Do me a favor 16
小惑星――そのサイズはまちまちだが、いくら小さいといっても大きさは優に1㎞を超える。下手な接触をすればネジ一本でも命取りになりかねない宇宙空間で、直径60mそこそこの宇宙船をぶつけないように注意を払いながら高速で操るのは神経を使う作業だ。
操縦輪を握るオリガの額を濡らすのは疲労による汗か冷や汗か。
「オリガ、速度……」
「なんやテディ、いまごっつ忙しいねん! 話しかけんといてンか!」
「スピード、落とした方がいい」
発艦作業を終え、操縦室に戻ってきたテディは肝を冷やしっぱなしだった。今までにも逃げることはあったが、今回のように小惑星群に突っ込む無謀ではなかったし、まだ希望が見えた。ただ今回の〈これ〉は同時に複数の球が飛んでくるノックを受けるような状況だ。しかも当たれば即オダブツなので速度を落とした方が良い。そうテディが意見した直後にも小惑星の欠片が船体を擦ったのか不気味な振動音が天井の方から鳴った。
「…………⁉」
「安心せいこすっただけや。テド達が戦っとる間に距離とっとかんとアカン。ウチらがもたついとったらあいつらも逃げられへん。奥まで入ればこっちのもんやで、海賊船もあのサイズや、石が邪魔でひょいひょい追えんやろ。テド達回収したらまたすぐ逃げるで」
「了解。……ん? レーダーに反応、六時」
「戻ってきた? テド達かい?」
「分からない……けど――」
テディもそう思いたかったが後方から迫るレーダー反応は一つだけで、彼は首を振った。
「一機だけ。高速で接近中……」
「なんてこっちゃ……!」
小惑星を避ける為、上下左右に機動しながら海賊機は追ってきていた。しかし、いくら宇宙船よりも小回りが利く戦闘機とはいえその速度がおかしい。ぶつかれば即座に死を迎える無謀な飛行だというのに海賊の機動にはまるで躊躇がなく、みるみる縮まる彼我の距離は導火線の火が迫る緊張感に似ている。
ズズン、と細かな振動。
暴れる舵をオリガは抑えつける。
今度は擦ったのではない、小規模な爆発音がその証拠だ。
オリガ必死の逃亡も虚しく導火線が追いついたらしく、後方で光っていたレーダー上の光点はルナー号前面へと周り、その姿をオリガ達に見せつけたのだった。
ひたすらに速度のみを求めた直線的な機影。海賊が狩る戦闘機として余りある暴力性を目の当たりにしたオリガが緊張に喉を鳴らしていると、野蛮な声ががなり散らしてきた。
『おらぁッ、止まりやがれ! 追いかけっこはしめぇだ、止まらねえと沈めるぞッ!』
全エンジンに致命的ダメージ
通信機には異常
欠けた月は皿に載ったパンケーキに成り果ててしまっていた。だというのに、舵を取る女船長は僅かも臆さず怒鳴り返す。
「じゃぁかしいわ、アホンダラ! 痛い目みんうちにとっとと去ねや!」
『ほっほぉ! 話にゃ聞いちゃいたが、こうして声を聞いてみりゃ驚きだ。本当に女が運び屋の船長なんぞやってるとは。しかし獣人束ねてるっつうから、どんな女傑かと思えば、随分と乳臭ぇ声してやがるじゃあねえかよ』
「女でも獣人でも、恥知らずの海賊よりはマシや。それに脅すんやったらなぁ、ツラァ晒して吼えんかい!」
小さな拳が叩きつけるのは映像通信の接続スイッチ、画面には獰猛な犬面が映し出された。
『……なんだぁ、まだガキンチョじゃねえか。船長を出せ、船長を』
「金に眩んだ目じゃあ見えへんようやな、それでも戦闘機乗りかいや⁉」
どう見ても女児。そんな人物が運び屋の船長だなどと言われてすんなり飲み込む奴がどれだけいるだろう、海賊もまず疑うよりも驚きが先行していた。
しかし、である。オリガの肝の据わった眼差しから、侮りは不要だと海賊は感じ取る。
『からかってる……てぇ訳じゃあなさそうだな』
「ウチが船長や。せやから改めて訊くで、なんの用や?」
『デカい稼ぎがあったらしいな、その儲け渡してもらうぜ。大人しく従うなら、命までは取らねえよ、女船長さん』
ルナー号は損害甚大。
海賊が勝ち誇るのは無理からぬ事で、命惜しくば従うが吉であるが、オリガの溜息には諦めの文字は浮かんでいない。
「はぁ……、やっぱり目ン玉曇っとるのう」
『的になって確かめてみるか? 見た目が雌ガキだろうが容赦ねえぜ』
「そこが曇っとる言うてんねんッ!」
テド達がやられた憤り、そして自らの不甲斐なさ。画面越しでも噛みつかんばかりにオリガは食ってかかり、海賊の目を丸くさせる。彼女は怒っていた、それはもうモニターを唾塗れにするくらいに頭にきているのに、オリガの言葉はどこか説教じみて場違いな気配が否めない。
「フーチ、よなぁ? あんたの名前は?」
『……あ? あぁ、そうだが』
まるで母親にでも叱られてたかのようにフーチの勢いがしぼんでいく。女児の姿をした船長、そして彼女の気概にすっかり面食らった彼は、いつの間にやら気勢を削がれてしまっていた。
「あんたは海賊で、ウチらを襲う、そうやな?」
『あ、ああ! そうだ、その通りだ! さっさと金よこしやがれッ! さもねえと、全部引っくるめて沈めてやるぞ、墓石には困らねえ。ヴィンセントの野郎に思い知らせるのにも丁度いいしな!』
「――? どう言う意味やねん」
『なんでもねえ! こっちの事情だ!』
明らかにムキになっている海賊、オリガはその動揺をしっかり捉えて意地の悪い笑みを浮かべる。
「ははぁ~ん、読めたで。あんた、負けっぱなしなんやな? ほんで、あいつへの意趣返しにウチら狙っとるんか」
『ちげぇーよバカ野郎、仕事だ仕事! ヴィンセントと鉢合わせたのは偶然だ! 口閉じねえと沈めるぞこの野郎!』
「恥ずかしいやっちゃな、アンタそれでも戦闘機乗りなんか?」
『なんだとこのアマ……ッ!』
急所を突かれフーチは牙を剥くが、すでに状況は彼女に傾きだしていて、そうなれば怒声が吐き出される前に言葉を続ける事は容易かった。テディが何か言いたそうにしているが、静かに制してオリガは続ける。
「ウチの知り合いにも戦闘機乗りがおってな、よう話を聞かされたわ。世界には数えきれへんくらい悪党がおるけども、宇宙海賊ほど気持ちの良い連中はおらんってな。それは広大な宇宙が、誰よりも、何処までも彼等を自由にしているからやって。せやから奴らは飛べへん悪党連中よりも勇敢で誇り高いんやって」
『言われるまでもねえ。それが戦闘機乗り、それが宇宙海賊ってもんよ』
「そしてこうも言っとった。彼等の大事なモンは、金でも女でも無い、名誉やって」
『……おめぇさんの言いてえ事は分かった。だが、このまま引き下がったんじゃあ、俺様を待つ部下達へ示しがつかねえ! わりぃが女船長さんよ、貰うもんは貰っていくぜ!』
互いに稼業、そして部下を養う身である為、海賊が簡単には退かないことはオリガだって分かっている。だが、……否、だからこそ彼女は言葉を紡ぎ続ける。
飯を食う為、つまりは生きる為だ。だがしかし――
「こンアホたれ、ほんまにそれでええんかッ⁉ アンタはただの悪党やない、無限の海を支配する宇宙海賊なんやろが! トンカチな事抜かしおってからに、ちっとも分かっとらんやんけ! あんたは恥ずかしくないんかって言うてんねん⁉ 負けっぱなしの相手から逃げて、その上、仕返しついでに帰った後を襲うなんて恥の上塗りやろうが! あいつは襲撃を待って、待ち続けてたんやで? あいつにとってはそれが仕事や、キチンと真っ当しとったわ。せやのにアンタときたら……臆病風に吹かれて姑息な真似に走っとる。海賊が聞いて呆れる、いいとこ空き巣や。意地も見栄も張れない男は最低やぞ、堂々と闘わんかいッ!」
自信に満ちたオリガの眼差しには妙な説得力があり、フーチを気圧すどころか情けなさに眉根を寄らせるくらいである。
フーチから漂う明らかな動揺と迷いの気配。
と、オリガは突然意気消沈し、諦め加減に話し始めた。
「……せやかて、ウチらとの勝負はあんたの勝ちや。抵抗する手段は、正直に言ってないわ。大人しゅうしとったら家族には手ぇ出さんのねやろ? 欲しいもんがあるやったら持っていったらええ。――テディ、ハッチ開けたって」
戸惑いがあり、逡巡。
だがオリガの指示に従ったテディによって、ルナー号の着艦用ハッチが開かれた。
「もう切るで、あとは好きにしいよ、海賊」
『待て! 最後に一つ教えてもらおうか』
「……なんや?」
恐ろしく面倒な質問が飛んでくるのだろう、オリガはすぐに応えられるように頭を巡らせる。すでにフル回転状態の脳味噌に横槍からの質問ほど厄介なものはないが、彼女は別の意味で呆気にとられることになる。なんせ質問の内容が……
『戦闘機に描いてあったエンブレム、あれは誰が描いたんだ』
「…………ウチやけど」
『そうか』
それだけ言って海賊は通信を切った。
気味の悪い幕切れにオリガも、テディも戸惑いを隠せずにいるが、不可解な問いに首を傾げているよりも優先すべき事がある。
テド達は果たして無事なのだろうか。




