SO LONG GOODBYE 2
場所は変わってドーム都市の獣人街。
通りを行き交い、言葉を交わし、商売に励むのは半人半獣の人間もどき。金星のゼロ・ドームに暮らしている獣人達の大半が押し込められるように生活している。姿形を疎まれ、その生まれすらも貶まれた者達に与えられた楽園だ。
そんな獣人街の休日の昼下がりを彩る獣人少女の姿があった。茹だるような日射を新雪の毛並みに踊らせて、エリサはぴょんぴょん跳ねている。
「おっかいもの♪ おっかいもの♪ ヴィンスといっしょにおっかいもの~♪」
彼女の数歩後ろをなんとも不可思議そうな表情でヴィンセントが歩いている。
「ご機嫌だなエリサ」
「うん! だってヴィンスとお買い物に行けるんだもん」
「女の感覚はイマイチ分かんねえんだよな。服買いに行くだけだろ? そんな跳ね回る程嬉しいものかね?」
ファッションにさしたる興味もなく、服なんて着られれば何でもいいと考えているヴィンセントからしてみれば、心躍るどころか面倒くさいのである。
すると彼の隣を行くルイーズから呆れ返った吐息が漏れた。
「いつも同じ服ばかり着ている貴方には到底理解出来ないでしょうネェ」
「お前だってそうだろ。いつも同じ服だ」
「これスーツよ? 交渉を勧めるのに相応しい服装をしているだけ。あと言っておくけれど毎日別の服を選んでいるわよ、私は」
「そうなのか、俺には同じに見える」
シャツにジャケット姿から代わり映えしないヴィンセントにしてみれば、ルイーズのこだわりは差違程度にしか映らないのである。
ルイーズは皮肉めいた微笑を浮かべていた。
「華美なファッションよりも小さなお洒落がより女を引き立たせるのよ。裸かそれ以外の選択肢しかない貴方には難しいかしら」
「毒舌じゃなきゃ褒めてやったのによ」
「あら? 図星をついたようね。ちょっとつついただけなのに」
「うっせぇ」
「ヴィンス~、ルイーズ~。はやくなの~」
ゆったり歩く二人を急かすように、こっちこっちとエリサが跳ねていた。
「エリサちゃん、そんなに急がなくても洋服は逃げないわよ」
「たのしみなの!」
「ふふっ、はしゃいじゃって。お祭り気分といったところかしら、貴方とお出かけ出来ることがよほど嬉しいようよ、あの子は」
細めたルイーズの猫目がヴィンセントへと向けられた。
「それにしてもヴィンス。……エリサちゃんの服、どうにかならなかったの」
「どうにもなんねえから買いに行くんだろうが」
楽しげに跳ね回るエリサが身に着けているシャツは、ルイーズが言葉に詰まる程センスの欠片も感じさせない一枚だった。アルバトロス号の倉庫で発掘された段ボール箱に詰められていた子供用洋服は、ちょうどエリサに合うサイズであり、彼女の衣服不足を解決してくれる救世主だったのだが、如何せんあまりにもデザインがダサすぎたのである。それでもエリサが着ているのは「部屋着ならよくね?」とヴィンセントが推したからだった。
「それにしてもでしょう? 例え部屋着だとしても女の子に着せる服じゃないわよ。『パンがなければ米を食べれば良いじゃない』って何? 事務所に来た時、寒気がしたわ」
胸の所に堂々と、筆文字でその言葉が記されているのである。それは主食を米と定めた人間の覚悟なのか、あるいは女王陛下の名言を脚色したものなのかは判らないが、どちらにせよ、あのシャツを着て街中を歩くのはかなりの勇気が必要だ。
「エリサがあれが良いって言ったんだ」
「止めてあげなさいよ。貴方にもあの服が買い物に適さないくらい分かるでしょう、他になかったの」
「止めたぜ? だけど服買いに行く服がねえんだからしょうがねえだろ。箱には色々入ってたけど、あの柄はまだマシな部類だからな。でかい船だから探せば他にも出てきそうだが」
「まるでびっくり箱ね。心は痛まないの? 貴方は自分を慕っている少女を辱めているというのに」
「どうにも棘が刺さるな、チクチクと」
「そう? つまり自覚はあるようね、非道い人」
「余計な口出しすんなよ、話は付いてんだから」
話を切るようにしてヴィンセントは煙草を紙パックから取り出して、ルイーズの露骨な顰め顔を尻目に一本咥えて火をつける。非道だとか外道だとか、そんな言葉は聞き飽きているし、どうとでもなるのだ。今更改めて認識させられるまでもない。
紫煙がゆらりと昇っていくと、今度はエリサが声を上げた。ヴィンセントを指さして大きな声で叫んでいる。
「あーーーーっ!」
「なんだよ、エリサまで。うっせえな」
「ダメなの、ヴィンス」
「はぁ? なにがよ」
「それ! たばこッ! お外で吸っちゃダメって書いてあるの! ホラッ、そこにも!」
ヴィンセントはブーツで踏みつけている〈禁煙〉の注意書きを見下ろした。便利屋なんてはみ出し者にとっては、些細なマナーなんて無いも同然だ。それ以上に守るべき人としての作法を踏みにじることさえあるのだから、感覚が麻痺しているのかもしれない。いくらエリサに注意されても、真に受けないヴィンセントがそこにはいた。
だが、エリサはしつこく喚く。
「消さなきゃダメなのー。いけないことなんだよ? ルールは守らないと、おこられちゃうんだもん。消して! しまって! たばこダメーっ!」
「なぁ~鬱陶しい! 分かったよ、わかった! 降参だ、消せばいいんだろ、消せば」
無視を決め込んでいたヴィンセントだったが、何度も何度も目の前を飛び回られては敵わない。少しの間我慢してエリサが大人しくなるならと、しぶしぶ踵に煙草を押しつけて火を消したが、吸い殻をどこかへ弾こうとしたところで、またもエリサに止められる。
「ポイ捨てもしちゃダメなの」
「はいはい分かりましたよ」
今度こそ降参だと、ヴィンセントは吸い殻をジャケットにしまった。携帯灰皿なんて携行しているわけがないので、ポケットに直である。
正論はエリサにあるのだが、便利屋に身をやつしているような人間は多かれ少なかれ、世の中の常識から不適格の烙印を押された人種だ。一癖二癖あり、必ずと言っていい程どこかが歪んでいて、自らの常識で自らを計り、縛る。そんな偏屈な人間相手にマナーだなんだと説くのがそもそも的外れなのである――。走り出したエリサはおそらく気付いていないだろうが。
例えば、草食動物に草を喰うなと説くように。例えば、魚に空を飛べと命じるような無茶だ。住む世界と常識が異なるのだから不可能で当然。だけれど――
「私達よりしっかりしているじゃないエリサちゃん。あの子の言うことは素直に聞くのよね、ヴィンスは。私が言っても聞く耳持たない癖に、貴方って子供に弱いのね」
「エリサを叱るには場所が悪い。獣人街じゃなけりゃ叱ってたかもな」
「確かに、ここは人間が獣人を責めるのに最も適さない場所の一つでしょうネェ。下手をすれば袋だたきに遭ってもおかしくないもの。でも――どこであろうとしないわよ、貴方はそんなこと」
「そいつはどうかな?」
「貴方は自分で思っている程非情でもなく、優しくもないから」
「褒めてんのか、貶してんのかどっちなんだ」
「最後まで聞きなさいよ」
「続けてどうそ」
「傷付く痛みを知っているからよ。貴方は他人がどう感じて、どう傷付くかを考えることが出来る。それは経験があるからかもしれないし、想像力が豊かだからかもしれない。嫌味や皮肉を言っても、相手が本当に不快に感じるようなことをしないのがその証拠よ。そんなヴィンスが、好意的を向けている少女を理不尽に怒鳴りつけるなんてあり得ない。あの子の笑みに作為を感じるなんて言わないわよ」
「……そうだな。必死になってるように、俺には見えるよ」
「貴方を好いているからこそ、しっかりしてもらいたいのよ、きっと。好きな人が堕落していくのを正したい、純粋な気持ちが行動になった。好きなふりをするだけなら、言いなりになって頷いていればいいだけだもの。あれだけ懐いているのよ? そうじゃなければ自分より大きな人間に注意なんて出来るもんですか。上辺だけの関係はとうに過ぎているでしょう…………どうしたの?」
ヴィンセントの視線は警戒状態で、通りに立っている獣人達に向けられていた。
「……どうにも落ち着かなくてな」
忘れてはならないが、ここは獣人街でヴィンセントは人間である。彼等を虐げ、押し込めた人間が縄張りに踏み込んだとあっては、憎しみが湧くものだ。獣人街に入ってからというもの、炙るような視線がヴィンセントへと注がれ続けていた。
するとルイーズが囁く。
「エリサちゃんと一緒にいれば安全よ。親しげな獣人と連れ立って歩いていればいきなり襲われる事は無いから。あの子が心配するから肩の力を抜きなさいな、むしろ貴方の方から撃ちそうだわ」
「エリサはお守りっつぅよりお守りだからな、さっきから気が気じゃないぜ。木に縛られた羊の気分だ」
「心配性ね、エリサちゃんだけでは不安? それなら二つに増やしたらどうかしら? 御利益があるか試してみましょうか」
言うが早く、ルイーズはその細腕をするりとヴィンセントに絡めて身を寄せた。だけでは足りず、ヴィンセントの耳朶にふぅ、と生暖かい吐息を吹きかけるのである。雄を求めるように細められた黄金の瞳、呼吸一つさえ艶めかしい雌の手つき。
まだ陽は高いのに、ルイーズは吐息一つで艶月の光注ぐ夜伽の雰囲気を作り出していた。
「どうかしらヴィンス。これで少しは安心したかしら?」
「どちらかと言うと――」
火に油だとヴィンセントは感じていた。ルイーズが身を寄せるなり、明らかに彼に向けられている気配が増していたのである。だがそれは、憎しみや怨嗟といった類いとは似て非なる感覚だ。
と、再三である。またまたエリサが声を上げた。彼女が一体になにを見て、何を指さしたかは言うまでもないだろうが、まぁ、仲むつまじく寄り添っているヴィンセントとルイーズである。
「いいな~、エリサもお手々つなぎたいの!」
「おまっ、待てエリサ。これそう言うんじゃねえから」
「ラブラブ♪ ラブラブ♪ ヴィンスとルイーズがラブラブなの~♪」
「やめろエリサ、騒ぎをデカくするな」
バレエのように回りながら、エリサが二人のオアツイ状況を周囲に触れて回る。その度に、ヴィンセントの緊張度が増していった。彼はようやく理解したのだ。獣人達から自身に向けられている視線が孕んだ感情が一体何なのか。
思えば視線を向けてくるのは男性獣人ばかりだった。同性でも羨むくらい妖姿媚態なルイーズを侍らせているのが、覇気の薄い人間の男だとしたら、同族の雄としてはそれはもう奥歯を砕かんほどの嫉妬を抱いても不思議はない。
「つまりルイーズが元凶じぇねえか」
「煮え切らない貴方がいけないのよ、堂々としていれば問題なかったのに。でもいい気分を味わえているでしょう、嫉妬されるって名誉な事よ」
「美しさは罪とか言うのか? 冷や汗びっしょりなんだが」
「ふふっ、顔も赤い」
「暑いだけだ、うるせえな。……もういいだろ、離れてくれよ。このクソ暑いのにベッタリすんのはしんどいだろ?」
「そう? 私は全然平気よ。なんなら一日中だって、ね?」
艶やかな上目遣いで微笑むルイーズに、ヴィンセントの心臓がどきりと跳ね上がるが、彼が覚えたのはときめきとは違った。気遣ったルイーズの行動を無下にしたのだから、彼女の尻尾が逆立ってもおかしくないのである。
「お心遣いは本当に感謝すっけど、そんなにくっつかれると、万が一ン時に守れない。お前等巻き込んじまったら、俺がやるしかないだろ」
「口説くのが下手だけれど貴方らしいかも。いいわ、放してあげる。毛皮が暑くてごめんなさいね」
「肌触りはよかったから、冬場に温めてくれねぇかな」
「このドームに冬は来ないわよ」
「そういやそうだった」
内心残念でもあり、ヴィンセントは放してくれたルイーズの腕を名残惜しく見送った。だが、これでいいのだ。彼女との間にある溝は、容易く埋まる程浅くはないのだから。
「ヴィンス、ヴィンス! 次はエリサと手つなごう?」
「俺の両手は一杯だ。支えてないとパンツが落ちちまうんでな」
「え~! ルイーズさんだけずるいの。エリサもヴィンスとギュッてしたいの!」
「暑いからパスだ」
ポケットに両手を突っ込んだままでヴィンセントは防戦の構え。ルイーズの短い毛皮ですら音を上げたのに、エリサのふかもふとした毛皮で抱きつかれたら、それこそサウナスーツを着込むも同義だ。
「おねがいなのヴィンス」
「エリサも冬なら歓迎してやるよ」
「ほんとう?」
「多分な」
「もう、ヴィンスのいじわるー!」
寒かったら寒かったで、他に理由をつけて拒むだろうが、とりあえず今をやり過ごせればよかったので、ヴィンセントは適当に答えるのだった。
「それならエリサちゃんは私と手を繋ぎましょうか」
するとスルリ――ルイーズはヴィンセント放し、少女へと手を差し伸べた。
「いいの、ルイーズ?」
「ええ、エリサちゃんさえよければネェ。ヴィンセントはね、いい年して恥ずかしがり屋さんなのよ。女の子と触れ合うのにドキドキしちゃうから、ああして誤魔化しているの。情けないわよね。彼が勇気を出すまで、女同士で仲良くしていましょう」
「……うん」
すらりと美しいルイーズと、純朴純白なエリサが手を繋いでいる姿は、後ろ姿を眺めているだけでも頬が緩み、年の差はあれど内緒話をしている様もなんだか女の子らしいと思えた。
と、エリサがぱっ、と振り返り自慢げに満面の笑みを向ける。口角上げて歯を見せて、エリサは「いーッ」と笑っていた。
「ふっ、早く行けよ、服売り切れちまうぞ」
「ゆっくり歩くもん。だいじょーぶだも~ん」
「これだから女同士でくっつくとめんどくせえ」
「ヴィンスもいっしょに歩こう?」
「はいはい、分かったよ」
更に歩みが鈍った二人を追い抜き、ヴィンセントが前を歩くのだった。




