SO LONG GOODBYE 10
「まったく、どうしようもねえな、おい。血の気が多すぎるとは思わねえか? お前ん所の従業員はよ」
くたびれたスーツを渋く着こなす刑事が、さも親しげな皮肉を込めていた。
両手を手錠で括られてもなおレオナは威圧的な態度を崩しはせず、静かに睨み付けるだけ。
「まぁまぁ、そうカッカしなさんな。どれ、いま外してやる」
ドンパチ騒ぎの処理に狩り出されたカーター警部は、悪びれた素振りもなく手錠の鍵を外す。最初にダン、それからレオナ。猛獣用の首輪よろしくごつい手錠は重量もあり、レオナでも腕が気怠く感じるくらいだった。
「さて、賞金首と痴漢の確保、ご苦労だったなダン。アルバトロス商会の活躍はめざましい、近々感謝状が贈られるだろう」
「趣味の悪い書を掛けるスペースは俺の船にはねぇな。賞金だけ貰えりゃ充分だ、署長に自分のケツに突っ込めと伝えとけ、カーター」
「隙間があるかねえ、糞詰まりでなんにも入りゃしねえよ。カッチカチのコッチコチだ」
「解消させてやんな。尻ひっぱたいて走らせるか、コーヒーに下剤でも仕込んでやれ」
ダンは衝動を堪えるように口元を歪めながら言う。あれやこれやと、因縁があるのかもしれない。カーターの乾いた笑いはそれを思い出しても事だろう。
「悪党と馬鹿につける薬はねえんだよ」
それじゃあと、背を向けたカーターを――
「おい、豚野郎」
レオナが呼び止めた。先入観から誤ってクソ重たい手錠を掛けられた挙げ句、そのまま連行されるところだったのだ。まぁそこまでだったらレオナも激昂しなかったろうが、三人出た怪我人のうち最後の最後まで手当の一つもなしである。犯罪者を捕まえた署金稼ぎを差し置いて、痴漢野郎を先に治療するとは一体全体どういう了見なのか、と彼女は三白眼で睨み付けた。頭の一つも下げるのが当然だろう、と。
「詫びの一つもねえのか? アァん⁉」
「ああ、ねえよ。あるはずがない」
「ッ! ンだとコラ、もっぺん抜かしてみろや」
「貴様に下げる頭など持たん。俺の街を荒らす輩は便所から引き摺り出してでもワッパ掛けてやる。どっちだろうが関係ねえ、テメェにしたってたまたまそっち側にいるだけだろうが? おぅ虎の?」
卑劣な人間風情と同列に見られるなど、毛をむしられるような気分だ。相手が警官だということも忘れ、レオナの右手が銃把に伸びる。
「やめんかレオナ、そいつは最大級のやらかしだぞ、日に二度も馬鹿をするな。すまんなカーター、気にしないでくれ」
「小悪党のさえずりを? ハッ、するはずがない」
「助かる」
「お前も大概物好きだな、変な連中をよく拾うものだ」
「判で押したように似たり寄ったりなんぞ、つまらんだろう」
褒められたのか、それとも貶されたのか。判然としない面持ちでいるレオナに向けて、カーター警部が答えた。
「いいか、虎の。小遣い稼ぎも程々にしておけ、この世は因果応報だ」
「かかってきやがれ。アタシゃあ逃げも隠れもしねぇし、誰が相手だろうが正面切ってぶちのめしてやる。てめぇはどうなんだ人間野郎」
「……もう一つ覚えておくんだな。これ以上街を騒がすつもりなら、俺は女だろうがブタ箱にブチ込む」
悪戯に暴れればお前を狙う。カーターはそう告げて去って行った。
「レオナ、その傷はどうした」
血糊で張り付いた毛皮を鬱陶しく撫でていると、ダンがダッジラムから治療キットを持ってきていた。
「ああ、別にどうって事ァないよ。刺されただけさ、もう血も止まってっから」
「充分大事だ。どれ、見せてみろ。きちんと消毒しとかんと」
「だから浅いっての、いらねえよ手当なんて」
「そういう事を言っとるんじゃない、大人しくせんか」
「ああ、もう分かったっての!」
執拗に迫るダンに圧し負け、言われるがままにレオナが刺された左腕を預けると、あっという間に消毒され包帯で巻かれた。止血も丁寧なものである。
「まあこんなとこだな、調子は?」
包帯を見下ろし、レオナはふんと鼻を鳴らす。試しに動かしてみても、ずれもしなかった。
「んじゃあ、さっさと賞金受け取ってヴィンセント拾いに行こうじゃないか」
「それは構わんが、どういう風の吹き回しだ。お前さんがヴィンセントを迎えに行くなんて言い出すとは」
「分からせてやンのさ。今日という日を」
「ああ……、新聞の一面をかざらんでくれ」
「ふん、港に浮かんでたって誰も気にしやしねえさ」
レオナが言うと洒落にならないのがダンの困りどころ。ともあれ、そろそろ移動するかと彼が思った時だ。そわそわしている女性の気配をダンは逃さず感じ取る。
「む?」
「あの、すみません……」
今更なにしに出てきたのか。誰かと思えばレストランのフロアで尻を揉まれていたウェイトレスだ。レオナは鋭い眼光で睨み下ろす、長居するとその細首を噛み砕きたい衝動に駆られそうだった。さっさと切り上げればいいのに、ダンは鼻の下を緩めながら紳士的な対応を取りやがる。
「おう、嬢ちゃん。こわい目に遭わせちまったみてえだなぁ、怪我はなかったかい」
「ええ、おかげさまで」
「少しばかり派手になっちまったが、怪我がないならよかった。不逞の輩に天罰も下せたようだし、無事に依頼を終えられてこちらとしても満足だ」
「その人のお陰で――」
「ほう」
「怪我の具合は? だ、だいじょうぶなんですか?」
訊くなら直接聞けばいいだろうに。盗み見るようにチラチラ向けられる視線に腹が立ち、レオナは今度こそ噛み殺してやろうかと思うのである。ダンの口角が含みある吊上がり方をしているのも気に入らない。なに笑ってやがる。
「ニヤニヤしてんじゃねえよ、ぶっ殺すぞテメェ等」
「す、すいませんッ」
「悪気はねえんだから、そんなに目くじら立てるなレオナ」
「てめぇに言ってんだよ、エロじじぃ。女と見りゃすぐに鼻の下伸ばしやがって。グラサンの代わりにマスクつけろ、マスクを」
――と、おずおずとウェイトレスが前に出てきた。
そのくせ、しゃべり出さないのが鬱陶しい。
「……なんだ?」
「ずっとこわかったんです。お店の人達も心配してくれてて、でもどうしようもなくて……」
「で?」
「そ、その、ひと言お礼を言いたくて」
「てめぇでどうにかしねえからだ。人間なんてそんなモンさ、綺麗事抜かす奴程、テメェが一番大事なんだ。心配なんざ誰だってできる」
「そうかもしれません。けれど、誰かに思われているって、それだけでも私には支えになっていましたから――」
その先を飲み込むと、ウェイトレスは深々と頭を下げる。
「その……助けて頂いて本当にありがとうございました。ダンさんも」
「おぅよ。困り事があったらいつでも呼んでくんな。ご用命とあらばいつでもどこでも駆けつけよう、一人の時ならより歓迎だ、わははッ」
「はい、失礼します。ありがとうございました」
もう一度頭を下げると、スカートを靡かせウェイトレスは店へと戻っていく。
「惚れられたな」
眺めているだけでも胃もたれがしそうで、レオナは怪訝な目付きなまま、彼女の後ろ姿から嘯くダンへと目を移した。……どっちを見ていても気分が晴れることはないが。
「座ってるだけの男に惚れンなら、香水振るうのは底抜けの阿呆野郎だな。どんだけちょろく女を見てんだアンタは」
「しっかり働いていたじゃないか。あれは惚れるに値する」
「肥満体でぬかしやがる。アンタ太ったぜ、ここ数日で」
するとダンが鼻で笑うのだった。
「なに笑ってやがンのさ」
「いやなに大したことではないんだが……。お前さんだ、俺じゃなく。惚れられたのは」
突飛も突飛。馬鹿馬鹿しすぎて失笑ものだ。それどころかダンの想像力に軽蔑を覚える。
「ナンセンスな。アンタの欲望を押しつけんなっての」
「妄想なものか、ありゃあ完璧お前さんにお熱だ。レオナは男より女にモテるな。本当にいい女ってのは性別なんざ関係なしに好かれるモンだ。いいじゃねえか、ひねずにそのまま受け入れれば。さあ、そろそろ迎えに行こう、到着する頃には夜中だろう」




