表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星間のハンディマン  作者: 空戸之間
3rd Verse SO LONG GOODBYE
212/304

SO LONG GOODBYE 7

 テーブル席に着いた男はそのウェイトレスをよほど気に入っているのか、執拗に声をかけ続け、終いにはその手を尻にまで這わせていた。


「やめてください、お客様……!」

 客に無礼は働けないのか、ウェイトレスははっきりと抗うことが出来ずにいる。


「そう言うなって姉ちゃん。いいケツしてんじゃねえか。こんな店で給仕なんてもったいねえ。どうだい? 俺が楽しませてやっからよ。自慢じゃねえがデカいぜ、俺のは。他のモンじゃ満足出来なくなっちまうかもだ」

「どうか放してください」


 レオナの虎耳にはフロアでのそんなやりとりが、かすかにだが聞こえていた。事務所から、細い廊下の抜けて調理場。そしてその先のスイングドアを通れば、すぐにフロアに辿り着く。

 鬱憤で床を踏み鳴らし、焦れた肩で風を切ったレオナは、仁王像の厳めしさをもって白昼堂々セクハラを働く男性客の背を睨み下ろしていた。


 ちゃらちゃら、ヘラヘラとした態度が癇に障る。このクソ野郎が現れなかったせいで、レオナの予定は粉々にぶっ壊れたのである。怒り心頭。眉根は深く刻まれてまるで渓谷のようだった。しかも脇には大口径の拳銃がこれみよがしに下がっているので、周囲の客がざわめくのもムリはない。

 人間街にあるレストランに凶相浮かべた獣人が現れれば誰だって動揺する。そのざわつきにウェイトレスの尻を注視していた男も、遅れてだが異変に気が付いらしかった。だが、レオナの動作の方が圧倒的に早い。警告の言葉も発さず、男が座っている椅子の背もたれを掴むとそのまま後ろへ引き抜いたのである。

 支えを失った物体は重力に引かれて下へと落ちる。男は顎からテーブルに落ち、もんどり打っていた。


「立てコラァ! こんなもんで済むと思うなよテメェ!」


 体毛逆立たせたレオナの凄まじい怒声。最早どちらが悪漢かわからない言動である。

 本来なら貶まれるべき男が同情の目で見られ、賞賛されるべきレオナには軽蔑の視線が集まっていた。助けてもらったウェイトレスですら、車に轢かれる直前の猫みたく固まって動かない。

 侮蔑、軽蔑、忌避の眼差し。耳打ち始める人間達の囁き声は小さくとも、レオナにはその内容の想像が付く。汚らわしい獣人の蛮行を貶む言葉の数々は、たしかにレオナの耳にも届いているのだ。だがレオナは知っている、一睨みすれば口を噤むことを。


 陰口など、正面切って話の出来ない卑怯者のすることだ。この手の腰抜けは数が揃っていなければ何も出来ず、また自分の手を出す勇気もない。相手にするだけ時間の無駄だ。


「やりやがったな、この……何で獣人がここに……」


 男がフラフラと立ち上がった。その右手にはステーキナイフが握られている。

「獣人が人間の店で飯喰おうなんざ百年早ぇ、動物なら動物らしく地べたの鼠でも喰ってやがれ。人間街にてめえ等の居場所なんざねえんだよ、穴蔵に帰れケダモンが……」

「穴蔵の方がマシさ、人間で埋まった肥だめに比べりゃあよ」

「なんだと、てめぇ」

「こんなに臭くちゃまともに飯だって喰えやしない。ま、てめぇらには似合いだ」

「ふざけやがって!」


 先端鋭く煌めくナイフを握りしめ男は駆け出した。銃を脇に下げたレオナに向かってである。何とも無謀。

 撃てば早い。手っ取り早いのは男の眉間に鉛弾をブチ込んでやることだが、そんなにあっさりと終わらせる気はさらさら無かったのである。獣の動体視力と反射神経を備えたレオナから見れば男の突進など牛歩も同然で、欠伸しながらでも避けられる。のだが――背後で上がった悲鳴に、レオナは瞬間、気を取られた。


 さっきまで銅像よろしく固まっていたウェイトレスが、腰を抜かしているのである。その様に、レオナは愚かにも振り返ってしまっていた。どれほど相手が雑魚であろうと眼前の敵から目を逸らすなど迂闊が過ぎる。反撃の為の隙を逃した彼女の二の腕に、深々とステーキナイフが突き立てられた。


「――ッ!」

「へへ、ざまぁ――」――みろ、と男がレオナを見上げた。どんなに屈強な獣人だろうと、刺されれば悲鳴の一つもあげるだろう。彼はそう考えたのかもしれない。だが、そこにあったのは、憤怒に燃える手負いの獣の三白眼である。悲鳴? 苦悶? そんなものはレオナの表情の一部分にすらなく、逆に男が悲鳴を上げる羽目になった。虎の右手に頭を鷲掴みにされ、男はそのまま持ち上げられたのである。


「は、はなせえぇぇ! イテェ、くそッ、はなせぇぇ!」


 みしみしと軋む頭蓋。いっそこのまま握りつぶしてくれようか。殺すなと言われてはいるが、この刺し傷だ。抵抗されたと言えばダンもさほど文句を言うまい。藻掻く男を眺めながらレオナは徐々に力を込めていく。溜まりに溜まった鬱屈を絞り出すように締め上げてその無様を嘲笑う。もっと早くに現れていたなら一発殴ってしまいにしたが、焦らしに焦らされた今となってはその程度では済まされない。なにしろエリサとの最初で最後の外出の機会を潰されたのだ。この罪は重い。


 しかし――だ。縊り殺してやりたかったが、レオナは男の身体を高々と掲げると、木製の机に向けて叩きつけた。


 自分が原因で誰かが傷付いたと知れば、エリサはおそらく悲しむだろう。それがたとえ犯罪者だったとしても、あの子ならば負い目を背負うかもしれない。レオナは机の残骸の中で気を失っている男を睨め下ろし、他の客にも睨みを利かせた。迷惑な客から助けてやったというのに、どいつもこいつも汚物を見るかのような目をしていやがる。こんな連中の為にエリサが何かを思い、涙を流す必要は無い。ましてや船を下りるのだから、立つ鳥は濁さずに飛ばすべきだ。


 レオナは無言で店を出ようとする、するとどの客も後ずさって道を空けた。

 判ってはいても、レオナの忍耐は限界値ギリギリで、長居すればこの場にいる人間共を撃ち殺してしまいそうだったのである。事後のことはダンに任せよう――そう思っていた矢先。

 通りで鳴り響いた不意の銃声にレオナは咄嗟に身を隠し、脇に下げた大口径拳銃を引き抜いた。




 血気盛んで向こう見ず。何事にも臆さない心構えは大いに結構、危険が伴う便利屋稼業に必要な素養では確かにあるが、そこに慎重さが加われば言うことなし。ところが無線の向こうにいるはずのレオナにはそれが圧倒的に足りていないのである。雇い主のダンには彼女の勇猛さが嬉しいやら悲しいやら、ひと言で片付けられない難儀な問題であった。


「待て待てレオナ、そいつの顔は? 賞金首と確認出来てるのか。おい、どうなんだ⁉」

 そして案の定の沈黙に、渋面になったダンは頭を抱える。

「見誤った、か……?」


 ヴィンセントと共に何軒か依頼をこなし、かつ船上での生活にも馴染んだ頃合い。人員不足故の処置だったとはいえ、レオナ一人を人間だらけのレストランの見張りにつけたのは些か早計だったようだ。


「見誤ったな」


 ダッジラムの運転席から店の方へ目をやれば、人影が蠢き、なにやら騒動が起こっている気配をありありと感じる。店内での口論は外に漏れ聞こえているのか、訝しんで足を止める通行人が目立ち始めていた。


 一体何をやらかしているのか知らないが、下手をすればレオナの手が後ろに回ることになりそうである。賞金首と一緒にブタ箱送りになったりしたら今世紀最大のジョークの完成だ。雇い主の為に働くのが部下の務めなら、部下を守るのが上司の務め。ダンはのそりと身動いで車から降りた。

 通りの向こうでは刻一刻と騒ぎが大きくなっているようで、野次馬の中には電話を手にしている者もいる。人だかりが人だかりを呼び、次第にふくれあがっていく負の連鎖を鎮め、更にレオナをなだめる作業は骨が折れるだろうが、やらねばなるまい。


「……む?」


 ――と、車から数メートルの先に、その人だかりを険しい眼差しで眺める通行人を見つけ、ダンの足が止まる。挙動不審。興味でも無く、怖気でもなく立ち止まり、店に入りたいのに踏み込めないもどかしさと、今すぐにここから去るべきと囁く直感の狭間で悩んでいるようだった。ダンがサングラス越しに読み取ったのは男が宿している警戒心。


 しばらく現場から離れていたツケが回ったのはこの時だった。女性の胸元にいく視線然り、視線というのは案外と他人に気付かれる。つまり見ている姿を見られているということだ。いくら怪しかろうと、いくら挙動不審だろうと見つめ続けてはいけない。張り込みの最中に一人の人物に直接注視するなど、自らの存在をアピールしているのも同意だから御法度なのである。だが、ダンは訝しんでいた。短い期間でも現場から離れると勘は鈍るらしく、感づいた男がダンを見る。


 知らない男同士が目と目で通じた瞬間である。勿論お互い面識もないので、はじめましての挨拶が相応しいが、彼等は一目見ただけで、互いが何者なのかを理解していた。つまりは狩る者と狩られる者。


 ぴたり――静止した二人。

 瞬き少なく右手の動きにフォーカス。

 ダンは静かに呼吸を読む。

 男の緊張を、脈拍を、サングラスで隠した眼差しで見逃さない。

 通りの向こうで悲鳴が上がるのを合図に、二人は同時に銃把を掴む。


 黒鉄煌めく回転式拳銃、スタームルガー・ブラックホークがガンベルトから引き抜かれ、ダンの右手で翻る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ