Do me a favor 12
結局、その日の夕飯はルナー号の全員で食卓を囲むことになった。
警戒の為にも、ヴィンセントは必要な分だけ摘まんで格納庫に下がるつもりだったのだが、食事を人質としたオリガには逆らえず、最終的には共に夕食をとることにしたのである。あれこれ言い争うよりも、さっさと喰って戻るが吉。そう判断したのだが、複数人で集まれば当然会話は生まれる訳で、更に答え合わせをしたがるテド達もいるので、席を離れるのは難しくなる一方だった。
しかしである。戦闘機の話となると、自然に前のめりになる所為でヴィンセントも完全に食卓の一員となっていて、彼がテド達の質問に身振り手振りを交えながら答えていくので、オリガに注意されたくらいだ。
まぁ、仕方ないだろう。彼女がすっかり準備を終えているというのに食事には手を付けず話を続けているのだから。
オリガに叱られて、ようやく料理を口に運んだテドからは、一日を終えた感想がしみじみと漏れる。
「あ~、最高! 疲れた身体に姐さんの料理が染みるぅ~!」
「兄さんは、毎日幸せそうだね」
「幸せそう? それは違うなテッド、俺はな、幸せなんだ」
小さいテーブルに所狭しと並ぶ料理の数々は、ヴィンセントが初めて見る物ばかりだった。アルバトロス号では手軽に作れるアメリカ料理か、ダンがこさえるアジア料理がほとんど、エリサのレシピが増えたことで彩りは増したが、それでもオリガが用意した品はどれもこれも初見の品ばかりである。
深紅色鮮やかな野菜スープはじっくりと煮込んだであろう豚肉と、それでも形を残した野菜とが、仄かな酸味とこってりした脂の絶妙なバランスで舌の上を転がっていた。
「オリガ姉、これってロシア料理だよな?」
「ボルシチや。折角やから先祖の味っちゅうのを辿ってみたくて調べてんけど、なんやかんやでウチに合うてるみたいや。血ィなんかね? しっくりくるわ。こっちのパンがピロシキで、こっちがペニメーニ――まぁロシア風の水餃子やな。ポテトサラダは……普通のポテトサラダや。どうや、ウマいモンやろ」
「……悪くねえんじゃねーの?」
「なんやそれ、素直にウマいって言えや~!」
オリガが肘でヴィンセントを小突くと、テド達から笑い声が漏れる。宇宙船という閉鎖空間で生活を共にする間柄は、仕事よりも平時の関係性を見た方が、どのようなチームなのかが分かりやすい。
談笑できるってのは、すこぶる良好な証拠だし、一切喋らないテディでさえしっかりと空気を共有できているのは素晴らしい点だ。
「元々、オリガ姉は料理得意だったしな」
「ふふん! 今やったらひねた評論家でも掌クルクルよ」
「そういえばオドネルさん。前から聞きたかったんだけど、二人は同じ施設の育ちなんですよね。姐さんはどんな子だったんです?」
テッドがなんの気無しにヴィンセントに尋ねた。食卓の緩い雰囲気には丁度いい話題で、他の兄弟達も興味津々らしい。黙々と食事を続けているテディでさえ、獣耳をヴィンセントへと向けていた。
「今日一でエエ質問やなテッド。――イケてる姉ちゃんの自慢話教えたれ、教えたれ」
「んー、どんなだったかと訊かれてもな」
オリガは自信に満ちた満面の笑みを浮かべているが、洗いざらいというわけにはいかない。当たり障りのない範囲に留めるべきだろう。部分的な事実の羅列でも美談には違いない。
「……孤児院には、俺達以外にも身寄りの無い子供が大勢いて、オリガ姉は十歳より下の子供のリーダー格だった。その時から気が強くてな、年上だろうが相手が男だろうが、喧嘩になったらゼッテェ退かねえんだよ。怒らせるとめちゃくちゃ怖えし」
「ちょい待ち……! え? 軽くディスってへん? 跳ねっ返りの悪ガキやんけ」
「演出だよ演出、感動を与えるには前振りが大事だろ」
「さよか、ほな続けてどうぞ」
「もう台無しだけどな」
のっぺりとした口調でヴィンセントが返すと、テド達からは笑いが漏れた。
「タイミングばっちりですね、二人とも」
「うるせえな。――とにかくだ、オリガ姉はおっかなかったが皆から頼られてた。他の兄弟からも、シスターからもな。強引なところもあったが明るい性格で、皆から好かれてたよ。……今と大して変わりゃあしねえよ、外見も中身も」
「誰がチビやねん!」
パチンと頭を叩かれるがヴィンセントは動じない。
「こういう部分もな」
談笑が食堂を満たし、ヴィンセントの口元からも硬さが取れていた。
アルバトロス号の空気とはまた違うが、居心地の良さは確かにある。部外者であるヴィンセントでさえ受け入れている度量の広さは、オリガが作り上げたチームの特色を表わしてると考えて良いだろう。
その事実がヴィンセントに思わせるのだ。
彼女は何も変わっていない、戻りようのないあの頃のままだと。
そして同時にこうも思うのだ。
自分はあの頃より、どれだけ歪んでしまったのだろうかと……。
人の成長を木に例えるとしたら、力強く根を下ろし高く高く枝を伸ばし、実を結ぶ姿を想像するが、自身の変わり身としてその様を思えば醜さばかりが目に付いてしまう。
戦う為に他者の記憶を植え付けられ、心を殺して粛々と作業のように命を奪ってきた。その木はきっと魔女の森に生えるような歪な姿で、異臭を放つ実を付けることだろう。しかもその実は自身に留まらず、周囲の人間までも破滅に巻き込む毒を持っている。となれば、木陰で休息を取るような、安寧とした場所には決してならない。
同じ分だけ時間は流れたはずなのに、こうまで違ってしまうものか。会話の中に混ざりながらも、異物としての自分を忘れることなど、ヴィンセントには出来なかった。
しかし無情にも、その違和感はふとしたきっかけで芽を出すのである。
明るい雰囲気に弾んだ会話、そこに悪気はなかったはずだ。うっかり口を滑らせたとしか言えない迂闊さ。戦闘技術に関する会話の中での、テドのほんの一言が負の栄養剤となってしまう。
彼はこう言った。「俺達にも軍隊仕込みの技を教えてくれよ」と――。
空気が、凍り付いた。
ピクニックの最中に地雷を踏んでしまったように。
オリガも、テッドも、テディも。そして遅れてテドも。それこそ冷凍されたかのように皆が硬直しているが、ただ一人、ヴィンセントだけは熱を放ってオリガを捉えていた。
――こいつらが知り得るはずがない情報だ。漏れるとしたら情報源は一人しかいない。
姉と呼ぶ相手に向けるには鋭すぎる殺気にテドは弁明しようとするが、ヴィンセントに一睨みされただけで言葉を忘れてしまう始末。
一度放たれた言葉は戻らない、悔やもうが謝ろうが、だ。
しかし、取り返しの付かない失態にテドがあたふたしていると、テディは静かに口を拭き席を外すのだった。冷静で、図太いが彼の判断がきっと正しいだろう。最早、弁明など何の意味も持たないのだから。
「あ……、姐さん、おれ……」
「テド、テッド。ちょいと席ぃ外してや」
オリガは、隣席から向けられる批難を真っ向から見つめたままで言った。そこには有無を言わせぬ迫力があり、テッドに連れて行かれるようにして、兄弟は食堂から出て行くのだった。
それから数秒か、数分か……。
長い沈黙が続いた後に、ヴィンセントは煙草に火を灯す。紫煙と共に吐き出される溜息には、重油のような重さが付きまとっている。
「ジブンの言いたいことは分かるで、ホンマにすまんかった」
「なにしてくれてんだよ……」
一言に秘密と言っても種類がある。
それは自らを守る為の秘密と、他者を守る為の秘密だ。
死んだはずの人間が生き存えているってのは後者にあたり、下手に噂が広まれば関係していると思われるだけで周囲の人間が巻き込まれる可能性がある。そのリスクを避けるということはつまり、これまでの人生を切り捨てることに他ならないが、人の口に戸は建てられないと諺にもあるとおり、ひとたび漏れてしまえば秘密は秘密でなくなる。
「わかってねえ……ちっとも分かってねえよオリガ」
「ゴメンな、いくら謝っても足りんよね」
「俺に撃たせる気か? それだけのことをしてんだぞ」
生き延びている事実が広まれば、いずれは恨み持つ者の耳にも入るだろう。そうなれば交友関係が洗い出され、他の家族にも危険が及ぶやもしれない。可能性は万に一つか、それとも十中八九かは不明である、しかし全力で危険を遠ざけるならば、過去を捨て去ることに未練は無かった。
というのに、だ。
生まれ育った地球から遠く離れた金星での再会に震え、打ち明けてしまった考えの緩み。オリガを信用しての事だったが、こうなる可能性を知りつつも見逃していたのは、甘かったと思い直さざるおえない。
「ジブンがどうして連絡一つよこさんかったか、気が付いていてはおってんよ。ウチ等の事を隠しとく為なんやろ? けどな……」
「テド達がいつまでも一緒にいるとは限らねえだろ、黙ってる保証もねえ。シスターや他の兄弟達が危ねえ目に会うかも知れねえってのに、そこまで分かっててどうして話した」
「ジブンが生きてたからやんか……!」
声を震わせてオリガが言った。
気丈に吊り上げた目尻が潤んでいる。
「いきなし姿消して、メールも電話もよこさんでお金だけ送りよってからに! ウチがどんだけ心配しとったか⁉ 傭兵になったちゅう噂聞いてこっちから連絡してもよう捕まらん、会社に訊いても知らぬ存ぜぬや! しまいにゃお金も届かんくなって、もう会えへんのかと、死んでしもたんかと心配で心配で……」
「孤児院には残れなかった、仕方ねえだろ」
「せやけど、ジブンが出てく事はなかったやろ! 全部ひっかぶって、勝手にケリつけて!」
人生が決まった決定的瞬間を忘れられるはずがない。音も臭いも、光景も、全て鮮明にヴィンセントは記憶していた。
S&Wのチーフ。小型リボルバーの反動は特によく残っている――
「餓鬼がやろうが殺しは殺しだ」
「ウチがやるべきやったんや、アンタの人生めちゃくちゃにしてもうた」
「後悔はしてねえ、オリガを恨んだこともない。家族に手を出す奴は許さねえ。色んな悪党を見てきたが、奴は死んで当然のクズだった、それは間違いない」
野郎は、オリガを……
いや、今は関係のない話だ。言いかけた言葉をヴィンセントは飲み込み。代わりに拳銃をテーブルに置いた。
「……思い出話は充分だ、言い訳の続きを」
「言い訳か、きっついのぅ」
責める論調にオリガは顔を背けたが、事実ヴィンセントの言う通り、どんな言葉を並べようが言い訳にしかならない。だから、という訳ではないが、彼女はとつとつと胸の内を語るのだった。
「嬉かってんよ、やっぱり……、ジブンと再会できたんが。ほんで、テド達にも話してもうてん、自慢の弟が、もう会えへんと思うとった家族が生きとったってな。一緒に喜んでくれたわ、おめでとうって言うて」
兄弟を持っている分、彼等ならば共に祝ってくれるだろう。宴会を開いている様が、ヴィンセントの目にも浮かぶようだった。
「そこまでで止めときゃよかったんだ」
「せやね、ホンマに。嬉しくて、しこたま吞んで、色々訊かれて教えてもうた。――アホやらかしたんはウチや、責めるんやったらウチだけにしてや」
だが、ヴィンセントは鼻を鳴らす。ハナからテド達を責めるつもりは彼には無かった、尋ねるのは自然な事だし、オリガに興味があってのことだろうから、好奇心を理由に責めるってのは理不尽である。だからこそ彼はオリガに問う、事態が拗れた時にケツを持てるのかと。
「……どういう意味や、それは」
「単純で確実な方法をとれってだけだ、具体的に言おうか?」
テーブルに置かれた拳銃が、ヴィンセントの指先に撫でられてクルクル回っている。
死人に口なし、つまりはそういう事だ。
「オリガ姉が連中を信用してるのは分かってる、だが永遠に続く関係とは限らない。利益次第で人は動く、思いの外簡単に」
「それでもウチは信じとるよ。テド達もジブンと同じ、ウチにとっては家族やからな」
彼女が語るのは夢か、理想か。
しかしオリガの眼差しは夢見がちな乙女のそれとは大きく異なり、現実だけを見つめていて、ヴィンセントの危惧さえねじ伏せんばかりだった。
ヴィンセントにしたって彼等を撃ちたい訳ではないのだから。
「ああ、そうなる事を俺も祈ってるよ」
彼は拳銃をホルスターに戻し席を立つ。このまま残っていても気まずいだけ、少し時間をおいた方が良いだろう。だが、食堂から出ようとした彼をオリガは呼び止めるのだった。
「誰か、信じられる奴はおるん?」
「疑り深くなったって言ったろ、両手放しするほど勇気はねえよ」
「それがジブンで決めた事ならウチは口出さへんよ。せやけどな、ジブンを信じてくれとる相手を裏切ったりしたらアカンで」
「…………」
ヴィンセントは黙って食堂を後にして、通路で聞き耳を立てていた二人組に言い放つのだった。一切目を合わせようとしない彼の姿は、さぞ恐ろしく写っただろう。
「黙って聞け、そして覚えておけ。この先、どこかで古い傭兵の話を聞いたら、宇宙の果てにいようがおまえ等を探し出して殺してやる。OKか?」
「は、はい……」
「ならいい。早く寝ろ、明日はおまえ等も働くんだろ」
格納庫へと戻っていくヴィンセントの後ろ姿は、まるで戦地を歩く兵士のようであった。
――そして、明くる日。
オリガの予想は正しく、ルナー号は目的のコロニーへと無事に辿り着いた。だが綺麗な船体とは異なり、その中身――クルー達の関係はギクシャクしたまま、旅は終わりを告げてしまう。踏み抜いた特大の地雷が爆発したクレーターが一晩で元に戻るなら、カウンセラーは職を失うだろうから、当然の状況でもある。
ヴィンセントは追究しなかったし、他の誰も掘り起こそうともしなかった。しかし、やはり雰囲気は悪く、最後の訓練もまたスッキリした終わりを迎えることは無かったのである。もう済んだことだと頭では理解していても、簡単にはいかないものだ。
険悪……とまではいかないまでも、長居するだけ悪影響を及ぼしかねないので、去るなら早いに越した事は無い。自然とそう感じてヴィンセントが荷造りをしていると、幼い足音が格納庫へと入ってきた。
「なんや、もう帰る支度始めとるんか?」
オリガはなんともとぼけた調子である。三兄弟全員が沈む中、彼女だけは昨晩の出来事を引き摺っていない様子なのが幸いで、荷物をまとめていたヴィンセントもくだけた調子で答えてやる。
「俺にも予定があるんだよ、今回の依頼だってかなり無茶なスケジュール組んでたんだぞ」
「えー、まだ途中やん⁉ ほっぽり出して帰るなんて便利屋として失格やぞ!」
と、彼女は騒ぎ立てるが、わざとらしい身振り手振りで、バラエティ番組の賑やかしもかくやという意思の薄さ。返すヴィンセントは皮肉っぽいいつもの笑みを浮かべて応じた。
「引き受けたのはコロニーまでの護衛だけ、キッチリこなしたろうが」
「毒を喰らわば皿までいけや。甲斐性のないやっちゃな~、最後まで付き合うてくれてもエエんとちゃうか? 取引の瞬間が一番危ないってジブンも知っとるやろ~」
などとごねられて、ヴィンセントにはお見通しだった。
そもそも取引現場まで危険が伴うなら、現場も込みで依頼をして来たはずだ。オリガは間抜けではない、彼女が不要と判断したと言うことは今回の取引は得意先との仕事、つまり裏切れば相手が大損する取引だということだ。
ようするに主導権はオリガにある。
「そんな子猫みたいな顔したって駄目だ、誰が引っ掛かるか。身辺警護頼むなら色つけろ、まぁ倍乗せされても帰るけどな」
「ちっ、ケチンボめ」
「どの口が言うんだよ。破格で教官役まで引き受けてやったってのに、損した気分だぜ。そんなにがめつかったか、オリガ姉?」
「楽しかったけど、孤児院じゃあ貧乏やったからな。反動かもしらん」
「あ~、分かる。心からの贅沢ってのがしにくいんだよな」
なんて気の抜けたやりとりをしながら支度を進めていけば、発艦準備はすぐに整った。元々荷物はリュック一つに収まる程度だ、時間などかかりようもなく、あとはヴィンセントが乗り込むだけである。だが、後席に荷物を放り込んでも、彼はすぐには乗り込まなかった。
ギクシャクしてしまったが、やはり別れは惜しい。それに危険な仕事をしている以上、今生の別れは予期せぬ時に訪れるのだ。そう思ってしまうと遺す言葉を悩んでしまうが、すべてはオリガが解決してくれた。
彼女はヴィンセントの手を握ると、引き寄せて軽いハグをした。そして――
「元気でな」
「ああ、オリガ姉も」
交わしたのはたったの二言。しかし、そこには万の意味が込められていて、ヴィンセントはハグを返してから、颯爽とラスタチカに飛び乗った。
ヴィンセントにしたって当分は死ぬつもりもない、それはオリガも同様だし、何より彼女には――まだ未熟ながらも――仲間がいる。
「おい、おまえ等!」
発艦用エレベーターへとタキシングしつつ、ヴィンセントは格納庫の隅で忙しなくしていた三兄弟に呼びかけた。三人とも気まずそうなツラをしているが、気に掛けるべきは自分では無いと、彼は教えてやる。
それにオリガも彼等を許しているのだから、湿っぽさなど不要だった。
「オリガ姉をよろしくな!」
三人が呆気にとられている間にキャノピーが降りてしまったので返事は聞き取れなかったが、三様に力のこもった眼付きだけでも返事としては充分で、ヴィンセントはルナー号から飛び立つのだった。




