直ぐに、そして咎めるように見つめていた。

「よく渡りをつけられたな。条件通りどころか、それ以上の相手をよく見つけたよ。まさか社長を引っ張ってくるとは……どうやったんだ」

「秘密よ」

「なんかお前の人脈めちゃくちゃ拡がってて背筋が寒くなるぜ」

「……」

「ついにドームを超えたか、お前の情報網は。初めて見たぜ、こんな豪邸、取引でもなけりゃ確実に門前払い喰らってる。色々余ってんのかねぇ~、金持ちってのは何でもかんでもデカく作りたがる。ビバリーヒルズをそのまま運び込んだドームの中で、こんだけの屋敷建てるなんてどうかしてるぜ。同じデカいでも、うちのボロ船とは大違いだ。埃の一つも見当たらねぇし……なんだよ」

「貴方こそ」


 ルイーズがなにを言いたいのかを察するのは、今更感がある。なにしろ、これ以上濁らせるのが不可能なくらい行き詰まっているのだから。さながら鉱山のガスだまり、息苦しくて堪らず、カナリヤは口を噤む。無味無臭で無色透明、五感では感知出来ないこの毒は空間を侵し、人の心を犯す。吸い込んだ空気は肺から喉まで圧迫して、ヴィンセントから吐息だけが擦れて漏れた。


「ねぇ、ヴィンス……」


 エリサが呼ぶ、そよ風に似た小さな声で――。パウダーブルーのワンピースがどこか悲しげにそよぐ。恐れながら、確かめながら。でもその碧眼は逸らさずに彼女は尋ねる。


「エリサ、いらない子になっちゃったの?」

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